スペイン戦振り返りとラウンド16展望/六川亨の日本サッカー見聞録

2022.12.03 17:00 Sat
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グループリーグが終わってみれば、“波乱の主役”は日本だったと言っても過言ではないだろう。フランスがチュニジアに、ブラジルがカメルーンに負けたのも意外だったが、すでにグループリーグ突破を決めており、両チームともスタメンを9人も入れ替えたのだから「必然」とも言える。

同じ過ちは日本もコスタリカ戦で犯したが、同じミスを結果的にスペインも犯した。左SBジョルディ・アルバに代えて19歳のアレハンドロ・バルデを初スタメンに起用した。若返りに積極的なルイス・エンリケ監督だけに、バルセロナでの実績からバルデを起用したのも頷ける。

しかし後半3分、トラップが大きくなったところを伊東純也に突かれ、こぼれ球を拾った堂安律に同点弾を叩き込まれる。さらに3分後、堂安のタテへの突破から逆転ゴールを許すことになった。
以前の堂安は、カットインしてからも相手を完全に抜き去ろうとボールを持ちすぎる傾向が強かった。久保建英と違い、タテに突破する回数が少ないことでカットインを読まれることも多かった。

しかし今シーズンの彼は、タテへ持ち出して右足でクロスを上げることも増え、シュートのタイミングも以前より早くなった。コースさえあれば、相手を抜き去る前に打つなど、すでにフライブルクでも欠かせない戦力になっている。

W杯でのゴールは、その後のサッカー人生を変える。それは稲本潤一鈴木隆行本田圭佑らが証明しているだろう。まだ大会は途中だが、年明けの移籍マーケットで堂安やブンデスリーガ2部の田中碧、さらには快足ドリブラーの三笘薫にどのようなオファーが届くのか楽しみでもある。

ドイツに続きスペインも撃破したことで、日本はグループEを首位で通過した。前半30分過ぎからの日本は、最終ラインを高く保ち、ガビアルバロ・モラタらが下がってボールを受けようとしても、谷口彰悟吉田麻也らがマンマークで食らいついてティキ・タカを封じようとした。

前半終了間際には2人ともイエローカードを受けたが、これくらいしないとティキ・タカは止められない。ドイツが試合の流れを引き寄せるため、スペイン戦の後半開始直後に見せたプレーでもあった。

日本がグループリーグを首位で突破したのは02年日韓大会以来2度目の快挙である。当時の日本は、第3戦のチュニジア戦を大阪で戦った。グループリーグを「2位通過」と想定し、ラウンド16ではグループC1位のブラジルとの対戦が濃厚だが、それもやむを得ないとして決戦の会場を神戸にした。大阪から神戸なら移動のストレスがないからだ。

ところが日本はグループHを首位で通過したため、ラウンド16は仙台でトルコと対戦することになった。FW柳沢敦を体調不良で起用できなかったことも痛かったが、フィリップ・トルシエ監督はノルマのグループリーグ突破を果たしたことでトルコ戦は「ボーナス」と言い、西澤明訓とアレックス(後の三都主アレサンドロ)を初スタメンに起用。しかし“奇策”は実らず0-1で敗退した。

幸いカタールW杯はほとんどがドーハ市内か近郊の都市で開催されているため、移動のストレスはない。そして当コラムでも指摘していたが、ドイツ戦とスペイン戦の行われたハリファ国際スタジアム(厳密にはドーハ郊外のアル・ラーヤンにある)は11年のアジアカップ決勝で、延長戦の末にオーストラリアを倒した縁起のいいスタジアムでもある。

当時のハリファ国際スタジアムは開催国のカタールがグループリーグで使用したため、日本は決勝までプレーすることはなかった。今大会ではラウンド16の1試合と3位決定戦しか使用されないため、日本がここでプレーするにはクロアチアとブラジル対韓国の勝者を撃破しなければならない。

そんなスタジアムの“験担ぎ”に頼らず、まずは実力でクロアチアを倒して欲しいところ。会場は初めてプレーするアル・ジャヌーブだが、条件はクロアチアも同じ。ノックアウトステージは延長、PK戦もあるだけに総力戦の戦いになることは間違いない。

