負傷者相次ぐイタリア代表、腓骨打撲のファジョーリがバレッラと共に初戦を欠場か…

2024.06.14 08:30 Fri
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イタリア代表MFニコロ・ファジョーリがユーロ2024のグループステージ初戦を欠場するようだ。

前回王者のイタリアは、スペイン代表をはじめ、クロアチア代表、そしてアルバニア代表が集うグループBに組み込まれ、史上2カ国目となる大会連覇を目指す。

そんなイタリアの中盤を支えるファジョーリだが、9日に行われたボスニア・ヘルツェゴビナ代表との国際親善試合で腓骨を負傷していた。
『フットボール・イタリア』によれば、ボスニア・H戦以降チーム練習には合流せず、ジムでトレーニング器具などを使って調整していたファジョーリだが、13日にチームトレーニングに復帰。

しかし、このトレーニング中に痛みが再発したようで、スペイン戦、クロアチア戦に向けて、初戦のアルバニア戦を回避することとなったようだ。
なお、イタリア代表ではMFニコロ・バレッラも筋肉系のケガで初戦を回避する可能性があり、指揮官はMFブライアン・クリスタンテやMFジョルジーニョを起用する見通しだという。

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「キッカケは孤独」“違法賭博”23歳ファジョーリが学生らに講演「家族や友人との関係が…」

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あの日を最後に18年…マテラッツィ氏が改めて「ジダンと会いたい」

マルコ・マテラッツィ氏がジネディーヌ・ジダン氏と会いたいそうだ。 2006年ドイツW杯決勝「イタリア代表vsフランス代表」。試合後、世界王者が決まった勝敗以上に注目され、業界の枠を超えた世界的関心ごととなったのは、あの「頭突き」の件だ。 延長戦、イタリア代表DFマテラッツィに対し、フランス代表キャプテンのMFジダンが突然「頭突き」。衝撃の場面を目撃した第4審が主審に伝え、世界的名手に1発レッドが提示された。 イタリアがPK戦の末にフランスを撃破したのち、両者への事情聴取で判明したのは、繰り返されたマテラッツィによるジダンへの挑発。前者が執拗に後者の家族を侮辱し、とうとう我慢ならなかった末の「頭突き」となったのだ。 この大舞台が現役ラストゲームだった世界的名手の1発レッドを誘発…もともと強烈な個性で知られていたマテラッツィはサッカー界における“ヒール”の代表格となったのである。 あれから18年、マテラッツィ氏は51歳に。 氏はベッティングサイト『Lucky Block』のインタビューでジダン氏とのバトルを改めて振り返り、これまでと同様、ジダン氏へのリスペクトを再表明。「会いたい」と語る。 「ジネディーヌは正真正銘、サッカー界のレジェンドだ。オレはいつだって彼を尊敬してきたよ。“マテラッツィ監督”はレアル・マドリーを率い、欧州を3連覇したことだってあるんだぜ。テレビゲームではあるがな」 「あの日以来、ジネディーヌとは一度も話していないし、同じ場所にいたこともない。何年もの時間が経過して、なにも問題はない…喜んで彼と会話をしたいと思っているところだ」 2024.11.21 21:05 Thu

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