ローマもポルトガル代表MFルベン・ネヴェス獲得へ? モウリーニョ監督にとって理想のターゲットか
2022.06.05 13:20 Sun
ウォルバーハンプトンのポルトガル代表MFルベン・ネヴェス(25)は今夏、プレミアリーグの上位陣への移籍などが噂されてきたが、ローマも獲得に乗り出しているようだ。イタリア『カルチョ・メルカート』が報じている。
2017年7月にポルトからウォルバーハンプトンへと加入したネヴェス。中盤の底からゲームを組み立てるプレーメーカーで、エリア外からの強烈なミドルシュートも武器のひとつだ。これまでウォルバーハンプトンでは公式戦通算212試合24得点12アシストを記録しており、同胞のポルトガル人が多いチームにあっても、常に不可欠な存在として君臨してきた。
近年のウォルバーハンプトンでの活躍により、アーセナルやマンチェスター・ユナイテッドといったクラブからの継続的な関心が寄せられてきたネヴェス。本人の移籍希望も重なり、今夏はさらなるステップアップのタイミングかと思われているが、ジョゼ・モウリーニョ監督率いるローマも獲得レースに参戦した模様だ。
『カルチョ・メルカート』によると、モウリーニョ監督が考える補強の最重要ポイントがセントラルハーフであるとのこと。現有戦力のフランス代表MFジョルダン・ヴェレトゥ(29)や、ギニア代表MFアマドゥ・ディアワラ(24)、ポルトガル代表MFセルジオ・オリヴェイラ(30)などがチームを離れる見込みが強まっているとのことで、彼らに取って代わる選手を少なくとも1枚加えることが確実だという。
候補としては、パリ・サンジェルマン(PSG)に所属するアルゼンチン代表MFレアンドロ・パレデス(27)、アストン・ビラのブラジル代表MFドウグラス・ルイス(24)、ウディネーゼの元U-21フランス代表MFジャン=ビクトル・マケンゴ(23)、そして、モウリーニョ監督にとって最も説得力のあるビッグネームとしてネベスがリストアップされているようだ。
2017年7月にポルトからウォルバーハンプトンへと加入したネヴェス。中盤の底からゲームを組み立てるプレーメーカーで、エリア外からの強烈なミドルシュートも武器のひとつだ。これまでウォルバーハンプトンでは公式戦通算212試合24得点12アシストを記録しており、同胞のポルトガル人が多いチームにあっても、常に不可欠な存在として君臨してきた。
近年のウォルバーハンプトンでの活躍により、アーセナルやマンチェスター・ユナイテッドといったクラブからの継続的な関心が寄せられてきたネヴェス。本人の移籍希望も重なり、今夏はさらなるステップアップのタイミングかと思われているが、ジョゼ・モウリーニョ監督率いるローマも獲得レースに参戦した模様だ。
候補としては、パリ・サンジェルマン(PSG)に所属するアルゼンチン代表MFレアンドロ・パレデス(27)、アストン・ビラのブラジル代表MFドウグラス・ルイス(24)、ウディネーゼの元U-21フランス代表MFジャン=ビクトル・マケンゴ(23)、そして、モウリーニョ監督にとって最も説得力のあるビッグネームとしてネベスがリストアップされているようだ。
ウォルバーハンプトンはネヴェスが流出した場合に備え、すでにスポルティング・リスボンからポルトガル代表MFジョアン・パリーニャ(26)を確保していると伝えられており、ネヴェスのステップアップへ向けて、各方面で準備は整ったものと考えられている。
ルベン・ネヴェスの関連記事
ローマの関連記事
セリエAの関連記事
記事をさがす
|
ルベン・ネヴェスの人気記事ランキング
1
アル・ヒラル電撃移籍のネヴェスが決断の背景明かす…「僕にとって最高のトロフィーは…」
