ジャンルイジ・ブッフォン

Gianluigi BUFFON
ポジション GK
国籍 イタリア
生年月日 1978年01月28日(46歳)
利き足
身長 191cm
体重 83kg
ニュース 人気記事 クラブ 監督データ

ジャンルイジ・ブッフォンのニュース一覧

ユベントスのイタリア代表GKミケーレ・ディ・グレゴリオ(27)が半生を振り返った。 昨季のモンツァでセリエA最優秀GK賞を受賞したディ・グレゴリオ。セリエC、セリエBを合わせ、イタリア3ディビジョンで最優秀GK賞を受賞した形となった、まさに叩き上げである。 そして今季、27歳でユベントスの一員に。そんなディ 2024.10.25 17:30 Fri
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イタリア代表のレジェンドでもある元守護神のジャンルイジ・ブッフォン氏が、ついに結婚式を執り行った。 パルマ、ユベントス、パリ・サンジェルマン(PSG)でもプレーし、数多くのタイトルを獲得してきたブッフォン。イタリア代表としても、2006年のドイツ・ワールドカップで優勝を経験し、サッカー史に残るGKとして活躍してき 2024.09.30 23:53 Mon
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2018年ロシア・2022年カタールの両ワールドカップ(W杯)アジア最終予選初戦で失敗した教訓を生かすべく、2026年北中米W杯に向かった日本代表。9月5日の初戦・中国戦は高度な意思統一と攻撃の連動性が前面に出て、7-0という華々しいスタートを切ることに成功した。 とはいえ、中国戦で1ゴール2アシストという目覚ま 2024.09.09 19:30 Mon
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パルマに加入した日本代表GK鈴木彩艶が23日、入団会見に臨んだ。 日本代表デビューも果たし、2024年1月のアジアカップでもプレーした鈴木は、2023年8月に浦和レッズからシント=トロイデンにレンタル移籍。当時はマンチェスター・ユナイテッドも関心を寄せるなど、高く評価されていた。 海外挑戦1年目でジュピラー 2024.07.24 06:45 Wed
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エクストラクラサ(ポーランド1部)のルフ・ホジューフは16日、パルマからスロベニア代表GKマーティン・ターク(22)を完全移籍で獲得したことを発表した。 契約期間は2027年6月30日までの3年間となり、背番号は「88」を着用する。 タークはスロベニアのコペルの下部組織でプレーしていた中、16歳になった20 2024.07.17 09:35 Wed
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イタリア代表のニュース一覧

マルコ・マテラッツィ氏がジネディーヌ・ジダン氏と会いたいそうだ。 2006年ドイツW杯決勝「イタリア代表vsフランス代表」。試合後、世界王者が決まった勝敗以上に注目され、業界の枠を超えた世界的関心ごととなったのは、あの「頭突き」の件だ。 延長戦、イタリア代表DFマテラッツィに対し、フランス代表キャプテンのM 2024.11.21 21:05 Thu
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敵地でのイタリア代表撃破に貢献したレ・ブルーの殊勲の2選手が大一番でチームが見せたパフォーマンスに満足感を示した。 フランスは17日、敵地で行われたUEFAネーションズリーグ(UNL)2024-25のリーグAグループ2最終節のイタリア代表戦を3-1で勝利した。この結果、チームは逆転でのグループ首位通過を成し遂げた 2024.11.18 10:45 Mon
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フランス代表のディディエ・デシャン監督が、逆転での首位通過を決めた敵地での勝利を誇った。 フランスは17日、敵地で行われたUEFAネーションズリーグ(UNL)2024-25のリーグAグループ2最終節のイタリア代表戦を3-1で勝利した。この結果、UNL準々決勝で各グループ首位との対戦を回避する形となった。 直 2024.11.18 09:10 Mon
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イタリア代表のルチアーノ・スパレッティ監督が、セットプレー3発に屈して首位通過を逃したフランス代表戦を振り返った。 イタリアは17日、ホームで行われたUEFAネーションズリーグ(UNL)2024-25のリーグAグループ2最終節でフランスと対戦し、0-1で敗戦した。 ここまで4勝1分けの無敗でグループ首位に立 2024.11.18 08:35 Mon
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UEFAネーションズリーグ(UNL)2024-25のリーグAグループ2最終節のイタリア代表vsフランス代表が17日に行われ、アウェイのフランスが1-3で勝利した。 ここまで4勝1分けの無敗でグループ首位に立つイタリアは、首位通過を懸けたホームでの大一番に臨んだ。1-0で競り勝ったベルギー代表戦からは先発2人を変更 2024.11.18 06:50 Mon
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世界一にもなれた稀代の創造主、ファン・セバスティアン・ベロン

