日本代表が直面した2年前の悪夢が過る“わずか”ながらも決定的な差/日本代表コラム

2020.11.18 19:45 Wed
twitterfacebookhatenalinegplus
photo
Getty Images
あれから2年余り──ほとんどの人が絶望のどん底に落とされたであろう、あの試合を思い出させる結末となってしまった。日本代表は17日、国際親善試合でメキシコ代表と対戦。結果は0-2でメキシコが勝利を収めた。

◆森保ジャパン、FIFAランキング11位のメキシコに奮闘も後半2失点で惜敗

日本の平日早朝というなかなかないタイミングで行われる試合。ただ、出勤前、登校前に早起きして観戦した方も多いのではないだろうか。また、在宅ワークも増えている今の時期であれば、より観られた方も多いのかもしれない。

眠い目を擦りながらも早起きした人たちは、「早起きは三文の徳」という諺を実感したと思ったかもしれない。それぐらい前半の日本代表は可能性を感じさせた。

◆日本が主導権、敵将に“最悪”とまで言わせるパフォーマンス

パナマ代表戦から中3日の日本と、韓国代表戦から中2日のメキシコと、コンディションの差はあれど、日本は立ち上がりから積極的な入りを見せる。

最初の10分ぐらいはメキシコに効果的な攻撃こそさせなかったものの、日本もプレスに引っかかるシーンがあり、一進一退の攻防となった。しかし徐々に日本の前線がコンビネーションを見せ躍動する。

10分すぎには2列目右サイドの伊東純也(ヘンク)が中央に絞ってプレスをかけてボールを奪うと左へ展開。ボックス内でパスを受けた鎌田大地(フランクフルト)が相手を引きつけて中央へ送るも、これには鈴木武蔵(ベールスホット)がわずかに合わず、先制のチャンスを逃す。

さらに12分には、再びボール奪取から原口元気(ハノーファー)がドリブルでカットインから強烈なミドルシュート。枠を捉えていたシュートだったが、GKギジェルモ・オチョアが鋭い反応でセーブする。

そして15分には左サイドで粘った原口が中央へ折り返すと、フリーで受けた鈴木がボックス内中央からシュート。しかし、これはオチョアの右足で防がれる。

その後も右サイドを再三攻め上がる伊東からのクロスに原口が飛び込むなど、日本が圧倒していた時間帯が続いたが、結局メキシコのゴールネットが揺れることはなかった。

メキシコ代表のヘラルド・マルティーノ監督は試合後に「前半の20分、25分間は、私が代表監督に就任してからの2年間で最悪の時間だった」とコメントするほど、メキシコに何もさせず、まさに日本の時間帯だった。

◆前半のツケを払うことになった45分間

再三のチャンスを決め切れなかった日本だが、後半はそのツケを払うことになってしまう。

鎌田と原口が攻撃のキーマンとなっていたことを見抜いたマルティーノ監督はDFルイス・ロドリゲスを右サイドバックに、DFエドソン・アルバレスをボランチに置いて鎌田のマークにつけ、ダブルボランチにしてバイタルエリアのケアを行った。

さらに、中2日からくる立ち上がりの悪さを45分間凌いだことで、後半はギアを上げ、プレスの強度やデュエルでの勝率を上げていった。

それと同時に日本はズルズルと後退。強度を上げるためか、MF柴崎岳(レガネス)と鈴木を下げ、MF橋本拳人(FCロストフ)とMF南野拓実(リバプール)を起用したが、これが裏目に。中盤のバランスが崩れ、前半からメキシコの攻撃の芽を摘み、攻撃のスイッチを入れていたMF遠藤航(シュツットガルト)をメキシコは封じに行き主導権を握ることに成功。そして、押し込んだ状態で難しい局面をエースのFWラウール・ヒメネスが決め切って先制したのだ。

明らかに日本よりは決定機の数が少なかったメキシコだが、そこを決め切って先に試合を動かすあたり、やはりレベルが1つも2つも違うことを証明した。シュートのアイデアもさすがだが、良い時間帯で仕留めるチームとしての能力の高さは日本にはないものだった。

