ジダン、格下相手のホーム戦ドローに「ホームで2ポイントを失うことは失望」
2020.02.17 16:00 Mon
レアル・マドリーを率いるジネディーヌ・ジダン監督は痛恨のドローとなったセルタ戦での勝ち点逸に失望しているようだ。クラブ公式サイトが指揮官の会見コメントを伝えている。
足首のケガが癒え、昨年11月以来の復帰となったMFエデン・アザールを先発起用し、現状のほぼベストメンバーで臨んだマドリーだが、開始7分にFWイアゴ・アスパスの1本のスルーパスで簡単に中央を割られ、FWヒョードル・スモロフにラ・リーガ初ゴールを献上。その後も猛攻も及ばず、前半を1点ビハインドで終える。
迎えた後半は立ち上がりから攻勢に打って出て52分にMFトニ・クロースの見事なダイレクトシュートで早々に追いつくと、65分にはアザールが倒されて得たPKをDFセルヒオ・ラモスが決めて試合を引っくり返す。だが、このまま逃げ切りかに思われた86分にMFデニス・スアレスからの見事なスルーパスに抜け出したFWサンティ・ミナに土壇場での同点ゴールを許し、2-2のドローで試合を終えることになった。
「ホームで2ポイントを失うことは常に失望だ。後半に入って多くのエネルギーを使った中、残り5分で追いつかれたことは間違いなく痛手だ」
「彼らは試合開始6分ほどで先制点を挙げて以降は自分たちの陣内に籠り、前半に関して我々はギャップを見つけることに苦労していた。中盤でボールを回すだけの場面があまりに多かった。ただ、後半に関しては改善し、よりスペースを使ってプレーすることができていた」
「ただ、我々は未だに首位に立っており、そこに大きな意味があると考えている。我々は勝ち点を取りこぼしたが、それがフットボールというものでもある」
「試合では細かいディテールが結果に大きく左右することを理解しており、常にチームとして改善を続けて最後まで集中力を保ち続ける必要がある。対戦相手はひとつのプレーで我々に問題を生じさせることができるからだ」
「我々はまで首位に立っており、この順位を保ち続けなければならない。そして、そのために戦い続ける。リーグ戦とはあくまで長期的なものだからだ」
また、この試合でマドリーは第8節グラナダ戦(4-2で勝利)以来のラ・リーガでの複数失点を喫している。これについてフランス人指揮官は集中力の維持が重要だと主張。
「これから非常にタフな数試合が控えている。その中で集中力を維持することが重要となる。今日に関して最初の失点はミスからのものだった。2失点目に関しても同じことが言えるが、ただデニス・スアレスのパスが素晴らしいものだったと言わざるを得ない」
「我々はコンディション面ではそれほど問題を抱えていないが、守備のやり方を含めて改善すべき多くの点が残されている」
さらに、ジダン監督は約3カ月ぶりの復帰となったアザールやMFガレス・ベイル、DFマルセロなど、個々のパフォーマンスに関する質問を受けて、以下のように回答している。
「アザールの復帰と彼が70分間のプレーを通じてチームに与えたものに関して満足している。我々は彼がどんなプレーヤーで、彼がチームに何をもたらせるかを知っている。3カ月の離脱を経て、今日のようなパフォーマンスを披露することは決して簡単なことではない」
「今日のベイルに関してはすべてが良かったと思う。彼のパフォーマンスに満足している。彼にとっては良い試合だったと言えるだろう」
「今日のマルセロの守備は良かった。プレータイムが必要な中、すべてのプレーヤーの仕事に満足している」
セルタ相手のドローで連勝が「5」でストップしたマドリーは、来週ミッドウィークにチャンピオンズリーグ(CL)ラウンド16初戦のマンチェスター・シティ戦を控える中、レバンテとのアウェイゲームで仕切り直しの勝ち点3を目指す。
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マドリーは16日、ラ・リーガ第24節でセルタをサンティアゴ・ベルナベウに迎え、2-2で引き分けた。先日、コパ・デル・レイではレアル・ソシエダ相手にホームで屈辱の敗退を強いられたマドリーだが、ラ・リーガでは5連勝と好調を維持。前日に行われた試合で勝利した2位バルセロナに勝ち点で並ばれた中で臨んだ今節は、セビージャ相手の会心の勝利で降格圏を脱出した17位のセルタと対戦した。迎えた後半は立ち上がりから攻勢に打って出て52分にMFトニ・クロースの見事なダイレクトシュートで早々に追いつくと、65分にはアザールが倒されて得たPKをDFセルヒオ・ラモスが決めて試合を引っくり返す。だが、このまま逃げ切りかに思われた86分にMFデニス・スアレスからの見事なスルーパスに抜け出したFWサンティ・ミナに土壇場での同点ゴールを許し、2-2のドローで試合を終えることになった。
同試合後、公式会見に出席したジダン監督は、「ホームで2ポイントを失うことは常に失望」と、格下相手のドローゲームに不満を示した。
「ホームで2ポイントを失うことは常に失望だ。後半に入って多くのエネルギーを使った中、残り5分で追いつかれたことは間違いなく痛手だ」
「彼らは試合開始6分ほどで先制点を挙げて以降は自分たちの陣内に籠り、前半に関して我々はギャップを見つけることに苦労していた。中盤でボールを回すだけの場面があまりに多かった。ただ、後半に関しては改善し、よりスペースを使ってプレーすることができていた」
「ただ、我々は未だに首位に立っており、そこに大きな意味があると考えている。我々は勝ち点を取りこぼしたが、それがフットボールというものでもある」
「試合では細かいディテールが結果に大きく左右することを理解しており、常にチームとして改善を続けて最後まで集中力を保ち続ける必要がある。対戦相手はひとつのプレーで我々に問題を生じさせることができるからだ」
