【J1クラブ通信簿/サガン鳥栖】若手台頭の鳥栖、後半戦で見せた成長曲線はどこまで
2021.01.07 21:55 Thu
未曾有のシーズンとなった2020年のJリーグ。新型コロナウイルス(COVID-19)の感染拡大を受け、中断による異例の超過密日程、観戦や応援の制限など、多くの困難を乗り越え、すべての日程を終了した。
その中でも、熱戦が続いた2020シーズンのJリーグ。超ワールドサッカー編集部は、J1全18クラブの通信簿(チームMVP、補強成功度、総合評価)をお届けする。
第6弾は13位のサガン鳥栖を総括!(評価は「S」が最高、「E」が最低)
◆総合評価【C】
7勝15分け12敗 (勝率20.5%)
37得点43失点
フェルナンド・トーレスやイサック・クエンカら海外での経験がある選手を抱えて臨んだ2019シーズンで15位と残留を争った鳥栖は、金明輝監督監督が継続して指揮を執り、チームの方向転換を行った。
一からチームを作らなくてはいけなくなった金明輝監督だったが、シーズン序盤からアグレッシブな戦い方とポゼッションを武器としたチーム作りを行っていた。
しかし、近年顕著になっていた得点力不足は今シーズンも露呈。開幕5試合で無得点と、2019シーズンの二の舞になることを予見させるスタートとなった。
その結果、シーズン初白星は第8節となったものの、FC東京戦で見せた戦いぶりは目を見張るものがあり、今後の鳥栖の躍進を想起させるものがあった。
そんな最中、8月にチーム内でのクラスター発生。新型コロナウイルスと闘うシーズンだったが、最下位から1カ月で恐れていた事態に見舞われてしまった。
そこからおよそ1カ月のブランクチームも2週間の活動停止となるなど、形が見え始めた中で追い込まれる展開となり、再開後も3連敗を喫するなど苦しい戦いを強いられた。
10月には4連敗を喫し、そのままズルズル行ってしまう例年の流れが過った中、後半戦は4連敗以外に負けたのは1試合だけ。最後の13試合は3勝9分け1敗と結果を残すことができた。
負けないチームに変貌した鳥栖。その大きな理由は、継続してきたパスサッカーの精度が上がったことだろう。また、散見されていたミスや中途半端な攻撃が減ったことが大きい。
勝つところまではいけなかったものの、負けなくなったことは新シーズンに向けてプラス材料。より精度を上げて、勝てるチームへと進化させていきたい。
◆チーム内MVP

MF松岡大起(19)
明治安田生命J1リーグ32試合出場(先発31試合)/0得点
チーム内MVPには9得点を記録したFW林大地を選出しても良かったが、大車輪の活躍を見せたMF松岡大起を選びたい。
ユースから昇格し2シーズン目を迎えた松岡。ユース時代の恩師でもある金明輝監督の下で開幕からレギュラーとしてプレーした。
シーズン当初からボランチとしてプレー。先発出場を続けると、ケガ人などの影響もあり一時はセンターバックを務めることも。また右サイドバックを務めるなど、ポリバレント性を発揮した。
さらにこの過密日程において、ほとんどがフル出場。プロ2年目でありながら、コロナ禍で苦しむチームを支えるパフォーマンスを見せた。
若手が躍動したチームを象徴する存在でもある松岡。新シーズンはどのようなパフォーマンスを見せるだろうか。
◆補強成功度【B】

チームの順位が芳しくないだけに高い評価を与えることが憚られるが、それでも2020シーズンの鳥栖は新加入選手の活躍がなければ、より悪い結果になっていただろう。
まずは大卒ルーキーの2人。右サイドバックでレギュラーを務めた明治大学卒のDF森下龍矢は、33試合に出場し3得点を記録。躍動感溢れるプレーと、闘志を表に出すプレーで右サイドの活力となった。
1つ上で右サイドハーフに入っていたMF樋口雄太との関係性も良く、鳥栖の大きな武器になると思われたが、新シーズンは名古屋グランパスでプレーすることが決まった。
そして9得点を挙げた大阪体育大学卒のFW林大地だ。31試合に出場も先発は10試合。それでも9得点を記録する得点力の高さは大きな助けとなった。がむしゃらにプレーする姿はチームに勢いをもたらせ、林投入後に流れが大きく変わった試合は多くある。鳥栖の起爆剤として更なる活躍が期待される。
また、ユースから昇格したMF本田風智も飛躍。また、シーズン終盤に出場機会をつかんだ2種登録のFW相良竜之介も面白い存在だ。若手の力で2021シーズンはどう戦うのか注目だ。
移籍組では、MF小屋松知哉(京都サンガF.C.)やDF内田裕斗(徳島ヴォルティス)、DFエドゥアルド(松本山雅FC)も主軸としてプレー。MF梁勇基(ベガルタ仙台)も要所で高いパフォーマンスを見せていた。
