セリエA最高年俸の指揮官はモウリーニョ&アッレグリ? 伊紙がランキングを展開
2022.10.13 18:46 Thu
セリエA指揮官の年俸ランキングが判明した。
今季のセリエAは全20チームが9試合を消化した段階で、無敗のナポリが首位に。2ポイント差でアタランタが追走し、ラツィオ、ウディネーゼと続く。ここ2シーズンの覇者であるミラノの2強や、年々下降線をたどるユベントスがトップ4に入れていないのが特徴的だ。
そんななか、イタリア『Calcio e Finanza』が報じたのが、セリエAにおける指揮官の年俸ランキング。1位はジョゼ・モウリーニョ監督(ローマ)とマッシミリアーノ・アッレグリ監督(ユベントス)というイタリアでの実績が十分な2人で、ともに700万ユーロ(約10億円)で並んでいるという。
3位がシモーネ・インザーギ監督(インテル)の550万ユーロで、ステファノ・ピオリ監督(ミラン)は400万ユーロで4位にランクイン。首位ナポリを率いるルチアーノ・スパレッティ監督は300万ユーロで5位タイに、アタランタのジャン・ピエロ・ガスペリーニ監督は220万ユーロで7位となっている。
一方、現在セリエAで4位と躍進するウディネーゼの指揮官、アンドレア・ソッティル監督はわずか30万ユーロ(約4200万円)で18位。自身の数十倍もの年俸の指揮官らが率いるクラブを抑えての上位進出は、見事な手腕だと言えるだろう。
今季のセリエAは全20チームが9試合を消化した段階で、無敗のナポリが首位に。2ポイント差でアタランタが追走し、ラツィオ、ウディネーゼと続く。ここ2シーズンの覇者であるミラノの2強や、年々下降線をたどるユベントスがトップ4に入れていないのが特徴的だ。
そんななか、イタリア『Calcio e Finanza』が報じたのが、セリエAにおける指揮官の年俸ランキング。1位はジョゼ・モウリーニョ監督(ローマ)とマッシミリアーノ・アッレグリ監督(ユベントス)というイタリアでの実績が十分な2人で、ともに700万ユーロ(約10億円)で並んでいるという。
一方、現在セリエAで4位と躍進するウディネーゼの指揮官、アンドレア・ソッティル監督はわずか30万ユーロ(約4200万円)で18位。自身の数十倍もの年俸の指揮官らが率いるクラブを抑えての上位進出は、見事な手腕だと言えるだろう。
また、2022-23シーズンにおける指揮官20人の年俸総額は4280万ユーロ(約61億円)で、昨季の4000万ユーロから増加傾向にあるとのことだ。
ジョゼ・モウリーニョ
マッシミリアーノ・アッレグリ
シモーネ・インザーギ
ステファノ・ピオリ
ルチアーノ・スパレッティ
ジャン・ピエロ・ガスペリーニ
アンドレア・ソッティル
ナポリ
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フットボール界のレジェンドであるディエゴ・マラドーナ氏(60)が25日に急逝した。 10月30日に60歳の誕生日を迎えたばかりのマラドーナ氏だったが、その後に硬膜下血腫が見つかり緊急手術。無事に手術は成功していたが、この度心不全で帰らぬ人となった。 そのマラドーナ氏が全盛期を過ごし、チームに黄金期をもたらせたのがナポリだった。 現在はイタリア屈指の強豪として認知されているナポリだが、初めて歓喜の渦に包まれたのは1980年代後半だった。1984-1985シーズンにバルセロナからやってきたディエゴ・マラドーナによって、チームは数々のタイトルを獲得した。 マラドーナが中心のチームは、1986-87シーズンにセリエAとコッパ・イタリアの2冠に輝き、その後も優勝を争いながら、1988-89シーズンにはUEFAカップ(現EL)を獲得。そして、迎えた1989-90シーズンにクラブ史上2度目となるスクデットを手に入れることとなる。 <div style="text-align:center;" id="cws_ad"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/800/img/2020/1989-90napoli.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;"><</div><div style="padding: 0.5em 1em;margin: 2em 0;border: double 5px #4ec4d3;"><p style="margin: 0; padding: 0;">監督:アルベルト・ビゴン(52) 獲得タイトル:セリエA 攻撃力9:★★★★★★★★★☆ 守備力8:★★★★★★★★☆☆ タレント7:★★★★★★☆☆☆ 連係8:★★★★★★★★☆☆ 選手層7:★★★★★★★☆☆☆</p></div> <div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">◆マラドーナのチーム</div> 開幕から順調に勝ち点を積み重ねたナポリは、このシーズンにチャンピオンズリーグ2連覇を達成したミランやインテルと優勝争いを繰り広げた。後半戦ではそのミランとインテルとの直接対決に敗れたが、粘りを見せて最後の5試合で5連勝を達成。ミランを追い抜いて見事に優勝を決めた。 フットボールの世界では、絶大なる個の力を有する選手がそのチームの戦術となることがしばしばある。そして、この頃のナポリは、まさにマラドーナのチームだった。 そのマラドーナを支えるため、チロ・フェラーラを中心とした守備陣とフェルナンド・デ・ナポリなどの中盤の選手は守備に奔走した。ナポリは、当時のイタリア代表メンバーを中心にマラドーナを支える土台を固めていた。 攻撃は前線のトライアングルで形成した。自由を与えられたマラドーナは攻撃の全権を掌握。また、後に柏でプレーするブラジル代表FWカレカとイタリア代表FWアンドレア・カルネバーレの2トップがゴールを重ね、当時23歳のジャンフランコ・ゾラも存在感を示した。 “ナポリの王様”と評されたマラドーナは、イタリア随一の陽気な街に2度のスクデットをもたらした。