リバプール保有FSGによるボルドー買収は破談…FSGが撤退を決断

2024.07.17 17:02 Wed
深刻な財政問題抱えるボルドー
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深刻な財政問題抱えるボルドー
フェンウェイ・スポーツ・グループ(FSG)によるリーグ・ドゥ(フランス2部)のボルドー買収は破談に終わった。

ボルドーは16日、「FCジロンダン・ボルドーとその株主は、フェンウェイ・スポーツ・グループから、クラブ買収を視野に入れた数週間前からの協議を続行しない決定を通知された」と、交渉破談を報告した。

さらに、「この決定の理由には、今後数年間のスタジアム建設費用の高騰と、フランスサッカー界の全般的な経済情勢が含まれる」と、その理由についても明かしている。
1881年に創設されたボルドーはフランスで2番目に歴史のあるクラブ。過去には、ジネディーヌ・ジダンやビセンテ・リザラズなどフランス代表で活躍した選手たちも所属した。

リーグ・アンでは6回優勝しており、2008-09シーズンが最後の優勝に。2021-22シーズンは最下位でリーグ・アンを終えると、リーグ・ドゥに降格していた。2023-24シーズンはアルベルト・リエラ監督が率いた中で、13位に終わっていた。
そのボルドーだが、プロクラブ管理委員会(DNCG)は9日、財政問題を理由にシャンピオナ・ドゥ・フランス・ナシオナル(フランス3部)への降格を決定した。

この決定に対し、ボルドーのジェラール・ロペス会長はすぐさま控訴。リバプールのオーナーであるFSGへの売却による資金調達を目指したが、その目論見は崩れた。

なお、クラブは「2024-25シーズンの資金調達計画」を確定するために、引き続き代替案を模索していくと述べている。

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オリバー・カーン氏が仏4部降格の名門ボルドー買収に関心

元ドイツ代表GKでバイエルンの元最高経営責任者(CEO)のオリバー・カーン氏が、フランスのボルドー買収に関心を示している。 2023-24シーズンはリーグ・ドゥ(フランス2部)を戦っていたボルドー。しかし、クラブには大きな財政的な問題があり、事態を重く見たプロクラブ管理委員会(DNCG)は4部に当たるシャンピオナ・ナシオナル2への強制降格を言い渡した。 昨年のドイツ『キッカー』のインタビューで、フットボールクラブに投資する用意があると語っていたカーン氏は、その凋落の名門に関心を示しているという。 フランス『Sud-Ouest』によれば、カーン氏と交流がある元マルセイユ会長のジャック=アンリ・エイロー氏は同氏の代理として、現オーナーであるジェラール・ロペス氏とクラブ買収の条件について連絡を取ったという。 ただ、カーン氏の側近によれば、バイエルンのレジェンドのボルドーに対する関心はまだ初期段階にあるという。しかし、エイロー氏とロペス氏との買収交渉は前向きなものとなっており、今後交渉が進んでいく可能性は十分にあるようだ。 1881年に創設されたボルドーはフランスで2番目に歴史のあるクラブ。過去には、ジネディーヌ・ジダンやビセンテ・リザラズなどフランス代表で活躍した選手たちも所属した。 リーグ・アンでは6回優勝しており、2008-09シーズンが最後の優勝に。2021-22シーズンは最下位でリーグ・アンを終えると2部に降格。2023-24シーズンは13位に終わっていた。 2025.01.03 17:40 Fri
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チェルシーが狙うジョシュ・マジャ「夢はアーセナル」

ボルドーに所属するナイジェリア代表FWジョシュ・マジャ(21)が将来の夢を語った。イギリス『メトロ』が伝えている。 2019年1月にサンダーランドからボルドーに移籍したマジャ。180cmのセンターFWは、今季はリーグ・アン20試合に出場し5ゴール2アシストを記録。昨年9月にナイジェリア代表デビューを果たしたがルーツはイギリス。ロンドンでナイジェリア人の両親の間に生まれ、クリスタル・パレスやフルアムなどロンドンに拠点を置くクラブの下部組織で育ってきた。 『メトロ』によると、チェルシーやエバートン、今年1月にはトッテナムも関心を寄せていたと言われているが、夢はアーセナルでプレーすることなのだそうだ。本人がこうコメントしている。 「僕はロンドンで育ってきたし、プレミアリーグでプレーすることは夢の1つだよ。上手くいけば、いつかそんな未来が来ると思う」 「夢はアーセナルなんだ。いつか彼らのためにプレー出来ることを願っているよ。もしそうでなければ、どんな形であれ彼らをサポートしていきたい」 ナイジェリア代表のロンドナーはアーセナルがお気に入りのようだ。チェルシーやトッテナムは諦めた方がよさそうだ。 2020.03.04 20:16 Wed
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ボルドーが財政難で3部に強制降格…クラブは異議申し立てと共にリバプールのオーナーにクラブ売却へ