唯一の気がかりは、前回のロシアW杯でクロアチアは決勝以外の3試合で3度の延長戦を経験していることだ(うち2試合はPK戦の勝利)。できれば日本は90分間で決着をつけたい。
【文・六川亨】
1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた

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日本代表メンバー発表で問われる古橋の覚悟/六川亨の日本サッカー見聞録

6月15日のエルサルバドル戦(豊田スタジアム)と、20日のペルー戦(パナソニックスタジアム吹田)のキリンチャレンジカップ2023に臨む日本代表26名が5月25日に発表された。3月の2試合で招集されたメンバーから注目される変更点は、今シーズンはG大阪に移籍したものの現在は最下位に苦しんでいるチームの守護神・谷晃生が外れ、代わりに中村航輔(ポルティモネンセ)が21年6月以来の復帰を果たしたこと。そして3月の代表発表でも注目されながら招集が見送られた古橋亨梧(セルティック)が帰還を果たしたことだろう。 これまでヨーロッパのリーグ戦で日本代表選手のプレーを視察し、コミュニケーションを取りながらも、スコットランドのグラスゴーには足を運ばなかった森保一監督だった。しかし、スコットランド・リーグで25得点と得点王をほぼ確実にし、今シーズンのセルティックのMVPまで獲得したストライカーを無視することはできなかったようだ。これはこれで、正しい判断だと思う。今が呼び時だからだ。 劣勢の予想される昨年末のカタールW杯では、古橋のような味方のアシストが必要なストライカーは“使いどころ”が難しい。98年フランスW杯で岡田武史監督がカズ(三浦知良)を最後の最後でメンバーから外した理由と同じだ。どこで使うかイメージできなかったのだろう。格上のドイツやスペイン相手に対し、前線から労を惜しまずプレスを掛けて味方を助ける浅野拓磨や前田大然のようなFWの方が効果的である。俊足だけに、カウンターからのゴールも期待できる。 しかしセルティックで堂々の結果を残したのだから、今回のようなフレンドリーマッチではテストしてみる価値は十分にある。古橋自身が自らの手で代表復帰を果たしただけに、あとは久しぶりの代表で結果を残すだけだ。森保監督も「継続してチームの勝利に貢献する活躍と結果を残している。ゴールを狙える、そしてゴールチャンスを作るという場面に多く絡んでもらいたい」と、古橋に期待することはシンプルだ。 森保ジャパンがスタートした前回19年1月のアジアカップで、日本の攻撃陣の主力はオールラウンダーのCF大迫勇也、トップ下のテクニシャン南野拓実、そしてボランチからゲームメイクする柴崎岳の3人だった。しかし4年が経ち、日本の攻撃陣はサイドアタッカーの人材が豊富だ。右なら伊東純也、堂安律、久保建英に浅野拓磨。左は三笘薫、相馬勇紀に加え前田大然もいる。これだけサイドアタッカーがいれば、古橋に効果的なラストパスを供給できるに違いない。 古橋が初戦のエルサルバドル戦で起用されるかどうかは、チームに合流してコンディションや練習メニューの消化具合を見てからになるだろう。そのエルサルバドルは82年スペインW杯以来、W杯本大会とは遠ざかっている北中米カリブ海のセカンドグループのチーム。日本との“実績の差”を考えれば、実力差のあるセルティックと他チームとの対戦であるスコットランド・リーグと似たようなシチュエーションになる可能性が高い。 日本は劣勢を強いられることはないと想定するならば(もちろん前線からの守備は必要だが)、ここは実績のある浅野や前田ではなく古橋か、セルクル・ブルージュではゴールを重ねながらいまだ代表ではノーゴールの上田綺世を起用してほしい。もちろん2人には、起用されたら結果を残さないと次の招集はないという覚悟で試合に臨まなければならないことは言うまでもない。それだけ期待している選手でもある。 <hr>【文・六川亨】<br/><div id="cws_ad">1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2023.05.25 21:30 Thu
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Jリーグ30周年で川淵さんが残したかったこと/六川亨の日本サッカー見聞録