数々の魅力的なプレーで観客を魅了し、自身が付けた10番が永久欠番になるほどサポーターから愛された。ただ、かねてからコカイン使用が疑われるなど、イタリアマフィアの巣窟であるナポリで麻薬に染まり、プロ選手としてのキャリアが終焉に向かっていった。 <div id="cws_ad">◆全盛期のマラドーナがナポリで見せたスーパーゴール集<br/><div style="margin:0 auto; max-width:100%; min-width:300px; " ><div style="position: relative; padding-bottom:56.25%; height: 0; overflow: hidden; "><iframe src="https://embed.dugout.com/v2/?p=eyJrZXkiOiJRQkZwNEVQayIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0=" style="width: 300px; min-width: 100%; position: absolute; top:0; left: 0; height: 100%; overflow: hidden; " width="100%" frameborder="0" allowfullscreen scrolling="no"></iframe></div></div></div> 2020.11.26 17:30 Thu2
【平成史に残るレジェンドチーム50選】vol.2“マラドーナ・ナポリ”マラドーナによる栄冠/ナポリ[1989-90]
1989年1月8日に日本で始まった「平成」。日本では31年にわたって使用されてきたが、2019年4月30日をもってその時代が終わりを告げる。 日本サッカーにおいても激動の時代であった「平成」だが、目をヨーロッパに向け、同じ時代で印象に残ったレジェンドチームを超ワールドサッカー編集部が選出。記憶や記録に残る50チームを紹介していく。 <div style="position: relative;margin: 2em 0;padding: 25px 10px 7px;border: solid 2px #FFC107;"><span style="position: absolute;display: inline-block;top: -2px;left: -2px;padding: 0 9px;height: 25px;line-height: 25px;vertical-align: middle;font-size: 17px;background: #FFC107;color: #ffffff;font-weight: bold;">vol.2</span><p style="margin: 0; padding: 0;font-weight:800">1989-90シーズン/ナポリ 〜マラドーナ・ナポリ〜</p></div> <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/1200/img/2021/1989-90napoli.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">(C)CWS Brians,LTD.<hr></div><div style="padding: 0.5em 1em;margin: 2em 0;border: double 5px #4ec4d3;"><p style="margin: 0; padding: 0;">監督:アルベルト・ビゴン(52) 獲得タイトル:セリエA 攻撃力9:★★★★★★★★★☆ 守備力8:★★★★★★★★☆☆ タレント7:★★★★★★☆☆☆ 連係8:★★★★★★★★☆☆ 選手層7:★★★★★★★☆☆☆</p></div> <div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">マラドーナによる栄冠</div> 現在はイタリア屈指の強豪として認知されているナポリだが、初めて歓喜の渦に包まれたのは1980年代後半だった。1984-1985シーズンにバルセロナからやってきたマラドーナによって、チームは数々のタイトルを獲得した。マラドーナが中心のチームは、1986-87シーズンにセリエAとコッパ・イタリアの2冠に輝き、その後も優勝を争いながら、1988-89シーズンにはUEFAカップ(現EL)を獲得。そして、迎えた1989-90シーズンにクラブ史上2度目となるスクデットを手に入れることとなる。 開幕から順調に勝ち点を積み重ねたナポリは、このシーズンにCL2連覇を達成したミランやインテルと優勝争いを繰り広げた。後半戦ではそのミランとインテルとの直接対決に敗れたが、粘りを見せて最後の5試合で5連勝を達成。ミランを追い抜いて見事に優勝を決めた。その後は、問題を抱えたマラドーナの退団とともにチームは長らく低迷期に入ったが、2004年のデ・ラウレンティス会長就任を機に、強豪チームへとのし上がった。 <div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">マラドーナのチーム</div> フットボールの世界では、絶大なる個の力を有する選手がそのチームの戦術となることがしばしばある。そして、この頃のナポリは、まさにマラドーナのチームだった。 そのマラドーナを支えるため、フェラーラを中心とした守備陣とデ・ナポリなどの中盤の選手は守備に奔走した。ナポリは、当時のイタリア代表メンバーを中心にマラドーナを支える土台を固めた。 攻撃は前線のトライアングルで形成した。自由を与えられたマラドーナは攻撃の全権を掌握。また、後に柏でプレーするブラジル代表FWカレカとイタリア代表FWカルネバーレの2トップがゴールを重ね、23歳のゾラも存在感を示した。 <div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">ピックアップ・プレイヤー</div> <span style="font-weight:700;font-size:1.1em;">FWディエゴ・マラドーナ(29)</span> “ナポリの王様”と評されたマラドーナは、イタリア随一の陽気な街に2度のスクデットをもたらした。数々の魅力的なプレーで観客を魅了し、自身が付けた10番が永久欠番になるほどサポーターから愛された。ただ、かねてからコカイン使用が疑われるなど、イタリアマフィアの巣窟であるナポリで麻薬に染まり、プロ選手としてキャリアが終焉に向かった。 2019.04.04 12:00 Thu3
