15日、明治安田J3リーグ第5節の4試合が各地で行われた。
◆高知 2-2 鹿児島
秋田豊監督の高知ユナイテッドSC、相馬直樹監督率いる鹿児島ユナイテッドFC。アウェイ鹿児島は開始6分、DF杉井颯が強烈な左足ミドルを叩き込み、前半を1点リードで折り返す。
高知は48分、右CKから生まれたルーズボールを
2025.03.15 16:31 Sat
巻き返し誓う声明直後に5失点惨敗…J2最下位の大宮が再び声明「7月までに降格圏から脱出」
2023.06.02 19:20 Fri
大宮アルディージャは2日、「大宮アルディージャにかかわるすべての皆さまへ」として、今季2度目となる決意表明の声明を発表した。
かつてはJ1で10シーズンを戦った大宮。10シーズンをJ1で戦いながらも2014年にJ2降格。2015年はJ2優勝という結果を持って1年で昇格すると、翌年の2016シーズンはクラブ史上最高となるJ1で5位の成績を収めた。
しかし、主軸選手の退団などもあり2017年は最下位でJ2に降格。その後は、昇格プレーオフに絡むこともあったなか、J2での生活が続き、今季で6年目を迎えている。
近年は低迷が続き、J3降格が迫るピンチもある中、今シーズンも開幕から苦戦。昨シーズンチームを残留に導いた相馬直樹監督の下でスタートしたが、16試合を戦って4勝1分け11敗の最下位に位置。相馬監督を解任し、原崎政人ヘッドコーチを昇格させた。
原崎監督の初陣となったベガルタ仙台戦は、リードを許しながらも追いついて1-1のドロー。巻き返していきたいところだったが、続くヴァンフォーレ甲府戦ではアウェイで5-1と惨敗。簡単に失点をしてしまう他、不甲斐ない戦いぶりには試合解説の小椋祥平さんも「こんな戦いをしていたら応援してくれる人いなくなるぐらいの試合だったと思います」、「アウェイに来てくれたサポーターに失礼」と厳しい言葉を発するほどだった。
「現在リーグ最下位という状況で、大宮アルディージャを愛するすべての方々に、本当に辛く悲しく悔しい思いをさせてしまっていること対して、深くお詫び申し上げます」
「前節の甲府戦後に、多くの皆さまから様々なご意見をいただき、監督、コーチ、選手、クラブスタッフ全員で、しっかりと共有させていただきました。これからの目標をあらためて明確にし、大宮アルディージャにかかわるすべての方々とともに、同じ目標に向かって取り組んでいきます」
「現在のチームの課題は、「不用意な失点」「得点力不足」「攻守のバランスの悪さ」です」
「節目となる7月までに降格圏から脱出し残留圏に上がるために、今いる選手たちが自身の力を最大限発揮できる環境づくりに努めます」
「そして、その先では課題に対応した強化・補強を積極的に行い、プレーオフ争いに加われる一桁順位を目標とし、さらにプレーオフ圏内に向けてチャレンジしていきます」
「まずは、次節・水戸戦での勝利にクラブ全員で向かっていきますので、引き続き、スタジアムでともに戦ってください。今後とも、大宮アルディージャへの熱いご声援を賜りますよう、宜しくお願い申し上げます」
再び声明を発表した大宮。3日にはホームで水戸ホーリーホック戦が行われ、11日には藤枝MYFC戦もホームで開催。ホーム連戦で、声明通りのプレーを見せることができるだろうか。
かつてはJ1で10シーズンを戦った大宮。10シーズンをJ1で戦いながらも2014年にJ2降格。2015年はJ2優勝という結果を持って1年で昇格すると、翌年の2016シーズンはクラブ史上最高となるJ1で5位の成績を収めた。
しかし、主軸選手の退団などもあり2017年は最下位でJ2に降格。その後は、昇格プレーオフに絡むこともあったなか、J2での生活が続き、今季で6年目を迎えている。
原崎監督の初陣となったベガルタ仙台戦は、リードを許しながらも追いついて1-1のドロー。巻き返していきたいところだったが、続くヴァンフォーレ甲府戦ではアウェイで5-1と惨敗。簡単に失点をしてしまう他、不甲斐ない戦いぶりには試合解説の小椋祥平さんも「こんな戦いをしていたら応援してくれる人いなくなるぐらいの試合だったと思います」、「アウェイに来てくれたサポーターに失礼」と厳しい言葉を発するほどだった。