サウジアラビアのアル・ヒラルに電撃移籍したポルトガル代表MFルベン・ネヴェス(26)が、今回の移籍の経緯を語った。イギリス『SPORT BIBLE』が伝えている。 2017年夏にポルトから加入して以降、ウォルバーハンプトンで通算253試合に出場するなど、ウルブスの象徴として君臨してきたネヴェス。 移籍費市場が開くたびにステップアップの可能性が取り沙汰された26歳MFに関しては、今夏の移籍市場でもバルセロナやリバプール、マンチェスター・ユナイテッド、アトレティコ・マドリーらビッグクラブ行きの可能性が報じられていた。 しかし、ポルトから当時チャンピオンシップ(イングランド2部)のウルブスに加入したことで、フットボール界を騒がせたネヴェスは、4700万ポンド(約85億円)というウルブス史上最高額でのサウジアラビア移籍という再びのサプライズを起こした。 ネームバリューではFWカリム・ベンゼマやMFエンゴロ・カンテらに及ばぬものの、欧州のビッグクラブでの成功の可能性を蹴って、中東行きを選択したネヴェスの移籍は、ある意味で最もインパクトを残した。 その渦中のアル・ヒラルMFは、直近のインタビューで移籍の経緯を説明。愛する家族に何の不自由もない生活を送らせるため、破格のサラリーを考慮しての決断だったことを素直に認めている。 「今回のオファーを受け入れることに迷いがなかった最大の理由は、自分がいつも夢見ていたような生活を家族に与えることだった」 「僕には3人の子供と妻がいる。彼らの世話をすることが、僕にとって最高のトロフィーだ」 さらに、移籍決断の一端には金銭面の大きな魅力だけでなく、アル・ヒラルをアジア最高のクラブにするという、プロジェクトの魅力もあったと付け加えている。 「アル・ヒラルをアジア最高のクラブにするというプロジェクトがある。自分の移籍に関するニュースが流れ始めてから、僕のソーシャルメディアは大騒ぎになったよ。アル・ヒラルのファンの多さと、彼らがフットボールに対してどれだけ情熱を持っているかを見るのは信じられないほどだった。だから、それは僕と家族にとって良い決断だったと確信しているよ」 2023.07.17 21:00 Mon2
ポルトガル代表が発表!ジオゴ・ジョタらが復帰、デンマーク代表と準々決勝に臨む【UNL】
ポルトガルサッカー連盟(FPF)は14日、UEFAネーションズリーグ2024-25に臨むポルトガル代表メンバー26名を発表した。 ポルトガルはUEFAネーションズリーグ(UNL)2024-25のリーグA・グループ1を首位で終え、準々決勝に進出。デンマーク代表と20日にアウェイで、23日にホームで対戦する。 ロベルト・マルティネス監督は、FWゴンサロ・ラモス(パリ・サンジェルマン)やFWジオゴ・ジョタ(リバプール)、MFルベン・ネヴェス(アル・ヒラル)、DFゴンサロ・イナシオ(スポルティングCP)を復帰させた。 その他、FWクリスティアーノ・ロナウド(アル・ナスル)やMFジョアン・フェリックス(ミラン)、DFルベン・ディアス(マンチェスター・シティ)、MFブルーノ・フェルナンデス(マンチェスター・ユナイテッド)など主力が順当に選出された。今回のポルトガル代表メンバーは以下の通り。 <h3>◆ポルトガル代表メンバー26名</h3> GK ジオゴ・コスタ(ポルト) ルイ・シウバ(スポルティングCP) ジョゼ・サ(ウォルバーハンプトン/イングランド) DF アントニオ・シウバ(ベンフィカ) ゴンサロ・イナシオ(スポルティングCP) ヌーノ・メンデス(パリ・サンジェルマン/フランス) ヌーノ・タヴァレス(ラツィオ/イタリア) レナト・ヴェイガ(ユベントス/イタリア) ネウソン・セメド(ウォルバーハンプトン/イングランド) ジオゴ・ダロト(マンチェスター・ユナイテッド/イングランド) ルベン・ディアス(マンチェスター・シティ/イングランド) MF ルベン・ネヴェス(アル・ヒラル/サウジアラビア) ヴィティーニャ(パリ・サンジェルマン/フランス) ジョアン・ネヴェス(パリ・サンジェルマン/フランス) ジョアン・パリーニャ(バイエルン/ドイツ) ジョアン・フェリックス(ミラン/イタリア) ブルーノ・フェルナンデス(マンチェスター・ユナイテッド/イングランド) ベルナルド・シウバ(マンチェスター・シティ/イングランド) FW クリスティアーノ・ロナウド(アル・ナスル/サウジアラビア) ジオゴ・ジョタ(リバプール/イングランド) ペドロ・ネト(チェルシー/イングランド) ラファエル・レオン(ミラン/イタリア) フランシスコ・コンセイソン(ユベントス/イタリア) ゴンサロ・ラモス(パリ・サンジェルマン/フランス) フランシスコ・トリンコン(スポルティングCP) ジオヴァニ・ケンダ(スポルティングCP) 2025.03.14 22:10 Fri3
