日本代表のDF陣は選手層の薄さが気になりませんか/六川亨の日本サッカーの歩み

2023.05.29 13:15 Mon
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スコットランド・プレミアリーグの得点王に輝いた古橋亨梧(セルティック)が、27日のアバディーン戦で負傷したのは気になるところ。しかし彼以外では、三笘薫(ブライトン)が自身にとってもクラブにとっても初のEL(欧州リーグ)出場を決め、久保建英(レアル・ソシエダ)も自身初のCL(チャンピオンズリーグ)出場を決めた。そして鎌田大地(フランクフルト)はイタリアの名門ACミランへの移籍が濃厚だという。6月のキリンチャレンジカップ2023は、なにかと話題の多い大会になりそうだ。

そんなキリンチャレンジカップ2023だが、26名もの選手が選出されながら、DF陣は6人という“少数精鋭”になった。話題としてはCB谷口彰悟(アル・ラヤン)が復帰したことと、両SBの出来る森下龍矢(名古屋)が初招集を果たしたことだろうか。とはいえ、今回の招集メンバーを見ると日本代表の層の薄さを感じざるをえない。
右SBの酒井宏樹(浦和)はケガから復帰したばかりだし、左SB中山雄太(ハダースフィールド)もケガで長期離脱中のため招集外は仕方がない。右SB山根視来(川崎F)はリーグ戦に出場しているものの、チームはDF陣にケガ人が多く、28日の柏戦もリザーブメンバーにDFの選手は1人もいなかった。鬼木達監督が、ここまで全試合出場を続けている山根に「もしものことがあったら」と危惧しても不思議はないだろう。もしかしたら9月の海外遠征ではベテランでキャプテンの吉田麻也(シャルケ)が復帰するかもしれないが、それにしても高齢化が気になる。

やはり冨安健洋(アーセナル)のたび重なる負傷離脱と伊藤洋輝(シュツットガルト)の今ひとつの伸び悩みが痛いと言わざるを得ない。このため6月の2試合では、4BKなら右から森下、板倉滉(ボルシアMG)、谷口、菅原由勢(伊藤)ということになるだろうし、3BKなら右から板倉、谷口、伊藤(瀬古歩夢/グラスホッパー)といったところだろうか。選択肢はかなり限定されているのが日本代表の現状だ。

中盤から前のメンバー構成にしても(4-3-3と仮定して)、ボランチは遠藤航(シュツットガルト)と守田英正(スポルティング)が濃厚だろう。右FWは、伊東純也(スタッド・ランス)は実績があるだけに、去年6月のガーナ戦以来ゴールから遠ざかっている久保、左FWは三笘のCL&EL初出場コンビの起用に期待したい。そしてトップ下は鎌田ということになる。
問題は1トップである。ボーフムの1部残留に貢献した浅野拓磨も悪くはないが、やはりエルサルバドル戦は格下ということもあるので、ケガの影響さえなければ古橋か、クラブでは好調ながら代表ではノーゴールの上田綺世に期待したい。浅野と前田大然(セルティック)はサイドでもプレーできる選手に対し、古橋と上田は1トップで生きる選手。今回は町野修斗(湘南)が招集外だけに、この2人を2試合で起用して欲しいところだ。

他の選択肢としては、遠藤と鎌田のダブルボランチにして、トップ下に久保を起用し、右MFは堂安律(フライブルク)でスタートし、三笘に代えて相馬勇紀(カーザ・ピア)を投入というオプションもある。

もちろん、こうしたカタールW杯のメンバーを押しのけて出場機会をつかむ選手が出現することは大歓迎であることは言うまでもない。


【文・六川亨】
1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた


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シーズン移行の会見を取材「かなり慎重になっている」印象だった/六川亨の日本サッカーの歩み

