ローマの補強戦略にカペッロ元監督は不満げ「重要なクラブに所属歴を持つ選手に賭けているが…」
2023.11.20 21:00 Mon
ローマに栄光をもたらしたカペッロ氏
ファビオ・カペッロ氏が古巣ローマを評価した。
御年77歳のカペッロ氏。美しき90年代を知るカルチョファンには、セリエA優勝4回、チャンピオンズリーグ(CL)優勝1回、CL3年連続決勝進出などの功績を残したミラン指揮官時代が印象深いところだが、2000-01シーズンにはローマを率いて18年ぶりスクデットも成し遂げている。
つまるところ、ローマは中田英寿氏やフランチェスコ・トッティ氏、ヴィンチェンツォ・モンテッラ氏、ヴァンサン・カンデラ氏らを擁し、カペッロ氏が指揮を執ったこの00-01シーズンを最後に、スクデットから遠ざかっている。
それでもローマ最後のスクデットから22年、イタリア『ガゼッタ・デッロ・スポルト』のインタビューに応じたカペッロ氏は、現チームを率いるジョゼ・モウリーニョ監督を称えている。
「彼は指導者キャリアにおいて数々のシチュエーションを経験してきた百戦錬磨の男だ。困難な状況から抜け出したいとき、その存在が役に立つ。経験値とカリスマ性を兼ね備えたコーチは、選手が快適にプレーできるようサポートできるのだ」
ファイナンシャル・フェアプレー(FFP)への抵触を避けたいローマはここ数年、ビッグクラブとの契約が満了となった実力者のゼロ円獲得、また、ビッグクラブ・中堅クラブからのレンタル獲得が非常に多い。
昨季は前ユベントスのFWパウロ・ディバラ(30)をゼロ円移籍で獲得し、今季は前フランクフルトのDFエヴァン・エンディカ(24)、前リヨンのMFフセム・アワール(25)をゼロ円移籍で獲得。
現在のレンタル加入組は5人。MFレナト・サンチェス(26)をパリ・サンジェルマン(PSG)から、FWロメル・ルカク(30)をチェルシーから、FWサルダール・アズムン(28)をレバークーゼンから、DFラスムス・クリステンセン(26)とDFディエゴ・ジョレンテ(30)をリーズ・ユナイテッドから獲得している。
経営上の問題、またモウリーニョ監督の傾向がそうさせていることは想像に難くないが、カペッロ氏としては好ましくないようだ。
御年77歳のカペッロ氏。美しき90年代を知るカルチョファンには、セリエA優勝4回、チャンピオンズリーグ(CL)優勝1回、CL3年連続決勝進出などの功績を残したミラン指揮官時代が印象深いところだが、2000-01シーズンにはローマを率いて18年ぶりスクデットも成し遂げている。
つまるところ、ローマは中田英寿氏やフランチェスコ・トッティ氏、ヴィンチェンツォ・モンテッラ氏、ヴァンサン・カンデラ氏らを擁し、カペッロ氏が指揮を執ったこの00-01シーズンを最後に、スクデットから遠ざかっている。
「彼は指導者キャリアにおいて数々のシチュエーションを経験してきた百戦錬磨の男だ。困難な状況から抜け出したいとき、その存在が役に立つ。経験値とカリスマ性を兼ね備えたコーチは、選手が快適にプレーできるようサポートできるのだ」
一方で、ローマが補強において経験豊かなプレーヤーを補充しがちな点について「重要なクラブに所属歴を持つ選手に賭けているのは不思議ではない。ただ、この宝くじは今のところ、必ずしも期待されていたほどの結果、数字をもたらしていない」と指摘。不満げな様子だ。
ファイナンシャル・フェアプレー(FFP)への抵触を避けたいローマはここ数年、ビッグクラブとの契約が満了となった実力者のゼロ円獲得、また、ビッグクラブ・中堅クラブからのレンタル獲得が非常に多い。
昨季は前ユベントスのFWパウロ・ディバラ(30)をゼロ円移籍で獲得し、今季は前フランクフルトのDFエヴァン・エンディカ(24)、前リヨンのMFフセム・アワール(25)をゼロ円移籍で獲得。
現在のレンタル加入組は5人。MFレナト・サンチェス(26)をパリ・サンジェルマン(PSG)から、FWロメル・ルカク(30)をチェルシーから、FWサルダール・アズムン(28)をレバークーゼンから、DFラスムス・クリステンセン(26)とDFディエゴ・ジョレンテ(30)をリーズ・ユナイテッドから獲得している。
経営上の問題、またモウリーニョ監督の傾向がそうさせていることは想像に難くないが、カペッロ氏としては好ましくないようだ。
ファビオ・カペッロ
中田英寿
フランチェスコ・トッティ
ヴィンチェンツォ・モンテッラ
ジョゼ・モウリーニョ
パウロ・ディバラ
エヴァン・エンディカ
フセム・アワール