ルベン・ネヴェス、夢のバルセロナ行きは叶う? チャビ監督は違う選手を求めるも、資金調達次第で実現か
バルセロナでのプレーを夢見るウォルバーハンプトンのポルトガル代表MFルベン・ネヴェス(26)だが、ハードルはいくつか残されているようだ。 ポルトの下部組織育ちのルベン・ネヴェスは、2014年7月にファーストチームに昇格。2017年7月にウォルバーハンプトンへと完全移籍で加入した。 当時もビッグクラブが関心を寄せていたルベン・ネヴェスだったが、代理人のジョルジュ・メンデス氏との繋がりが深いウォルバーハンプトンへの移籍が決定。チャンピオンシップ(イングランド2部)での戦いも経験しながら、ここまで公式戦252試合に出場し30ゴール13アシストを記録している。 今シーズンもプレミアリーグで34試合に出場し6ゴール1アシスト。ポルトガル代表としてカタール・ワールドカップ(W杯)も経験した中で、ウォルバーハンプトンとの契約が残り1年となる今夏の退団が噂されている。 予てからバルセロナでのプレーを夢見ていたルベン・ネヴェスだが、バルセロナも獲得を希望。しかし、周知に事実でもある財政的な問題が大きくのしかかり、獲得のためにはそれ相応の選手の放出が条件となってしまう。 昨夏もルベン・ネヴェスの獲得に動いていたバルセロナだが、資金が足りずに断念。メンデス氏との話し合いは長きにわたって続けられている。 今夏退団が決定しているスペイン代表MFセルヒオ・ブスケッツの後継者とも見られるルベン・ネヴェスだが、チャビ・エルナンデス監督は確信を持っていないとされ、レアル・ソシエダのスペイン代表MFマルティン・スビメンディの方が欲しいと考えているようだ。 また、メンデス氏はバルセロナにも顧客を抱えており、スペイン代表FWアンス・ファティを高値で売却する可能性がある状況。そうなれば、ルベン・ネヴェス獲得の資金を手にすることが十分でき、ウォルバーハンプトンとの繋がりから、安く抑えることも可能と見られている。 模範的なプレーヤーであり、実力は十分。ただ、ウォルバーハンプトンでは夢であるチャンピオンズリーグ(CL)出場を叶えるのはかなり厳しい状況。チャビ監督のゴーサインも必要だが、夢を叶えることは可能だろうか。 2023.05.23 18:27 Tue4
ネイマールも狙う大型補強のアル・ヒラル、ペルー代表FWカリージョがアル・カドシアに完全移籍
サウジアラビアのアル・カドシアは13日、アル・ヒラルのペルー代表FWアンドレ・カリージョ(32)を完全移籍で獲得したことを発表した。 カリージョは母国のアリアンサ・リマでプロキャリアをスタート。2011年7月にスポルティングCPへと完全移籍すると、2016年7月にはベンフィカへ完全移籍した。 その後、ワトフォード、アル・ヒラルへのレンタル移籍を経験。2019年7月に完全移籍でアル・ヒラルへと加入した。 アル・ヒラルでは、公式戦188試合で29ゴール34アシストを記録。サウジ・プロ・リーグでは3度の優勝、カップ戦でも2度優勝し、AFCチャンピオンズリーグ(ACL)でも2度優勝を経験していた。 今夏アル・ヒラルはウォルバーハンプトンからポルトガル代表MFルベン・ネヴェス、ラツィオからセルビア代表MFセルゲイ・ミリンコビッチ=サビッチ、チェルシーからセネガル代表DFカリドゥ・クリバリ、ゼニトからブラジル代表FWマウコムを獲得。さらに、現在はパリ・サンジェルマン(PSG)のブラジル代表FWネイマールの獲得に動いており、出番の大きな減少が見込まれていた。 なお、アル・カドシアは元イングランド代表FWロビー・ファウラー氏が今夏監督に就任している。 2023.08.14 09:57 Mon5
C・ロナウドが大号泣…3人退場、PK戦までもつれたキングスカップはアル・ヒラルが優勝し国内3冠! C・ロナウドは無冠に終わる