前回の声明直後の試合で、無気力とも言われても仕方のない惨敗劇を受け、試合後には会場で佐野秀彦代表取締役社長や原博実フットボール本部長らとサポーターが話し合いに。巻き返しを約束した中、改めて声明を発表した。
「現在リーグ最下位という状況で、大宮アルディージャを愛するすべての方々に、本当に辛く悲しく悔しい思いをさせてしまっていること対して、深くお詫び申し上げます」
「前節の甲府戦後に、多くの皆さまから様々なご意見をいただき、監督、コーチ、選手、クラブスタッフ全員で、しっかりと共有させていただきました。これからの目標をあらためて明確にし、大宮アルディージャにかかわるすべての方々とともに、同じ目標に向かって取り組んでいきます」
「現在のチームの課題は、「不用意な失点」「得点力不足」「攻守のバランスの悪さ」です」
「節目となる7月までに降格圏から脱出し残留圏に上がるために、今いる選手たちが自身の力を最大限発揮できる環境づくりに努めます」
「そして、その先では課題に対応した強化・補強を積極的に行い、プレーオフ争いに加われる一桁順位を目標とし、さらにプレーオフ圏内に向けてチャレンジしていきます」
「まずは、次節・水戸戦での勝利にクラブ全員で向かっていきますので、引き続き、スタジアムでともに戦ってください。今後とも、大宮アルディージャへの熱いご声援を賜りますよう、宜しくお願い申し上げます」
再び声明を発表した大宮。3日にはホームで水戸ホーリーホック戦が行われ、11日には藤枝MYFC戦もホームで開催。ホーム連戦で、声明通りのプレーを見せることができるだろうか。
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15日、明治安田J3リーグ第5節の4試合が各地で行われた。
◆高知 2-2 鹿児島
秋田豊監督の高知ユナイテッドSC、相馬直樹監督率いる鹿児島ユナイテッドFC。アウェイ鹿児島は開始6分、DF杉井颯が強烈な左足ミドルを叩き込み、前半を1点リードで折り返す。
高知は48分、右CKから生まれたルーズボールを
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2020年引退の内田篤人、曽ヶ端準、野沢拓也が「アントラーズ功労賞」を受賞…通算21人
鹿島アントラーズは9日、2020シーズンで現役を引退した曽ヶ端準氏、野沢拓也氏、内田篤人氏の3名にアントラーズ功労賞を授与することを発表した。授賞者は合計21人目となった。 曽ヶ端氏は、鹿島ユースから1998年にトップチーム昇格。小笠原満男氏、中田浩二氏、本山雅志氏らと同期入団となった。 2001年に正守護神となると、その後は長年鹿島のゴールを守り、J1通算533試合に出場。7度のリーグ優勝など多くのタイトル獲得に貢献。現在は、GKアシスタントコーチを務めている。 野沢氏は、1999年に鹿島ユースから昇格。高いキックの技術と天才的なゲームメイク力でチームの主軸に定着した。 その後、ヴィッセル神戸やベガルタ仙台、オーストラリアのウーロンゴン・ウルブスでプレー。キャリア最後は関西サッカーリーグ1部のFCティアモ枚方でプレーしていた。 内田氏は、清水東高校から2006年に鹿島に入団。クラブ史上初となる高卒ルーキーの開幕スタメン起用。右サイドバックとして君臨すると、その後にはシャルケへと渡りここでもファンに愛される選手となる。 その後、ウニオン・ベルリンを経て、2018年に鹿島に復帰。しかし、ケガの影響もあり、2020年で現役をしていた。日本代表通算74試合2得点。現在は日本サッカー協会(JFA)のロールモデルコーチを務めている。 アントラーズ功労賞は、クラブの発展に寄与した人物をたたえるため2008年に制定されたもの。功労賞受賞者はカシマサッカーミュージアム内にある「アントラーズ殿堂」に掲額される。 ◆過去の受賞者(五十音順) 秋田豊 新井場徹 アルシンド 内田篤人 オズワルド・オリヴェイラ 黒崎久志 ジーコ ジョルジーニョ 相馬直樹 曽ヶ端準 ダニー石尾 トニーニョ・セレーゾ 中田浩二 名良橋晃 野沢拓也 長谷川祥之 ビスマルク 本田泰人 宮本征勝 柳沢敦 2022.06.09 15:40 Thu2