これまでのサッカー界には、数多くのクリエイティブな選手が存在した。それは、サッカーのスタイルが大きく変化した現代にも存在しているが、当然のことながらそのプレースタイルも変化している。 一方で、自分のスタイルを崩さずに輝きを放ち続けようともがいた選手も多くいる。しかし、その多くが、サッカースタイルの波に敗れたり、リーグの特性、チームコンセプトの犠牲になっていった。 クリエイティブな選手としてパッと想像される中には、現在はレアル・マドリーで指揮を執るジネディーヌ・ジダンがいるだろう。ボールを持った時の立ち姿やドリブルで相手をかわす姿勢など、そのプレー自体がエレガントさに溢れており、現役ラストマッチとなった2006年ドイツ・ワールドカップ決勝での頭突きは世界が衝撃に包まれた。 そのジダンと肩を並べるクリエイティビティを持ち、自身のスタイルを貫き通したがために、意外なキャリアを歩むこととなったのが、元アルゼンチン代表MFファン・セバスティアン・ベロンだ。 <div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">◆流浪の創造主 </div> <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/800/img/2020/veron3.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">Getty Images<hr></div> ベロンがキャリアをスタートさせたのは、母国のエストゥディアンテス。クラブの歴史において偉大な人物であり、“ブルッハ(魔法使い)”の愛称で親しまれたファン・ラモン・ベロン氏を父に持つベロンは、同じ道を歩んだ。 プロキャリアスタートから1年半で名門のボカ・ジュニアーズに移籍。すると半年で海を渡り、21歳でサンプドリアへと加入した。 当時からベロンのプレースタイルは異次元と言って良いもの。誰もが想像つかないような創造性を備え、独自のルールでプレーをしていた様にさえ見えるほど。ただ、その創造性がズバ抜けていたことで、チームの中心選手でもあった。 1998年に加入したパルマでは、同胞のFWエルナン・クレスポとのコンビがフィーバー。2人のコンビネーションの破壊力は抜群で、“ミラクル・パルマ”と呼ばれるチームの中心を担った。 プロビンチャ(地方クラブ)に過ぎなかったパルマだが、このシーズンは若きジャンルイジ・ブッフォンを守護神に、ファビオ・カンナバーロ、リリアン・テュラム、ネストル・センシーニの3バックが構えた。ベロンはトップ下で攻撃をコントロール。チームはUEFAカップ(現ヨーロッパリーグ)とコッパ・イタリアを制した。 強力なクレスポとのコンビは、1999年にそのままラツィオへと移籍。すると、ラツィオではスクデットとコッパ・イタリア優勝を成し遂げ、その創造性でチームを牽引した。 イタリアでの3クラブでは遺憾なく創造性を見せつけていたベロンは、2001年7月にマンチェスター・ユナイテッドへと加入。この移籍が1つの転機となった。 <div id="cws_ad">◆稀代の創造主 ベロンの魔法のようなプレーの数々<br/><div style="margin:0 auto; max-width:100%; min-width:300px; " ><div style="position: relative; padding-bottom:56.25%; height: 0; overflow: hidden; "><iframe src="https://embed.dugout.com/v2/?p=eyJrZXkiOiI2djQyV3dxayIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0=" style="width: 300px; min-width: 100%; position: absolute; top:0; left: 0; height: 100%; overflow: hidden; " width="100%" frameborder="0" allowfullscreen scrolling="no"></iframe></div></div><div style="text-align:center;" id="cws_ad"><hr><a href="https://web.ultra-soccer.jp/link.php?url=https://ryan.onelink.me/C7cD/1fb76a70&c=sega_20201102_1">バティストゥータ、サネッティ、ベロンが<br />「サカつくRTW」に登場!</a><hr></div><div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">◆守れなかった自分のスタイル </div> <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/800/img/2020/veron2.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">Getty Images<hr></div> 当時のイングランド史上最高の移籍金2810万ポンド(当時のレートで約50億円)でユナイテッドへと加入したベロンは、異色の存在だったと言える。当時のメンバーでは、92年組と呼ばれるデイビッド・ベッカムやポール・スコールズ、ライアン・ギグスの他、ロイ・キーンやオーレ・グンナー・スールシャール、ルート・ファン・ニステルローイなどがいた。 超名門であってもベロンはその持ち前の感覚で、チームに違いをもたらす。2002-03シーズンにはプレミアリーグを制覇と結果も残した。 しかし、ベロンが異彩を放てた試合はセリエA時代と比べると大きく制限がされていた。その理由の1つは、ポジションの変更だ。 当時トップ下を置いていたセリエAとは違い、イングランドでは伝統的にフラットな[4-4-2]が採用。そのため、ベロンのポジションは1列下がったところに置かれた。 加えてプレミアリーグの激しいスタイルもベロンを困らせる。創造的なプレーに集中できなくなったベロンは、ユナイテッドでは自ら汗をかき、守備のタスクもこなす必要があったのだ。 チャンピオンズリーグというヨーロッパの舞台や、守備を重点的にプレーするフィル・ネビルとのコンビではその力を存分に発揮したベロンだが、リーグ戦では結果が出せず。ロマン・アブラモビッチ氏がオーナーとなったチェルシーに2003年8月へ移籍。しかし、チェルシーでも結果を残せず、インテルへと移籍し、イタリアで再びプレーした。 <div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">◆旅の終わりは故郷へ、そして会長に </div> <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/800/img/2020/veron4.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">Getty Images<hr></div> インテルでプレーした後、2006年7月にプロキャリアをスタートさせたエストゥディアンテスへと復帰。すでに終わった選手としてのレッテルを剥がし、完全復活を果たした。 2009年には父と同じように愛するクラブをコパ・リベルタドーレス優勝に導き、自身も2008、2009年と2年連続で南米最優秀選手に選出。ベロンには欧州からのオファーもあったが、エストゥディアンテスへの愛情を示して残留すると、2014年にスパイクを脱ぐ。その後2017年に一度現役復帰するも、引退後はクラブの会長職を務めている。 キャリアを通してセリエAやプレミアリーグのタイトルも勝ち取ってきたベロンだが、キャリアで最も印象的な瞬間について、2009年のコパ・リベルタドーレス優勝だと語っており、いかにその瞬間がベロンにとって大きなものだったかが分かる。世界一にもなれた創造主は、母国で新たな才能を生み出すことに力を割いている。 <div style="text-align:left;" id="cws_ad"><hr>魔法のようなプレーとテクニックで往年のセリエAファンを魅了したベロンが、大人気スポーツ育成シミュレーションゲーム『プロサッカークラブをつくろう!ロード・トゥ・ワールド』(サカつくRTW)に登場!<br /><br />ベロンとともにアルゼンチン代表として1998年のフランスW杯で日本代表と戦った、FWガブリエル・バティストゥータとDFハビエル・サネッティも同時に登場している。『サカつくRTW』で“小さな魔法使い”の姿を観たい方は是非一度チェックしよう。</div><hr> 2020.11.04 18:05 Wed
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42歳ブッフォンがマルディーニ息子のユニをゲット! 4家族の親子ユニをコンプリート!

