今日は何の日!4月21日は、コンテの技ありボレーでユーベがインテルを沈める/1996年

2020.04.21 15:00 Tue
twitterfacebookhatenalinegplus
photo
Getty Images
世界中で休むことなく紡がれ続けてきたフットボールの歴史の中で今日何が起こったのか。本日4月21日の出来事を振り返ってみよう。今回ピックアップするのは、1996年4月21日。セリエA第31節インテルvsユベントスで、ユベントスのアントニオ・コンテ(現インテル監督)が見せた技ありのボレーシュートだ。

◆レジェンドが集った“イタリア・ダービー”
当時インテルの指揮官は、スイス代表を1994年W杯ベスト16やユーロ1996出場権獲得に導いた手腕を買われ、シーズン途中から就任したロイ・ホジソン監督(現クリスタルパレス)だった。

また、インテルにはブラジル代表の伝説的左SBロベルト・カルロスや、マンチェスター・ユナイテッド、リバプールなどで活躍したレジェンドのイングランド代表MFポール・インスが所属。しかし、開幕から低迷し、一時は最下位まで順位を落としていたものの、ホジソン監督が就任以降盛り返し、7位にまで順位を上げていた。

一方のユベントスを率いていたのは、マルチェロ・リッピ監督(現中国代表)だ。前シーズンに監督に就任すると、イタリア代表FWジャンルカ・ヴィアリや、期待の若手だったFWアレッサンドロ・デル・ピエロらを積極的に起用し、当時クラブにとって9シーズンぶりとなるスクデットをもたらしていた。

この試合では、チーム屈指のゴールゲッターであったヴィアリがベンチスタート。当時ユベントス退団の噂が広まっていたこともあり、スタンドのユベントスファンから試合中「ヴィアリ行かないで」というコールが鳴り響いていた。また、現インテル指揮官のMFアントニオ・コンテや、フランス代表監督のMFディディエ・デシャンらが所属していた。

◆コンテの技ありボレーが決勝点に

7位のインテルが、2位のユベントスをホームに迎えた“イタリア・ダービー”は開始直後から動く。4分、ユベントスのカウンターから、FWミケーレ・パドヴァーノが右サイドを突破しクロス。これをFWアッティリオ・ロンバルドが中で合わせ、ユベントスが先制。その後、お互いにチャンスは作るものの得点は生まれず、拮抗した展開のまま前半を0-1で終える。

後半に入ると再びユベントスが攻勢に。55分、MFヴィラディミール・ユーゴビッチが左サイドを突破しクロス。これを後方から飛び込んできたコンテがダイレクトボレーで合わせゴールに叩き込んだ。

コンテの追加点により0-2としたユベントスだったが、インテルも反撃。インスが個人での中央突破から強烈なシュートを放つもこれはポストに嫌われる。それでも79分、味方の浮き球のパスをボックス内で受けたFWマウリツィオ・ガンツがゴールを決め、インテルが1点差に。しかし時既に遅く、試合はそのまま1-2でユベントスが勝利を収めた。

★1996年4月21日
《セリエA第31節》
インテル 1-2 ユベントス
【インテル】
マウリツィオ・ガンツ(後34)
【ユベントス】
アッティリオ・ロンバルド(前4)
アントニオ・コンテ(後10)

◆出場選手
◆インテル[5-2-3]
GK:ジャンルカ・パリュウカ
DF:ジャンルカ・フェスタ、サルバトーレ・フレージ、マッシモ・パガニン、アレッサンドロ・ピストーネ(→67 ジュゼッペ・ベルゴミ)、ロベルト・カルロス
MF:ダビデ・フォントラン、ポール・インス
FW:マルコ・ブランカ、カイオ(→59 マウリツィオ・ガンツ)、ベニー・カルボーネ
監督:ロイ・ホジソン

◆ユベントス[3-4-2]
GK:アンジェロ・ペルッツィ(→61 ミケランジェロ・ランプッラ)
DF:マッシモ・カレーラ、ジャンルカ・ペッソット、ピエトロ・ヴィエルコウッド
MF:アントニオ・コンテ(→78 ジャンカルロ・マロッキ)、ディディエ・デシャン、ヴラディミール・ユーゴビッチ、アレッシオ・タッキナルディ
FW:アッティリオ・ロンバルド(→78 アンジェロ・ディ・リービオ)、ミケーレ・パドヴァーノ
監督:マルチェロ・リッピ
コメント
関連ニュース
thumb

