中田英寿氏が波乱万丈のサッカーキャリア回想…『The Atletic』のロングインタビューに答える

2025.03.19 00:14 Wed
ファッションイベントに参加の中田英寿氏
Getty Images
ファッションイベントに参加の中田英寿氏
日本代表MFの中田英寿氏が、『The Atletic』のロングインタビューで自身のサッカーキャリアを振り返った。

中田氏はベルマーレ平塚(現・湘南ベルマーレ)でプロキャリアをスタートし、以降は2006年の現役引退までペルージャ、ローマパルマ、ボローニャ、フィオレンティーナのイタリア5クラブ、イングランドのボルトンでプレー。

また、日本代表としては1998年フランス大会、2002年日韓大会、2006年ドイツ大会と3度のワールドカップに出場し、通算77キャップを刻んだ。
そのアジアを代表するレジェンドは『The Atletic』で29歳での現役引退を始め、キャリアにおけるトピックについて語った。

2006年ドイツW杯のグループステージ最終節のブラジル代表戦での1-4の敗戦後、スパイクを脱ぐ決断を下したMFは、その突然の引退から19年を経たなかで改めて決断の理由に言及。
「プロのサッカー選手になる夢は一度もなかったが、どういうわけかそれが実現し、ワールドカップでプレーし、イタリアとイングランドに行った。情熱のためにいつもプレーしていた。私はサッカーのファンではなく、サッカーをプレーするのが好きだった。それが私が引退した理由だ。情熱を失っていたし、情熱がなければ、自分に嘘をついているようなものだった」

「私が好きなのはプレーすることであり、コーチやコメントをすることではない。それが引退後に『別の情熱を見つけなければならない』と言った理由だった」

インタビュー冒頭で、サッカーキャリアの終わりについて語った元日本代表はここからキャリアの最初期に立ち戻り、「当時は、プロサッカー選手になることを夢見る人は誰もいなかった。日本で一番人気のスポーツは野球だった。だけど、結局、私は漫画『キャプテン翼』が大好きだったから、サッカーをやろうと決めた」と、サッカーを始めた理由を明かした。

続けて日本代表が初めてW杯に出場した1998年フランスW杯での奇抜な髪色については「(W杯前でさえ)毎日髪の色を変えていたが、海外でプレーしたかったので世界に知られることが重要だった。だから注目されたいと思っていた」と、振り返る。

その目論見通り、W杯直後にはセリエAのペルージャへ完全移籍。イタリアでのキャリアをスタート。その新天地では加入1年目から鮮烈な輝きを放ったが、プレーすること以外でサッカーに関心がなかったことが良い意味でプラスに働いたという。

「私はサッカーの大ファンではなかったし、サッカーを見たり新聞で読んだりもしなかった。そういう人間ではないんだ。ただサッカーをするのが好きで、毎日もっといい選手になりたいと思っていた」

「イタリアに来たときは、セリエAが世界最高のリーグで、ジネディーヌ・ジダンアレッサンドロ・デル・ピエロのような選手がいたが、私は選手をあまり知らなかった。リーグのチームの半分も知らなかった」

「でも、そのおかげで自分のプレーに集中できたし、それが私の強みだった。とにかく恐れがなかった」

そのペルージャでの活躍によって2000年にはローマへステップアップ。当時、頭角を現わしていたフランチェスコ・トッティとのポジション争いで苦戦を強いられた一方、2005年1月のユベントス戦ではクラブ史に刻まれた圧巻のロングシュートを突き刺し、ジャッロロッシのスクデット獲得に大きく貢献した。

中田氏はそのローマ時代について「ローマに戻るたびに、ファンのみんなが私のところに来て『ありがとう、ナカタ』と言ってくれる」と、自身の重要な働きに満足感を示した。

その後、1年でイタリアの首都を離れてパルマに活躍の場を移すと、コッパ・イタリア優勝に貢献。2年連続のタイトル獲得を経験。そして、日韓W杯では大会の目玉選手の一人として日本代表史上初の決勝トーナメント進出に貢献した。

「もっといい結果を出せたはず」トルコ代表に敗れてのベスト16に不満を示しながらも、「雰囲気は素晴らしかった」と、自国開催のW杯をポジティブに振り返った。

「日本では誰もが、私たちがグループリーグを突破して決勝トーナメントに進出するだろうと期待していたが、それはとても大変だった」

「私たちはとても若いチームで、ほとんどのメンバーがワールドカップでプレーしたことがなかった。当時、海外でプレーしていたのは数人だけで、プレッシャーは大きかった。しかし同時に、国全体が私たちを応援してくれたので、雰囲気は素晴らしかった」

