日本人が目指すべきCB像、“希少なバロンドーラー“ファビオ・カンナバーロ
2022.07.13 21:30 Wed
サッカー界においてなかなか評価がされないのが守備的な選手。勝利に貢献する派手なゴールを決める攻撃的な選手はわかりやすい活躍の指標が存在するが、なかなかディフェンダーは評価が得にくい。もちろん、これまでのサッカー界で高く評価されたディフェンダーは多々いるが、世界年間最優秀選手に贈られる「バロンドール」では3人のみが受賞。元西ドイツ代表DFのフランツ・ベッケンバウアー氏と、元東ドイツ代表DFマティアス・ザマー氏、そして元イタリア代表DFファビオ・カンナバーロ氏の3人しかいない。
DFとして最後に受賞したのが2006年のカンナバーロ氏だが、ベッケンバウアー氏やザマー氏はリベロのポジションを務めており、中盤でのプレー機会も多かった選手たち。一方で、カンナバーロ氏は、純粋にセンターバックを務めており、DFとして最初の受賞者と言っても良い存在だ。
イタリア代表のキャプテンとしてドイツ・ワールドカップ(W杯)を優勝した功績が認められたカンナバーロ氏。現役時代のキャリアで多くのタイトルを獲得しているが、縁がなかったのがチャンピオンズリーグ(CL)だ。
DFとして最後に受賞したのが2006年のカンナバーロ氏だが、ベッケンバウアー氏やザマー氏はリベロのポジションを務めており、中盤でのプレー機会も多かった選手たち。一方で、カンナバーロ氏は、純粋にセンターバックを務めており、DFとして最初の受賞者と言っても良い存在だ。
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ディナモ・ザグレブがファビオ・カンナバーロ氏を招へい、CLアーセナル戦が初采配に
ディナモ・ザグレブは29日、ファビオ・カンナバーロ氏(51)を新指揮官に招へいしたことを発表した。 ディナモ・ザグレブでは同日、9月よりセルゲイ・ヤキロビッチ氏の後を受けて就任したネナド・ビエリカ監督(53)を解任していた。 チャンピオンズリーグ(CL)では2勝2分け2敗とまずまずの戦績を収めているディナモ・ザグレブだが、国内リーグでは苦戦が続き勝ち点36で並ぶ首位リエカ、2位ハイデュク・スプリトから7ポイント差の3位に甘んじていた。 カンナバーロ氏は現役時代、ナポリやパルマ、インテル、ユベントス、レアル・マドリーで活躍し、2006年のドイツ・ワールドカップ(W杯)制覇に導いた稀代の名DF。 現役引退後は中国の広州恒大(現:広州FC)や、天津権健(現:天津天海)、中国代表を指揮。直近では今年4月下旬にウディネーゼの指揮官に途中就任し、就任時に残留圏内ギリギリの位置にいたチームを見事に残留に導いていた。 ちなみにライバルクラブのハイデュク指揮官は、アッズーリの元同僚であるジェンナーロ・ガットゥーゾ監督。クロアチアの地でイタリア人指揮官同士の覇権争いが繰り広げられることになる。 初采配は来月22日のアウェイで行われるCLアーセナル戦となる。なお、DF荻原拓也に関しては保有元の浦和レッズ復帰の可能性が取り沙汰されている。 2024.12.30 11:00 Mon5
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