ビハインドとなった日本だが、押し上げることができない。鎌田にもボールが入らなくなり、前線の4枚はプレスに走らされることに。さらに無理やり縦につけようとすればそこを狙われ、メキシコボールにされるという悪循環が続いた。その結果、南野に入れたボールを奪われた流れからFWイルビング・ロサーノにゴールを許し、5分間で2失点。その後は、ピッチが霧に包まれたように、日本のサッカーも霧の中に入り込み、0-2で敗れた。

◆わずかでも決定的な差

前半は日本、後半はメキシコという45分ずつで大きく流れが変わった試合だが、こういった試合をモノにできなければ、ワールドカップでベスト8に入ることはできないだろう。

いや、このメキシコですら1994年のアメリカ・ワールドカップから7大会連続でベスト16で敗退している。そのメキシコに良いようにやられている今のままでは、ベスト8に自信を持って進めるとは言えないだろう。

両チームの差は様々なところにあるが、大きくは2つだと考えられる。1つは90分間でゲームをデザインする力だ。

森保一監督が就任してから、日本代表はピッチ内での対応力を身に付けようと活動を続けてきた。それは、冒頭でも触れた2018年のロシア・ワールドカップ ラウンド16でのベルギー代表戦での苦すぎる経験があるからだ。

誰もがベルギー優勢だと考えていたあの試合、日本が原口と乾貴士のゴールで2点のリードを奪う。日本人を含め多くの人が予想していなかった番狂わせが起こると思ったが、その後に起きたことは悲劇としか言えなかった。

あの試合で日本が痛感したのは、ピッチ上での対応力、判断が勝敗を分けるということだった。2点ビハインドになったベルギーのロベルト・マルティネス監督は、スピードとテクニックに優れるドリエス・メルテンスとヤニク・フェレイラ・カラスコを下げ、高さのあるマルアン・フェライニナセル・シャドゥリを投入する。そのメッセージを受け取ったベルギーの選手たちは、高さで日本に対抗し、セットプレーから5分間で2点を奪って同点とした。

あの試合にも出場していた原口は、メキシコ戦後に「実力がすごくある相手に対して、なんで毎回こうなるんだという感情になりました」と本音を吐露。良い試合運びをしながらも、簡単に相手にゴールを許す展開に「まさにフラッシュバックしました」とベルギー戦を思い出したといった。

2年が経過し、日本代表が成長していないとは言わない。ただ、ワールドカップでベスト8に入るだけの力は、まだ備わっていないことを痛感させられたメキシコ戦だった。

そして2つ目は、そのデザインを可能にする基本的なプレー精度だ。メキシコ戦では細かなミスが特に後半に散見。パフォーマンスが徐々に落ち、メキシコが勢いづく要因にもなった。吉田麻也(サンプドリア)は「1個つながれば、1個相手のプレスをかいくぐれば、もう1mボールが前に出てれば、というシーンが非常に多かった」とコメントした。あと1歩というところの精度を上げなければ、デザインした通りには上手くいかなくなってしまう。

柴崎も「選手個々人の能力というか、メキシコの選手はテクニックもしっかりしていたので、そこで差が出てしまった」と語った。個々人が残り2年でさらにレベルアップしなければ、日本がベスト8に入ることは難しいだろう。

◆あと2年で何を積み上げていくか

試合前に「指標になる試合」と原口や柴崎は口にしていたが、まさに日本代表の現在地を知る良い機会となった。もちろん勝って課題を見つけられた方が良いが、この試合をこの状況下でこのタイミングで行えたことは非常に大きな価値がある。

「今日がワールドカップじゃなくてよかった」と試合後に原口が語ったが、貴重な経験を2年前にできたことは大きい。「この2年間を無駄にせず」とも語ったように、長いか短いかは分からないが、残りの2年でやるべきことは整理できるはずだ。