リーグ・ドゥ(フランス2部)に所属するボルドーが、クラブの売却に動いていることを発表した。 1881年に創設されたボルドーはフランスで2番目に歴史のあるクラブ。過去には、ジネディーヌ・ジダンやビセンテ・リザラズなどフランス代表で活躍した選手たちも所属した。 リーグ・アンでは6回優勝しており、2008-09シーズンが最後の優勝に。2021-22シーズンは最下位でリーグ・アンを終えると2部に降格していた。2023-24シーズンはアルベルト・リエラ監督が率いた中で、13位に終わっていた。 そのボルドーだが、プロクラブ管理委員会(DNCG)は9日、シャンピオナ・ドゥ・フランス・ナシオナル(フランス3部)への降格を決定した。 この決定に対し、ボルドーのジェラール・ロペス会長は控訴。2週間以内に再審理が行われることとなる。 財政的に大きな問題を抱えているボルドーだが、自力で問題を解決することは不可能。クラブは声明を発表し、リバプールのオーナーであるフェンウェイ・スポーツ・グループ(FSG)への売却に動いているとした。 「ジロンダン・ボルドーは、DNCGへの控訴を視野に入れ、フェンウェイ・スポーツ・グループとの協議を続けています」 「6月27日の公聴会で、DNCGは2024-25シーズンの資金調達に必要な保証を全て提供するため、ジロンダン・ボルドーに対して手続きの停止を命じました。現時点では、最終決定として、DNCGはクラブのシャンピオナ・ドゥ・フランス・ナシオナルへの降格を宣言しました」 「クラブはこの決定に異議申し立てをしており、来シーズンの資金を保証する選択肢の1つを最終決定するために必要な時間が今あります」 「そのため、フェンウェイ・スポーツ・グループに資本の過半数の株式を売却するプロジェクトが、今朝代表者の立ち会いの下でDNCGに提示され、我々は交渉の追及の一環として、DNCGと協力して取り組んでいきます」 2024.07.10 13:35 Wed
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財政問題で3部降格を言い渡されたボルドー、クラブ売却失敗で制裁を受け入れ「さらに強くなり、最高のレベルに戻ってくる」

7月9日、プロクラブ管理委員会(DNCG)によってシャンピオナ・ドゥ・フランス・ナシオナル(フランス3部)への降格が決定されたボルドー。その後、クラブの売却などに動いていたもの成立せず。3部降格を受け入れることを発表した。 ボルドーは財政的に大きな問題を抱えており、それを理由に3部への降格が言い渡された中、ボルドーのジェラール・ロペス会長はすぐさま控訴。リバプールのオーナーであるフェンウェイ・スポーツ・グループ(FSG)にクラブを売却し、資金調達を目指した。 FGSもボルドーの買収に興味を持っていたが、交渉は破談。16日に「FCジロンダン・ボルドーとその株主は、フェンウェイ・スポーツ・グループから、クラブ買収を視野に入れた数週間前からの協議を続行しない決定を通知された」とクラブが発表。「この決定の理由には、今後数年間のスタジアム建設費用の高騰と、フランスサッカー界の全般的な経済情勢が含まれる」と、破談に終わった理由も明かされていた。 そんな中、23日にボルドーは声明を発表。正式にクラブの売却ができないこととなり、控訴を取り上げることを決定。3部への降格を受け入れるとした。 「ここ数日で議論が再開されたが、FSGの代表者は22日にジロンダン・ボルドーとその株主に対し、様々な利害関係者から提供された保証にもかかわらず、交渉を続行しない意向を示した」 「従って、新しい要素が存在しないため、ジロンダン・ボルドーは、2024年7月9日付のDNCGの決定に対して提出した控訴を取り下げた」 「この結果、ジロンダン・ボルドーは2024-25シーズンのシャンピオナ・ドゥ・フランス・ナシオナルへの降格の制裁を受け入れ、DNCGに予算を提出するために再び呼び出されることとなる」 「これからの期間でジロンダン・ボルドーはさらに強くなり、最高のレベルに戻ってくることができるはずだ。クラブとその株主は、サポーター及びすべての利害関係者に対し、クラブの利益を保護したいという意向を表明する」 1881年に創設されたボルドーはフランスで2番目に歴史のあるクラブ。過去には、ジネディーヌ・ジダンやビセンテ・リザラズなどフランス代表で活躍した選手たちも所属した。 リーグ・アンでは6回優勝しており、2008-09シーズンが最後の優勝に。2021-22シーズンは最下位でリーグ・アンを終えると、リーグ・ドゥに降格していた。2023-24シーズンはアルベルト・リエラ監督が率いた中で、13位に終わっていた。 財政問題で3部に降格することが決定したボルドー。ここからの巻き返しに注目が集まる。 2024.07.24 08:30 Wed

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