ユベントスの元イタリア代表GKジャンルイジ・ブッフォン(42)が13日に行われたミラン戦で再び特別な瞬間を経験した。 ユベントスは13日、敵地で行われたコッパ・イタリア準決勝1stレグのミラン戦を1-1のドローで終えた。同試合で先発フル出場を果たしたブッフォンは、敵地での最低限のドローという結果と共に大きなお土産を持ち帰ることになった。 先日、ミランでは元イタリア代表DFのパオロ・マルディーニ氏の次男であるMFダニエル・マルディーニ(18)がトップチームデビュー。そして、この試合では出場機会はなかったものの、ベンチ入りを果たしていた。 そこでブッフォンは試合後、かつてアズーリで鉄壁の守備組織を共に築いた盟友パオロの息子であるダニエルとユニフォーム交換を行った。 ダニエルのユニフォームを肩にかけてミックスゾーンに現われたブッフォンは、イタリア『RAI Sport』でかつての盟友の愛息のユニフォームを獲得したことに満足感を示している。 「私のコレクションには、すでにエンリコ・キエーザと息子(フェデリコ)。リリアン・テュラムと息子(マルクス)、ジョージ・ウェアと息子(ティモシー)のユニフォームがあったんだ」 「今回、そこにパオロ・マルディーニと息子(ダニエル)のユニフォームが加わったね」 「今後は彼らの孫のユニフォームを待っているよ」 1990年代からのセリエAファンにとっては未だに一線で活躍するブッフォンの健在ぶりと共に、当時セリエAを席巻したスーパースターの息子との新たな競演に思わず胸を熱くしたことだろう。 2020.02.14 20:10 Fri
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日本人が目指すべきCB像、“希少なバロンドーラー“ファビオ・カンナバーロ