内田篤人の引退で思い出した選手/六川亨の日本サッカーの歩み
記録というのは、更新されるときも、ストップされるときも、あっけないものだと痛感させられた。 23日のJ1リーグ、ここまで10連勝の川崎Fは名古屋の倍の12本のシュートを放ちながら、金崎夢生の今シーズン初ゴールの一発に沈んだ。C大阪戦の勝利で最多連勝記録を更新したことで、名古屋のモチベーションがアップしていたことは想像に難くない。鬼木監督も「名古屋は集中していました」と対戦相手を称えた。 そしてオルンガである。チーム記録より個人記録の方が更新しやすいのではないかと思ったが、前半から大分の徹底マークに苦しみ、連続得点は7試合でストップ。先週のコラムでも紹介したように、J1リーグとJSL(日本サッカーリーグ)の連続得点試合の記録は奇しくも「8」試合。この数字は、そう簡単にはクリアできない“壁"として今後も立ちはだかるのかもしれない。 そして23日の試合で最も注目を集めたのは、言うまでもなく内田篤人のラストゲームだった。新型コロナの影響がなければ、カシマスタジアムでは盛大な引退セレモニーが行われたことが予想されるだけに、残念でもある。しかし試合後のスピーチでは飾らない彼らしいメッセージを発したし、24日にはwebでメディアの質問にも答えたので、それをご覧になったファン・サポーターも多いことだろう。 彼については、すでに多くのメディアがプレーと人柄について語り、会見の様子も報道されているので、今回は簡単に触れておこう。 ラストゲームとなったG大阪戦のプレーを見る限り、まだまだ現役でやれるという印象を持った。しかし内田は24日の会見で、引退を決意したルヴァン杯の清水戦を振り返り、「危ないと思っているところに行けなかったり、自分が行かなきゃいけないところにスピードが間に合わなかったり」と、本人にしかわからない“衰え"を感じたことを明かした。 まだ32歳。内田自身も「32歳はまだ若い方」と認めながら、「膝を手術して、1〜2年の空白が効いたな。技術ではなく運動能力、蹴る、走る、止まるなどがガクンときたかな」と、ケガが思いのほか選手生命に影響を及ぼしたことも告白した。 内田はシャルケ時代の15年に右膝の膝蓋腱(しつがいけん)を傷め、出術したものの完治することなく2年間のブランクの後に17年、2部のウニオン・ベルリンへ移籍。しかし同クラブでは2試合の出場にとどまり18年に鹿島へ復帰した。 内田に限らず、これまでにも多くの選手が膝の負傷に苦しめられ、引退を余儀なくされてきた。例えば柏や清水で活躍した北嶋秀朗を晩年に取材したときは、撮影用にバックスタンドに座ってもらったものの、階段を昇ることはできても下りるときは手すりにつかまり、自宅の階段には手すりをつけていると教えてくれた。それでも試合になればケガを感じさせない鬼気迫るプレーをしていた。 まだ現役のゴン(中山雅史)は、数年前は足を引きずるようにしないと歩けなかった。見ていて痛々しかったが、懸命なリハビリのおかげか最近は普通に歩けるまで回復した。それだけ膝は選手生命を左右する、代えのきかない重要なパーツでもある。 そして内田の引退試合を見ていて思い出した選手がいた。選手というよりは、ある選手が膝を負傷した瞬間と言った方が正しいだろう。それは2000年12月の第80回天皇杯準決勝、今回と同じ鹿島対G大阪戦でのことだった。 当時は初の3冠を達成するなど全盛期を迎えていた。そんな鹿島の右SBは名良橋晃、そして左サイドは日本代表でもコンビを組み、フランスW杯に出場した相馬直樹だった。当時の鹿島はジョルジーニョやビスマルクがゲームを作っていたが、名良橋いわく「ジョルジーニョやビスマルクは右利きのため、右足でのパスが多い。