さらに、シーズン途中に横浜F・マリノスから加入したGK朴一圭も大きい。10試合のプレーに終わったが、チームのポゼッションサッカーを1つ上のステージにあげたことは間違いなく、完全移籍で加入する2021シーズンがどこまで進化するか楽しみだ。
その中でも、熱戦が続いた2020シーズンのJリーグ。超ワールドサッカー編集部は、J1全18クラブの通信簿(チームMVP、補強成功度、総合評価)をお届けする。
第6弾は13位のサガン鳥栖を総括!(評価は「S」が最高、「E」が最低)
7勝15分け12敗 (勝率20.5%)
37得点43失点
フェルナンド・トーレスやイサック・クエンカら海外での経験がある選手を抱えて臨んだ2019シーズンで15位と残留を争った鳥栖は、金明輝監督監督が継続して指揮を執り、チームの方向転換を行った。
2020シーズンは選手を大幅に入れ替え、まさに心機一転という形に。ユースから3名を昇格させた他、大卒選手を獲得するなど、大型補強路線から大きく舵を切ることとなった。
一からチームを作らなくてはいけなくなった金明輝監督だったが、シーズン序盤からアグレッシブな戦い方とポゼッションを武器としたチーム作りを行っていた。
しかし、近年顕著になっていた得点力不足は今シーズンも露呈。開幕5試合で無得点と、2019シーズンの二の舞になることを予見させるスタートとなった。
その結果、シーズン初白星は第8節となったものの、FC東京戦で見せた戦いぶりは目を見張るものがあり、今後の鳥栖の躍進を想起させるものがあった。
そんな最中、8月にチーム内でのクラスター発生。新型コロナウイルスと闘うシーズンだったが、最下位から1カ月で恐れていた事態に見舞われてしまった。
そこからおよそ1カ月のブランクチームも2週間の活動停止となるなど、形が見え始めた中で追い込まれる展開となり、再開後も3連敗を喫するなど苦しい戦いを強いられた。
10月には4連敗を喫し、そのままズルズル行ってしまう例年の流れが過った中、後半戦は4連敗以外に負けたのは1試合だけ。最後の13試合は3勝9分け1敗と結果を残すことができた。
負けないチームに変貌した鳥栖。その大きな理由は、継続してきたパスサッカーの精度が上がったことだろう。また、散見されていたミスや中途半端な攻撃が減ったことが大きい。
勝つところまではいけなかったものの、負けなくなったことは新シーズンに向けてプラス材料。より精度を上げて、勝てるチームへと進化させていきたい。
◆チーム内MVP

©︎J.LEAGUE
MF松岡大起(19)
明治安田生命J1リーグ32試合出場(先発31試合)/0得点
チーム内MVPには9得点を記録したFW林大地を選出しても良かったが、大車輪の活躍を見せたMF松岡大起を選びたい。
ユースから昇格し2シーズン目を迎えた松岡。ユース時代の恩師でもある金明輝監督の下で開幕からレギュラーとしてプレーした。
シーズン当初からボランチとしてプレー。先発出場を続けると、ケガ人などの影響もあり一時はセンターバックを務めることも。また右サイドバックを務めるなど、ポリバレント性を発揮した。
さらにこの過密日程において、ほとんどがフル出場。プロ2年目でありながら、コロナ禍で苦しむチームを支えるパフォーマンスを見せた。
若手が躍動したチームを象徴する存在でもある松岡。新シーズンはどのようなパフォーマンスを見せるだろうか。
◆補強成功度【B】

©︎J.LEAGUE
チームの順位が芳しくないだけに高い評価を与えることが憚られるが、それでも2020シーズンの鳥栖は新加入選手の活躍がなければ、より悪い結果になっていただろう。
まずは大卒ルーキーの2人。右サイドバックでレギュラーを務めた明治大学卒のDF森下龍矢は、33試合に出場し3得点を記録。躍動感溢れるプレーと、闘志を表に出すプレーで右サイドの活力となった。
1つ上で右サイドハーフに入っていたMF樋口雄太との関係性も良く、鳥栖の大きな武器になると思われたが、新シーズンは名古屋グランパスでプレーすることが決まった。
そして9得点を挙げた大阪体育大学卒のFW林大地だ。31試合に出場も先発は10試合。それでも9得点を記録する得点力の高さは大きな助けとなった。がむしゃらにプレーする姿はチームに勢いをもたらせ、林投入後に流れが大きく変わった試合は多くある。鳥栖の起爆剤として更なる活躍が期待される。
また、ユースから昇格したMF本田風智も飛躍。また、シーズン終盤に出場機会をつかんだ2種登録のFW相良竜之介も面白い存在だ。若手の力で2021シーズンはどう戦うのか注目だ。