Jリーグは9月26日に理事会を開催し、終了後に『シーズン移行』と『2024シーズンのクラブライセンス交付』についての記者会見を実施した。 『シーズン移行』に関しては、特に進展したことはなかった。これまで報道されてきた通り、ACLが“春秋制”から“秋春制”に移行したことと、クラブW杯が32チームと参加チーム増で4年に1回の大会に拡大されたことが『シーズン移行』を検討するきっかけとなったことが報告された。 Jリーグとしては、ACLに4年に2回は優勝することで、クラブW杯には2クラブが参加できるようにして、さらにクラブW杯ではベスト8以上を目標に置いている。こうした好成績を収めることで、現在は浦和の年間経営規模80億円を、J1クラブならアヤックスやベンフィカ(ヨーロッパの中位クラブ)の年間200億円まで引き上げたい考えがある。 しかしながら、ヨーロッパの5大リーグの成功はCLとELがもたらす収益にあり、現状クラブW杯は“おまけ”のようなものだ。これを日本に当てはめるならACLでの成功ということになるが(24-25シーズンから優勝賞金は3倍の約17億円になる)、10月3日のACL、川崎F対蔚山戦や4日の浦和対ハノイ戦、甲府対ブリーラム戦がどれほどの注目を集め、ファンが詰めかけるのか。正直、心許ないところだ。 海外移籍による移籍金の増加は見込めるものの、まだまだJのクラブは「商売上手」とは言えず、よく言えば「選手の希望を叶えてあげている」ものの、海外クラブからは「足元を見られている」印象は拭えない。カタールW杯での日本代表の健闘と、9月のヨーロッパ遠征での好結果から日本代表の試合はコンテンツとしてアジアで認知されつつあるかもしれないが、代表クラスが次々と海外へ移籍している現状で、Jクラブの試合の放映権がグローバルコンテンツに成長するとは思えない。ここらあたりがサウジアラビアの4クラブとの決定的な差と言えよう。 それでも夏場の試合を避けることによってメリットもある。走行距離やインテンシティなどの選手個人データはいずれも“秋春制”のヨーロッパのクラブの方が数値も高い。 ただし、懸案事項――『ステークホルダーとの年度の異なり』、『降雪地域への対応』、『移行期の対応』、『寒い中での試合数の増加』といった重要課題については手つかずのままで、「シーズン移行で発生する費用、降雪地域への対応などは項目の整理がまだ終わっていない」(樋口順也フットボール本部長)のが現状である。 野々村芳和チェアマンも「移行は難しい問題」と認めつつ、「(移行するかどうかで)感情的になることはなくなってきている。いい対話はできている。シーズンを変えるのが主目的ではなく、日本にとって何がいいのか。日本のサッカーを成長させるための土壌はできてきているので、みんなで目指す方向を見つけたい」とシーズン移行に含みを持たせた。 今後は「クラブの話を聞きながらシミュレーションしたい。実行委員にはクラブの考えを聞きたい」とも樋口フットボール本部長は話していた。シーズン移行に関して、「かなり慎重に精査しようとしているな」という印象を受けた記者会見でもあった。 <hr>【文・六川亨】<br/><div id="cws_ad">1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2023.09.26 22:10 Tue

