モドリッチ&アザールが復帰! マドリーがベティス戦招集メンバー発表
2021.04.24 01:01 Sat
レアル・マドリーは23日、翌日に行われるラ・リーガ第32節のベティス戦に向けた招集メンバーを発表した。
前節、カディスに3-0の快勝を収めて首位アトレティコ・マドリーとの3ポイント差を維持した2位のレアル・マドリー。27日にチェルシーとのチャンピオンズリーグ(CL)準決勝1stレグを控える中、今節は6位のベティスをホームで迎え撃つ。
この重要な上位対決に向けてジネディーヌ・ジダン監督は、背中の張りによりカディス戦でメンバー外となっていたクロアチア代表MFルカ・モドリッチと、負傷明けのベルギー代表FWエデン・アザールの主力2選手を復帰させた。
その一方で、負傷のドイツ代表MFトニ・クロースが新型コロナウイルス感染のウルグアイ代表MFフェデリコ・バルベルデがスペイン代表DFセルヒオ・ラモスらと共に引き続きメンバー外となった。今回発表された招集メンバーは以下の通り。
◆レアル・マドリー招集メンバー
GK
ティボー・クルトワ
アンドリー・ルニン
ディエゴ・アルトゥーベ
ダニエル・カルバハル
エデル・ミリトン
ラファエル・ヴァラン
ナチョ・フェルナンデス
マルセロ
アルバロ・オドリオソラ
MF
ルカ・モドリッチ
カゼミロ
イスコ
セルヒオ・アリーバス
アントニオ・ブランコ
FW
エデン・アザール
カリム・ベンゼマ
マルコ・アセンシオ
ヴィニシウス・ジュニオール
マリアーノ・ディアス
ロドリゴ・ゴエス
前節、カディスに3-0の快勝を収めて首位アトレティコ・マドリーとの3ポイント差を維持した2位のレアル・マドリー。27日にチェルシーとのチャンピオンズリーグ(CL)準決勝1stレグを控える中、今節は6位のベティスをホームで迎え撃つ。
この重要な上位対決に向けてジネディーヌ・ジダン監督は、背中の張りによりカディス戦でメンバー外となっていたクロアチア代表MFルカ・モドリッチと、負傷明けのベルギー代表FWエデン・アザールの主力2選手を復帰させた。
◆レアル・マドリー招集メンバー
GK
ティボー・クルトワ
アンドリー・ルニン
ディエゴ・アルトゥーベ
DF
ダニエル・カルバハル
エデル・ミリトン
ラファエル・ヴァラン
ナチョ・フェルナンデス
マルセロ
アルバロ・オドリオソラ
MF
ルカ・モドリッチ
カゼミロ
イスコ
セルヒオ・アリーバス
アントニオ・ブランコ
FW
エデン・アザール
カリム・ベンゼマ
マルコ・アセンシオ
ヴィニシウス・ジュニオール
マリアーノ・ディアス
ロドリゴ・ゴエス
ジネディーヌ・ジダン
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コロナ
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セルヒオ・ラモス
ティボー・クルトワ
ディエゴ
ダニエル・カルバハル
エデル
ラファエル・ヴァラン
ナチョ・フェルナンデス
マルセロ
カゼミロ
イスコ
アントニオ
ブランコ
カリム・ベンゼマ
マルコ・アセンシオ
ヴィニシウス
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「友達は1人しかいない」ベンゼマが、レアルやC・ロナウド、ジダンについて語る「兄のような存在」
レアル・マドリーの元フランス代表FWカリム・ベンゼマが自身について赤裸々に語った。スペイン『ムンド・デポルティボ』が伝えた。 2009年7月に自身が育ったリヨンを離れ、マドリーへと加入したベンゼマ。マドリーでのキャリアが10年以上を迎え、公式戦541試合に出場し266ゴール140アシストを記録している。 これまでは、様々な評価が下され、かつて所属したポルトガル代表FWクリスティアーノ・ロナウド(ユベントス)との比較も絶えなかったが、退団後はチームの得点源としてより存在感を増している。 そのベンゼマが、スペイン『エル・パイス』で自身のプライベートな部分について語った。 アルジェリア人の両親の下、リヨンで生まれ育ったベンゼマ。子供の頃のことについて「僕は厳しい場所からやって来たんだ。身なりがよく、素敵な車を持っている年上の男の人を見ていて、僕は彼らのようになりたいと思っていたんだ」と子供の頃の憧れについて語った。 リヨンの下部組織でもプレーしたベンゼマだが、特別なアイドルはいなかったという。それでも「サッカーではブラジルのロナウド」とモデルはいたとのこと。さらに「僕は(マイク・)タイソンも尊敬している。なぜなら、2人とも底辺から来て徐々に這い上がっていったからだ。決して楽をしたわけでもなく、タダで何かを与えられたわけでもない」と、徐々に力をつけて名声を挙げた2人をモデルとしていたことを明かした。 