レナト・サンチェス
ロメル・ルカク
サルダール・アズムン
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元日本代表MFの中田英寿氏が、『The Atletic』のロングインタビューで自身のサッカーキャリアを振り返った。 中田氏はベルマーレ平塚(現・湘南ベルマーレ)でプロキャリアをスタートし、以降は2006年の現役引退までペルージャ、ローマ、パルマ、ボローニャ、フィオレンティーナのイタリア5クラブ、イングランドのボルトンでプレー。 また、日本代表としては1998年フランス大会、2002年日韓大会、2006年ドイツ大会と3度のワールドカップに出場し、通算77キャップを刻んだ。 そのアジアを代表するレジェンドは『The Atletic』で29歳での現役引退を始め、キャリアにおけるトピックについて語った。 2006年ドイツW杯のグループステージ最終節のブラジル代表戦での1-4の敗戦後、スパイクを脱ぐ決断を下したMFは、その突然の引退から19年を経たなかで改めて決断の理由に言及。 「プロのサッカー選手になる夢は一度もなかったが、どういうわけかそれが実現し、ワールドカップでプレーし、イタリアとイングランドに行った。情熱のためにいつもプレーしていた。私はサッカーのファンではなく、サッカーをプレーするのが好きだった。それが私が引退した理由だ。情熱を失っていたし、情熱がなければ、自分に嘘をついているようなものだった」 「私が好きなのはプレーすることであり、コーチやコメントをすることではない。それが引退後に『別の情熱を見つけなければならない』と言った理由だった」 インタビュー冒頭で、サッカーキャリアの終わりについて語った元日本代表はここからキャリアの最初期に立ち戻り、「当時は、プロサッカー選手になることを夢見る人は誰もいなかった。日本で一番人気のスポーツは野球だった。だけど、結局、私は漫画『キャプテン翼』が大好きだったから、サッカーをやろうと決めた」と、サッカーを始めた理由を明かした。 続けて日本代表が初めてW杯に出場した1998年フランスW杯での奇抜な髪色については「(W杯前でさえ)毎日髪の色を変えていたが、海外でプレーしたかったので世界に知られることが重要だった。だから注目されたいと思っていた」と、振り返る。 その目論見通り、W杯直後にはセリエAのペルージャへ完全移籍。イタリアでのキャリアをスタート。その新天地では加入1年目から鮮烈な輝きを放ったが、プレーすること以外でサッカーに関心がなかったことが良い意味でプラスに働いたという。 「私はサッカーの大ファンではなかったし、サッカーを見たり新聞で読んだりもしなかった。そういう人間ではないんだ。ただサッカーをするのが好きで、毎日もっといい選手になりたいと思っていた」 「イタリアに来たときは、セリエAが世界最高のリーグで、ジネディーヌ・ジダンやアレッサンドロ・デル・ピエロのような選手がいたが、私は選手をあまり知らなかった。リーグのチームの半分も知らなかった」 「でも、そのおかげで自分のプレーに集中できたし、それが私の強みだった。とにかく恐れがなかった」 そのペルージャでの活躍によって2000年にはローマへステップアップ。当時、頭角を現わしていたフランチェスコ・トッティとのポジション争いで苦戦を強いられた一方、2005年1月のユベントス戦ではクラブ史に刻まれた圧巻のロングシュートを突き刺し、ジャッロロッシのスクデット獲得に大きく貢献した。 中田氏はそのローマ時代について「ローマに戻るたびに、ファンのみんなが私のところに来て『ありがとう、ナカタ』と言ってくれる」と、自身の重要な働きに満足感を示した。 その後、1年でイタリアの首都を離れてパルマに活躍の場を移すと、コッパ・イタリア優勝に貢献。2年連続のタイトル獲得を経験。そして、日韓W杯では大会の目玉選手の一人として日本代表史上初の決勝トーナメント進出に貢献した。 「もっといい結果を出せたはず」トルコ代表に敗れてのベスト16に不満を示しながらも、「雰囲気は素晴らしかった」と、自国開催のW杯をポジティブに振り返った。 「日本では誰もが、私たちがグループリーグを突破して決勝トーナメントに進出するだろうと期待していたが、それはとても大変だった」 「私たちはとても若いチームで、ほとんどのメンバーがワールドカップでプレーしたことがなかった。当時、海外でプレーしていたのは数人だけで、プレッシャーは大きかった。