アジアでの戦いだけでは感じられない課題、そして日本国内での親善試合では得ることのできない経験を今回の日本代表はしたはずだ。次は来年3月のカタール・ワールドカップ アジア2次予選。Jリーグ組も予選では招集される可能性もあるが、この4カ月で誰が何を積み上げるか。それぞれのクラブでのプレーにより一層注目する4カ月となりそうだ。
《超ワールドサッカー編集部・菅野剛史》
コメント
関連ニュース
thumb

日本代表のコーチに浦和HCの上野優作氏が就任、森保一監督とは現役時代にチームメイト

日本サッカー協会(JFA)は21日、日本代表のコーチングスタッフに上野優作氏(47)が就任したことを発表した。 上野氏は真岡高校から筑波大学へと進学し、1996年にアビスパ福岡に入団してプロキャリアをスタートした。 2000年にはサンフレッチェ広島に移籍。森保一監督ともチームメイトとしてプレー。2001年には京都パープルサンガ(現京都サンガF.C.)に移籍すると、アルビレックス新潟、広島、栃木SCでプレーし、2008年に現役を引退した。 2010年に引退した栃木でアシスタントコーチとして指導者としてのキャリアをスタート。2012年にはヘッドコーチ、2013年にはアカデミーダイレクター兼ユース監督、2015年にはヘッドコーチに就任した。 2015年10月には浦和の育成部門のコーチに就任すると、2018年4月にトップチームコーチに就任。2019年5月からトップチームのヘッドコーチを務めていた。 2021.01.21 18:50 Thu
twitterfacebook
thumb

反町技術委員長ブリーフィングで日本代表の新コーチは?/六川亨の日本サッカー見聞録

JFA(日本サッカー協会)は1月14日、今年最初の技術委員会を開催し、終了後は反町技術委員長がオンラインによるブリーフィングに応じた。 注目の的は、昨年11月に森保監督が「Jリーグが終了すればオープンになるでしょう」と言っていた代表チームの人事に関してだ。 すでに12月末の夢フィールドでのU-24代表キャンプ後の会見で、森保監督は3月と6月の代表の活動期間ではA代表に専念することを発表。東京五輪に出場するU-24日本代表については横内コーチが指揮を執り、栗原コーチと川口GKコーチで臨むことを明言した。 そこで横内コーチの代わりとして誰がA代表のコーチに就任するのか。 14日の会見で反町技術委員長は、「最終的な発表は理事会マターなので名前は出せない。選定はしたので技術委員会として理事会に諮る。順序というものが世の中にはある」と理解を求めた。 これまで技術委員会が推挙した監督・コーチを理事会が覆したことはほとんどない(唯一の例外は1995年にネルシーニョ現レイソル監督の代表監督就任を覆した「腐ったミカン」事件)。とはいえ、理事会の承認を得なければ正式に認められたことにはならないので、反町技術委員長の言い分ももっともである。 とはいえ、そこは記者も反町技術委員長も心得たもの。「複数の候補がいたのか一本釣りか」と攻める角度を変えて水を向ける。 すると反町技術委員長は「最初に、どういう感じがいいかスタートした。横内が3月と6月はU-24(代表)に行く。どういうニーズが必要で、足りないところは何か」と現状を分析した。 そして反町技術委員長自身も「10、11月の活動で足りないところがあった」と感じ、「選手にもう少し近づくコーチがいてもいい」と意見を述べたという。 U-24日本代表には川口GKコーチ、U-19日本代表には内田ロールモデルコーチがいる。それなら日本代表には中村憲剛コーチか! はさすがに無理があったようだ。 様々な意見を集約し、当事者である森保監督の意向も聞いて候補者を絞り、最後は「一本釣り」(反町技術委員長)で決めた。 とはいえ、そうした人事が漏れるのもよくあるケース(既成事実を作る意味も含め)。すでにネット上には昨シーズンまで浦和のヘッドコーチを務めた上野優作氏(47歳)の名前が出ていて、「複数の関係者によると」という常套句に続き、「交渉は順調に進み、近日中にも正式発表」と報道されていた。 上野氏の、指導者としての手腕について正確な情報を持っていないのでコメントは避けたい。ただし広島在籍時は森保監督もまだ現役だったため一緒にプレーし、新潟在籍時には当時の反町監督の指導を受けた。 さらに出身は筑波大学と、田嶋会長や小野技術委員と母校が同じだ。誰にとっても「気心の知れた後輩」であるだけに、納得できる人選と言っていいだろう。 反町技術委員長とのブリーフィングはその後も多岐に渡って続いたが、面白かったのは今年の高校選手権でトレンドになったロングスローに関してだ。 「持てる武器を使うのは当たり前」と理解を示しつつ、「守備の方がだらしないかな」と感想を述べた。 それというのも、専門のGKコーチがJクラブのユースに比べると高校サッカーには少ない。その影響か長身GKが高校サッカーには少ない。このため「守備範囲が狭かった」と理解を示しつつ、「出られないでやられていた」と分析した。 そして反町技術委員長なら「ゴールエリアに飛んできたらGKにすべて勝負に行けと言う。出られないでやられていたからね。そしてGKが出たらストーンを後方に2人置く。そういう工夫が守備側にはなかった」と残念がった。 その上でロングスローでは、「守備の選手が上がっているので、GKがキャッチしてゴロで味方に転がしたら、ドリブルで確実にハーフラインまで行けるので、カウンターのチャンスになると思う」と対策を述べていた。 確かに、反町技術委員長の指摘したように、ロングスローに対して受け身のチームが多かった印象が強い。果たして来年の選手権では、そうしたロングスロー対策を講じるチームがあるのかどうか。まだ先の話ではあるが、高校選手権のロングスローが新シーズンのJリーグやその他の大会にどういった影響を及ぼすのかも気になるところである。 <div id="cws_ad">【文・六川亨】<br/>1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2021.01.16 12:55 Sat
twitterfacebook
thumb