今日は何の日!9月16日は、CSKAでピークを迎えていた本田圭佑が、1試合2ゴールの大活躍/2012年

世界中で休むことなく紡がれ続けてきたフットボールの歴史の中で今日何が起こったのか。本日9月16日の出来事を振り返ってみよう。 今回ピックアップするのは、2012年9月16日。当時CSKAモスクワのMF本田圭佑がアラニア・ウラジカフカス戦で2ゴールを決めた日だ。 <div id="cws_ad">◆ロシアで全盛期を迎えていた本田の2ゴール<br/><div style="margin:0 auto; max-width:100%; min-width:300px; " ><div style="position: relative; padding-bottom:56.25%; height: 0; overflow: hidden; "><iframe src="https://embed.dugout.com/v2/?p=eyJrZXkiOiJVUUxZUzFmSCIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0=" style="width: 300px; min-width: 100%; position: absolute; top:0; left: 0; height: 100%; overflow: hidden; " width="100%" frameborder="0" allowfullscreen scrolling="no"></iframe></div></div></div> ◆ロシアで覚醒する侍 2005年に名古屋グランパスでプロキャリアをスタートさせた本田は、2008年にオランダのVVVフェンロへ移籍し、海外挑戦。2010年には活躍の場をロシアの強豪CSKAモスクワに移した。 ロシア・プレミアリーグでプレーする初めての日本人となった本田は、背番号「7」を背負いチームの主力としてすぐに活躍を始めた。 2010年のチャンピオンズリーグ(CL)、ラウンド16のセビージャ戦の2ndレグでは、1ゴール1アシストを記録するなど、中心的な活躍を見せ、チームの勝利に貢献。日本人初、クラブ史上初、ロシアリーグ史上初となるCLベスト8に導く活躍を見せている。 ◆1試合2ゴールの大暴れ 1年目からロシアで活躍を続けた本田は、主力として定着。チーム内での地位を確立して迎えた2012年9月16日のロシア・プレミアリーグ第8節アラニア・ウラジカフカス戦では、エース級の大活躍を見せている。 0-0で迎えた49分、カウンターからセンターサークル付近でボールを持った本田は、そのままドリブルで相手ボックス前まで独走。一旦味方にボールを預けて、ゴール正面でリターンパスをもらうと得意の左足を一閃。鋭いシュートをゴール右に突き刺し、見事な先制ゴールを決めた。 さらに85分、再びカウンターからCSKAがチャンスを作ると、ボックス左からの味方のクロスに、ファーサイドでフリーになっていた本田が合わせ、追加点。本田の2ゴールでチームは2-0の勝利を収めている。 ◆ブラジルでの新たな挑戦 ロシアでは4シーズンで公式戦127試合に出場し28ゴール29アシストを記録した本田。その後ミランやメルボルン・ビクトリー、パチューカなどでの活躍を経て、2020年1月からはブラジルのボタフォゴへと移籍している。 道なき道を切り拓くパイオニア、本田の活躍に今後も注目だ。 2020.09.16 20:30 Wed
twitterfacebook
thumb