その後、チェーザレ・プランデッリ監督との衝突を機に、ボローニャ、フィオレンティーナとイタリア国内での移籍を繰り返した後、2005年に7年間過ごしたイタリアを離れ、プレミアリーグのボルトンへレンタル移籍。

自身最後のクラブとなったマンチェスターのクラブではキック&ラッシュでお馴染みのサム・アラダイス監督が率いたチームということもあり、イタリアと大きく異なる環境面を含めて難しい日々を過ごした。

「イタリアから来たので、サッカーはまったく違っていた。多くのチームがロングボールをプレーしていた。それは少しショックだった。そしてイタリアからマンチェスターに来て、食べ物の面でも違ったし、雨も多かった。そういった意味で少し大変だった」

その後、前述のドイツW杯での現役引退で中田氏の波乱万丈のサッカーキャリアは締めくくられた。

そして、自身のサッカーキャリアを通じて「どのように記憶されたいか?」との問いに対して、中田氏は「私は美しいプレー、優雅さが好きだ。ジネディーヌ・ジダンのようなプレーが美しい。スピードやパワーではなく、美しいパス、美しいプレー。ゴールである必要はない。私は優雅さが好きで、サッカーだけでなく人生でもそうだ。優雅で美しいものが好きだ。つまり美しい服、美しい建築物、デザイン、景色…」と返答している。

現役引退後は3年間に渡っておよそ100カ国以上を巡る放浪の旅に出て、以降は魅了された日本酒造りや日本茶のブランド立ち上げなど、日本の文化や食文化の発信者として活躍する48歳。

今回のロングインタビューの最後には改めて自身の生き方について語り、これからも自身の情熱の赴くがままに様々なことにチャレンジしたいと結んだ。

「29歳で引退したとき、たくさんの人から『まだプレーできるよ』とか『サッカー業界で働いてコーチでもしたらどうだ』と言われた」

「でも、できるからやることを選んでいるわけではない。やりたいからやっている」

「私は好きなことをやっている。だからファッションが好きならファッションをやるし、他の文化が好きなら他の文化。日本酒が好きなら日本酒をやる」

「他の人は時々その理由が理解できないことがある。それは私が情熱を持ってやっているからだ」

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田中碧所属の英2部首位リーズがタミー・エイブラハムをリストアップか 来季のプレミアリーグ復帰を念頭に

リーズ・ユナイテッドがミランの元イングランド代表FWタミー・エイブラハム(27)をリストアップしているとのことだ。 チェルシー時代にはプレミアリーグで15得点をマークしたシーズンもあるタミー・エイブラハム。今シーズンはローマからのレンタル移籍でミランに所属し、途中出場が多いながらも公式戦35試合で8得点4アシストと奮闘する。 その一方、日本代表MF田中碧が所属するリーズは、チャンピオンシップ(イングランド2部)で現在首位。2位までプレミア自動昇格というなか、後半戦にきて3位とは勝ち点7差と、順調なら来季はトップディビジョンに復帰である。 したがって、昇格した場合の補強を念頭に置く必要があり、イギリス『フットボール・インサイダー』いわく、エイブラハムを候補に。 現チームNo.1スコアラーはセンターフォワードのオランダ人FWヨエル・ピロー(25)で15得点。ピローが長期的に残留する保証はなく、2番手ストライカーの元イングランド代表FWパトリック・バンフォード(31)はケガがちで今季無得点と戦力としてのメドが立っていない。 元々1月にサウサンプトンから元U-21イングランド代表FWキャメロン・アーチャー(23)を獲得してアタッカー陣拡充といきたかったそうだが、これに失敗。アーチャーへの関心を残しつつ、昇格による予算増を見越してエイブラハムへもアプローチしていく方向性か。 2025.02.28 19:46 Fri
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ローマがEL敗退払拭の6連勝でセリエA13戦無敗! ドフビクがリーグ二桁ゴールに到達【セリエA】