【2022年カタールへ期待の選手vol.61】ルヴァン決勝のオルンガ封じで強烈インパクト。東京五輪メンバーに滑り込む!/渡辺剛(FC東京/DF)

「オルンガ選手はスキを与えたら得点を取ってくる選手。どの選手よりも能力が高いことは誰もが分かっている。相手の嫌がるプレーをしようと考えてました。オルンガ選手は自分のスペースを確保したくて、ボールをはたいて中に入っていく。そこで一発目で強く当たっていけば、うまくプレーできない。あとは気持ちでぶつかりました」 2021年1月4日に新国立競技場で行われたYBCルヴァンカップ決勝。「絶対にタイトルを1つ取りたい」と闘争心を燃やしていた長谷川健太監督の言葉通り、FC東京は柏レイソルを2-1で撃破。2009年以来、3度目のリーグカップ王者に輝いた。 その立役者の1人となったのが、相手エース・オルンガを徹底マークした渡辺剛だ。今季J1・28ゴールという驚異の数字を残したケニア人ストライカーを止めなければ、FC東京の優勝はあり得なかった。そのタスクを果たしたのが、東京五輪世代の23歳のDFだったのだ。 試合開始早々の11分、渡辺はオルンガと接触し、右肩を負傷。いきなりプレー続行が危ぶまれた。本人も「最初はちょっとヤバい」と危機感を抱いたというが、大役を任されている以上、離脱はできない。「ここまで来たら、腕がもげてもやる」という強い気持ちで立ち上がり、勇敢に体を張り続けた。センターバック(CB)コンビを組んだジョアン・オマリと2人がかりで怪物FWをつぶし、時には森重真人も前からフタをした。その結果、完璧なエース封じを見せることができ、彼はアカデミー時代に見たタイトル獲得の瞬間を自ら体感することができたのだ。 FC東京U-15深川、山梨学院大学、中央大学を経てプロ入りした2019年は当初、U-23でプレーしていた。が、対人の強さと粘り強さを買われてトップに抜擢され、シーズン途中からCBの主力に成長した。森保一監督の目にも留まり、年末のEAFF E-1選手権(釜山)では日本代表デビュー。2020年1月のAFC・U-23選手権(タイ)にも招集され、東京五輪の有力候補と目されるまでになった。 それだけに2020年シーズンは期待が高く、チームでは副キャプテンの大役も託された。7月のリーグ再開後、主将・東慶悟が長期離脱するとキャプテンマークを巻く機会も増え、「リーダーの自覚を持って戦わないといけない」と口癖のように話すようになった。 しかしながら、強すぎる責任感が空回りし、自身のパフォーマンスが不安定になることが多々あった。最たる例が9月27日のサガン鳥栖戦だ。大黒柱・森重が出場停止となり、名実ともに彼が統率役を担ったのだが、新型コロナウイルスのクラスターから回復したばかりの相手に翻弄され、大量4失点。彼自身も守備のミスが目立った。「剛はもっと自分の能力を上げることに集中すべき」と長谷川監督からも苦言を呈するケースもあったほどだ。 