今日は何の日!9月12日は、イタリア最高峰のファンタジスタ、デル・ピエロがユベントスデビュー/1993年

世界中で休むことなく紡がれ続けてきたフットボールの歴史の中で今日何が起こったのか。本日9月12日の出来事を振り返ってみよう。 今回ピックアップするのは、1993年9月12日。元イタリア代表FWアレッサンドロ・デル・ピエロ氏がユベントスデビューを飾った日だ。 <div id="cws_ad">◆デル・ピエロのユベントスでのキャリアハイライト<br/><div style="margin:0 auto; max-width:100%; min-width:300px; " ><div style="position: relative; padding-bottom:56.25%; height: 0; overflow: hidden; "><iframe src="https://embed.dugout.com/v2/?p=eyJrZXkiOiJjeGdaVGFUNiIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0=" style="width: 300px; min-width: 100%; position: absolute; top:0; left: 0; height: 100%; overflow: hidden; " width="100%" frameborder="0" allowfullscreen scrolling="no"></iframe></div></div></div> ◆若き天才がユベントスでデビュー 1991年にセリエBのパドヴァでプロキャリアをスタートさせたデル・ピエロ氏は、その才能を見出され、1993年にユベントスに加入した。そして同年9月12日のセリエA第4節のフォッジャ戦で、ユベントスデビューを飾っている。 1994-95シーズンから徐々にレギュラーに定着すると、ドリブル、シュート、パスとどれをとってもトップレベルの技術を持ったリーグ屈指のファンタジスタとして評価を得るようになり、翌シーズンからは、ロベルト・バッジョ氏やミシェル・プラティニ氏などが着けてきた背番号「10」を引き継いでいる。 ◆名実ともにクラブを象徴するアイコンに その後もエースとして活躍を続けたデル・ピエロ氏は、名実ともにクラブを代表する選手に成長し、数々のタイトルをクラブにもたらした。また、ユベントスに対する愛や厚い忠誠心も持っており、2006年のカルチョ・スキャンダルによってクラブがセリエBに降格した際も、真っ先にチーム残留を表明している。 2011-12シーズンを持って退団するまで19シーズンに渡ってユベントスでプレーしたデル・ピエロ氏は、公式戦706試合に出場し、290ゴールを記録。セリエA優勝6回や1995-96シーズンのチャンピオンズリーグ(CL)優勝など、主要タイトル15個を獲得するなど、クラブの歴史に名を残すレジェンドとして今でもユベントスファンから愛されている。 2020.09.12 17:00 Sat
twitterfacebook
thumb

今日は何の日!9月10日は、アーセナルの希望の光、アルテタがアーセナルデビューを飾る/2011年

世界中で休むことなく紡がれ続けてきたフットボールの歴史の中で今日何が起こったのか。本日9月10日の出来事を振り返ってみよう。 今回ピックアップするのは、2011年9月10日。アーセナルのミケル・アルテタ監督が、選手としてアーセナルデビューを飾った日だ。 <div id="cws_ad">◆救世主アルテタのアーセナルでのハイライト<br/><div style="margin:0 auto; max-width:100%; min-width:300px; " ><div style="position: relative; padding-bottom:56.25%; height: 0; overflow: hidden; "><iframe src="https://embed.dugout.com/v2/?p=eyJrZXkiOiJWNk9QeHFleSIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0=" style="width: 300px; min-width: 100%; position: absolute; top:0; left: 0; height: 100%; overflow: hidden; " width="100%" frameborder="0" allowfullscreen scrolling="no"></iframe></div></div></div> ◆経験豊富な堅実なMFとしてアーセナルに加入 バルセロナの下部組織で育ったアルテタは、フランスやスコットランドでのプレーを経て、エバートンでブレイクを果たす。2011年夏にバルセロナに移籍したMFセスク・ファブレガス(現モナコ)と入れ替わる形でアーセナルに加入した。 そして2011年9月10日に行われた、プレミアリーグ第4節のスウォンジー戦で先発出場を果たし、アーセナルデビュー。試合は1-0でアーセナルが勝利している。 中盤での安定感抜群のプレーと相手の脅威になるフリーキックを武器に活躍を続け、クラブキャプテンを務めるなど、2016年に現役引退するまで公式戦150試合に出場し、16ゴール11アシストを記録した。 ◆監督としてポスト・ベンゲル時代の希望の光に 現役引退後は、マンチェスター・シティのジョゼップ・グアルディオラ監督の下でアシスタントコーチとして師事し、サッカー哲学を学んだ。 そして2019年12月、アーセン・ベンゲル監督の退任以来、低迷していた古巣アーセナルに監督として復帰。シーズン途中の就任ながら、チームを立て直すと、FAカップで優勝を果たしている。これによりアルテタ氏は、キャプテンと監督の両方としてFAカップを優勝したというクラブ史上初の偉業を成し遂げている。 2020-21シーズンが監督として初めてフルシーズンを戦うシーズンとなるが、今後の活躍に期待だ。 2020.09.10 17:00 Thu
twitterfacebook
thumb