そこでピッチ中央でボールを持つと左サイドの方が見やすいため、攻撃は左サイドに展開することが多かった」そうだ。 そしてG大阪戦で相馬が左サイド深く、スピードに乗ってゴールラインまで侵入して左足クロスを上げて着地した瞬間、記者席からも変な形に左膝をヒネったことが推測できた。タテへのスピードを殺すため、キックした後にジャンプして力を逃がしたまではよかったが、着地の際に全体重が左足の膝にかかってしまったようだ。そのまま倒れ込む相馬。診断は左膝外側半月板損傷の重傷だった。 1年近いリハビリを経て02年に東京Vに期限付き移籍し、03年に鹿島へ復帰後、04年に川崎Fへ完全移籍してJ1昇格に貢献したが、翌05年に引退を表明した(その後は町田や川崎Fの監督を歴任)。 内田と同じ静岡の名門・清水東高出身で、早稲田大を経て鹿島に入団し、不動の左SBとして鹿島の黄金時代に貢献した。 内田もケガに悩まされたが、シャルケではCLで29試合の出場記録を誇る。これは日本人で第1位の記録である。そのシャルケでは、公式戦通算153試合に出場し2ゴール18アシストという数字を残した。 24日のメディアとのweb会見では、様々な“名言"を残した。機会があったら是非とも読んでいただきたいが、個人的に印象に残った言葉を紹介しよう。 まずは高校時代にSBにコンバートされた経緯だ。 「(ホワイトボードの自分の)磁石がSBの上に置かれていた。点を取れないのでSBかな。誰でもできるポジションだけど、ボクには合っていた。理不尽な練習も多かった。『ザ高校サッカー』みたいな練習が僕に合っていた」 一見、優しそうな外見からクラブ育ちの印象を受けるが、根はスパルタ式の高校サッカー育ちである。そして選手としてプロになれるかどうかについては次のように持論を述べた。 「プロになれない子どもたちがほとんどで、その中でなれる選手、なれない選手は何が違うか考えたとき、半分くらいは運もあると思う。自分で努力しているなと思っているのは違う。サッカーが好きで、『続けていたらプロになった』方がボクにはしっくりくる」 努力を努力と感じない。それも一種の才能であり、天才の証と言えるのではないだろうか。 2020.08.25 15:00 Tue3
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大宮アルディージャは11日、U18フィジカルコーチ兼U18コーチの横山知伸氏が逝去したと発表した。38歳だった。 横山氏は現役時代に早稲田大学から川崎フロンターレ入りし、プロキャリアをスタートさせ、セレッソ大阪や、大宮、北海道コンサドーレ札幌、 ロアッソ熊本、FC岐阜でプレー。大宮では2014年から3シーズンにわたって所属した。 2018年12月に脳腫瘍と診断され、摘出手術を受けたが、リハビリの末に2019年9月からFC岐阜で復帰。その岐阜を最後のクラブとして2020年2月に現役を退き、札幌アカデミーのフィジカルコーチとして指導者の道を歩み出した。 昨年から大宮のフィジカルコーチに就き、同年5月からU18フィジカルコーチ兼U18コーチに。クラブによると、4日に逝去し、葬儀は家族葬にて執り行ったという。後日、「お別れの会」を予定し、日時や場所等の詳細は改めて発表される。 大宮の代表取締役社長を務める佐野秀彦氏は次のようにコメントを発表している。 「大宮アルディージャは、とても大切なかけがえのない仲間を亡くしました。突然の訃報に接し、信じられない気持ちでおり、悲しみにたえません」 「今夏、脳腫瘍の再発の診断されてから、必ずピッチに戻るという強い意志のもと、懸命に治療、リハビリに励んでまいりましたが、残念ながら帰らぬ人となり、無念でなりません」 「トップチームの選手としてともに戦った2014-2016シーズンは、強固なディフェンス力と確かな技術、そして空中戦の強さを武器に、チームを多くの勝利に導く活躍をしてくれました。2015シーズンの『J2優勝 J1昇格』、2016シーズンの「J1最高順位」は彼の活躍なくては成し得なかったことでありました。