「あの頃は『チームを引っ張らないといけない』と力が入っていたが、徐々に『自分らしくやろう』と考えられるようになった。『個人の能力を上げろ』という監督の言葉も受け止めましたし、どんどんやろうと考えました。特に心掛けたのはデュエルの部分。1年前は勢いで行けちゃう部分があったけど、相手も分析している中で、やっぱり駆け引きが大事だなと。予測や駆け引きはこれからやっていくうえで必須だと思います」 こうした意識は11~12月のアジアチャンピオンズリーグ(ACL)参戦でより強まった。ラフプレーも辞さない中国勢などと対峙する場合、単にフィジカルだけでぶつかっても相手を止められない。駆け引きで出足を止めたり、動き出しを封じたり、スペースを埋めたりすることで、相手FWは仕事ができなくなる。そのツボを体得したことが、冒頭のオルンガ封じにつながったのだろう。 心身ともに充実し、タイトルもつかんだ渡辺の次なるターゲットは半年後に迫った東京五輪メンバー入り。コロナ拡大で大会自体がまだどうなるか分からないが、2022年カタールワールドカップアジア予選も控えているため、「代表定着」というのはつねに見据えなければならないテーマになってくる。 そのためにも、冨安健洋(ボローニャ)や中山雄太(ズヴォレ)、板倉滉(フローニンゲン)ら欧州組に匹敵する存在感を示さなければいけない。12月末に行われたU-23日本代表候補合宿を見ると、渡辺の序列は同じ国内組の橋岡大樹(浦和)や瀬古歩夢(C大阪)より下に位置付けられていた模様だった。が、今回のルヴァン決勝での仕事ぶりを森保監督も目に焼き付けたはず。このレベルを2021年も維持し続ければ、必ず道は開けてくるはずだ。 「海外にいる選手たちは自分よりもいい経験をしていると思いますけど、Jリーグでやれることも沢山ある。いいFWも沢山いますし、そういうFWをしっかり押さえることが第一歩。海外組に比べて自分が劣っているというのは簡単ですけど、『追い越すんだ』というくらいの強い意識を持たないといけない。弱気にならず強気で行こうと僕は思っています」 五輪合宿時に語気を強めた通り、新年早々の大一番で下克上の布石を打った渡辺。ここから一気に階段を駆け上がり、「日本の壁」へと飛躍できるのか。間もなく24歳になる186㎝の大型CBの一挙手一投足が楽しみだ。 <div id="cws_ad"><hr>【文・元川悦子】<br/>長野県松本市生まれ。千葉大学卒業後、夕刊紙記者などを経て、94年からフリーのサッカーライターとなる。Jリーグ、日本代表、海外まで幅広くフォローし、日本代表は特に精力的な取材を行い、アウェイでもほぼ毎試合足を運んでいる。積極的な選手とのコミュニケーションを活かして、選手の生の声を伝える。</div> 2021.01.06 12:30 Wed
twitterfacebook
thumb