移籍組では、MF小屋松知哉(京都サンガF.C.)やDF内田裕斗(徳島ヴォルティス)、DFエドゥアルド(松本山雅FC)も主軸としてプレー。MF梁勇基(ベガルタ仙台)も要所で高いパフォーマンスを見せていた。
さらに、シーズン途中に横浜F・マリノスから加入したGK朴一圭も大きい。10試合のプレーに終わったが、チームのポゼッションサッカーを1つ上のステージにあげたことは間違いなく、完全移籍で加入する2021シーズンがどこまで進化するか楽しみだ。
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サガン鳥栖は27日、DF宮大樹(24)の第一子となる長男誕生を報告した。 宮はヴィッセル神戸から鳥栖に今季加入。今季はここまで明治安田生命J1リーグ6試合に出場している。第一子誕生を受け、クラブ公式サイトを通じて次のようにコメントした。 「この度、私事ではございますが第一子となる長男が誕生したことをご報告いたします。難しい状況の中、元気に生まれてくれた息子、頑張ってくれた妻に本当に感謝しています。家族のためにもより責任を持ち、精進していきたいと思います」 2020.09.27 17:45 Sun4
J昇格請負人だったウーゴ・マラドーナの訃報/六川亨の日本サッカー見聞録
昨年末のこと、残念なニュースが飛び込んできた。一昨年末に亡くなったディエゴ・マラドーナの末弟であるウーゴ・マラドーナ(52歳)が急逝したとの報道だ。死因はナポリにある自宅で心臓発作を起こしたらしい。 ディエゴ自身もこれまで放映された映画やアマゾンTVが放送しているドラマなどで、ナポリ時代に薬物に手を出したことを告白している。もしかしたらウーゴも同じ道を辿ったとしたら、兄ディエゴは“英雄"だったかもしれないが、ファミリーにとってナポリ時代は悔やまれてならない。 ウーゴの存在を身近に知ったのは、92年に浜松市をホームにするPJMフューチャーズに加入した時だった。 PJMは、アメリカ人のポール・J・マイヤーが開発した人材育成のための能力開発システムで、当時、本田技研の研修を担当していた桑原勝義氏が興味を持ったことから“おとぎ話"はスタートした。桑原は藤枝東高時代に高校選手権で優勝し、その後は日本代表にも選ばれた好選手で、本田サッカー部の監督も歴任した(現JFL理事長)。 桑原氏の夢は、一貫した育成システムで育てた選手を2002年のW杯で日本代表に送り込むことだった。そのために本田を辞め、87年にクワバラスポーツクラブと、本田サッカー部の選手を中心にしたPJMフューチャーズを立ち上げた。 当初の予定は7年後の94年にJSL(日本サッカーリーグ)1部入りを果たすことだったが、時代はJリーグ創設へと動き出した。 Jリーグ入りへ、静岡からはJSL1部のヤマハと本田に加え、県リーグ所属の清水クラブ(後の清水エスパルス)の4チームが名乗りを上げた(その後は中央防犯、現アビスパ福岡もJリーグ入りを表明)。後発であり劣勢が否めないPJMにとって、Jリーグ入りへ起死回生の策だったのが当時29歳のディエゴ・マラドーナの獲得だった。 90年7月、PJMフューチャーズのオーナーでありPJMジャパンの社長の有田平は「移籍金は20億円以上、年俸も希望次第」と発表した。しかしナポリとの契約が93年5月まで残っていたため、マラドーナの獲得は夢のまま終わった。 そんなPJMフューチャーズに転機が訪れたのは東海リーグに昇格した91年、マラドーナ3兄弟の末弟であるウーゴを獲得したことだった。兄に似てずんぐりむっくりの体型のウーゴは、「背番号10は兄ディエゴのためにとっておく」と話していた。ディエゴの夢である「兄弟3人(ラウルとウーゴ)でプレーする」ための布石ではないかと報道されることもあった。 残念ながら兄ディエゴは90年イタリアW杯後の91年にコカイン服用の疑いでイタリア警察から告発され、FIFAからは15ヶ月の出場停止処分を受け、兄弟が揃って日本でプレーする夢はかなわなかった。 それでもウーゴはPJM(後の鳥栖フューチャーズ)でプレーした92年から94年の3年間(東海リーグとJFL)で49試合出場31ゴール、95年は福岡ブルックスに移籍し、JFLでは27試合出場で27ゴールを奪ってJリーグ昇格に貢献、97年には札幌でもチームをJリーグ昇格へと導いた。 偉大すぎる兄と比較されながらも、そのひたむきなプレーは鳥栖や福岡、札幌のファン・サポーターの脳裏に焼き付いているのではないだろうか。遅ればせながら、哀悼の意を表します。 2022.01.10 12:30 Mon5