5月31日、キングスカップ決勝が行われ、アル・ヒラルvsアル・ナスルが対戦。PK戦までもつれた試合は、5-4でアル・ヒラルが勝利した。 サウジ・プロ・リーグで優勝したアル・ヒラルと、2位に終わったアル・ナスルの対戦。アル・ヒラルはセルビア代表FWアレクサンダル・ミトロビッチやFWマウコム、ポルトガr愚代表MFルベン・ネヴェス、セネガル代表DFカリドゥ・クリバリ、モロッコ代表GKボノらが先発出場。アル・ナスルはポルトガル代表FWクリスティアーノ・ロナウドやセネガル代表FWサディオ・マネ、クロアチア代表MFマルセロ・ブロゾビッチらが先発した。 試合は開始早々にマネがビッグチャンスを掴むも生かせず。すると7分、マウコムのボックス際からのクロスをミトロビッチがファーサイドでヘッドで合わせ、アル・ヒラルが先制する。 先制を許したアル・ナスルはC・ロナウドらがゴールに迫るも、GKボノが立ちはだかりゴールを許さず。後半早々にはC・ロナウドがクロスを華麗にバイシクルシュートで合わせるも、右ポストを直撃。オフサイドではあったが、華麗なプレーを見せた。 すると迎えた53分にアクシデント。カウンターからアル・ヒラルがビッグチャンスを迎えマウコムが独走かと思われたが、ボックス外に飛び出したGKダビド・オスピナがなぜか手で抑え込みに行き一発退場。数的不利となる。 しかし、今度は87分にアリ・アル・ブライヒが一発退場。相手の挑発に乗り、頭突きを見舞ったことで数的同数に。するとその直後の88分にロングスローをアイマン・ヤヒヤ・アーメドがヘッドで合わせ、アル・ナスルが土壇場で同点に追いつく。 奇跡のような展開となった中、今度はアル・ヒラルがピンチに。90分、勝ち越しを目指し攻め込んでいた中、左からのクロスに飛び込んだクリバリがクロスをキャッチしたGKに遅れて接触。これが2枚目のイエローカードとなり退場。延長戦はアル・ヒラルが数的不利となったものの、互いに得点を奪えず、PK戦にもつれ込んだ。 PK戦は、アル・ヒラルの1人目であるルベン・ネヴェスが左ポストに当てて失敗。後攻のアル・ナスルはアレックス・テレスが務めるも、大きく外してしまう展開となる。 2人目はミトロビッチ、C・ロナウドと共に成功。そのまま成功が続いた中、サドンデスに突入すると、アル・ヒラルの6人目を務めたサウド・アブドゥルハミドのシュートがセーブされるピンチに。アル・ナスルは決めれば勝利だったが、アリ・アル・ハッサンのシュートはGKボノがセーブする。 アル・ヒラルは7人目が成功。しかし、アル・ナスルは、7人目のメシャリ・アル・ネメルのシュートを再びGKボノがセーブ。アル・ヒラルがPK戦を制してリーグとカップ、そしてスーパーカップの3冠を達成。さらに、国内では無敗の優勝を成し遂げ、負傷離脱中のネイマールもピッチを走って祝福し大騒ぎ。一方で自身はリーグの得点記録を塗り替えるなどしたC・ロナウドは1つもタイトルを獲得できないシーズンとなり、ピッチに倒れて号泣する姿が印象的だった。 <span class="paragraph-title">【動画】PK戦の結末…C・ロナウドはタイトルなしで大号泣</span> <span data-other-div="movie"></span> <script>var video_id ="J2EbRBV38aY";var video_start = 1578;</script><div style="text-align:center;"><div id="player"></div></div><script src="https://web.ultra-soccer.jp/js/youtube_autoplay.js"></script> 2024.06.01 21:55 Satローマの人気記事ランキング
1
ローマが新スタジアム計画を発表…目玉は欧州最大のクルヴァ・スッド