「我々はまで首位に立っており、この順位を保ち続けなければならない。そして、そのために戦い続ける。リーグ戦とはあくまで長期的なものだからだ」
また、この試合でマドリーは第8節グラナダ戦(4-2で勝利)以来のラ・リーガでの複数失点を喫している。これについてフランス人指揮官は集中力の維持が重要だと主張。
「これから非常にタフな数試合が控えている。その中で集中力を維持することが重要となる。今日に関して最初の失点はミスからのものだった。2失点目に関しても同じことが言えるが、ただデニス・スアレスのパスが素晴らしいものだったと言わざるを得ない」
「我々はコンディション面ではそれほど問題を抱えていないが、守備のやり方を含めて改善すべき多くの点が残されている」
さらに、ジダン監督は約3カ月ぶりの復帰となったアザールやMFガレス・ベイル、DFマルセロなど、個々のパフォーマンスに関する質問を受けて、以下のように回答している。
「アザールの復帰と彼が70分間のプレーを通じてチームに与えたものに関して満足している。我々は彼がどんなプレーヤーで、彼がチームに何をもたらせるかを知っている。3カ月の離脱を経て、今日のようなパフォーマンスを披露することは決して簡単なことではない」
「今日のベイルに関してはすべてが良かったと思う。彼のパフォーマンスに満足している。彼にとっては良い試合だったと言えるだろう」
「今日のマルセロの守備は良かった。プレータイムが必要な中、すべてのプレーヤーの仕事に満足している」
セルタ相手のドローで連勝が「5」でストップしたマドリーは、来週ミッドウィークにチャンピオンズリーグ(CL)ラウンド16初戦のマンチェスター・シティ戦を控える中、レバンテとのアウェイゲームで仕切り直しの勝ち点3を目指す。
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ヴィニシウスの売却を提案するレアル・マドリーOB「彼が与えるイメージは決して良いものとは言えない」
かつてレアル・マドリーでプレーし、引退後にはアンダー世代のスペイン代表などの監督を歴任したルイス・ミジャ氏が、中東から巨額のオファーが噂されているブラジル代表FWヴィニシウス・ジュニオール(24)の去就についてコメントしている。 2018年7月にフラメンゴからマドリーへ加入したヴィニシウスは、これまで7シーズンで公式戦306試合に出場し103ゴールを記録。今季もクラブにおいて重要な戦力の1人であり、ここまで公式戦41試合で18ゴール13アシストをマークしている。 マドリーとの契約を2027年まで残すヴィニシウスだが、かねてよりサウジアラビアから関心を示されており、サウジ・プロ・リーグの副会長とオンライン会談を行った際には5年総額10億ユーロ(約1600億円)の5年契約という破格オファーが提示されたと報じられていた。 その去就に注目が集まる中、スペイン『エル・デスマルケ』のインタビューを受けたミジャ氏は、古巣にヴィニシウスの売却を検討するように伝えた。 「もし私がスポーツディレクターなら、ヴィニシウスを売却して新たなストライカーを獲得し、ムバッペを左ウィングに置くだろう。ヴィニシウスは素晴らしい選手だと思うが、クラブは彼が与えるイメージに目を向けなければならない。確かに能力は十分だが、彼が与えるイメージは決して良いものとは言えない。彼は市場で高く評価されているし、マドリーであればその資金を使って新たな有力選手を数人獲得できるだろう」 2025.04.03 17:05 Thu4
ソシエダとの壮絶打ち合いを制して決勝進出のマドリー、アンチェロッティ監督は「ラ・レアル相手に4得点挙げるのは簡単ではない」と得点力を評価
レアル・マドリーのカルロ・アンチェロッティ監督が1日にホームで行われ、延長戦の末に2戦合計スコア5-4で打ち勝ったコパ・デル・レイ準決勝2ndレグのレアル・ソシエダ戦を振り返った。 敵地での1stレグを1-0で先勝していたマドリーはFWキリアン・ムバッペをベンチスタートとした中、16分に先制されるも30分にFWエンドリッキが先制弾をマーク。 2戦合計スコアで一歩前に出たが、後半半ばの72分にオウンゴールを献上して再び追いつかれてしまう。さらに80分、MF久保建英を起点にFWミケル・オヤルサバルのゴールを許し、2戦を通して初めて逆転されてしまった。 それでも2分後にMFジュード・ベリンガムのゴールですかさず追いつくと、86分にMFオーレリアン・チュアメニがCKからヘディングシュートで勝ち越し弾。これで勝負を決めたかに思われたが、追加タイムに再びオヤルサバルにゴールを決められて延長戦に持ち込まれた。 しかしその延長後半10分にDFアントニオ・リュディガーの正真正銘の勝ち越し弾が生まれてソシエダに打ち勝ち、決勝進出を決めた。 アンチェロッティ監督は守備にこそ課題はあるものの、決勝進出、4ゴールを決めた得点力に照準を当てた。 「決勝進出という我々の目標は達成された。ミスもあったが、良い点もたくさんあったし面白い試合だった。ベルナベウでは何が起きてもおかしくないから、自分たちが負けるとは思っていなかった。逆転しなければならない時も我々は決して諦めない。特にホームではファンが味方に付いてくれるから決して諦めない」 「一方で1試合で4失点するのは良くない。今の我々は前線での有効性はとても高いが、バランスが取れていない。それでも攻撃面での成果を無視することはできない。ラ・レアル相手に4得点挙げるのは簡単ではない。我々はかなりうまくやっていると思う」 決勝ではアトレティコ・マドリーvsバルセロナの勝者と対戦する。 2025.04.02 10:15 Wed5