ローマ注目の若手MFダルボエが養子縁組で姓を変更! 今後はペルッツィ姓に
2021.05.20 07:00 Thu
ローマに所属するガンビア人MFエブリマ・ダルボエ(19)が代理人の家族との養子縁組の手続きが完了次第、ペルッツィの姓を名乗ることになった。イタリア『Calciomercato』が伝えている。
今月2日に行われたセリエA第34節のサンプドリア戦でトップチームデビューを飾ったダルボエは、その4日後に行われたヨーロッパリーグ(EL)準決勝2ndレグのマンチェスター・ユナイテッド戦でヨーロッパデビュー。
すると、同試合では世界屈指のスカッドを相手に百戦錬磨のベテランさながらのパフォーマンスをみせ、試合後にはフランス代表MFポール・ポグバ、ポルトガル代表MFブルーノ・フェルナンデスからユニフォーム交換を求められるほどのインパクトを残した。
このユナイテッド戦で注目を集めた守備的MFは、以降のクロトーネ戦、インテル戦、ラツィオ戦に3試合連続で先発起用され、クロトーネ戦、ラツィオ戦ではファン選出のマン・オブ・ザ・マッチを獲得。ジョゼ・モウリーニョ新監督を迎える来シーズンに向け、多くのロマニスタの希望の星となっている。
そのダルボエに関してはその生い立ち、フットボーラーとしてのキャリアのスタートも注目を集めている。
その難民の1人だったダルボエは、母国に両親を残した状態で半年間の厳しい難民生活を強いられた中、リビヤからのボートピープルとしてイタリアのシチリア島に到着。SPRARプロジェクト(難民および亡命希望者のための保護システム)によって、ラツィオ州リエーティのソーシャルワーカーの下で新たな生活を送ることに。
そして、イタリアの学校で教育を受ける傍ら地元のアマチュアクラブであるヤング・リエーティでプレーを始めると、すぐさま頭角を現して2017年8月に地元屈指の名門ローマの下部組織に加入。その後、イタリアの司法、国際サッカー連盟(FIFA)の介入によって正式な難民認定を取得し、2019年にはローマとのプロ契約を締結していた。
その成功の裏でダルボエの才能を見出し、代理人の一人として公私ともに支えてきたミリアム・ペルッツィさんは、この度自身の父親がダルボエを養子として迎え入れ、今後はエブリマ・ダルボエ・ペルッツィの姓名を名乗ることを明かした。
「ダルボエはとても礼儀正しく、素晴らしい若者です。今ではローマの誰もが彼のことを知っています」
「私の父はコーチなので、彼を養子にすることにしました。父はエブリマが私たちの家族の一員になれるよう、すぐに手続きをしてくれるでしょう。そして、彼はペルッツィになります。つまり、エブリマ・ダルボエ・ペルッツィという名前を名乗ることになります」
「それは彼がセリエAでプレーしている今ではなく、何年も前から決めていたことでした。 そのことを本当に嬉しく思いますし、彼にはその資格があり、私たちの家族に完全に溶け込んでいます」
「私個人に関しては女性スカウトとして、他の人の3倍は戦わなければなりませんでした」
「エブリマを初めて見たとき、彼が優れた戦術的スキルを持っていることを理解しました。彼は常に頭を回転させて、最適なパスのソリューションを探していました」
「彼はいつもアフリカの粘土地帯でプレーしていて、人生の中で色々なことを経験してきました。リビアからイタリアに渡った際、ローマでトライアルを受けたときにはイタリア語を一言も話せませんでした」
また、今後家族としてまた代理人として考えるダルボエの将来に関しては、現時点でローマとの良好な関係を強調しつつも、モウリーニョ新監督の下でチャンスが与えられない場合、イタリア国外に新天地を求める可能性を示唆している。
「私たちはローマと良好な関係にあり、彼の契約は2023年に切れます。もし彼が残るとしたら、それはモウリーニョの下でチャンスを与えられる必要があります。そうでなければ、彼はクラブを去ることになりますが、イタリアには残らないと思います」
「それを議論するのは時期尚早ですが、海外での経験は彼のキャラクター上良いことだと思いますし、イタリアでは若いプレーヤーにチャンスを与えるのが難しいことが多いからです」