ローマが新スタジアムの計画を発表した。 ローマは1953年の開場以来、ラツィオと共にスタディオ・オリンピコを本拠地として使用してきた。しかし、幾度か修繕や改修は行っているものの、老朽化が否めないこともあり、クラブは以前から新スタジアム建設への動きを進めていた。 ただ、“地面を掘れば遺跡にあたる”とも言われる「永遠の都」特有の事情もあり、その計画はなかなか進まずにいたが、ライアン・フリードキン副会長とリナ・スルークCEOとローマ市長のロベルト・グアルティエリ氏ら市議会の代表者との会談を経て、新スタジアムの計画を発表した。 『YouTube』での新スタジアムのイメージ動画と共にクラブは今回の計画を以下のように説明している。 「ライアン・フリードキン副会長とリナ・スルークCEOを代表とするASローマのトップマネジメントは、本日、ローマ市長ロベルト・グアルティエリ氏と会談し、クラブの新スタジアムのエキサイティングな計画について話し合いました」 「会議では、プロジェクトの革新性と、フットボールファンと地域社会の両方に約束される数多くのメリットに対する共通の熱意が示されました」 「プロジェクトのビデオプレゼンテーションのリリースは、新しいスタジアムのユニークなビジョンとモダンなデザインを紹介し、熱狂的な反響を呼びました。このビジョンの鍵となるのは、ヨーロッパ最大となる予定の新しいクルヴァ・スッドです。このクルヴァ・スッドは、ASローマのサポーターの揺るぎない情熱の証となるでしょう」 また、フリードキン副会長は、このプロジェクトがクラブだけでなくローマという都市、地域社会においても新たな価値を創造するものになると確信している。 「本日、ローマ市長のロベルト・グアルティエリ氏とお会いし、新しいスタジアムのビジョンを発表できたことを光栄に思います。この素晴らしいスタジアムは、ASローマとそのファンの新しいホームであるだけでなく、ローマ市民全員にとってのランドマークでもあります。ヨーロッパ最大のクルヴァとなる予定の新しいクルヴァ・スッドは、サポーターの情熱とエネルギーを体現する強力な焦点となるでしょう。古典的なローマ建築にインスピレーションを得た象徴的なデザインと最先端の設備を備えたこのスタジアムは、フットボールファンから地元のコミュニティまで、すべての人に世界クラスの体験を提供します」 「ASローマの誇りある管理者として、私たちは、クラブの精神と伝統を体現する空間を創り出すとともに、革新と卓越性の世界的なシンボル、そして環境責任のモデルとなることに尽力しています」 「新スタジアムを環境責任のモデルにするという取り組みは、ローマ市長が指摘したように、クラブの価値観やローマ市のより広範な目標と一致しています」 「両者は、開発のさまざまな側面に焦点を当てる作業グループの設立を含む、プロジェクトを進めるためのロードマップについて話し合い、合意しました。これらのグループは、環境基準とコミュニティの関与に細心の注意を払いながら、プロジェクトがスムーズに進むようにします」 「ASローマとそのリーダーシップは、ファンの体験を向上させるだけでなく、コミュニティと環境にプラスの影響を与えるランドマークを作成することに専念しています。新しいスタジアムプロジェクトは、クラブ、ファン、そしてローマ市の誇りのシンボルとなるでしょう」 <span class="paragraph-title">【動画】ローマの新スタジアム構想が発表!</span> <span data-other-div="movie"></span> <iframe width="640" height="360" src="https://www.youtube.com/embed/RE0m08zRgBo" title=" Towards our new stadium " frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; clipboard-write; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture; web-share" referrerpolicy="strict-origin-when-cross-origin" allowfullscreen></iframe> 2024.07.25 06:30 Thu2
過去に脳の手術も…ローマなどでプレーした元ブラジル代表DFレアンドロ・カスタンが35歳で現役引退