今日は何の日!9月9日は、偉大な守護神ブッフォンの後継者、シュチェスニーがユベントスデビュー/2017年

世界中で休むことなく紡がれ続けてきたフットボールの歴史の中で今日何が起こったのか。本日9月9日の出来事を振り返ってみよう。 今回ピックアップするのは、2017年9月9日。ポーランド代表GKヴォイチェフ・シュチェスニーが、ユベントスデビューを飾った日だ。 <div id="cws_ad">◆シュチェスニーのユベントスでのキャリアハイライト<br/><div style="margin:0 auto; max-width:100%; min-width:300px; " ><div style="position: relative; padding-bottom:56.25%; height: 0; overflow: hidden; "><iframe src="https://embed.dugout.com/v2/?p=eyJrZXkiOiJnSUNyT2dqWSIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0=" style="width: 300px; min-width: 100%; position: absolute; top:0; left: 0; height: 100%; overflow: hidden; " width="100%" frameborder="0" allowfullscreen scrolling="no"></iframe></div></div></div> ◆若くして頭角を現したポーランドの逸材 母国の強豪レギア・ワルシャワユースで育ったシュチェスニーは、若くしてアーセナルに引き抜かれると、2010年にファーストチームに定着。好セーブを連発して、正GKの座を掴んだ。 しかし、安定感を欠くパフォーマンスが散見されるようになると、素行の問題なども重なり、アーセナルでは徐々に出場機会を減らした。しかし、2015年ローマへのレンタル移籍を機に、素晴らしい活躍を見せ始めると、GKアリソン・ベッカー(現リバプール)を抑えてレギュラーを勝ち取るなど、リーグ屈指のGKとしての評価を受けるように。そして2017年夏に、セリエAの絶対王者、ユベントスに加入した。 ◆偉大な守護神から後を任される存在に そして迎えた2017年9月9日、セリエA第3節で、長年ユベントスの絶対的守護神を務めてきたGKジャンルイジ・ブッフォンに代わって先発出場を果たし、同クラブでのデビューを飾った。 このシーズンはブッフォンとローテーションを組んで出場していたが、2018年夏にブッフォンがパリ・サンジェルマン(PSG)に退団した際には(2019年夏にユベントス復帰)、同選手が長年着用してきた背番号「1」を受け継いでいる。 イングランド時代の自分とは決別し、イタリアでワールドクラスの活躍を続けるシュチェスニーの今後の活躍に益々期待だ。 2020.09.09 17:00 Wed
twitterfacebook
thumb

今日は何の日!9月8日は、今ではチームの絶対的な守備の要となった、セルヒオ・ラモスがレアル・マドリーの一員としてお披露目/2005年

世界中で休むことなく紡がれ続けてきたフットボールの歴史の中で今日何が起こったのか。本日9月8日の出来事を振り返ってみよう。 今回ピックアップするのは、2005年9月8日。スペイン代表DFセルヒオ・ラモスがレアル・マドリーの選手としてお披露目された日だ。 <div id="cws_ad">◆マドリーの生ける伝説、セルヒオ・ラモスのキャリアハイライト<br/><div style="margin:0 auto; max-width:100%; min-width:300px; " ><div style="position: relative; padding-bottom:56.25%; height: 0; overflow: hidden; "><iframe src="https://embed.dugout.com/v2/?p=eyJrZXkiOiJOcU5tNGxJRSIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0=" style="width: 300px; min-width: 100%; position: absolute; top:0; left: 0; height: 100%; overflow: hidden; " width="100%" frameborder="0" allowfullscreen scrolling="no"></iframe></div></div></div> ◆偉大な背番号を受け継いだ若きタレント セビージャの下部組織で育ち、2004年2月にファーストチームデビューを飾ったラモスは、翌シーズン18歳ながらシーズンを通して公式戦37試合に出場するなど、ブレイク。2005年夏に当時スペイン人の10代の選手としては史上最高額となる移籍金2700万ユーロ(現レートで約34億円)でレアル・マドリーに加入した。 そして2005年9月8日、正式にマドリーの選手としてお披露目され、クラブの偉大なDFであったDFフェルナンド・イエロ氏が最後に着けていた背番号「4」を受け継いでいる。 ◆クラブを代表する存在へ 加入初シーズンから安定した出場機会を得たラモスは、主力DFとしてメキメキと頭角を現し、20代後半からはセンターバックを主戦場とした。2015-16シーズンからは、ポルトへ移籍したGKイケル・カシージャス氏の退団に伴い、クラブキャプテンに就任している。 抜群のリーダーシップを発揮し、チームを最終ラインから統率するラモスは、DFとしてのラ・リーガ史上最多ゴール数記録保持者であるとともに、ラ・リーガ、チャンピオンズリーグ(CL)、スペイン代表チームで最多退場数や警告数の記録も持っているなど、良い時も悪い時も存在感を示し続ける選手として知られている。 新シーズンでも、ラモスの益々の活躍に期待だ。 2020.09.08 17:00 Tue
twitterfacebook