しかし同時に、国全体が私たちを応援してくれたので、雰囲気は素晴らしかった」 その後、チェーザレ・プランデッリ監督との衝突を機に、ボローニャ、フィオレンティーナとイタリア国内での移籍を繰り返した後、2005年に7年間過ごしたイタリアを離れ、プレミアリーグのボルトンへレンタル移籍。 自身最後のクラブとなったマンチェスターのクラブではキック&ラッシュでお馴染みのサム・アラダイス監督が率いたチームということもあり、イタリアと大きく異なる環境面を含めて難しい日々を過ごした。 「イタリアから来たので、サッカーはまったく違っていた。多くのチームがロングボールをプレーしていた。それは少しショックだった。そしてイタリアからマンチェスターに来て、食べ物の面でも違ったし、雨も多かった。そういった意味で少し大変だった」 その後、前述のドイツW杯での現役引退で中田氏の波乱万丈のサッカーキャリアは締めくくられた。 そして、自身のサッカーキャリアを通じて「どのように記憶されたいか?」との問いに対して、中田氏は「私は美しいプレー、優雅さが好きだ。ジネディーヌ・ジダンのようなプレーが美しい。スピードやパワーではなく、美しいパス、美しいプレー。ゴールである必要はない。私は優雅さが好きで、サッカーだけでなく人生でもそうだ。優雅で美しいものが好きだ。つまり美しい服、美しい建築物、デザイン、景色…」と返答している。 現役引退後は3年間に渡っておよそ100カ国以上を巡る放浪の旅に出て、以降は魅了された日本酒造りや日本茶のブランド立ち上げなど、日本の文化や食文化の発信者として活躍する48歳。 今回のロングインタビューの最後には改めて自身の生き方について語り、これからも自身の情熱の赴くがままに様々なことにチャレンジしたいと結んだ。 「29歳で引退したとき、たくさんの人から『まだプレーできるよ』とか『サッカー業界で働いてコーチでもしたらどうだ』と言われた」 「でも、できるからやることを選んでいるわけではない。やりたいからやっている」 「私は好きなことをやっている。だからファッションが好きならファッションをやるし、他の文化が好きなら他の文化。日本酒が好きなら日本酒をやる」 「他の人は時々その理由が理解できないことがある。それは私が情熱を持ってやっているからだ」 2025.03.19 00:14 Wed4
モウリーニョ解任のローマに“レジェンド”デ・ロッシが帰還! 監督就任に「この感動は言葉では言い表せない」
ローマは16日、新監督にダニエレ・デ・ロッシ氏(40)が就任することを発表した。 契約期間は2024年6月30日までの残りシーズンとなる。 デ・ロッシ新監督は、ローマ育ちでアカデミー出身者。2002年にファーストチームに昇格すると、2019年7月にボカ・ジュニアーズに移籍するまでプレー。ローマ時代には2007年、2008年にはコッパ・イタリアで優勝。2007年にはスーペル・コパも制し、フランチェスコ・トッティ氏が引退してからはキャプテンとしてチームを支えた。 引退後はイタリア代表のテクニカルコーチを務め、2021年のユーロ優勝に貢献。2022年10月から2023年2月まではSPALで指揮を執っていたが、半年でわずか3勝に終わり解任されていた。 ローマでは公式戦通算616試合に出場し63ゴール。18年間プレーしたクラブに監督として復帰することとなったデ・ロッシ新監督は、クラブを通じてコメントしている。 「ローマのテクニカル面でのリーダーシップの責任を私に託してくれたフリードキンファミリーに感謝したい。私としては、今からシーズン終了までの間に待ち受ける試練に立ち向かうため、日々の犠牲を払い、自分の中にある全てを捧げる必要があると思っている」 「ベンチに座ることができる感動は言葉では言い表せない。私にとってローマがどんな存在であるかは、誰もが知っているが、我々全員を待っている仕事は既に引き受けた」 「我々には時間がなく、選択肢もない。競争力を持ち、目標のために戦い、達成しようとすることがスタッフと私が自分たちに与える唯一の優先事項だ」 ローマは16日、4シーズン目を迎えていたジョゼ・モウリーニョ監督を解任。就任1年目の2021-22シーズンはヨーロッパ・カンファレンスリーグで優勝。2022-23シーズンはヨーロッパリーグで決勝に進むも、セビージャにPK戦の末に敗れて準優勝。今シーズンはリーグ戦で序盤から調子が上がらず、14日に行われたセリエA第20節でミランに敗れ、3戦未勝利となっており、9位と苦しんでいた。 2024.01.16 22:15 Tue5