サッカー界においてなかなか評価がされないのが守備的な選手。勝利に貢献する派手なゴールを決める攻撃的な選手はわかりやすい活躍の指標が存在するが、なかなかディフェンダーは評価が得にくい。 もちろん、これまでのサッカー界で高く評価されたディフェンダーは多々いるが、世界年間最優秀選手に贈られる「バロンドール」では3人のみが受賞。元西ドイツ代表DFのフランツ・ベッケンバウアー氏と、元東ドイツ代表DFマティアス・ザマー氏、そして元イタリア代表DFファビオ・カンナバーロ氏の3人しかいない。 DFとして最後に受賞したのが2006年のカンナバーロ氏だが、ベッケンバウアー氏やザマー氏はリベロのポジションを務めており、中盤でのプレー機会も多かった選手たち。一方で、カンナバーロ氏は、純粋にセンターバックを務めており、DFとして最初の受賞者と言っても良い存在だ。 イタリア代表のキャプテンとしてドイツ・ワールドカップ(W杯)を優勝した功績が認められたカンナバーロ氏。現役時代のキャリアで多くのタイトルを獲得しているが、縁がなかったのがチャンピオンズリーグ(CL)だ。 <span class="paragraph-title">◆記録よりも記憶に残るプレーヤー</span> 現役時代はナポリでキャリアをスタートさせたカンナバーロだが、クラブの財政難により放出。パルマへと移籍する。 このパルマでは、GKジャンルイジ・ブッフォンやDFリリアン・テュラムらと強固な守備陣を形成。“ミラクル・パルマ“とも呼ばれ、カンナバーロも2度のコッパ・イタリア優勝や、UEFAカップ(現ヨーロッパリーグ)での優勝を経験した。 中田英寿ともチームメイトとしてプレーした中、セリエAのスクデット獲得には至らずに2002年8月にインテルへと移籍。しかし、インテルでは監督との確執もあり出番が減り、2004年8月にユベントスへと完全移籍する。 すると、パルマ時代の同僚であったブッフォンとテュラムと再びチームメイトに。2004-05シーズンに見事スクデットを獲得する。しかし、このスクデットは2006年に発覚したカルチョ・スキャンダルといわれた一連の八百長事件の影響で剥奪に。結果、カンナバーロはスクデットも獲得していないこととなった。 チームはセリエBに降格処分となり、カンナバーロはレアル・マドリーへと完全移籍。そこでも本領を発揮すると、難しい中で行われたドイツW杯で優勝。前述のバロンドールも受賞することとなると、FIFA年間最優秀選手賞も受賞した。 マドリーではラ・リーガ連覇を果たすなどしたが、再びユベントスに復帰。その後は、アジアでプレーし引退した。 ビッグクラブに在籍を続けていたカンナバーロだったが、実はタイトル獲得数は多くない。クラブキャリアではわずか7個。そこにW杯が加わり8つと、イメージよりは少ないのではないだろうか。 <span class="paragraph-title">◆縁がないチャンピオンズリーグ優勝</span> そのカンナバーロだが、ことCLとなるとより縁遠くなる。インテル移籍後は毎シーズン出場はしていたが、チームとしての成績は良くなく、最高がベスト4止まりだった。 今でこそ、マドリーやユベントスはタイトルを多く獲得し、マドリーは近年CLを何度も制しているが、ちょうど“銀河系“を形成していたカンナバーロが在籍していた時代は過渡期。2000年から2010年まではラ・リーガも4度の優勝に留まっており、CLも2001-02シーズンを最後に11年間獲れなかった。 最もビッグイヤーに近づいたのは、インテル在籍時の2002-03シーズン。準決勝に駒を進めると、決勝進出を懸けた相手はライバルのミラン。2試合とも引き分けに終わったが、アウェイゴール差で僅かに敗れて敗退した。 その後は、ユベントス時代に2度ベスト8、マドリー時代に2度ベスト16まで勝ち上がっているが、それ以上は進めず。ビッグイヤーを掲げていないどころか、決勝の舞台にすら立ったことがなく、最も意外な選手の1人と言っても良い。 <span class="paragraph-title">◆タイトルは少なくとも才能は抜群</span> 目に見えたタイトルというものにはあまり恵まれていないキャリアのカンナバーロ。そのため、ワールドカップの優勝とバロンドール受賞が輝いて見える。 ただ、ピッチ上で見せるパフォーマンスの評価、そして持ち合わせた才能は世界屈指と言われている。 なんといっても、センターバックとしては身長175cmと小柄。体格に勝るヨーロッパではもちろんのこと、日本で考えても175cmのセンターバックはあまりいないタイプだ。 しかし、持って生まれた強靭な肉体が身長のハンデを埋めることに。まず一対一の守備力が抜きん出ており、相手との競り合いに負けないほか、身長を補う高いジャンプ力を武器としていた。 どんなストライカー相手でも、空中でも地上でも抜かせないという守備力は一級品だが、カンナバーロの真骨頂は守備をする前のパフォーマンスだ。 最も優れているとされたのがポジショニング。相手との競り合いに負けないフィジカルも素晴らしいが、相手よりも優位なポジションを先読みして取ることで、そもそも勝負の前に勝っているのだ。 一対一の勝負もさることながら、簡単にボールを奪い切る能力は抜きん出ている。 そしてもう1つが抜きん出た統率力。センターバックとして周りの選手にコーチングして相手を追い込んだり、優位なポジションを取ったりすることができる。これは、「カテナチオ」と言われるイタリアの堅い守備には欠かせず、ドイツW杯を制した際にもこの点は非常に評価された。チームのパフォーマンスを引っ張り上げる彼の力は、タイトルの数に関係なく、最後まで高く評価され続けた。 日本人と変わらない体格で世界と渡り合ったカンナバーロ。お手本とすべき選手の1人とも言えるだろう。 <div id="cws_ad"><hr>イタリア代表で活躍し、“カテナチオ“戦術の中心としても活躍したファビオ・カンナバーロが大人気スポーツ育成シミュレーションゲーム『プロサッカークラブをつくろう!ロード・トゥ・ワールド』(サカつくRTW)に登場!<br/><br/>現役時代に魅せたプレーが『サカつくRTW』でも再現。是非一度チェックしてみよう。<a href=“https://ryan.onelink.me/C7cD/awagt0va” target=“_blank”><div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/1200/img/2022/sega20220713.jpg" style="max-width:100%;"></div></a></div> <span class="paragraph-title">【動画】相手を封殺!カンナバーロの闘志溢れるユベントス時代のディフェンス集</span> <span data-other-div="movie"></span> <div class="dugout-video dugout-embed-eyJrZXkiOiJsdGt2Y1FHSiIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0="></div><script type="text/javascript" src="https://embed.dugout.com/v3.1/ultrasoccer.js"></script> <div id=“cws_ad”><hr>イタリア代表で活躍し、“カテナチオ“戦術の中心としても活躍したファビオ・カンナバーロが大人気スポーツ育成シミュレーションゲーム『プロサッカークラブをつくろう!ロード・トゥ・ワールド』(サカつくRTW)に登場!<br/><br/>現役時代に魅せたプレーが『サカつくRTW』でも再現。是非一度チェックしてみよう。<a href=“https://ryan.onelink.me/C7cD/awagt0va” target=“_blank”><div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/1200/img/2022/sega20220713.jpg" style="max-width:100%;"></div></a></div> 2022.07.13 21:30 Wed
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“ギネス記録”を樹立したクリスティアーノ・ロナウドの偉業を改めて振り返る/六川亨の日本サッカーの歩み

