10年ぶりのクラブ・ワールドカップへ臨む浦和の登録メンバー23名をFIFAが発表!《CWC》
2017.12.01 05:11 Fri
▽国際サッカー連盟(FIFA)は11月30日、12月6日にUAEで開幕するFIFAクラブ・ワールドカップ(CWC)に向けた登録メンバーリストを発表し、アジア王者の浦和レッズ(日本)の登録メンバー23名が判明した。
▽10年ぶり2度目の出場となる浦和は、アジアチャンピオンズリーグ(ACL)決勝戦2ndレグのアル・ヒラル戦で値千金の決勝弾を決めたFWラファエル・シルバやキャプテンの元日本代表MF阿部勇樹、日本代表FW興梠慎三、日本代表MF柏木陽介ら主力が順当に選出された。
▽浦和は、12月9日にアル・ジャジーラ(開催国王者)vsオークランド・シティ(オセアニア王者)の勝者と対戦する。今回判明した登録メンバーは以下の通り。
◆浦和レッズ登録メンバー23名
GK
1.西川周作
23.岩舘直
25.榎本哲也
DF
2.マウリシオ
4.那須大亮
5.槙野智章
6.遠藤航
46.森脇良太
3.宇賀神友弥
7.梅崎司
10.柏木陽介
15.長澤和輝
16.青木拓矢
18.駒井善成
22.阿部勇樹
38.菊池大介
39.矢島慎也
FW
8.ラファエル・シルバ
9.武藤雄樹
13.高木俊幸
20.李忠成
21.ズラタン
30. 興梠慎三
▽10年ぶり2度目の出場となる浦和は、アジアチャンピオンズリーグ(ACL)決勝戦2ndレグのアル・ヒラル戦で値千金の決勝弾を決めたFWラファエル・シルバやキャプテンの元日本代表MF阿部勇樹、日本代表FW興梠慎三、日本代表MF柏木陽介ら主力が順当に選出された。
▽浦和は、12月9日にアル・ジャジーラ(開催国王者)vsオークランド・シティ(オセアニア王者)の勝者と対戦する。今回判明した登録メンバーは以下の通り。
GK
1.西川周作
23.岩舘直
25.榎本哲也
DF
2.マウリシオ
4.那須大亮
5.槙野智章
6.遠藤航
46.森脇良太
MF
3.宇賀神友弥
7.梅崎司
10.柏木陽介
15.長澤和輝
16.青木拓矢
18.駒井善成
22.阿部勇樹
38.菊池大介
39.矢島慎也
FW
8.ラファエル・シルバ
9.武藤雄樹
13.高木俊幸
20.李忠成
21.ズラタン
30. 興梠慎三
阿部勇樹
興梠慎三
柏木陽介
西川周作
岩舘直
榎本哲也
マウリシオ
那須大亮
槙野智章
遠藤航
森脇良太
宇賀神友弥
梅崎司
長澤和輝
駒井善成
菊池大介
矢島慎也
武藤雄樹
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やはりクラブとしてやるサッカーの継続性がないというのは正直なところだと思います。監督が代わる毎にサッカーが変わっていたら継続性はないですし、もちろん浦和を背負う責任という言葉がありますけど、それだけではサッカーは勝てないので、そこを構築していくのが次自分がやりたい仕事の1つだと思います ミシャ(ミハイロ・ペトロヴィッチ)が居なくなってから監督がコロコロ代わり、長期政権を築けていないというのは、そういうところの1つだと思っています もちろんピッチに立つのは選手なので、選手が結果を残し続ければそんなことは関係ないという見方もあると思いますけど、5年10年先、常にトップに浦和レッズがいるということにはできないと思うので、フットボールの本質のところの再構築が必要かなと思っています <h3>ーGM就任に向けて、来年、再来年と引退後の計画は</h3> 正直何も決まっていないです。クラブともそういう話は少ししていますけど、正直何も決まっていません。具体的な話はまだないので、これから話していければと思いますし、GMになるという夢はブレることはないので、それに向かってどのような第一歩を踏み出すことが良いのかを、色々な方と話して模索しているところです <h3>ーGMは矢面に立つ仕事。サポーターの罵声も浴びることもあるが</h3> 何年浦和レッズでやっていると思っているんですか(笑)。誰よりもその厳しさを分かっているつもりですし、誰よりもその人たちの力が凄いことも知っているので、もちろん結果が出なければ、そういう反応をしてもらいたいですし、チャレンジしなければ失敗を失敗と分からないので、色々なことにチャレンジしながら、色々な人に色々な反応をしてもらいながら成長していければと思います <h3>ーレッズのアカデミーの選手たちにもコメントを</h3> アカデミー出身の選手として、こうやって長く浦和レッズでプレーして引退することができたというのは、また1つ今アカデミーにいる選手たちの希望になれたかなと思います 僕自身もアカデミー出身ということで、その中でもずっと試合に出続けてきたわけでもないですし、苦しい時期の方がアカデミー時代は多かったと思います。