ファビオ・カペッロ
Fabio CAPELLO
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ポジション | 監督 |
国籍 |
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生年月日 | 1946年06月18日(78歳) |
利き足 | |
身長 | |
体重 |
ニュース | 人気記事 | クラブ | 監督データ |
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1チームに1人欲しかった“万能型サイドバック”、ジャンルカ・ザンブロッタ
現代サッカーにおいて、最も重要なポジションとも言われ、その重要性が高まっているのがサイドバックだ。 言わずもがな、4バック、または5バック時に最終ラインの両サイドに位置するポジション。3バックのシステムを採用するチームも増え、ウイングバックというポジションが増えたこともあるが、多くの役割を担うことが多いポジションだ。 かつてのサイドバックは、フルバックとも呼ばれ、守備を専門としてきた。そのため、高い技術や戦術眼よりも、上下動を繰り返せる持久力と、相手のウインガーに抜かれないための対人守備力が何よりも求められるポジションだった。 上手さよりも体力が求められたポジションだが、現代サッカーではそのイメージは全くと言っていいほどなくなった。むしろ、少し前のボランチが担っていたゲームコントロールをすることすら、サイドバックの選手が行うこともあるほど。戦術眼の高さが最も止められるポジションと言っても良いだろう。 時代の変遷とともに役割が変化してきたサイドバックだが、早い時期からチームに欠かせない役割を担っていた選手がいる。元イタリア代表のジャンルカ・ザンブロッタだ。 <span class="paragraph-title">◆今でこそ珍しくない両サイドバック</span> <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/1200/img/2021/sega20210502zambrotta_2_tw.jpg" style="max-width:100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">Getty Images<hr></div> イタリアのコモで生まれたザンブロッタは、地元のクラブであるコモで1994年にプロデビュー。1997年にはセリエAのバーリへと移籍する。右利きのザンブロッタだが、プロ当初のポジションは左のウイング。攻撃的なポジションではあるが、左サイドでプレーしていた。 1999年にユベントスへと移籍するが、加入当時は中盤のサイドでプレー。左右のサイドハーフでプレーを続けていた。転機は2002-03シーズン。日韓ワールドカップにも出場したザンブロッタは、W杯のケガで出遅れると、マルチェロ・リッピ監督によって左サイドバックにコンバートされた。 元々攻撃的なポジションをやっていたザンブロッタは、クロス精度には定評があり、中盤でも左サイドを担っていたこともありプレー面に大きな影響はなかった。さらに、当初は心配されていた守備面も徐々に慣れることで向上。攻守にわたってプレーできるサイドバックとして大きく成長していくこととなった。 さらに、2005-06シーズンには現在もユベントスでプレーするDFジョルジョ・キエッリーニが加入。その影響もあり、ファビオ・カペッロ監督の下では右サイドにコンバート。その後に移籍したミランでも当初は右サイドでプレーするが、再び左サイドバックにポジションを移すなど、キャリアを通して両サイドバックを担っていくこととなった。 <span class="paragraph-title">◆チームを支えたユーティリティ性</span> <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/1200/img/2021/sega20210502zambrotta_3_tw.jpg" style="max-width:100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">Getty Images<hr></div> そのザンブロッタは、左右の足が使える事はもちろんのこと、サイドバックとして必要な豊富な運動量を備え、対人守備も大きく成長した。何よりも、基本的なパフォーマンスが安定したことが最も重宝された理由だろう。 ユーティリティプレーヤーの中には、飛び抜けた才能がなく、器用が故に様々なポジションを務める選手もいる。主力にになりにくく、便利な控え選手という立ち位置で終わる選手も少なくない。 しかし、ザンブロッタはユーティリティという言葉以上に、万能という言葉が合う選手だろう。サイドバックだけでなく、1列前でもプレーが可能。どのポジションにおいても、遜色ないプレーを行える点は、チームにいてくれると助かる存在でありながら、チームの結果に寄与できる選手でもあった。 今ではマンチェスター・シティのジョゼップ・グアルディオラ監督が“偽サイドバック”としてサイドバックに置く選手を中盤でプレーさせる方式があるが、ザンブロッタもその役割を担えただろう。戦術眼、キックの精度、そしてそれを支える持久力もあった。 ミランの後に加入したバルセロナでは右サイドバックとしてプレー。キャリアを通しては最終的に右サイドでのプレーが多くなったザンブロッタだが、現代サッカーでも高い能力を発揮したレジェンドの1人と言えるだろう。 <div id="cws_ad"><hr>ユベントスやミラン、バルセロナとクラブチームで活躍し、イタリア代表としてもワールドカップを制したジャンルか・ザンブロッタが大人気スポーツ育成シミュレーションゲーム『プロサッカークラブをつくろう!ロード・トゥ・ワールド』(サカつくRTW)に登場!<br/><br/>現役時代に魅せたユーティリティ性を『サカつくRTW』ででも再現。是非一度チェックしよう。