かつてローマなどでプレーした元ブラジル代表DFレアンドロ・カスタン(35)が現役引退を発表した。 カスタンはイタリアにもルーツを持つブラジル人。アトレチコ・ミネイロからスウェーデンのヘルシンボリへ移籍して初めてヨーロッパでプレー。その後、ブラジルのバルエリへと移籍すると、2010年1月にはコリンチャンスへと完全移籍する。 そのコリンチャンスで結果を残すと、2012年7月にローマへと完全移籍する。ローマでは公式戦81試合に出場し1ゴール1アシストを記録。しかし、2014年9月に海綿状血管腫が発覚し、同年12月に手術。そこから半年以上離脱するなど、苦しむこととなった。 その後、サンプドリアやトリノ、カリアリへのレンタル移籍を経て、2018年8月にヴァスコ・ダ・ガマへ移籍して母国復帰。2022年3月からはグアラニでプレーしていた。 グアラニではカンピオナート・ブラジレイロ・セリエB(ブラジル2部)で7試合に出場していた。 通算ではブラジル・セリエAで147試合に出場し5ゴール3アシスト、イタリア・セリエAで100試合1ゴール2アシストを記録していた。 また、ブラジル代表としても2試合プレー。2012年の日本代表戦でデビューし、続くコロンビア代表戦でもプレーしたのが最後だった。 カスタンは自身のSNSで引退を発表。キャリアを振り返り、脳の病気も大きかったと振り返った。 「16歳の時にサッカー選手になるという夢を胸に家を出た。神様は、僕が夢見る以上のものを与えてくれた。まさか、自分があのようなチームでプレーし、あのような勝利を収められるとは思っていなかった」 「頭痛がして、何度か検査をした後、自分のキャリアで最高の瞬間に、もうサッカーはできないと医者に言われるとは想像もしていなかった。どうしたら良いかわからなかった」 「今日、8年が経って『もう終わった』と言える。高いレベルの達することはできなくなったけど、厳しい相手に勝つことができ、キャリアを続けられたのは皆さんのおかげだ」 「手術をしてくれたドクター、父のように接してくれたワルテル・サバティーニをはじめとするローマの人々に感謝している」 「ルディ・ガルシア監督、素晴らしい応援をしてくれたファンの皆さん、この道をサポートしてくれたイタリアの友人たちにも感謝する」 <span class="paragraph-title">【動画】レアンドロ・カスタンがキャリアを振り返り引退発表</span> <span data-other-div="movie"></span> <blockquote class="twitter-tweet"><p lang="it" dir="ltr">Grazie a tutti quanti avete diviso questo sogno con me, un abbraccio !!! <a href="https://t.co/3qYEPS4IjG">pic.twitter.com/3qYEPS4IjG</a></p>— Leandro Castan (@l_castan) <a href="https://twitter.com/l_castan/status/1546611035129380864?ref_src=twsrc%5Etfw">July 11, 2022</a></blockquote> <script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script> 2022.07.12 21:10 Tue3
34歳パストーレ現役引退へ「痛みに耐えられない」「楽しかったサッカーが罰に」