ほらやっぱり新年になったらやることあるじゃん!? の巻/倉井史也のJリーグ

みなさん、あけましておめでとうございます。 まったく今年も新年早々原稿を書いてるわけなんですけど、ワタクシの場合、天皇杯見るという初詣みたいな行事が終わった後にやることがあるわけですよ。 それは今年のカレンダーに予定を書き込むこと。まぁ去年みたいに思いっきりずれてしまって、何度も書き直すなんてことがない世の中になってほしいもんです。 ってことで、今のところ分かってる今年の予定をみなさんにも!! ・J12月27日(土)〜12月04日(土)(4チーム自動降格) ・J22月27日(土)〜12月05日(日)(プレーオフなし・上位2チーム自動昇格・ただしクラブライセンス次第、4チーム自動降格) ・J33月13日(土)〜12月05日(日)(上位2チーム自動昇格・ただしクラブライセンス次第) ・J1は7月12日(月)から8月08日(日)まで中断 ・J2は7月19日(月)から8月08日(日)まで中断 ・J3は7月12日(月)から8月27日(金)および中断 ・EURO2021日本時間6月12日(土)04:00〜7月12日(月)04:00 ・コパアメリカ現地時間6月11日(金)〜7月11日(日) ・東京五輪サッカー 7月21日(水)女子開幕・7月22日(木)男子開幕 8月06日(金)女子決勝・8月07日(土)男子決勝 ・クラブワールドカップ(日本)12月 ・日本代表 3月25日(木)vs未定・日産 3月30日(火)vsモンゴル・アウェイ 6月03日(木)vs未定・札幌 6月07日(月)vsタジキスタン・吹田 6月11日(金)vs未定・神戸 6月15日(火)vsキルギス・吹田 ・五輪代表 3月26日(金)vs未定・東京 3月29日(月)vs未定・北九州 6月05日(土)vs未定・ベスト電器 6月12日(土)vs未定・豊田 7月12日(土)vs未定・長居 7月17日(土)vs未定・神戸 ・U-20ワールドカップ(5月20日〜6月13日)、U-17ワールドカップ(10月)は中止 なんか、去年のカレンダーみてるみたい……とまぁ、それは置いといて。今年もこれだけ楽しまなきゃいけないんだから、張り切って行きましょ!! みんな、転記しました? え? スケジュール確認は去年終わってる(汗)? <hr>【倉井史也】 試合当日は、はやる気持ちを抑えられずスタジアムに受け付け開始と同時に駆けつけ、選手のバスが両方行ってしまうまで名残を惜しむ。自慢は対戦カードの因縁をよく覚えていること。特にサポーター寄りのネタが得意。パッと見は若いが実は年齢不詳のライター。 2021.01.01 13:00 Fri
twitterfacebook
thumb

【2022年カタールへ期待の選手vol.60】内田篤人以来の鹿島高卒新人開幕戦出場を勝ち取った男。U-19代表から一気に飛躍を!/荒木遼太郎(鹿島アントラーズ/MF)