今月20日のこと、EURO2024の予選でポルトガルのクリスティアーノ・ロナウドが代表通算200試合出場という偉業を達成した。もちろん男子選手初となる快挙で、ギネス世界記録にも認定された。ロナウドについて、所属クラブでの栄光はいまさら紹介する必要はないだろう。代表でもW杯5大会連続ゴールというペレでもなしえなかった新記録の他に、通算123ゴールで、それまでイランのFWアリ・ダエイが保持していた代表得点世界記録(109ゴール)も現在更新中だ。 代表通算出場記録に関しては、2位がクウェートのバデル・アル・ムタワの196試合となっているが、1985年生まれの彼がW杯に出場した記録はなく、アジアカップでも予選敗退が1回、グループリーグ敗退が3回だから、通算出場記録がどこまで正しいか疑問が残る。3位がマレーシアのベテランDFソー・チー・アンの195試合で、彼とは1983年のロス五輪アジア最終予選(シンガポールでの集中開催)の第2戦で対戦し、森ジャパンは1-2で敗れた。読者にとってベスト10で聞き覚えのある選手は6位のセルヒオ・ラモス(180試合)、や10位のジャンルイジ・ブッフォン(176試合)くらいだろうか。 話をロナウドに戻すと、彼を初めて見たのは2004年に地元ポルトガルで開催されたEUROだった。まだ19歳になったばかりの“やんちゃ”なストライカーだった。ポルトガルは、フランスやイタリア、スペインほどの観光大国ではないため、リスボンやポルトのホテルは高すぎるのと、リーズナブルなホテルはどこも満室だった。仕方なく知人の伝を頼ってポルト在住の現地の人に予算の範囲で泊まれるホテルを探したもらったところ、北部のギマランエスという初めて名前を聞く都市に滞在することになった。 最近では、FC東京の小川諒也が22-23シーズンを過ごしたヴィトーリアSCのホームグラウンドでもある。交通の便はあまりよくないものの、城壁に囲まれた、中世のヨーロッパを彷彿させる歴史のある街だった。ここを拠点に、オランダ在住のライターNくんがはるばる愛車のゴルフを運転してポルトガルまで来てくれたおかげで、リスボンやポルトを始め、ブラガやコインブラなど南端のアルガルベ以外のスタジアムで試合を堪能した。 ギマランエスではイタリアの2試合を取材したが(デンマーク戦とブルガリア戦)、トッティやデル・ピエロ、ヴィエリ、カッサーノらを擁しながらも退屈なサッカーで、グループリーグ敗退を余儀なくされた。唯一面白かったのがポルトでのスウェーデン戦で、23歳のFWズラタン・イブラヒモビッチの「回転回し蹴り」での同点ゴールは圧巻だった。その彼も昨年で41歳となり、6月4日には電撃的に現役引退を表明したのは寂しい限りだ。 EURO2004での地元ポルトガルはベテランのフィーゴ、ルイ・コスタ、パウレタらがチームを牽引して、国際大会で初の決勝戦進出を果たしたものの、ロングボールを長身FWに合わせるクラシカルなサッカーのギリシャに0-1と敗れて初タイトルを獲得することはできなかった。 しかしこの大会で欧州デビューを果たしたロナウドは、その後は06年のドイツW杯でも初出場を果たすと、W杯は22年のカタール大会まで5大会連続、EUROも20年まで5大会連続出場で、16年のフランス大会では決勝で地元フランスを延長の末に1-0で破って初タイトルを獲得した。さらに18年にスタートしたUEFAネーションズリーグでもロナウドは初代王者に輝いている。現在進行中のEURO2024(ドイツ)の予選でもポルトガルは4連勝で首位に立ち、出場権獲得はほぼ間違いないだけに、ロナウドがどこまで記録を更新するのか楽しみだ。 ちなみに日本人選手の代表最多出場記録は遠藤保仁の152試合で、2位が長友佑都の142試合となっている。Jリーグでも健在ぶりを発揮しているが、日本代表で彼らの記録を更新しそうなのは現在50試合出場の遠藤航か45試合出場の伊東純也あたりだろうか。 2023.06.27 12:00 Tue
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「ザイオンには多くの注目が…」 パルマが「長く複雑な交渉」の末に鈴木彩艶を獲得! SDが経緯語る