フリック監督解任でドイツ凋落の原因は?/六川亨の日本サッカーの歩み

日本がドイツ戦に4-1と快勝した翌日、飯田橋のJFAハウスでは第19回日本サッカー殿堂掲額式典が、名誉総裁である高円宮妃殿下をお招きして開催された。今年の掲額者は現国士舘大学理事長の大澤英雄氏、元JFA会長の大仁邦彌氏、長年少年サッカーの指導者として育成に貢献し、現在はコメンテーターとして活躍中のセルジオ越後氏、漫画「キャプテン翼」の作者である高橋陽一氏、そして2011年の女子W杯で優勝したなでしこジャパン(日本女子代表チーム)だった。 辛口コラムで知られるセルジオ越後氏だが、前夜の日本の快勝には「何も言うことはありません」と答えて会場の笑いを誘った。そして選手として来日し、その後は1979年に日本で開催された第2回ワールドユース(現U-20W杯)にコカ・コーラ社が大会スポンサーになったことで、「普及をしようと思って」スタートした「さわやかサッカー教室」で全国を巡回。25年間で50万人以上の少年少女を指導した。 指導を始めた当時の日本は「高校生からサッカーを始める子も多かった」時代だった。今回の受賞に関しても、「普及を評価されたのはうれしい。国籍はブラジルですが、日本に来て51年、両親の国でもらえたのもうれしい」と素直に喜びを口にした。 そして今日である。やはりというか、ドイツ代表のハンジ・フリック監督がDFB(ドイツサッカー連盟)から解任された。英BBCによると、1926年に役職が設置されて以来、任期中の解任は初のことだそうだ。 これまでもドイツ(西ドイツ時代を含め)は、代表監督の任期は最低でも8年、2回のW杯というのが暗黙の了解だった。アシスタントコーチ時代を含めれば、代表チームに関わる時間はさらに長い。そうした継続性と合理性・計画性が、彼らのストロングポイントと思われてきた。 実際、28年に監督に就任したオットー・ネルツ(34年の第2回イタリアW杯で3位)からハンジ・フリックまで歴代監督は11人しかいない。日本が、大日本蹴球協会を設立した1921年以降、現在の森保一監督まで延べ30人という人数と比べてもその少なさがわかるだろう(岡田武史氏や長沼健氏の再任は人数にカウントしていない)。 80年代まで、日本の場合は五輪やW杯予選で敗退すると監督交代が基本で、98年に初めてW杯に出場してからは、4年サイクルで監督が代わるのが通例となっていた。それに対しドイツは長期的な視野に立っての強化から、最長ではヨアヒム・レーヴが15年間でW杯は10年南アで3位、14年ブラジルでは優勝、08年のEUROでも準優勝を果たしている。 かつて72年にEUROで初優勝後、74年の自国開催のW杯でも優勝したあとは(ヘルムート・シェーン監督)、96年にEUROで3度目の優勝を飾るまで、ドイツはW杯でも優勝か準優勝が当たり前の時代があった。そんなライバルをゲリー・リネカーは「サッカーは11人でやるスポーツだが、最後に勝つのはドイツだ」という名言を残した。 しかしそれも、W杯で2大会連続してグループリーグ敗退では「過去の名言」と言わざるを得ない。 では、なぜドイツはここまで凋落してしまったのだろうか。シュバインシュタイガーは2013年にバイエルンの監督に就任したベップ・グアルディオラが3年連続してブンデスリーガを制したことで、「ドイツサッカーのバルセロナ化」をもたらしたことが凋落の一因と、日刊ゲンダイIGITALで鈴木良平氏(日本人初のドイツS級ライセンスを初めて取得)が紹介していた。「シンプルにゴールを目指し、劣勢でも諦めない姿勢」、いわゆる「ゲルマン魂」の喪失である。これはこれで、面白い指摘だと思う。 そしてもう1点は、やはり育成が上手くいっていないのか、代表選手のスケールダウンを感じずにはいられない。日本との試合でも、脅威になっていたのはサイドアタッカーのサネとニャブリくらい。そんな彼らも後半、日本が5BKにして人数を増やすと前半の輝きは失われていった。 超大国だったころのドイツ(西ドイツ)には、ローター・マテウスやマティアス・ザマー、ミヒャエル・バラックのような「中盤の将軍」がいた。前線には速さ、強さ、高さを兼ね備えたルディ・フェラー、ユルゲン・クリンスマン、ミロスラフ・クローゼといったストライカーがいた。しかし一昨シーズンまで得点王はロベルト・レヴァンドフスキが5シーズン連続して獲得しているように、ドイツ人選手の影はかなり薄まっている印象が強い。 いまドイツサッカーに何が起こっているのか。それを日本も調べることで、今後の強化に役立てることができるのではないだろうか。ドイツをロールモデルに強化を進めてきた日本サッカーだけに、同じ失敗を繰り返さないためにも彼らの問題点を共有すべきである。 <hr>【文・六川亨】<br/><div id="cws_ad">1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2023.09.12 10:15 Tue

