「罪悪感はなかったです」現役引退の中村俊輔が気にせず口にしたものは? 「ZENB JAPAN」がバルセロナとグルテンフリーカテゴリーのパートナー契約締結
2022.11.18 21:50 Fri
17日、株式会社ZENB JAPANがバルセロナとのグルテンフリーカテゴリーにおけるパートナー契約を締結したことを発表した。
同日、東京都内で記者発表会を開催。元日本代表MF中村俊輔と、Jリーグクラブで18 年間寮母を務めたスポーツ料理研究家の村野明子さんが登壇した。
「ZENB」は、植物を可能な限りまるごと使った食で、おいしくてカラダにいい、人と社会と地球の健康に貢献する、未来に向けたウェルビーイングな食生活を提案するブランド。野菜や豆、穀物といった植物のおいしさと栄養を、可能な限りぜんぶ閉じ込めた商品を手がけている。
今回のバルセロナとの契約について、代表取締役社長を務める濱名誠久氏は「誰もが知っているFCバルセロナからお声がけいただいたときは驚きました。これからは世界中のアスリートや健康的な生活を求めている多くの人たちに、美味しくて、地球にも身体にもやさしい新しい食生活を一緒に広めていきたいと思います」とコメント。今後の意気込みを語った。
また、バルセロナのエクトル・ベジェリンやガビ、ペドリ、セルヒオ・ブスケッツなどからのメッセージ動画も放映され、選手たちも実際に口にすることになるという。
また、村野さんは寮母を務めて来たなか、スポーツ界の食の重要性の変化についてコメント。「18年前は食育という言葉も聞いたことがないような時代でした」と語り、「今は、食育が進化してスポーツ栄養という言葉も聞くようになった」とコメント。大きな変化を感じているとした。
イベント中には村野さんが用意した黄えんどう豆100%のZENBヌードルを使ったスペシャルメニューが登場。中村が試食をする中、思わず先走って食べそうになる一幕も。実際に口にすると「美味しいです!麺から豆の旨味がしっかり感じられますね。クセになる食感です!」と、完食しそうな勢いで満足するものだったようだ。
その中村は今シーズン限りで引退。食に関しては、これまでのような厳しさは必要なくなるが、引退後に口にしたものについては「この間メロンクリームソーダを食べちゃいました」と意外な発言。「罪悪感はなかったですし、嬉しかったですね」とコメントした。ただ、体型を維持したりすることを気にしているのか、「今後は気を遣わないと色々起きるので、グルテンフリーの食材を食べていきたいです」とコメントした。
同日、東京都内で記者発表会を開催。元日本代表MF中村俊輔と、Jリーグクラブで18 年間寮母を務めたスポーツ料理研究家の村野明子さんが登壇した。
「ZENB」は、植物を可能な限りまるごと使った食で、おいしくてカラダにいい、人と社会と地球の健康に貢献する、未来に向けたウェルビーイングな食生活を提案するブランド。野菜や豆、穀物といった植物のおいしさと栄養を、可能な限りぜんぶ閉じ込めた商品を手がけている。
また、バルセロナのエクトル・ベジェリンやガビ、ペドリ、セルヒオ・ブスケッツなどからのメッセージ動画も放映され、選手たちも実際に口にすることになるという。
そのイベントでは中村と村野さんがトークセッション。現役時代にはバルセロナとも対戦経験がある中村は「世界一のクラブですし、チャンピオンズリーグで対戦したときには、ゲームを支配されましたし、相手にはメッシ選手など世界一流の選手がいて、手も足も出なかったです」と、当時を回想した。
また、村野さんは寮母を務めて来たなか、スポーツ界の食の重要性の変化についてコメント。「18年前は食育という言葉も聞いたことがないような時代でした」と語り、「今は、食育が進化してスポーツ栄養という言葉も聞くようになった」とコメント。大きな変化を感じているとした。
イベント中には村野さんが用意した黄えんどう豆100%のZENBヌードルを使ったスペシャルメニューが登場。中村が試食をする中、思わず先走って食べそうになる一幕も。実際に口にすると「美味しいです!麺から豆の旨味がしっかり感じられますね。クセになる食感です!」と、完食しそうな勢いで満足するものだったようだ。
その中村は今シーズン限りで引退。食に関しては、これまでのような厳しさは必要なくなるが、引退後に口にしたものについては「この間メロンクリームソーダを食べちゃいました」と意外な発言。「罪悪感はなかったですし、嬉しかったですね」とコメントした。ただ、体型を維持したりすることを気にしているのか、「今後は気を遣わないと色々起きるので、グルテンフリーの食材を食べていきたいです」とコメントした。