日本代表GK鈴木彩艶のパルマ移籍が決定した。 昨夏に浦和レッズからのレンタルで日本を飛び出し、シント=トロイデンで欧州挑戦の鈴木。ベルギーでの1年目から公式戦32試合とまとまった出場機会を掴み、今年2月に浦和からのレンタル契約も完全移籍に切り替わった。 そうして迎えた今夏、15日にパルマ移籍が決まり、2029年6月30日までの5年契約を締結。移籍金額は移籍市場に精通するニコロ・スキラ記者によると、ボーナス込みで総額1000万ユーロ(約17億2000万円)とされる。 日本の若き守護神は「パルマの一員になれて嬉しく思います。素晴らしい歴史を持つクラブで、世界に多くのファンもいます。(今季は)セリエAを戦うので、常にベストを尽くし、チームの成功に貢献したいです」と語った。 また、スポーツディレクター(SD)のマウロ・ペデルツォリ氏もコメントを寄せ、「我々が心から求めるなか、長くて複雑な交渉だった」と獲得に至るまでの舞台裏を振り返った。 「ザイオンの周りには多くの注目があって、彼に対する関心は非常に強かった。最終的には彼と我々の意思が勝り、永続的かつ、実りある関係の礎となる絆を築きたいという互いの思いがあった」 そんなパルマSDは「彼が日本とベルギーですでに多くの経験を積み、このポジションで最も若い才能の持ち主であるのを考えると、喜びは倍増だ」と喜び、歓迎した。 「今日、我々はジャッロブルーの全コミュニティとともに彼を歓迎し、彼がこの地でチームとファンに最も美しく、手厚い形で迎え入れられると確信している」 かつて元日本代表の中田英寿氏が所属し、イタリア代表のレジェンド守護神であるジャンルイジ・ブッフォン氏を輩出したクラブとして知られるパルマで5大リーグ初挑戦となる鈴木。活躍に期待だ。 <span class="paragraph-title">【動画】パルマが鈴木彩艶の入団ムービーを公開</span> <span data-other-div="movie"></span> <blockquote class="twitter-tweet"><p lang="eu" dir="ltr"> ZION <a href="https://twitter.com/hashtag/WelcomeToParma?src=hash&amp;ref_src=twsrc%5Etfw">#WelcomeToParma</a> <a href="https://twitter.com/hashtag/ForzaParma?src=hash&amp;ref_src=twsrc%5Etfw">#ForzaParma</a> <a href="https://t.co/ZAJUDNf02l">pic.twitter.com/ZAJUDNf02l</a></p>&mdash; Parma Calcio 1913 (@1913parmacalcio) <a href="https://twitter.com/1913parmacalcio/status/1812927316538061296?ref_src=twsrc%5Etfw">July 15, 2024</a></blockquote> <script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script> 2024.07.16 12:02 Tue