全日空と浦和の事件に思うこと/六川亨の日本サッカーの歩み

板橋区で生まれ育ったため、西が丘サッカー場(現・味の素フィールド西が丘。この名称にはどうも馴染めない)は身近なホームグラウンドだ。そんな西が丘サッカー場で行われた第21回JSL(日本サッカーリーグ)第22節、86年3月22日の三菱重工対全日空戦で前代未聞の事件が起きた。 デーゲームの試合で、ピッチに整列した両チームのイレブンのうち、全日空の選手は8人しかいなかったのだ。当時のJSLは前年にメキシコW杯予選で勝ち上がったため、初めて“秋春制”を採用。3月の第22節は最終節だったが、すでに古河電工がDF岡田武史(現今治.夢スポーツ代表取締役)やMF前田秀樹(現東京国際大学監督)らの活躍で優勝を決めていたため、西が丘での試合は『消化試合』と言えた。 そんな状況での試合なので、取材した記者もカメラマンも数が少なかったのは言うまでもない。後で判明したのだが、全日空の選手はチームの待遇に不満を抱き、6人のベテラン選手が試合直前にボイコットを表明して西が丘サッカー場を後にしたそうだ。このため試合開始時間は10分以上も遅れ、栗本直監督は控えの選手2名をスタメンに起用するなどして試合が成立する8人を揃え、没収試合となることを免れた。 当時のサッカー界は、例えば読売クラブや日産などは、金額はJリーグと比べられないまでも“プロ”に近かった。全日空も将来的にはプロ化を目指していたかもしれないが、ボイコットした選手には元古河のベテラン選手がいるなど、待遇にはかなりの差があったようだ。 試合は6-1で三菱が圧勝し、全日空は2部へと降格した。そして問題となったのはボイコットした選手たちである。彼らにも言い分があった。それは当時のJSL総務主事である森健兒が事情聴取した。しかし、JSLの規定には「選手の無断欠場」に関しての罰則や条文は存在しなかった。 このため森総務主事はJFA(日本サッカー協会)の長沼健(元JFA会長)が委員長を務めるJFA規律委員会にコトの次第を報告。長沼は緊急規律委員会を招集し、ボイコットした選手には「国内のあらゆるチームへの登録禁止」を通達した。当時の罰則規定では、「有料公式戦において試合放棄は社会人選手として許されざるべきこと」、「グラウンド内外でのふさわしくない行為に抵触する」として、ボイコットした6選手に対して「無期限登録停止処分」を下した。 しかしながら、形式上は「無期限登録停止処分」でも、長沼さんは「永久追放」と厳しく断罪した。メディアも同様に報じたため、彼らのサッカー人生もそこでリセットされることになった。それでも後年、サッカー界に復帰できことは、長沼さんや森さんら往時の人々の“懐の広さ”を感じずにはいられない。 そして改めて思うのは、JFAの“あまちゃん”体質だ。先月の天皇杯での名古屋戦、浦和のサポーターは、現場で取材した方々に聞くと、蹴る、殴るの暴行を目撃したと言う。実際に現場で目撃したわけではないので、これ以上の記述はできないが、もしもそれが事実なら、もうこれは“犯罪”でしかない。それをJFAとJリーグ、浦和はどう認識しているのか。まずはビデオを含めて映像による事実確認をどこまでしたのか、これは簡単に幕引きをして済まされる問題ではない。 <hr>【文・六川亨】<br/><div id="cws_ad">1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2023.09.05 22:45 Tue

「ダイヤモンドサッカー」があるから今がある/六川亨の日本サッカーの歩み

「サッカーを愛するみなさん、ごきげんいかがでしょうか」の名台詞で始まる『三菱ダイヤモンドサッカー』のアナウンサー、金子勝彦さんが20日にご逝去された。88歳だった。JFA(日本サッカー協会)の田嶋幸三会長は「サッカーを始めて間もなかった小学生時代、毎週土曜日の夕方は『ダイヤモンドサッカー』を見るために慌てて家に帰っていたことが思い出されます。前後半を2週に分けて放送しており、次の放送をワクワクしながら待っていたことを覚えています」とお悔やみの言葉を述べた。 田嶋会長とは奇しくも同学年で、彼の言葉は同世代の小中学生の気持ちを代弁したと言ってもいい。サッカーがマイナーなスポーツだったからこそ、『三菱ダイヤモンドサッカー』は貴重な情報源であり、解説の岡野俊一郎氏(第9代JFA会長)が紹介するヨーロッパ各国の歴史や文化に憧れを抱いたものだった。 番組がスタートしたのは1968年だった。元日本代表で、当時は三菱化成(現三菱ケミカル)の社長だった篠島英雄氏(後にJFA副会長)が、イングランドリーグのダイジェスト番組『Match of the day』を日本に輸入することを東京12チャンネル(現テレビ東京)に提案。解説に大学(東京大学)の後輩である岡野氏を推薦したのも篠島氏だった。 70年のメキシコW杯でペレの妙技や、若き日のベッケンバウアーをブラウン管越しに見て、ワールドカップの凄さを実感したのも『三菱ダイヤモンドサッカー』だった。74年には西ドイツW杯の決勝戦を初めて衛星生中継する。それまでサッカー専門誌で名前しか知らなかったクライフのプレーを初めて見たときの衝撃はいまでも忘れられない。なにしろキックオフから一度も西ドイツにボールを渡すことなくパスをつないで、クライフのドリブル突破からPKを獲得してしまったのだから。 テレビでもお馴染みとなった柔和な笑顔とソフトな語り口で、サッカーの話を始めたら、何時間でもしゃべり続けられる情熱と知識の持ち主だった金子さん。2012年には日本サッカー殿堂入りを果たしたが、放送界からの選出は金子さんが初めてだった。 川淵三郎JFA相談役も「日本サッカー102年の歴史の中でその発展の礎となった出来事がいくつかありますが、『ダイヤモンドサッカー』がその一つであることは誰もが認めるところでしょう」と故人の功績を称えた。 再会を果たした岡野さんとは、カタールW杯での日本の活躍を祝しつつ、近年のドイツの不甲斐なさを嘆いているかもしれない。 <hr>【文・六川亨】<br/><div id="cws_ad">1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2023.08.30 13:00 Wed