</div> <a href="https://ryan.onelink.me/C7cD/4c7a9075" target="_blank"><div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/900/img/2021/sega20210428.jpg" style="max-width:100%;"></div></a> <span class="paragraph-title">【動画】サイドバックとは思えない落ち着いた突破から左足ゴール</span> <span data-other-div="movie"></span> <div class="dugout-video dugout-embed-eyJrZXkiOiJCWGpUcGI1byIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0="></div><script type="text/javascript" src="https://embed.dugout.com/v3.1/ultrasoccer.js"></script> ユベントスやミラン、バルセロナとクラブチームで活躍し、イタリア代表としてもワールドカップを制したジャンルか・ザンブロッタが大人気スポーツ育成シミュレーションゲーム『プロサッカークラブをつくろう!ロード・トゥ・ワールド』(サカつくRTW)に登場! 現役時代に魅せたユーティリティ性を『サカつくRTW』ででも再現。是非一度チェックしよう。 <a href="https://ryan.onelink.me/C7cD/4c7a9075" target="_blank"><div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/900/img/2021/sega20210428.jpg" style="max-width:100%;"></div></a> 2021.05.03 18:50 Mon2
“干された”ベッカムが自らの足でカペッロ監督の信頼を取り戻す【ビューティフル・フリーキック】
サッカーにおいて、試合を決める大きな要素の一つであるフリーキック(FK)。流れの中ではなく、止まった状態から繰り出されるキックがそのままゴールネットを揺らせば、盛り上がりは一気に最高潮へと達する。 この企画『Beautiful Free Kicks』(美しいフリーキック)では、これまでに生まれたFKの数々を紹介していく。 今回は、メジャーリーグ・サッカー(MLS)のインテル・マイアミの共同オーナーを務める元イングランド代表MFのデイビッド・ベッカム氏が現役時代に決めたフリーキックだ。 <div id="cws_ad">◆気合いの入った表情のベッカムがキックで信頼を掴み取る<br/><div style="margin:0 auto; max-width:100%; min-width:300px; " ><div style="position: relative; padding-bottom:56.25%; height: 0; overflow: hidden; "><iframe src="https://embed.dugout.com/v2/?p=eyJrZXkiOiJhN3pEMG9WayIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0="style="width: 300px; min-width: 100%; position: absolute; top:0; left: 0; height: 100%; overflow: hidden; " width="100%" frameborder="0" allowfullscreen scrolling="no"></iframe></div></div></div> 2003年にマンチェスター・ユナイテッドからレアル・マドリー入りしたベッカム氏は、在籍4年で公式戦159試合に出場し20ゴール51アシストを記録した。しかし、2007年1月にシーズン終了後のロサンゼルス・ギャラクシーへの移籍が発表されると、当時のファビオ・カペッロ監督はベッカムを起用しないことを表明した。 それでも、腐らず練習に励むベッカム氏は、チームメイトからの推薦もあり、2007年2月10日に行われたラ・リーガ第22節のレアル・ソシエダ戦に約1カ月ぶりに出場する。 連敗中だったマドリーはソシエダに先制を許すも、迎えた37分、バイタルエリア右でフリーキックのチャンスを獲得する。ベッカムの右足から放たれたクロス性のシュートは絶妙なコースに飛ぶと、ワンバウンドしてゴール左に突き刺さった。 このゴールで追いついたマドリーは後半に勝ち越し、勝ち点3を獲得。このキックでカペッロ監督の信頼を再び掴み取り、ベッカム氏は初のラ・リーガのタイトルを獲得しアメリカへと旅立っていった。 2020.11.03 11:00 Tue3
ローマ就任内定のモウリーニョにカペッロが警告「ローマは誰しも火傷する」
来季からローマの新監督に就任することが決まったジョゼ・モウリーニョ氏に、かつて同クラブに最後のスクデットをもたらしたファビオ・カペッロ氏がアドバイスを送っている。イタリア『ガゼッタ・デッロ・スポルト』が伝えた。 4日、ローマからパウロ・フォンセカ現監督のシーズン終了後の退任と、それに伴うモウリーニョ氏の就任が発表された。マウリツィオ・サッリ氏やマッシミリアーノ・アッレグリ氏などイタリア人指揮官の名前が候補に挙がっていた中、4月半ばにトッテナムを解任となったポルトガル人指揮官のスピード就任には、誰もが驚いた。 同氏のセリエA復帰は、2009-10シーズンにトレブルを達成したインテル以来12年ぶり。「これから数年間、共に勝利のプロジェクトを構築していきたいと思っている」と、新監督は高らかに宣言したが、かつてローマを1999年から5年間指揮し、00-01シーズンには同クラブにとって最後のスクデットをもたらしたカペッロ氏は、『ガゼッタ・デッロ・スポルト』のインタビューにおいて、ローマというクラブや街でフットボールに身を投じる難しさを説き、アドバイスを送っている。 「ローマに関わると誰もが火傷する。あそこは世界で最も美しい街だが、フットボールをするにはとりわけ難しい場所でもある」 「忍耐というものは、一般的に考えられているのとは逆にそれほど多くはない。敗戦の理由は評価されないことがほとんどだ」 「すべての鍵となるのは、しっかりとしたスタッフを持ち、監督を手助けする選手たちのグループを作ることだ。誰に対しても、何に対しても、一致団結したグループ。それが私のやったことだ」 一方で、百戦錬磨の指揮官を招へいしたクラブの仕事ぶりには称賛の言葉を送っており、モウリーニョ氏に関しても野望を持った偉大な監督であると、大きな期待を寄せた。 「ローマの熱気を一気に高めた、非常に印象的な人事だ」 「もう言い訳はできない。ローマはナンバーワンで、全てを勝ち取った経験のあるプロフェッショナルな監督を手にした」 「結果を重要視すべきで、彼がここ数年で3度の解任に遭ったことも忘れてはならない。しかし、彼は非常に聡明な人物であり、再び主役になりたいという願望が決定的なものになると私は確信しているよ」 2021.05.05 21:40 Wed4