そのベンゼマは、現在はマドリーのエースに君臨。かつてのことを振り返り「クリスティアーノ(・ロナウド)がチームを去ったことで、僕は別の役割を担うこととなった。彼は毎年50ゴールを決めていて、彼の試合に適応する必要があった。彼は世界で最高の1人だし、僕は彼のそばで幸せだった」とコメント。ガレス・ベイル(トッテナム)とともに“BBC”と呼ばれていたトリオ時代も幸せだったという。 一方で、同じアルジェリアにルーツを持つジネディーヌ・ジダン監督については「彼は僕にとって兄のような存在だ。いつもそばにいて、僕にアドバイスをくれる」とコメント。助けになっていることを明かした。 そのベンゼマだが、なかなか感情を表に出すことが少なく、冷酷な人間だと思われることも多い。 しかし、「僕には感情があるよ。でも、そうであっても自分の弱点を晒すことは決してない。僕は弱っている時、それを自分の中に留めるんだ」とコメント。冷たい人間ではなく、感情をあまり表に出さないタイプだと語った。 そのベンゼマは、現在多くの選手が被害にあっている人種差別主義者についてもコメント。「ムカつくし、恐ろしいし、汚らしい。僕たちは全て同じだ」とかたり、反感を露わにした。 また、「僕には友達が1人しかいない。だから、友情が僕にとってとても重要であることを示している」とコメント。「お金は物事をはるかに簡単にしてくれる。でも、幸せになるために何百万も必要とはしないよ」と語り、お金が全ての幸せをもたらす訳ではないとの見解を語った。 2021.03.04 20:58 Thu4
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元トーゴ代表FWのエマヌエル・アデバヨール氏が、レアル・マドリー時代のポルトガル代表FWクリスティアーノ・ロナウド(現アル・ナスル)とのエピソードを明かした。 西アフリカの小国トーゴを2006年ドイツW杯へ導いた同国史上No.1フットボーラー、アデバヨール氏。クラブキャリアはアーセナルやマンチェスター・C、トッテナム等でプレーした。 陽気なキャラクターで愛された男は指導者業へ入らず、トーゴのスポーツ大臣にA代表監督就任を打診されても「僕には無理!」とお断り。 そんなアデバヨール氏は現役時代の2011年にマドリーでプレー。シティからのレンタル加入でわずか半年だったが、当時マドリーにはC・ロナウドが所属しており、アデバヨール氏はそのプロ意識に感銘を受けたという。ポッドキャスト『Takes from the terrace』に語った。 「たった半年のマドリード生活でも、あの男と一緒にプレーする機会を得られたことを感謝しないわけにはいかないね。C・ロナウドだ」 「僕は今なお、彼のメンタリティ、人柄、パーソナリティに敬意を抱いているよ。一瞬たりとも『最高の選手になりたい』という意識を排除しない姿勢は僕に衝撃を与えたんだ」 「覚えてる人はいるかな?」 「僕はかなりの批判を受けながらのマドリー加入だった。不要な選手だとね。だから、クラブから『最初の2週間は、練習開始1時間前には必ずクラブハウスへ来い』『そういったところから姿勢をアピールするんだ』と指示された」 「僕は初日、指示された時間よりもさらに1時間早い午前8時30分にクラブハウスへ来た。10時30分の練習スタートまで2時間もあるし、それが一番乗りだろうと。僕がプロフェッショナルであると誰もが認めてくれるだろうとね」 「ところが、誰もいないはずのジムから物音がするんだ。理学療法士に聞いたら『ああ、クリスティアーノがいつもこの時間からいるんだよ』ってね。僕は2番目の到着だったわけだ」 「そこでC・ロナウドとの挨拶だ。会話を交わすなかで『いつも何時に来ているの?」と聞くと、彼は『7時だよ』とさ…(笑) こっちが呆気に取られていると『助けになれることがあったら何でも言ってくれ』と言ってくれたよ」 「彼は今年で40歳か…まだまだ第一線の選手であることが僕は嬉しいね。今でもクリスティアーノ・ロナウドの活躍を見るたび、僕はあの出来事を思い出して美しい気分に浸る」 <span class="paragraph-title">【動画】現在40歳のアデバヨール氏</span> <span data-other-div="movie"></span> <blockquote class="twitter-tweet"><p lang="en" dir="ltr">Emmanuel Adebayor believes Arsenal must win the North London Derby against Tottenham to keep their momentum going in the title race <a