WEとJのダブルヘッダーでリーグを盛り上げてほしい/六川亨の日本サッカーの歩み

オーストラリアとニュージーランドで共同開催された女子ワールドカップは、スペインが決勝でイングランドを1-0で破り初優勝した。男女ともW杯を制したのはドイツに続いて2か国目で、今後もその可能性があるのは決勝で敗れたイングランドくらいだろう。 グループリーグでスペインを4-0と撃破したなでしこジャパンにとっては、今後に可能性を抱かせる結果となったが、そのハードルは改めて高いことも痛感させられた。細かくパスをつなぎ、ボールを保持して攻めるスタイルは共通している。しかしスペインは、イングランドに負けないフィジカルも兼ね備えていた。 スペインと再戦しても勝てるという保証はない。と同時に、試合の入り方で受け身にならなければスウェーデンには勝てるかもしれない。そうした経験を若い選手が積めたこと、通用した部分とフィジカルはまだまだという課題が明確になったことが今大会の収穫と言える。 そのためには今月末からスタートするWEリーグカップやWEリーグでのレベルアップが急務となる。なでしこジャパンの主力選手はヨーロッパやアメリカのリーグでプレーしているが、彼女たちだけでなくWEリーグにも海外から代表クラスの選手を招聘して、リーグのレベルアップを図りたいところ。しかしながら、そうした余力が各チームにあるのかどうか、こちらは心許ない。 WEリーグは観客動員に苦慮しているのが現状だ。カップ戦は26日にスタートするものの、なでしこジャパンの活躍をテレビで観戦したファン・サポーターがどれだけスタジアムに足を運ぶのか疑問である。開幕日は浦和駒場で浦和対千葉、味フィ西が丘で日テレベレーザ対長野、ギオンスタジアムで相模原対C大阪、翌27日はNACK5で大宮対INAC神戸の試合が組まれている。 しかし首都圏では同じ26日、国立競技場でFC東京対神戸、ニッパツで横浜FC対横浜FMの横浜ダービーが組まれている。時間帯はほとんど同じのため、どちらの試合がより多くの観客を集めるかは自明の理だろう。JリーグとWEリーグにはそれぞれ理由があるのだろうが、こうしたところから改善してはいかがだろうか。 例えば26日は味スタで東京V対岡山が、NACK5では大宮対長崎の試合がある。男女どちらか大宮の試合日を入れ替え、これに相模原はアウェーで琉球と対戦するがホームゲームにすることで、JとWEは3試合で男女のダブルヘッダーが可能になる。 スタジアム内のスポンサーボードの表示やチケットの収益をどう分配するかなどの問題はあるものの、昨シーズンのWEリーグより多くのファン・サポーターが集まることで選手のモチベーションも高まることだろう。現状のまま手を拱いていては、WEリーグは“ジリ貧”状態に陥る可能性は高いだけに、パリ五輪へ向けて今こそ大胆な施策を実施するべきである。 <hr>【文・六川亨】<br/><div id="cws_ad">1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2023.08.22 12:20 Tue
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