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「衝撃的でした」中村俊輔の“伝説FK”が今なお反響「GK一歩も動けず」
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サッカーの楽しさを満喫した中村憲剛と南雄太の引退試合/六川亨の日本サッカーの歩み
先々週と先週末は中村憲剛、アンドレス・イニエスタ、そして南雄太の引退試合を取材した。15日にバルセロナ・レジェンズの一員として出場したイニエスタは、試合終了間際にOGにつながるゴールをお膳立てして2-1の勝利に貢献。南アW杯、オランダとの決勝でも延長戦で決勝ゴールを決めて、スペインを初のW杯優勝に導いた勝負強さは相変わらずだった。 19日には今シーズン限りでトップリーグの主審から勇退する西村雄一氏が記者会見を開いたが、同氏も南アW杯の準々決勝、オランダ対ブラジル戦で主審を務め、決勝戦では第4の審判を務めただけに、2人の浅からぬ縁を感じたものだ。 そして南と中村の引退試合では、様々な趣向を凝らした演出に感心してしまった。まず南の始球式には長男の太童くんがPKに登場したものの、蹴ると思いきやボールを手で投げてゴール。これがフィナーレの伏線になるとは思いもしなかった。 試合はユウタ・フレンズと代表OBによるブルー・レジェンズの両チームで出場した南が4ゴールをあげれば、鮮やかな2ゴールを決めた加地亮は解説席にいるカズの前まで走り寄り「カズ(カジ)ダンス」を披露。そっくりのダンスは、カズによると加地のお父さんが小学生時代に読売クラブのユニホームを持っていて、それを加地も子供の頃に着ていたくらいカズのファンだったそうで、Jリーグ開幕当時の少年時代はカズダンスを踊っていたのだろう。 そのカズも右クロスを足と頭で合わせて2ゴール。しかし「カズダンスは公式戦でね」ということで、親交の深い田原俊彦の「抱きしめてTONIGHT」の踊りを披露した。 両チーム、点の取り合いとなった試合はユウタ・フレンズが10-9とリードしたところで後半44分、GK南がスローインを自陣ゴールに投げ込んで同点に。このシーンで家本政明主審は「VAR」と書かれた紙を掲げてVAR判定を導入。するとスタジアムのオーロラビジョンには04年4月の広島対柏戦で、南のOGシーンが再現された。 家本主審はゴールを認め10-10のタイスコアで試合終了、と思いきや南は「10-10で決まった瞬間、PK戦をやりたいと。(両チームのキッカーの)順番は僕が決めました」ということでPK戦に突入した。 PK戦はブルー・レジェンズの1番手、遠藤保仁が得意のコロコロPKを決めたが、2番手の松井大輔のラボーナは南がストップし、3番手の中澤佑二は豪快に上にバーをオーバー、さらに「本気で蹴った」カズの右上へのシュートは南が弾いてユウタ・フレンズがPK戦4-2の勝利を収めた。 試合後、南はOGについて「試合が決まってからたくさんの人から“期待しています”と言われた。演出の人も考えてくれた。初めてOGしてよかったと思った」と筋書き通りのOGだったことを明かした。 南だけでなく、加地や坪井慶介は相変わらずの俊足で攻守に貢献し、カズはまたぎフェイントからエラシコでマーカーを抜き去りシュートを放ち、中村俊輔は現役時代を彷彿させる鮮やかな直接FKを決めるなど「みんなエンターテナーだなと後ろから見ていて思った」と南が感心するほど、遊び心満載の90分プラスPK戦だった。 一方、中村の引退試合は、澤穂希さん、阪口夢穂さん、吉田沙保里さんらなでしこフレンズとラモス瑠偉さん、矢部浩之さんらケンゴフレンズの試合に始まり、日本代表OBによるジャパンフレンズ同士の試合、そして最後に川崎フレンズ同士の試合と見どころ満載の試合の連続だった。 なでしこフレンズとの試合では、中村はレスリングの元世界女王の吉田さんからタックルを受けるハプニングも。そしてジャパンフレンズの試合では小野伸二が絶妙トラップやリフティングでマーカーをかわすなど、華麗なテクニックでファンの歓声を誘っていた。 南も99年にナイジェリアで開催されたワールドユース(現U-20W杯)で準優勝を果たした際に、「対戦相手はメチャクチャ強いとは思わなかったし、小野伸二より巧い奴はいないな」と思って大会に臨んだと明かしていた。 緩急の間を心得た小野と遠藤保仁、中村俊輔、中村憲剛の4人は改めてワールドクラスの選手だし、稲本潤一の推進力と展開力、大久保嘉人のポジショニングと嗅覚は、さすが一時代を築いた選手たちだなと改めて実感した引退試合だった。 文・六川亨 2024.12.23 15:00 Mon4
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