5月15日はJリーグ30周年を記念して様々なイベントが開催されたが、同じ日にYouTubeで村井満元チェアマンと川淵三郎さんの対談の4回目がオンエアされた。「Jリーグの井戸を掘った人たち」というタイトルの対談では、これまで浦和の元広報の佐藤さんや、ヤマザキビスケット社の飯島社長、鹿島の元スカウト部長の平野さんら7人が登場した。そして連載企画のラストを飾ったのがJリーグ初代チェアマンの川淵さんだった。 対談は、当初はvol1とvol2で終了する予定だったが、川淵さんから「延長戦」の申し入れがあり、vol3とvol4まで製作することになった。その大きな理由は、川淵さんが「Jリーグの危機」を後世に残したいという思いが強かったからだ。 「Jリーグの危機」と聞くと、多くのファンは98年に横浜フリューゲルスが横浜マリノスに吸収合併された出来事を思い浮かべるだろう。しかしvol4最後の登場となったのは、その4年前に消滅の危機に陥った清水エスパルスだった。清水は特定の親会社(母体チーム)を持たない、地元企業117社と約1600人の一般市民の持ち株会による、文字通り「市民のクラブ」としてスタートした。 選手も長谷川健太、堀池巧、大榎克己の清水東三羽がらすをはじめ、澤登正朗、アデミール・サントスの東海大一(現静岡翔洋高)勢、青嶋文明、真田雅則の清水商(現清水桜ヶ丘高)勢、そして三浦泰年と向島健の静岡学園勢と地元出身者が多く、まさにJリーグが理想としたクラブでもあった。 ところが日本のバブルが弾けた94年、清水の運営会社の社長で、筆頭株主のテレビ静岡の社長でもあった戸塚氏が本社ビルを超高層のタワービルにしたものの、バルブ崩壊によりテナントが入らず売却を余儀なくされる。テレビ静岡の撤退と、当時は剰余金があってもプールすることはせず、「税金で取られるくらいなら」と選手の年俸に上乗せしたため、手持ちの資金はほとんどなかったそうだ。 一時はエスパルスの生みの親であり、清水サッカー育ての親でもある堀田哲爾さん(故人)が大手町のパレスホテルまで来て、川淵さんと何度も善後策を協議した。一時は沼津にある老舗のハム・ソーセージ会社がサッカーに理解があるため、スポンサーになるという話もあったそうだ。しかし「沼津の会社が清水援助するのは難しい」ということで、スポンサー話は立ち消えになった。 そこに現れたのが、「2年間だけなら」という条件付きで援助を申し出た、地元清水の物流会社大手の鈴与だった。鈴与は当初の2年間だけでなく、その後も支援を続け、98年には営業権を譲り受けて今日まで清水を支援している。川淵さんいわく、奥さんがサッカーにハマったため、今日まで支援してくれているのではないか、とのことだ。 こうした経緯があっても、川淵さんはそれを公表することはできなかった。地域密着型の「市民クラブ」として理想を掲げてスタートしただけに、消滅させてしまうと「それ見たことか」と言われかねないからだ。さらにバブル崩壊で手を引く企業が出てくるとも限らない。だからこそ、98年にバブル崩壊でクラブ経営からの撤退を余儀なくされたゼネコン大手の佐藤工業と、累積赤字で経営の見直しを迫られる全日空の窮状からクラブの存続が危ぶまれたフリューゲルスが、マリノスとの吸収合併で消滅の事態を避けられたことにホッとしたという。会見では「清水のようにはなりませんでした」と喉まで出かかったそうだ。 98年にJリーグに昇格したものの、その前年に北海道拓殖銀行が経営破綻したことで支援企業も連鎖倒産したコンサドーレ札幌も消滅の危機にあった。しかし元々スポンサーで「白い恋人」で有名な石屋製菓が支援に乗り出し、練習場やクラブハウスを建設した。川淵さんは石屋製菓と、経営破綻の危機にあった神戸を救った楽天の三木谷社長は「ホワイトナイツ(白馬の騎士)」と呼んでいまも感謝しているという。 こうしたエピソードを残しておきたいと、村井元チェアマンとの対談はvol3とvol4の連載となった。いま紹介したクラブだけでなく、平塚(現湘南)や甲府、仙台、福岡、鳥栖らの「消滅の危機」も明かされている。興味のある方は、「Jリーグの井戸を掘った人たち」でググればすぐにわかると思います。 <hr>【文・六川亨】<br/><div id="cws_ad">1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> <span class="paragraph-title">【動画】川淵三郎×村井満、これまでのJクラブの経営危機と存続について語る</span> <span data-other-div="movie"></span> <script>var video_id ="Nk9imaA3_VE";var video_start = 0;</script><div style="text-align:center;"><div id="player"></div></div><script src="https://web.ultra-soccer.jp/js/youtube_autoplay.js"></script> 2023.05.18 22:00 Thu
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Jリーグ30周年スペシャルマッチの不思議/六川亨の日本サッカー見聞録

