スカッとゴール! ロマーリオの妙技「ラーボ・デ・バッカ」
2021.01.08 07:00 Fri
ストレスフルなこの社会。観るだけでスカッとするようなゴールで気分を晴らすのもアリなのでは。今回の企画では、朝の通勤時間などにオススメの爽快なゴールを映像付きでご紹介していきます。2021年1月8日にご紹介するのは、今から28年前に元ブラジル代表FWロマーリオ氏が決めたゴールです。
◆ここがスカッと!
ラーボ・デ・バッカとは、ポルトガル語で「牛のしっぽ」という意味。DFを背負った状態もしくはDFから遠い足でボールを保持した状態から、トラップした足のインサイドにボールを引っ掛け、そのままボールをひきずるようにして軸足を中心に180度ターンするテクニックです。ロマーリオ氏のラーボ・デ・バッカが炸裂します。
◆“ドリーム・チーム”のエース
ヨハン・クライフ監督の下、MFミカエル・ラウドルップやFWフリスト・ストイチコフ、DFロナルド・クーマンらを擁し“ドリーム・チーム”と呼ばれた1990年代前半のバルセロナ。1993年1月8日に行われた“エル・クラシコ”では、当時バルセロナのエースだったロマーリオ氏が伝説を作りました。
レアル・マドリーのホームスタジアムであるサンティアゴ・ベルナベウで行われた伝統の一戦に先発出場したロマーリオは、前半24分にボックスすぐ外でMFジョゼップ・グアルディオラの縦パスを受けます。
その後、ロマーリオは後半9分、同36分に2ゴールを決めハットトリックを達成。クラシコという舞台で大仕事を成し遂げています。
◆ライバル、レアルを粉砕するロマーリオの妙技「ラーボ・デ・バッカ」が炸裂!
◆ここがスカッと!
ラーボ・デ・バッカとは、ポルトガル語で「牛のしっぽ」という意味。DFを背負った状態もしくはDFから遠い足でボールを保持した状態から、トラップした足のインサイドにボールを引っ掛け、そのままボールをひきずるようにして軸足を中心に180度ターンするテクニックです。ロマーリオ氏のラーボ・デ・バッカが炸裂します。
ヨハン・クライフ監督の下、MFミカエル・ラウドルップやFWフリスト・ストイチコフ、DFロナルド・クーマンらを擁し“ドリーム・チーム”と呼ばれた1990年代前半のバルセロナ。1993年1月8日に行われた“エル・クラシコ”では、当時バルセロナのエースだったロマーリオ氏が伝説を作りました。
レアル・マドリーのホームスタジアムであるサンティアゴ・ベルナベウで行われた伝統の一戦に先発出場したロマーリオは、前半24分にボックスすぐ外でMFジョゼップ・グアルディオラの縦パスを受けます。
この時は相手DFを背にした状態でしたが、すぐさま反転しながらインサイドでボールを引きずるラーボ・デ・バッカで相手を置き去りに。そして、フリーとなったロマーリオは右足のアウトサイドキックで飛び出したGKの横を抜くシュートをゴール右に流し込みました。
その後、ロマーリオは後半9分、同36分に2ゴールを決めハットトリックを達成。クラシコという舞台で大仕事を成し遂げています。
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ディエゴ・マラドーナ氏が急逝…先月60歳の誕生日を迎えたフットボール界の巨星墜つ
フットボール界のレジェンドであるディエゴ・マラドーナ氏(60)が25日に急逝した。『ロイター通信』など世界各国の主要メディアが伝えている。 先月30日に60歳の誕生日を迎えたばかりのマラドーナ氏は、今月2日にサナトリオ・イペンサ・ラ・プラタ病院へ緊急入院。精密検査の結果、脳に硬膜下血腫が見つかったため、3日に緊急手術を受けていた。その後は状態が安定し、同11日に退院していた。 <div id="cws_ad">◆全盛期のマラドーナがナポリで見せたスーパーゴール集<br/><div style="margin:0 auto; max-width:100%; min-width:300px; " ><div style="position: relative; padding-bottom:56.25%; height: 0; overflow: hidden; "><iframe src="https://embed.dugout.com/v2/?p=eyJrZXkiOiJRQkZwNEVQayIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0=" style="width: 300px; min-width: 100%; position: absolute; top:0; left: 0; height: 100%; overflow: hidden; " width="100%" frameborder="0" allowfullscreen scrolling="no"></iframe></div></div></div> しかし、『ロイター通信』によると、マラドーナ氏は25日、ブエノスアイレス郊外の自宅で心停止を起こし、その後死亡が確認されたという。 アルヘンティノス・ジュニアーズでプロキャリアをスタートしたマラドーナ氏は、ボカ・ジュニアーズ、バルセロナ、ナポリ、セビージャ、ニューウェルズ・オールドボーイズを渡り歩き、1997年に古巣ボカで現役を引退。 現役引退後はアルゼンチン代表やアル・ワスル(UAE)やドラドス・デ・シナロア(メキシコ)、直近は母国のヒムナシア・ラ・プラタの指揮官を歴任。 卓越した左足の技術、創造性、得点感覚を武器に、クラブキャリアにおいてはナポリで2度のセリエA優勝、UEFAカップ(現ヨーロッパリーグ)などのタイトルを獲得。 また、アルゼンチン代表では通算91試合に出場し、34ゴールを記録。準々決勝のイングランド代表戦での“神の手”ゴール、5人抜きのドリブルがハイライトとなった1986年メキシコ・ワールドカップ(W杯)では優勝に導く圧巻の活躍を披露。 また、多くの個人賞を総なめにし、ブラジル、オランダのレジェンドであるペレ氏やヨハン・クライフ氏らと並び、歴代最高の選手として常に候補に挙がるなど、フットボール界のレジェンド中のレジェンドとの評価を確立していた。 2020.11.26 02:00 Thu5