カペッロ氏、“銀河系軍団“レアル時代の苦労語る 「ロッカールームでアルコールの匂いがする」
ファビオ・カペッロ氏がレアル・マドリー指揮官時代を振り返った。イタリア『ラ・レプブリカ』が伝えた。 現役を引退した後、ミラン、マドリー、ローマ、ユベントスといったビッグクラブや、イングランド代表、ロシア代表の指揮官も務めたカペッロ氏。2度目のマドリー指揮官就任となった2006-07シーズンは元ブラジル代表FWロナウド氏や元イングランド代表MFデイビッド・ベッカム氏らを擁した銀河系軍団を率い、クラブにとって4シーズンぶりとなるラ・リーガ制覇をもたらした。 サン・シーロのVIPルームでミラノの大学の学生たちに自身のことについて語ったというカペッロ氏は、この2006-07シーズンについて言及。苦戦していた時期にいかにチームを立て直したかを明かしている。 「我々はマジョルカに0-1で負けていた。選手たちは怯えていて、パスミスもしていた。前半が終わったとき、私はロベルト・カルロスの代わりにロッカールームに座り、選手たちと同じ目線の高さで、トレーニングと同じようにプレーするよう言った」 結果的に、この試合は3-1でマドリーの勝利に終わったとのこと。一方で、ローマ時代から知る元イタリア代表FWアントニオ・カッサーノ氏に手を焼いていたことについても語り、カッサーノ氏が試合前にフライドポテトを注文した際の逸話も披露した。 「もちろん彼に怒りを感じたが、彼のためにフライドポテトを用意したシェフにも腹が立った」 さらに、このシーズンの途中に放出することになったロナウド氏についても言及。不摂生をやめさせようと努力したものの、結果は失敗に終わったようだ。 「彼はパーティーが好きで、他のチームメイトも彼についていった。ファン・ニステルローイはロッカールームでアルコールの匂いがすると私に言ってきた」 「ロナウドの体重は94キロで、2002年のワールドカップ(W杯)優勝時よりも10キロ増えていた。私は彼にダイエットするように言い、あらゆることを試したが、最終的には92.5キロになった」 そんな当時のロナウド氏に目をつけたのがミラン。カペッロ氏は「恩人」と語る当時のミラン会長、シルヴィオ・ベルルスコーニ氏にアドバイスを送ったというが、効果はなかったようだ。 「私はそのことについて忠告した。彼(ロナウド)はパーティー好きで、いつも女性に囲まれていると話した。翌日の新聞の見出しは『ロナウドがミランへ』だった」 2023.10.17 15:18 Tueファビオ・カペッロの移籍履歴
移籍日 | 移籍元 | 移籍先 | 種類 |
1980年7月1日 |
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- |
1976年7月1日 |
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完全移籍 |
1970年7月1日 |
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完全移籍 |
1967年7月1日 |
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完全移籍 |
1964年7月1日 |
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完全移籍 |
ファビオ・カペッロの監督履歴
就任日 | 退任日 | チーム | 種類 |
2017年6月11日 | 2018年3月28日 |
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監督 |
2012年7月16日 | 2015年7月13日 |
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監督 |
2007年12月14日 | 2012年2月8日 |
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監督 |
2006年7月6日 | 2007年6月28日 |
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監督 |
2004年5月29日 | 2006年7月4日 |
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監督 |
1999年6月6日 | 2004年5月28日 |
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監督 |
1997年7月1日 | 1998年6月30日 |
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監督 |
1996年7月1日 | 1997年6月30日 |
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監督 |
1991年7月1日 | 1996年6月30日 |
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監督 |
1987年7月1日 | 1991年6月30日 |
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コーチ |
1987年4月5日 | 1987年6月30日 |
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監督 |
1986年7月1日 | 1987年5月31日 |
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コーチ |
1982年7月1日 | 1986年6月30日 |
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監督 |