今後、エブリマ・ダルボエ・ペルッツィの新たな姓名を名乗ることになる逸材の今後の飛躍に期待したいところだ。
今月2日に行われたセリエA第34節のサンプドリア戦でトップチームデビューを飾ったダルボエは、その4日後に行われたヨーロッパリーグ(EL)準決勝2ndレグのマンチェスター・ユナイテッド戦でヨーロッパデビュー。
すると、同試合では世界屈指のスカッドを相手に百戦錬磨のベテランさながらのパフォーマンスをみせ、試合後にはフランス代表MFポール・ポグバ、ポルトガル代表MFブルーノ・フェルナンデスからユニフォーム交換を求められるほどのインパクトを残した。
そのダルボエに関してはその生い立ち、フットボーラーとしてのキャリアのスタートも注目を集めている。
ガンビアで生まれ育った同選手だが、同国では2016年12月に行われた大統領選挙に伴う政情不安から紛争に巻き込まれることを回避するため、数千人を超える多くの子供たちが国外への避難を強いられていた。
その難民の1人だったダルボエは、母国に両親を残した状態で半年間の厳しい難民生活を強いられた中、リビヤからのボートピープルとしてイタリアのシチリア島に到着。SPRARプロジェクト(難民および亡命希望者のための保護システム)によって、ラツィオ州リエーティのソーシャルワーカーの下で新たな生活を送ることに。
そして、イタリアの学校で教育を受ける傍ら地元のアマチュアクラブであるヤング・リエーティでプレーを始めると、すぐさま頭角を現して2017年8月に地元屈指の名門ローマの下部組織に加入。その後、イタリアの司法、国際サッカー連盟(FIFA)の介入によって正式な難民認定を取得し、2019年にはローマとのプロ契約を締結していた。
その成功の裏でダルボエの才能を見出し、代理人の一人として公私ともに支えてきたミリアム・ペルッツィさんは、この度自身の父親がダルボエを養子として迎え入れ、今後はエブリマ・ダルボエ・ペルッツィの姓名を名乗ることを明かした。
「ダルボエはとても礼儀正しく、素晴らしい若者です。今ではローマの誰もが彼のことを知っています」
「私の父はコーチなので、彼を養子にすることにしました。父はエブリマが私たちの家族の一員になれるよう、すぐに手続きをしてくれるでしょう。そして、彼はペルッツィになります。つまり、エブリマ・ダルボエ・ペルッツィという名前を名乗ることになります」
「それは彼がセリエAでプレーしている今ではなく、何年も前から決めていたことでした。 そのことを本当に嬉しく思いますし、彼にはその資格があり、私たちの家族に完全に溶け込んでいます」
「私個人に関しては女性スカウトとして、他の人の3倍は戦わなければなりませんでした」
「エブリマを初めて見たとき、彼が優れた戦術的スキルを持っていることを理解しました。彼は常に頭を回転させて、最適なパスのソリューションを探していました」
「彼はいつもアフリカの粘土地帯でプレーしていて、人生の中で色々なことを経験してきました。リビアからイタリアに渡った際、ローマでトライアルを受けたときにはイタリア語を一言も話せませんでした」
また、今後家族としてまた代理人として考えるダルボエの将来に関しては、現時点でローマとの良好な関係を強調しつつも、モウリーニョ新監督の下でチャンスが与えられない場合、イタリア国外に新天地を求める可能性を示唆している。
「私たちはローマと良好な関係にあり、彼の契約は2023年に切れます。もし彼が残るとしたら、それはモウリーニョの下でチャンスを与えられる必要があります。そうでなければ、彼はクラブを去ることになりますが、イタリアには残らないと思います」
「それを議論するのは時期尚早ですが、海外での経験は彼のキャラクター上良いことだと思いますし、イタリアでは若いプレーヤーにチャンスを与えるのが難しいことが多いからです」
今後、エブリマ・ダルボエ・ペルッツィの新たな姓名を名乗ることになる逸材の今後の飛躍に期待したいところだ。
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