いよいよ今週末は「Jリーグ30周年記念スペシャルマッチ」がスタートする。まず12日はFC東京対川崎Fの“多摩川クラシコ"が国立競技場で開催される。そして14日は同じく国立競技場で鹿島対名古屋の試合が開催される。鹿島対名古屋の試合は、Jリーグの開幕戦となった30年前の5月16日、鹿島スタジアムで行われた伝統の一戦でもある。ジーコ対G・リネカーの対戦でも注目を集めた試合だったが、ジーコやアルシンドの活躍などで鹿島が5-0と圧勝した。 好天に恵まれ、試合前はスタジアム周辺の芝生でバーベキューを楽しむサッカーファンもいた。待ちに待った開幕戦である。にもかかわらず、当日の観衆は10,898人にとどまり、過疎化による人口減少から集客力に不安があるという指摘を裏付けることとなってしまった。しかし、その後はレオナルドやジョルジーニョらの活躍もあり集客力もアップ。国内最多タイトルを誇る名門となった。 この試合に比べ、12日に国立競技場で開催される金Jフライデーナイト、FC東京対川崎Fの“多摩川クラシコ"は、「Jリーグ30周年記念スペシャルマッチ」と呼ぶにはいささか違和感を覚える。というのもFC東京と川崎Fが揃ってJ2リーグに昇格したのは1999年だからだ。しかし、そこには「背に腹はかえられない」理由があるようだ。 本来「Jリーグ30周年記念スペシャルマッチ」と銘打つなら、30年前の5月15日の国立競技場での開幕カードがふさわしいだろう。ところが東京V(当時はヴェルディ川崎)は現在J2のため、横浜FMと試合をするわけにはいかない。同じくジェフ千葉(当時はジェフユナイテッド市原)もJ2のため、広島との対戦は不可能だ。そして清水と対戦した横浜フリューゲルスは横浜マリノスに吸収合併されているため、チームそのものが存在しない。 唯一可能なのは、当時はG大阪のホームで開催された浦和戦である。この試合では、ハーフタイムにレーザー光線によるイベントを開催したが、そのため一時的に照明を消した。すると当時のスタジアムの照明は、一度落とすと再点灯するためには電球の熱を冷まさないといけないので、後半開始が10分以上遅れるというハプニングがあった。普段でも万博記念競技場の照明は暗く、当時はフィルムカメラで撮影していたので、カラーで誌面を構成するのに苦労した思い出がある。 話を浦和対G大阪戦に戻すと、5月14日の16時から埼玉スタジアムで開催される。この試合も「Jリーグ30周年記念スペシャルマッチ」と呼ぶにふさわしいが、浦和はACL決勝の関係から10日に鳥栖と第10節の試合を消化したばかり。さすがに中1日で金Jフライデーナイトを戦うわけにはいかず、12日は“多摩川クラシコ"になったようだ。東京VがJ1に復帰していればJリーグ事務局も頭を悩ませる必要はなかったが、こればかりは仕方がない。東京は東京でもFCが、横浜FMと対戦するよりも“多摩川クラシコ"の方が話題性も高いと判断したというのがマッチメイクの真相ではないだろうか。 <hr>【文・六川亨】<br/><div id="cws_ad">1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2023.05.12 11:40 Fri
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町田対秋田戦の2次元視野の限界/六川亨の日本サッカー見聞録

ヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)の森下源基元社長(82歳)が4月30日に肺炎のため死去したことが昨日報じられた。読売クラブ時代に副社長を、1994年から98年まではヴェルディ川崎の社長を務め、Jリーグ誕生前にはブラジルのサントスから三浦知良と三浦泰年の兄弟を獲得し、クラブの黄金時代を築いた。 Jリーグの川淵三郎相談役も「プロ化が決まると、三浦知良選手らスター選手を獲得するなど尽力された。国立競技場での開幕戦についても様々な難題があったが、いつも真摯に対応していただいた。華やかなヴェルディの存在がJリーグの注目度を上げ、サッカー人気に火をつけたと言っていい。強くて魅力あるクラブを育てていただいたことに改めて感謝申し上げたい。謹んで哀悼の意を表します」と故人を偲んだ。 森下さんとは、まだカズがブラジルでプレーしている頃、お父さんの納屋さんがブラジルから帰国した際に、ダイジェストの社長と4人でお茶や食事を何回か共にした。納屋さんが帰国するときはいつもお土産を持参したためで、大手町のホテルで会うことが多かった。大新聞社の出身ながら、腰が低く、「物静かな紳士」という印象が強かった。Jリーグは今年で30周年を迎えるため、開幕当時の森下さんは52歳という現役バリバリだったわけだ。そんな森下さんにとって、東京VがJ1リーグに復帰することが一番の手向けになるのではないだろうか。謹んでご冥福をお祈りいたします。 さて、3日のJリーグは久しぶりに判定が話題にのぼることはなかった。J1では横浜FCが初勝利を、柏が2勝目をあげ、残留争いも混沌としてきたようだ。J2も最下位の徳島から16位の千葉までは4勝点差に縮まった。J3もYSCC横浜が2連勝で最下位を脱出するなど、試合結果を予想するのはかなり困難な状況になっている。 そして4月末には今年2回目となるレフェリーブリーフィングがオンラインで開催された。話題になったのは町田対秋田戦のロングシュートである。実際にはゴール内に落下したものの、主審も副審もゴールとは認めなかった。このシーンについて東城穣デベロプメントマネジャーは「副審はゴールライン上で見たいが、(シュートを追って)スプリントすると動体視力が衰える」と説明。その上で「間に合わない時はGKやDFがどれだけゴール内に入っているか。ボールがワンバウンドした位置」などから判断すべきだったとし、「誤審」という表現は避けた。 J2のためVARはないが、この試合を記者席で取材していたフリーランスの後藤健生さんと森雅史さんは、一目でゴールだと確信したという。意表を突いたロングシュートだったため、主審も副審も、第4の審判員からも町田ゴールは遠く、さらに2次元(平面)での視野のためゴールと判定できなかったのだろう。それならいっそ、第5の審判員(もしくはマッチコミッショナーでもいい)が、スタンドから両チームのゴール前でのプレーと、手元にパソコンを置いてDAZNのリプレーを確認しながら協力してジャッジしてはいかがだろうか。そうすれば、少なくともゴールに関する「誤審」は減るような気がする。 さらに、このシーンで町田GKポープ・ウィリアムがゴールだと主審に進言したらどうなるかという質問に対し「選手が自己申告しても、レフェリー4人が確認できなければ(ゴールとは)認められない」というのがJFAの見解だそうだ。ドイツやイタリアなど海外では、過去に選手の申告で判定が覆った例がある。しかし日本では、一度、主審が下した判定を覆すことはないというのが大原則となっている。 とはいえ、第9節の川崎F対浦和戦では、後半25分にFW興梠慎三がペナルティーエリア内で後ろから足を蹴られて転倒したものの、VARで確認した結果、ノーファウルという判定になった。第10節のFC東京対新潟戦では、後半アディショナルタイムに入ったところで右SB中村帆高がボールをトラップした瞬間に自らうずくまった。そこでボールを奪った小見洋太がショートカウンターを仕掛けようとしたところ、主審は小見の反則として笛を吹いた。中村は右アキレス腱を断裂したが、いわゆる“自爆"であり(アキレス腱の断裂にはよくある)、中村の負傷に小見は関与していない。この2つのプレーについては、次回のレフェリーブリーフィングで報告があればお届けしよう。 <hr>【文・六川亨】<br/><div id="cws_ad">1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2023.05.05 13:00 Fri
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シーズン移行の疑問点/六川亨の日本サッカー見聞録