「(東福岡から)鹿島に入る前は、こんなに出れるとは思ってなかったですけど、試合に出た中で100%のパフォーマンスを出せないことが多くて、自分としては悔しい年になったかなと。ドリブルは結構出せたし、通用したなと思いましたし、試合を重ねていくうちに自信にはなった。でも、チームが勢いを出したい時に役割を果たせなかった。そういう選手にならなきゃいけないですね」 プロ1年目をこう回顧するのは、ザーゴ新体制の2020年鹿島アントラーズでJ1・26試合出場2ゴールと、高卒新人としてまずまずの数字を残した荒木遼太郎だ。 高校サッカーの名門・東福岡高校から今季加入し、2月23日のJ1開幕・サンフレッチェ広島戦から早速登場。2006年の内田篤人(JFAロールモデルコーチ)以来の高卒新人開幕デビューを果たした。その後、コロナ禍による4カ月の中断を経て、7月4日にリーグ戦が再開された後も、主にジョーカーとして起用され続けた。8月16日のヴィッセル神戸戦ではプロ初ゴールを奪い、9月5日の名古屋グランパス戦では値千金の決勝点をゲット。「近未来の黄金世代を担うアタッカー」として脚光を浴びた。 実際、「26試合2得点」という数字は、プロ1年目だった柳沢敦(鹿島ユースコーチ)や小笠原満男(アカデミーアドバイザー)といった先人たちをはるかに超えている。それでも、本人の中では前述の通り、不完全燃焼感が非常に強かったという。 「最初の頃はドリブルで自由にやらせてもらっていたんですけど、だんだん分析されるようになり、途中から相手の当たりが強くなって、思い通りにプレーさせてもらえなくなった」と悔しさをにじませる通り、鹿島が勝ち始めた10月後半から出番が減っている。そのあたりからゴールを固め取りした上田綺世などは自信を持って2020シーズンを終えられたが、荒木は「プロの壁」にぶつかったというのが正直なところなのだろう。 苦しみもがいた期間には、さまざまな先輩から参考になる声掛けをしてもらった。その1人が8月に引退した内田篤人コーチだ。 今季始動時から引退試合となった8月23日のガンバ大阪戦までは同じ選手、その後はU-19のコーチとして身近なところにいてくれた偉大な人物に言われた言葉を荒木は胸に刻み付けている。 「選手だった時から結構アドバイスをもらいました。U-19の活動中は『右サイドでボールを受けた時、どういう優先順位でプレーするかをしっかり考えるように』と言われています。ドリブルに関しても『ミスを恐れずどんどん持ち味を出していけ』『仕掛けていけ』と言われているので、思い切って100%の力で行くことを考えるようになりました」 内田コーチが19歳だった頃もセンの細さゆえに相手の激しいマークを受け、思うようにならない場面にしばしば直面していた。それでも彼は積極果敢な攻め上がりを続けたし、ゴール前に鋭いクロスを蹴っていた。そのアグレッシブさはU-20、U-23、A代表とカテゴリーが上がっても変わらなかったし、シャルケに移籍してからはより鋭さに磨きがかかった印象だ。 荒木はサイドバックの内田より前目のアタッカー。だからこそ、より攻撃姿勢を鮮明にしなければならない。「今の年齢が世界のトップに行けるか否かの分かれ目」であることを、数々の修羅場をくぐってきた先輩は伝えたかったのだろう。 残念ながら、12月24日に国際サッカー連盟(FIFA)が2021年U-20ワールドカップ(インドネシア)中止という決定を下したため、荒木はケガで棒に振った2019年U-17ワールドカップ(ブラジル)に続いて、またしても世界の大舞台への参戦が叶わなくなってしまった。それでも、2002年生まれの彼には2024年パリ五輪出場資格がある。そこを見据えて地道にコツコツとレベルアップしていくしかない。 加えて言うと、鹿島でコンスタントに活躍していれば、その前に海外移籍の道も開けてくる可能性も少なくない。現に同じU-19日本代表の斉藤光毅(横浜FC)が年明けからベルギー2部・ロンメルへ赴くことになっている。西川潤(C大阪)もバルセロナから熱視線を送られていると言われるなど、海外クラブによる日本の20歳前後の注目度は年々高まる一方だ。 常勝軍団で高卒1年目からピッチに立っている荒木なら当然その資格があるはず。プロ2年目は今後のキャリアを左右する勝負のシーズンになるかもしれないのだ。 「自分も将来的には海外も考えています。まずは鹿島でしっかり結果を残して、代表でもメンバーに選ばれることを考えているので、光毅には負けてられないです」 持ち前のスピードある突破に磨きをかけるだけでなく、得点という目に見える数字を残し、チームを勝たせられる存在になれれば、鬼に金棒だ。ここから一気に成長曲線を引き上げてほしいものである。 <div id="cws_ad"><hr>【文・元川悦子】<br />長野県松本市生まれ。千葉大学卒業後、夕刊紙記者などを経て、94年からフリーのサッカーライターとなる。Jリーグ、日本代表、海外まで幅広くフォローし、日本代表は特に精力的な取材を行い、アウェイでもほぼ毎試合足を運んでいる。積極的な選手とのコミュニケーションを活かして、選手の生の声を伝える。</div> 2021.01.01 12:05 Fri
twitterfacebook



NEWS RANKING
Daily
Weekly
Monthly