元アルゼンチン代表MFハビエル・パストーレ(34)がやはり現役引退へ。 淡いピンクのユニフォームを纏ったパレルモ時代に脚光を浴び、以後パリ・サンジェルマン(PSG)、ローマでもプレーしたパストーレ。端正な顔立ちも人気を博した正真正銘のクラックだ。 しかし、そんな彼の現在地は「無所属」。昨夏カタール・スターズリーグのカタールSCを半年で退団後、どのクラブにも属しておらず、以前から問題を抱える股関節の状態が極めて良くないことを明かしている。 今回、アルゼンチン『La Nacion』の取材では、耐え難い股関節の痛み、そしてそれに伴う苦しみに苛まれてきたことを告白。どうやら心は現役引退で固まってるようだ。 「痛みに耐えられなかった…目覚めの瞬間に気分が悪くなり、自然と脳が僕に『もうサッカーを辞める時だ』と語りかけていた。けど、僕自身が受け入れられず、苦しむことを決めたんだ」 「サッカーを続けるためにできることは全て試してみた。けど、望む結果は何もない。練習とプレーは再開できたが、日々の生活は悪いまま。一度紅白戦をやってみたら、その後2日間ベッドで寝て過ごすことになったんだ…痛みでね」 「消耗しきった股関節に再び負荷をかける…有害みたいだ。痛みは以前にも増して大きくなり、サッカーが楽しみではなく、ただの罰になってしまったよ。子どもたちとボールを蹴ることさえままならない」 「今は左足の股関節に人工股関節を入れてある。すべてセラミックでね。毎朝リハビリに励み、なんとか生活は元通りだ。『普通の生活』がこんなにハッピーだなんてね」 「この数年間、常に現役引退の準備をしてきた。股関節が元気だったころ、僕はフットボーラーとしてなんだってできると信じていた…今日の僕はピッチに立つことを一切考えていない」 「ここからさらに回復して、もしランニングして良い気分を維持できたら…その時はもっともっと走りたくなるだろうね。それだけで満足だ」 “El Flaco(エル・フラコ=やせぽっち)”ハビエル・パストーレ。美しい出立ちとプレーの数々でファンを楽しませた男は、スパイクを脱ぐ。 2024.03.22 18:10 Fri4
中田英寿氏が波乱万丈のサッカーキャリア回想…『The Atletic』のロングインタビューに答える
元日本代表MFの中田英寿氏が、『The Atletic』のロングインタビューで自身のサッカーキャリアを振り返った。 中田氏はベルマーレ平塚(現・湘南ベルマーレ)でプロキャリアをスタートし、以降は2006年の現役引退までペルージャ、ローマ、パルマ、ボローニャ、フィオレンティーナのイタリア5クラブ、イングランドのボルトンでプレー。 また、日本代表としては1998年フランス大会、2002年日韓大会、2006年ドイツ大会と3度のワールドカップに出場し、通算77キャップを刻んだ。 そのアジアを代表するレジェンドは『The Atletic』で29歳での現役引退を始め、キャリアにおけるトピックについて語った。 2006年ドイツW杯のグループステージ最終節のブラジル代表戦での1-4の敗戦後、スパイクを脱ぐ決断を下したMFは、その突然の引退から19年を経たなかで改めて決断の理由に言及。 「プロのサッカー選手になる夢は一度もなかったが、どういうわけかそれが実現し、ワールドカップでプレーし、イタリアとイングランドに行った。情熱のためにいつもプレーしていた。私はサッカーのファンではなく、サッカーをプレーするのが好きだった。それが私が引退した理由だ。情熱を失っていたし、情熱がなければ、自分に嘘をついているようなものだった」 「私が好きなのはプレーすることであり、コーチやコメントをすることではない。それが引退後に『別の情熱を見つけなければならない』と言った理由だった」 インタビュー冒頭で、サッカーキャリアの終わりについて語った元日本代表はここからキャリアの最初期に立ち戻り、「当時は、プロサッカー選手になることを夢見る人は誰もいなかった。日本で一番人気のスポーツは野球だった。だけど、結局、私は漫画『キャプテン翼』が大好きだったから、サッカーをやろうと決めた」と、サッカーを始めた理由を明かした。 続けて日本代表が初めてW杯に出場した1998年フランスW杯での奇抜な髪色については「(W杯前でさえ)毎日髪の色を変えていたが、海外でプレーしたかったので世界に知られることが重要だった。だから注目されたいと思っていた」と、振り返る。 その目論見通り、W杯直後にはセリエAのペルージャへ完全移籍。イタリアでのキャリアをスタート。その新天地では加入1年目から鮮烈な輝きを放ったが、プレーすること以外でサッカーに関心がなかったことが良い意味でプラスに働いたという。 