Jリーグは4月25日の理事会後の会見で、現在の春秋制から秋春制へのシーズン移行を検討していることを報告した。シーズンを移行するかどうかの結論は今年中に出し、Jリーグ理事会の多数決で決定するという。 正直なところ、シーズン移行を蒸し返すのは拙速に過ぎるし、「結論ありき」の議論という印象が拭えなかった。 元々は、今年2月に田嶋幸三JFA(日本サッカー協会)会長からシーズン移行の提案があったそうだ。加えてAFC(アジアサッカー連盟)は、これまで春秋制だったACL(アジア・チャンピオンズリーグ)を2023-24大会(今年)から8月開幕の、翌年5月決勝という秋春制にシーズンを移行する。 さらにACLは2024-25大会から新構造にして、新たにクラブ大陸王者大会(仮称)を毎年開催。そして2025年からはクラブW杯が32チーム参加に拡大され、4年に1回の大会にリニューアルされる。 クラブW杯はさておき、AFCとしてはACLの充実と、新たにELのような大会を新設してヨーロッパを模倣しようという意図なのだろう。しかし現実的に、ACLは決勝戦はともかくとして、日本でグループリーグの試合は閑古鳥が鳴いている。出場や勝利ボーナスもCLとは比べようもない。 シーズンを移行しないとACLは選手が入れ替わる可能性が高いとも説明したが、これまで中東は秋春制のリーグだったため、現行のACLではシーズンをまたいでの参戦だった。カタールW杯や来年のアジアカップを例に出すまでもなく、現在アジアの盟主は中東勢と言っても過言ではない。そんな彼らがACLを自分たちの都合のいいようにシーズンを変更しただけにすぎない。 そんなACLに日本から出場できるのは、たったの4チームだけである。来年からJリーグはJ1からJ3まで各20クラブ、計60クラブのリーグにリニューアルされるが、J1のたった4チームのために、残りの56チームが多大な犠牲を強いられるのは不公平以外のなにものでもない。しかもACLに出場する4チームは、グループリーグを本気で戦うかどうかは監督次第というのが現状である。ACLよりも国内リーグを重視しているのは過去の例からも明らかだ。 Jリーグは会見で、シーズンを移行しても1月はウインターブレイク(これまではオフ)で変わらず、2月1週の再開が2月2週の開幕、12月3~4週の中断が12月2週の閉幕と、ほとんどシーズンが変らないことを強調。6~7月のシーズンオフは体力を温存できることと、W杯に充てられる利点を説明した。しかしこれまでもW杯期間中のJ1リーグは中断されていた。それに不都合を感じた声を聞いたことはない。 今後は5月をメドに「シーズン移行によるメリットの明確化」と「シーズン移行の懸念点とその解決方策の明確化」を確認。7月までに「必要な情報の収集・整理」を行い、9月までに「整理した情報を元にした、方向性の議論」をして、23年内に「決議」する予定でいる。 この会見を聞いていて不思議に思ったのは、シーズン移行による一番の問題点、「降雪地域のスタジアムと練習会場をどう確保するのか」が抜け落ちていたことだった。スタジアムや練習会場をドーム型にするには、地元行政と住民の理解が必要だろうし、完成までに時間がかかる。集客や交通機関の確保という問題もある。さらにシーズンを移行すれば、親会社の決算時期や、2種選手(高校生)をトップ登録するために練習参加させる機会をどう捻出するのかなど、これまでシーズン移行を検討する際にネックとなった問題点についての言及が一切なかったことも大いに気になった。 元コンサドーレ札幌の野々村芳和チェアマンは「実行委員なら私見を述べられるが、まっさらに、フラットに意見を聞いていきたい」と明言を避けた。今シーズンのJ1で積雪地帯のクラブは札幌と新潟の2チームだけだ。しかしJ2には山形、秋田、金沢、群馬、いわきの5チーム、J3には盛岡、松本、富山、長野、八戸、福島の6チームがある。これらのクラブがドーム型のスタジアムや練習場を持てる余裕があるとは到底思えない。 にもかかわらず、今年中に「決議」するということは、始めからシーズン移行は「不可能」という結論があっての議論ではないだろうか。不毛な議論ではあるが、Jリーグとしては手順を踏む必要があるのだろうと勘ぐった次第である。 <hr>【文・六川亨】<br/><div id="cws_ad">1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2023.04.27 18:00 Thu
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