「日本じゃありえない」「クレイジーだ」優勝目前のナポリ、劇的勝利後のチームバスから見えた衝撃映像が話題「よく事故らないな」
ナポリのサポーターが熱狂的だ。 33年ぶりとなるスクデットにまい進しているナポリ。23日にアウェイで行われたセリエA第31節のユベントス戦では、後半アディショナルタイムに途中出場のFWジャコモ・ラスパドーリが劇的決勝点を決めて1-0で勝利した。 残り7試合で2位ラツィオとのポイント差を「17」まで広げ、故ディエゴ・マラドーナ氏を擁した1989-90シーズン以来となるスクデット獲得が目前に来ており、ファンの熱量も高まっているようだ。 MFアンドレ=フランク・ザンボ・アンギサが自身のインスタグラムのストーリーズでアップしたのは、ユベントス戦後のチームバスから見た光景。そこにはなんと、チームバスを後押しするように追いかけるナポリファンのバイクが数十台にも連なっていたのだ。ちなみにこの時の時刻は午前3時だったという。 その映像はSNS上でも話題に。「日本じゃまずありえないな」、「よく事故らないな」、「クレイジーだ」、「やばすぎる」と反響が寄せられている。 早ければナポリは次節で優勝が決まる可能性もあるが、優勝した暁にはナポリの街はどうなってしまうのだろうか。 <span class="paragraph-title">【動画】1人でも転んだら大惨事…ナポリのチームバスを追いかける数十台のバイク</span> <span data-other-div="movie"></span> <blockquote class="twitter-tweet"><p lang="en" dir="ltr">The view from Napoli's team bus at 3am after they landed back in Naples.<br><br>They could be crowned Serie A champions next week <br><br>(via anguiss_29/IG) <a href="https://t.co/w6CPMzZpjB">pic.twitter.com/w6CPMzZpjB</a></p>— ESPN FC (@ESPNFC) <a href="https://twitter.com/ESPNFC/status/1650452310416392192?ref_src=twsrc%5Etfw">April 24, 2023</a></blockquote> <script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script> 2023.04.25 16:45 Tue4
ハムシクがスロバキア代表で涙のラストマッチ…「どうしても堪えることができなかった」
トラブゾンスポルに所属するMFマレク・ハムシク(35)が、スロバキア代表に別れを告げた。 5月に今年いっぱいでの代表引退を宣言していたハムシク。20日に行われた親善試合のチリ代表戦がスロバキア代表としてのラストマッチとなった。 先発出場していたハムシクは89分に交代を告げられると、観客から万来の拍手が贈られ、思わず涙。ベンチ前ではチームメイト全員から厚い抱擁を受けた。また、試合後にはそのチームメイトやスタッフによるガード・オブ・オナーが作られ、子供たちと共にピッチを後にした。 「最高の雰囲気の中、試合を楽しむことができたし、感動的だった。ピッチを出るまでは何とかなったけど、その後は涙を堪えることはできなかったね」 「代表でのキャリアは本当に楽しかった。僕が経験したような成功をもっと収めることができると思うし、そうなることを願っているよ」 「チームを離れて、周りのみんながいなくなるのは寂しいけど、スロバキアを代表できたことは僕にとって大きな名誉だった。ファンのみんなに感謝したい。スタジアムを満員にするのは僕の願いだったんだ」 2007年2月にポーランド戦でスロバキア代表デビューを果たしたハムシクは、通算で136試合26ゴール20アシストを記録。出場数とゴール数はどちらも同国史上最多で、まさにスロバキアサッカーの歴史に名を刻んだ選手となった。 <span class="paragraph-title">【動画】涙のハムシク、チームメイトが抱擁</span> <span data-other-div="movie"></span><blockquote class="twitter-tweet"><p lang="tr" dir="ltr">Slovakya ile 135 maça çıkan Marek Hamsik 26 gol 20 asistlik performans sergiledi. <a href="https://t.co/T9PnnbvwUs">pic.twitter.com/T9PnnbvwUs</a></p>— 61saat (@61saat) <a href="https://twitter.com/61saat/status/1594353382075944960?ref_src=twsrc%5Etfw">November 20, 2022</a></blockquote> <script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script> 2022.11.21 14:45 Mon5