ピッチを離れても持ち前の明るいキャラクターと細やかな気遣い、類稀なるコミュニケーション力でチームを、そしてクラブを明るく照らし続けてくれました」 「2018年末に脳腫瘍を発症した際には、『必ず選手としてピッチに戻る』という強い意志を持って治療に向き合い、プロサッカー選手としてJリーグの舞台に戻ってきた姿は、我々をはじめ多くの方々に勇気と感動を届けてくれました。2019年2月9日、NACK5スタジアム大宮で大宮アルディージャサポーターがいち早く闘病中の横山選手へ送ってくれた励ましのチャント、そしてコールが彼の挑戦を後押ししてくれたと思っております」 「2023シーズン、トップチームのフィジカルコーチとして7シーズンぶりにクラブへ戻ってきてからも、自身を成長させてくれたサッカー界へ恩返しすべく、これまでの経験をもとに選手の成長、チームの成長のために全てを大宮アルディージャへ費やしてくれました」 「未来に向かい、ともに成長を続けていく仲間との早すぎる別れは、残念でなりません。クラブスタッフ一同、横山コーチの常に高みを目指し挑戦し続ける勇姿を心に刻み、意思を引き継ぎ精進してまいります」 「ご逝去を悼み、謹んでお悔やみ申しあげますとともに、心からご冥福をお祈りいたします」 2024.01.11 15:15 Thu4
“レッドブル”で再出発、J2を戦うRB大宮が新体制発表! 背番号10は京都から加入のFW豊川雄太に決定
RB大宮アルディージャは5日、2025シーズンのトップチーム体制を発表した。 2024年10月からRB大宮株式会社となり、レッドブル・グループの一員となったRB大宮。クラブ名も変更となり、2025シーズンからはRB大宮アルディージャに名称が変更となる。 2024シーズンは明治安田J3リーグを戦ったRB大宮は、見事にJ3優勝&J2昇格を果たすことに。2025シーズンは長澤徹監督が続投し、ヘッドコーチは喜名哲裕氏が引き続き務めることとなる。 新チームとして臨む中、主力が軒並み残留。また、今オフには昨シーズンのJ3優勝に貢献していたFW杉本健勇をジュビロ磐田から、MF泉柊椰をヴィッセル神戸から完全移籍に切り替えると、カターレ富山のDF安光将作、京都サンガF.C.のFW豊川雄太、MF谷内田哲平、横浜FCのFWカプリーニ、DFガブリエウを完全移籍で獲得。ヴィッセル神戸のGK坪井湧也が期限付き移籍で加入した。 その他、東洋大学のMF中山昂大、筑波大学のDF福井啓太が新たに加入。下部組織からはFW磯﨑麻玖が昇格する。 新加入選手の背番号は、豊川が「10」を背負うことに。その他、谷内田が「41」、安光が「16」、カプリーニが「29」、ガブリエウが「55」、坪井が「45」に決定。中山は「15」、福井は「44」、磯﨑が「49」に決まった。 <h3>◆2025シーズンメンバー</h3> 1.GK笠原昂史 4.DF市原吏音 5.DF浦上仁騎 6.MF石川俊輝 7.MF小島幹敏 9.FWファビアン・ゴンザレス 10.FW豊川雄太←京都サンガF.C./完全移籍 14.MF泉柊椰←ヴィッセル神戸/期限付き移籍→完全移籍 15.MF中山昂大←東洋大学/新加入 16.DF安光将作←カターレ富山/完全移籍 17.MF中野克哉 20.DF下口稚葉 21.GK加藤有輝 22.DF茂木力也 23.FW杉本健勇←ジュビロ磐田/期限付き移籍→完全移籍 26.DF濱田水輝 28.FW富山貴光 29.FWカプリーニ←横浜FC/完全移籍 30.MFアルトゥール・シルバ 31.MF阿部来誠 33.MF和田拓也 34.DF村上陽介 37.DF関口凱心 40.GK志村滉 41.MF谷内田哲平←京都サンガF.C./完全移籍 42.FW藤井一志 44.DF福井啓太←筑波大学/新加入 45.GK坪井湧也←ヴィッセル神戸/期限付き移籍 48.FW磯﨑麻玖←大宮アルディージャU-18/昇格 55.DFガブリエウ←横浜FC/完全移籍 90.FWオリオラ・サンデー 2025.01.05 18:50 Sun5