ジャンルイジ・ブッフォンの移籍履歴

移籍日 移籍元 移籍先 種類
2023年8月2日 パルマ 引退 -
2021年7月1日 ユベントス パルマ 完全移籍
2019年7月4日 PSG ユベントス 完全移籍
2018年7月6日 ユベントス PSG 完全移籍
2001年7月3日 AC Parma ユベントス 完全移籍
1994年7月1日 AC Parma 完全移籍

ジャンルイジ・ブッフォンの監督履歴

就任日 退任日 チーム 種類
2023年8月7日 イタリア 監督

ジャンルイジ・ブッフォンの今季成績

UEFAネーションズリーグ リーグA グループ2 0 0 0 0 0 0
国際親善試合 0 0 0 0 0 0
ユーロ2024 決勝トーナメント 0 0 0 0 0 0
ユーロ2024 グループB 0 0 0 0 0 0
合計 0 0 0 0 0 0

ジャンルイジ・ブッフォンの出場試合

UEFAネーションズリーグ リーグA グループ2
第1節 2024-09-06 vs フランス代表 ベンチ外
1 - 3
第2節 2024-09-09 vs イスラエル ベンチ外
1 - 2
第3節 2024-10-10 vs ベルギー代表 ベンチ外
2 - 2
第4節 2024-10-14 vs イスラエル ベンチ外
4 - 1
第5節 2024-11-14 vs ベルギー代表 ベンチ外
0 - 1
第6節 2024-11-17 vs フランス代表 ベンチ外
1 - 3
国際親善試合
2024-03-21 vs ベネズエラ代表 ベンチ外
1 - 2
2024-03-24 vs エクアドル代表 ベンチ外
2 - 0
2024-06-04 vs トルコ代表 ベンチ外
0 - 0
2024-06-09 vs ボスニア・ヘルツェゴビナ ベンチ外
1 - 0
ユーロ2024 決勝トーナメント
ラウンド16 2024-06-29 vs スイス ベンチ外
2 - 0
ユーロ2024 グループB
第1節 2024-06-15 vs アルバニア ベンチ外
2 - 1
第2節 2024-06-20 vs スペイン ベンチ外
1 - 0
最終節 2024-06-24 vs クロアチア ベンチ外
1 - 1