href="https://t.co/gndjUA5SNm">pic.twitter.com/gndjUA5SNm</a></p>— Sky Sports Premier League (@SkySportsPL) <a href="https://twitter.com/SkySportsPL/status/1879487573522850087?ref_src=twsrc%5Etfw">January 15, 2025</a></blockquote> <script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script> 2025.01.24 16:31 Fri4
「ロナウドよりもベイル」元マドリーのドクターが見解「彼は最高のアスリート」
元レアル・マドリーのドクターが最高のアスリートについて言及した。 世界最高峰のアスリートは誰かと問われれば、ユベントスのポルトガル代表FWクリスティアーノ・ロナウドの名を挙げる人は多いだろう。36歳となった今でも、強さ、ジャンプ力、スピードをすべて信じられないほどのレベルで備えた見本のような肉体を誇っている。 C・ロナウドは息子がポテトチップスを食べてコカ・コーラを飲んでいるのを見ると、いい気分にはならないようで、自身も先日のユーロ2020の記者会見では目の前のコーラを退けるなど、印象的な行動もとっていた。 だが、元マドリーのドクター、ヘスス・オルモ氏の考えは少々異なる様子。オルモ氏はC・ロナウドよりもレアル・マドリーのウェールズ代表FWガレス・ベイルの方がより完全なアスリートであると信じているようだ。スペイン『イデアル』に次のように語っている。 「サッカー選手の身体的パフォーマンスレベルは、他のオリンピック選手とはかけ離れている」 「ただ、今はセルヒオ・ラモスのように近づいている選手も居る。ルーカス・バスケス、クリスティアーノ・ロナウドもだ。ケイロル(・ナバス)は驚異的な瞬発力があり、(ダニエル・)カルバハルは素晴らしいコンディションを持てている」 「ただ、おそらく私が見た中で最高のアスリートはガレス・ベイルだ」 「彼はどんなスポーツでも優れた能力をできる生まれながらのアスリートだ。彼は特異な遺伝学と運動能力を持っていて、技術的な能力もある」 「パフォーマンスがあってのことだが、彼はあらゆる状況から生じるすべての面で私に最も感銘を与えた人物だ」 ベイルはマドリー時代の2017年にレアル・ソシエダ戦で75メートルを独走してのゴールを挙げ、その際に時速22マイル(約35km)というクレイジーな最高速度を記録している。かつて痩せた子供だったベイルが何年もかけて肉体の構築に取り組んできたため、オルモ氏は感銘を受けているのだろう。 <span class="paragraph-title">【写真】あなたはどっち派?!C・ロナウドとベイルの筋肉美</span> <span data-other-div="movie"></span> <blockquote class="twitter-tweet"><p lang="en" dir="ltr">Gareth Bale's legs <a href="https://t.co/sWUddWmodR">pic.twitter.com/sWUddWmodR</a></p>— bob mortimer (@RealBobMortimer) <a href="https://twitter.com/RealBobMortimer/status/886531195214995456?ref_src=twsrc%5Etfw">July 16, 2017</a></blockquote> <script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script> <blockquote class="twitter-tweet"><p lang="en" dir="ltr">Recovery time! <a href="https://t.co/1NduH6HkFi">pic.twitter.com/1NduH6HkFi</a></p>— Cristiano Ronaldo (@Cristiano) <a href="https://twitter.com/Cristiano/status/1367191022963425283?ref_src=twsrc%5Etfw">March 3, 2021</a></blockquote> <script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script> 2021.08.04 19:15 Wed5