興梠慎三

Shinzo KOROKI
ポジション FW
国籍 日本
生年月日 1986年07月31日(38歳)
利き足
身長 175cm
体重 72kg
ニュース 人気記事 クラブ

興梠慎三のニュース一覧

サンフレッチェ広島は27日、浦和レッズからFW前田直輝(30)を完全移籍で獲得した。 ドリブルが持ち味のレフティーは東京ヴェルディでのプロ入りから、松本山雅FCや、横浜F・マリノス、名古屋グランパス、ユトレヒトでのプレーを挟み、2024年1月に浦和へ完全移籍。 浦和での2024年シーズンは明治安田J1リーグ 2025.03.27 10:30 Thu
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2025シーズンのJリーグに向けた最新の移籍情報を網羅。選手・監督の退団や引退、移籍をクラブごとにまとめてチェック。 J1、J2、J3の全部60クラブの移籍情報をまとめています。 ※最終更新日:2025年3月3日 [ J2移籍情報 | J3移籍情報 ] ◼︎明治安田J1移籍情報 ※カッコ内は発 2025.03.03 21:00 Mon
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浦和レッズは3日、2024シーズン限りで現役を引退した興梠慎三氏(38)と宇賀神友弥氏(36)がクラブスタッフになることを発表した。 興梠氏は鹿島アントラーズから2013年に完全移籍で加入。北海道コンサドーレ札幌への期限付き移籍を1年経験したが、2024シーズンまで在籍し20年のキャリアに幕を下ろした。 引 2025.02.03 11:20 Mon
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浦和レッズは7日、2025シーズンの新体制を発表した。 2024シーズンは明治安田J1リーグで13位と低迷した浦和。ペア・マティアス・ヘグモ監督の下で結果がなかなか出ないと、マチェイ・スコルジャ監督を再招へい。しかし。チームは好転することなく、低迷したままシーズンを終えた。 浦和は夏の移籍市場で多くの主軸が 2025.01.07 12:58 Tue
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14日、元日本代表DF槙野智章の引退試合「槙野智章 大感謝祭〜1日限りのワッショイ劇場〜」がノエビアスタジアム神戸で行われており、試合終盤には槙野氏の奥さま、俳優の高梨臨さんも登場して会場を盛り上げた。 サンフレッチェ広島、ケルン、浦和レッズ、ヴィッセル神戸に所属し、日本代表としては通算38キャップおよび2018 2024.12.14 17:46 Sat
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浦和レッズのニュース一覧

明治安田J1リーグ第17節の浦和レッズvsFC東京が17日に埼玉スタジアム2002で行われ、3-2でホームの浦和が勝利した。 リーグ戦2試合未勝利となっている4位浦和(勝ち点26)は、ドローで終えた前節のアルビレックス新潟戦からスタメンを4人変更。金子拓郎や松本泰志、長沼洋一、GK牲川歩見に代えて大久保智明、サミ 2025.05.17 18:20 Sat
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【明治安田J1リーグ第17節】 2025年5月17日(土) 16:00キックオフ 浦和レッズ(4位/26pt) vs FC東京(15位/19pt) [埼玉スタジアム2002] ◆3試合ぶりの勝利を【浦和レッズ】 前節はアウェイでアルビレックス新潟と対戦し、1-1のドロー。5連勝がストップした中で、連 2025.05.17 13:15 Sat
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Jリーグは14日、5月15日の「Jリーグの日」を記念し、開幕当時に多くのファンに親しまれた「Jリーグチップス」を特別に復刻することを発表した。 1993年の開幕とともに人気を博した「Jリーグチップス(選手カード付)」が、32周年を迎えるJリーグに帰ってくることに。復刻版では、J1、J2、J3の全60クラブから各3 2025.05.14 15:55 Wed
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10日、11日にかけて明治安田J1リーグ第16節の10試合が全国各地で行われた。 【京都vs名古屋】終盤にスコアが動いた中ドロー 連敗で首位から陥落も劇的勝利で3位に位置している京都サンガF.C.と降格圏からなんとか抜け出した17位の名古屋グランパスの対戦となった。 上位と下位の対決となった試合。名古 2025.05.11 19:25 Sun
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thumb 11日、明治安田J1リーグ第16節のアルビレックス新潟vs浦和レッズがデンカビッグスワンスタジアムで行われた。 18位と降格圏に沈む新潟と、5連勝がストップした4位の浦和の対戦に。立ち位置が大きく異なる両者の対戦となる中で、新潟は直近の試合から5名を変更。 稲村隼翔、堀米悠斗、小見洋太、秋山裕紀、小野裕二が外れ、 2025.05.11 16:00 Sun
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浦和FW興梠慎三が38歳バースデーに今季限りでの現役引退を発表! 18年連続J1ゴールなど記録も20年でプロキャリアに終止符

浦和レッズは31日、元日本代表FW興梠慎三(38)が今シーズン限りでの現役引退を発表した。 興梠は31日に引退会見を実施。自らの口で引退を発表した。 「今年で現役を引退することを決断しました。20年間という現役生活でしたけど、色々な方に支えられてここまでやって来れたと思います」 「特に鹿島アントラーズの関係者の皆様。北海道コンサドーレ札幌の関係者の皆様。そして、浦和レッズの関係者の皆様には本当に感謝しています。本当にありがとうございます」 宮崎県出身の興梠は、鵬翔高校から2005年に鹿島アントラーズでプロ入り。1年目から出番を得ると、鹿島のエースへと成長。2013年に浦和に完全移籍で加入すると、浦和でもエースとして君臨。鹿島時代の2012年から2020年まで9シーズン連続でJ1で2桁得点を記録した。 2022シーズンは北海道コンサドーレ札幌へ期限付き移籍を経験したが、2023年に浦和へと復帰。近年はゴール数こそ減ったが、プロ3年目の2007年から毎年J1でゴールを重ね、今シーズンも1ゴールを記録。18シーズン連続ゴールを記録するなど、長年活躍を見せている。 ここまでJ1通算524試合で168得点を記録。今シーズンも途中出場がメインながら、15試合に出場し1得点を記録していた。 また、AFCチャンピオンズリーグ(ACL)では日本人最多となる27ゴールを記録するなど、生粋のストライカーとして活躍を続けてきた。 タイトルも鹿島時代には2007年から2009年までJ1を3連覇、リーグカップ連覇も経験し、天皇杯も2度優勝。浦和では、ACLで2度優勝を経験し、リーグカップ1回、天皇杯2回で優勝。J1ではステージ優勝こそ経験したが、年間王者にはなれずに終わっていた。 2024.07.31 14:13 Wed
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興梠慎三の移籍履歴

移籍日 移籍元 移籍先 種類
2023年1月31日 札幌 浦和 レンタル移籍終了
2022年2月1日 浦和 札幌 レンタル移籍
2013年1月4日 鹿島 浦和 完全移籍
2005年2月1日 鹿島 完全移籍