セリエA第29節、ローマvsカリアリが16日にスタディオ・オリンピコで行われ、ホームのローマが1-0で勝利した。 セリエA12戦未敗で7位まで順位を上げたローマ。しかし、ヨーロッパリーグ(EL)ではフンメルスの退場響いたアスレティック・ビルバオとの2ndレグで1-3の敗戦。2戦合計3-4で競り負けて無念のベスト16敗退となった。 その失意の一戦から中2日で迎えたホームゲームでは14位のカリアリ相手にバウンスバックの白星を目指した。ラニエリ監督はアスレティック戦から先発3人を変更。フンメルスとクリスタンテ、ディバラに代えてサーレマーケルス、マヌ・コネ、スーレを起用した。 後ろ重心のカリアリに対して、立ち上がりからボールを握ってハーフコートゲームを展開するローマ。序盤はウイングバックの攻撃参加を促しつつ、スーレとバルダンツィの技巧派レフティーがボックス付近で積極的な仕掛けを見せていく。 早い時間帯の先制点には至らず、以降は遅攻を中心にじっくりと攻め手を窺うなか、得意のセットプレーではボックス内のマンチーニの抑えの利いたダイレクトボレーやドフビクに幾度かシュートチャンスが訪れたが、相手の体を張った守備をこじ開けることはできず。 迎えた後半は立ち上がりに押し込まれる形となったが、ピッコリの決定的なシュートをGKスヴィラルの好守で凌いで失点は回避。前半同様に時間の経過とともに相手を押し込んでいく。 そんななか、62分には右CKの場面でキッカーのスーレの左足インスウィングのクロスが相手のデイオラの背中に当たってゴール前にこぼれると、ゴールを背にしたドフビクが感覚だけで左足の反転シュートをゴールネットに突き刺した。 ドフビクの今季リーグ戦10点目で先制に成功したローマは、この直後に3枚替えを敢行。ディバラ、クリスタンテ、エル・シャーラウィと経験豊富なベテランをピッチに送り出す。だが、同じタイミングで3枚替えのカリアリの反撃に遭い、ボックス内でピッコリ、ミナに続けて決定的なシュートを打たれたが、再び守護神スヴィラルの好守で凌いだ。 その後、殊勲のドフビクに代えてショムロドフを投入した一方、相手との接触プレーで左ヒザに強い打撲を負ったとみられるディバラが大事をとってベンチに下がり、ピジッリがスクランブル投入された。 その後はショムロドフ、エル・シャーラウィのコンビネーションで追加点に迫るものの、決め切ることができずに後半最終盤を迎えたジャッロロッシ。長身DFミナやパヴォレッティらが存在感を示すセットプレーに冷や汗をかく場面もあったが、このままウノゼロで逃げ切った。 この結果、セリエA6連勝でEL敗退を払しょくしたローマがセリエA13試合無敗を継続している。 ローマ 1-0 カリアリ 【ローマ】 アルテム・ドフビク(後17) 2025.03.17 02:05 Mon
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「まだイタリア語の自信はないけど(笑)」ローマで充実するフンメルス…残り5カ月の契約については「僕はもう36歳だからね」

ローマの元ドイツ代表DFマッツ・フンメルス(36)が、フランクフルト戦の前日会見に出席した。『カルチョメルカート』が伝える。 昨季限りでドルトムントを退団、30代中盤にしてキャリア初の国外移籍を選択したフンメルス。最も脂が乗っていたころは世界最高のセンターバックと称えられた、稀代の名手である。 今季やってきたローマとは1年契約。 最近はコンスタントにプレーし、チームも前半戦に比べて守備が安定。早くも契約が残り5カ月となったなか、ELフランクフルト戦の前日会見で、ここ最近の心境について語っている。 「このチームは今季、たった数カ月の間に3人もの監督がベンチにいたわけだが、こういったことは起こりうるわけだし、僕のように長くやっていれば、そういうことへの耐性もある」 「最近の僕が楽しそうにみえるだって?(笑) そうだね、確かに充実感がある。ローマがハイレベルなクラブだからかな。スポーツの観点からだけじゃない。チームメイトと一緒にいて楽しいし、この街を歩くと気分も良くなる」 「まだあなたの質問にイタリア語で返せる自信がないけどね(笑) リスニングのほうは50%くらい大丈夫だが、話せる気はしない(笑) ともかくラニエリが到着してからのローマは成長速度が加速した…努力次第でEL優勝も可能だと思う」 ローマでの充実を口にしたフンメルス。一方で、来季以降については「僕はもう36歳だからね…まだ考える時間が欲しい」とローマ退団も視野に入れていることを示唆している。 2025.01.30 23:12 Thu

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