「私はサッカーの大ファンではなかったし、サッカーを見たり新聞で読んだりもしなかった。そういう人間ではないんだ。ただサッカーをするのが好きで、毎日もっといい選手になりたいと思っていた」 「イタリアに来たときは、セリエAが世界最高のリーグで、ジネディーヌ・ジダンやアレッサンドロ・デル・ピエロのような選手がいたが、私は選手をあまり知らなかった。リーグのチームの半分も知らなかった」 「でも、そのおかげで自分のプレーに集中できたし、それが私の強みだった。とにかく恐れがなかった」 そのペルージャでの活躍によって2000年にはローマへステップアップ。当時、頭角を現わしていたフランチェスコ・トッティとのポジション争いで苦戦を強いられた一方、2005年1月のユベントス戦ではクラブ史に刻まれた圧巻のロングシュートを突き刺し、ジャッロロッシのスクデット獲得に大きく貢献した。 中田氏はそのローマ時代について「ローマに戻るたびに、ファンのみんなが私のところに来て『ありがとう、ナカタ』と言ってくれる」と、自身の重要な働きに満足感を示した。 その後、1年でイタリアの首都を離れてパルマに活躍の場を移すと、コッパ・イタリア優勝に貢献。2年連続のタイトル獲得を経験。そして、日韓W杯では大会の目玉選手の一人として日本代表史上初の決勝トーナメント進出に貢献した。 「もっといい結果を出せたはず」トルコ代表に敗れてのベスト16に不満を示しながらも、「雰囲気は素晴らしかった」と、自国開催のW杯をポジティブに振り返った。 「日本では誰もが、私たちがグループリーグを突破して決勝トーナメントに進出するだろうと期待していたが、それはとても大変だった」 「私たちはとても若いチームで、ほとんどのメンバーがワールドカップでプレーしたことがなかった。当時、海外でプレーしていたのは数人だけで、プレッシャーは大きかった。しかし同時に、国全体が私たちを応援してくれたので、雰囲気は素晴らしかった」 その後、チェーザレ・プランデッリ監督との衝突を機に、ボローニャ、フィオレンティーナとイタリア国内での移籍を繰り返した後、2005年に7年間過ごしたイタリアを離れ、プレミアリーグのボルトンへレンタル移籍。 自身最後のクラブとなったマンチェスターのクラブではキック&ラッシュでお馴染みのサム・アラダイス監督が率いたチームということもあり、イタリアと大きく異なる環境面を含めて難しい日々を過ごした。 「イタリアから来たので、サッカーはまったく違っていた。多くのチームがロングボールをプレーしていた。それは少しショックだった。そしてイタリアからマンチェスターに来て、食べ物の面でも違ったし、雨も多かった。そういった意味で少し大変だった」 その後、前述のドイツW杯での現役引退で中田氏の波乱万丈のサッカーキャリアは締めくくられた。 そして、自身のサッカーキャリアを通じて「どのように記憶されたいか?」との問いに対して、中田氏は「私は美しいプレー、優雅さが好きだ。ジネディーヌ・ジダンのようなプレーが美しい。スピードやパワーではなく、美しいパス、美しいプレー。ゴールである必要はない。私は優雅さが好きで、サッカーだけでなく人生でもそうだ。優雅で美しいものが好きだ。つまり美しい服、美しい建築物、デザイン、景色…」と返答している。 現役引退後は3年間に渡っておよそ100カ国以上を巡る放浪の旅に出て、以降は魅了された日本酒造りや日本茶のブランド立ち上げなど、日本の文化や食文化の発信者として活躍する48歳。 今回のロングインタビューの最後には改めて自身の生き方について語り、これからも自身の情熱の赴くがままに様々なことにチャレンジしたいと結んだ。 「29歳で引退したとき、たくさんの人から『まだプレーできるよ』とか『サッカー業界で働いてコーチでもしたらどうだ』と言われた」 「でも、できるからやることを選んでいるわけではない。やりたいからやっている」 「私は好きなことをやっている。だからファッションが好きならファッションをやるし、他の文化が好きなら他の文化。日本酒が好きなら日本酒をやる」 「他の人は時々その理由が理解できないことがある。それは私が情熱を持ってやっているからだ」 2025.03.19 00:14 Wed5