ただ、 やっぱりプロサッカー選手になりたい、浦和レッズの選手になりたいんだと思い続けた結果が、今僕がこの場に座っている、この場にいることだと思うので、プロサッカー選手になりたいというだけではなく、浦和レッズの選手になりたいと強く思ってもらいたいと思います <h3>ー浦和に復帰して、以前所属していた時との違いは感じたか</h3> 気持ちの面で、退団する前も強い気持ち、愛を持ってこのクラブにいたつもりでしたけど、一度外に出て、このクラブの凄さがわかりましたし、自分のこのクラブに対する気持ちというのも改めて大きいんだなということを感じることができました 選手の部分でいうと、だいぶ静かだなと思います。前にいた時の方が、元気なやつが多かったので、僕が歳をとったのか、最近の若い子達はみんな静かだなという印象があります <h3>ー時には厳しい声をかけてくれるサポーターとどう向き合ってきたのか</h3> ぶつかり合うということは、それだけその物事に対して真剣に向き合っているという証拠だと思っていたので、特にあのピッチにおいては、ぶつかり合うことが当たり前だと思っていたし、時には勝った後でも「宇賀神、今日よくなかったな」と言われましたが、それが当たり前だと思っていました そこで自分が納得しているようじゃ成長はそこで止まると思っていましたし、ぶつかり合うことは大切だと思っていたので、逃げないことが大切だと思っていました よく阿部(勇樹)さんとか、那須(大亮)さんとかに「やめろ!」って止められていましたけど、僕はずっと納得いっていなくて、なんで心と心でぶつかり合わないんだと。それも含めて浦和レッズだし、それも含めて埼玉スタジアムでの空間だったので、立場が変わって、クラブに入ったとしても、お互いの意見をぶつけ合うことは変わりない、逃げないことが自分の成長に、お互いの成長に繋がると思います <h3>ー今のチームに何が足りなくて、何が必要になっていくのか</h3> 今シーズン残念ながら残留争いをするという苦しいシーズンになってしまいましたけど、そのターニングポイントとなった柏戦の前にやった選手ミーティングでも言わせてもらいました。「1人1人が仲間を信じる力が足りない」。それは断言できます 自分がピッチレベルでプレーしてみて、何が足りないのかなと考えたら、各々が全力で頑張っているというのは、もちろん見ていてわかるし、誰1人手を抜いている事は日々の練習でもないですけど、全員が頑張っているけど、それが1つじゃない。選手ミーティングでも言いましたけど、人それぞれできることの限界はあるし、選手のプレースタイル、プレーの範囲、寄せるスピード、それぞれの特徴をもっと理解して、仲間を信じて、ここはお前に任せたぞってできる選手が少なすぎるというのが、僕が一緒にプレーしていて感じる部分です 言葉で表すと簡単というか、役割分担すれば良いんじゃないのと思うかもしれないですが、ピッチでやるのは難しく、1人1人が自覚するというか、足りないなと思います 極端なことを言うんですが、「失点したら全部周ちゃんのせいなんだよ。周ちゃんが全部止めたら0-0なんだから」といつも言います。極端ですけど。だから、寄せ切れないかもしれないけど、このコースを消したらあとは周ちゃん止めてよ。それぐらいで良いんだよと。全部僕が止めなきゃいけないんだ、僕のせいで取られちゃったじゃなくて、その辺りが信頼関係。ここまでやれば周ちゃん止めてくれるよねと言うことをお互いが理解すれば、これだけ良い選手がたくさんいるので、監督が良く言う「ワンチーム」って言う言葉がぴったりなチームになれるんじゃないかなと思っています 2024.11.26 16:10 Tue4
浦和のFWリンセンが契約満了で退団…2年半で公式戦56試合9得点「レッズの大ファンとして、また埼玉スタジアムに戻ってきたい」
浦和レッズは28日、FWブライアン・リンセン(34)との契約満了を発表した。 オランダ出身のリンセンは、フォルトゥナ・シッタート、マーストリヒト、VVVフェンロ、ヘラクレス・アルメロ、フローニンヘン、フィテッセ、フェイエノールトでプレー。2022年6月に浦和に加入した。 加入してすぐに負傷するなど、苦しいスタートとなった中、2年半でJ1通算38試合4得点、リーグカップで7試合3得点、天皇杯で3試合、AFCチャンピオンズリーグ(ACL)で5試合2得点、クラブ・ワールドカップで2試合に出場した。 今シーズンは序盤戦で出番なく、J1では16試合2得点と出番を減らしての退団となったリンセンは、クラブを通じてコメントしている。 「浦和レッズのファンのみなさんへ」 「まず最初に、私に対する素晴らしいサポートに感謝したいです。これまで決して楽な道のりではありませんでした。怪我もあり、難しい時期もありましたが、浦和レッズのユニフォームを着てピッチに立つために努力を続けました」 「浦和レッズの歴史の一部になれたことを誇りに思います。いつか浦和レッズの大ファンとして、また埼玉スタジアムに戻ってきたいと思っています」 「今シーズンの最後までファン・サポーターのみなさんのために全力で闘いたいと思います。最後まで応援よろしくお願いします。Arigato gozaimashita!」 2024.11.28 17:17 Thu5