「自分がサッカー選手だったことを思い出せなかった」開始40秒で頭部負傷し昏倒…ホンジュラス代表FWが事故当時を振り返る「ホンジュラス人だったことも…」
2024.11.10 23:50 Sun
開始40秒で頭部を負傷し記憶を失ったアルベルト・エリス
試合中に相手選手と接触しその場で昏倒したホンジュラス代表FWアルベルト・エリスは記憶を失っていたと明かした。『The Athletic』が伝えた。痛ましい事故は2024年2月のリーグ・ドゥ(フランス2部)で発生した。2月24日に行われたリーグ・ドゥ第26節のボルドーvsギャンガン。試合開始40秒で発生した。
右サイドからクレマン・ミシュランが仕掛けてクロスを入れると、ボックス内に飛び込んだアルベルト・エリスが合わせに行くもゴールとはならず。このプレーで、ドナティアン・ゴミスと頭部同士が接触してしまい8分程度試合が中断。アルベルト・エリスは、そのまま担架で運び出されていた。
病院に緊急搬送され、後に意識を取り戻したアルベルト・エリス。『The Athletic』で当時の状況を振り返った。
「何が起こったのかわからなかった。頭に何かが起こったとは知らなかった。そしてその時、医師から告げられた」
「フランスにいたことも思い出せなかったし、自分がホンジュラス人だったことも思い出せなかった。医師たちは、僕が再び健康になるのは難しいだろうと考えていた」
「最初の2週間は精神的に100%ではなかったため大変だったけど、日ごとに良くなっていった」
「毎日、まるで1歳ずつ歳を重ねているようだった。毎日、良くなっていき、自分自身をより深く理解するようになった」
「目が覚めてから、両親は僕がいつも幸せだと言ってくれた。生きているから幸せで、神が僕にもう一度生きるチャンスを与えてくれたことに感謝している」
意識を取り戻してから2週間後、エリスはボルドーのリハビリクリニックへと転院し、一から読み書きを覚えたという。
「僕は精神的に助けてくれる先生のところへ行った。話し方や書き方を教えてくれた。なぜなら、僕はその能力をかなり失っていたんだ」
「うまく話せなかったし、うまく書けなかったこともたくさんあった。少しずつすべてが戻ってくるように授業を受け、一日中それをやっていたんだ」
「午前中は学校へ行き、午後はジムへ行き、他のテストにも行った。回復して復帰できるように、毎日同じことを繰り返していた」
徐々に回復を見せたエリスは無事に退院。しかし、次に待ち受けていたのはチームの消滅だった。ボルドーはエリスが離脱している間に財政破綻。リーグの降格が言い渡されたが、クラブ売却の話が何度も頓挫した結果、4部に降格が決定していた。
「ボルドーに戻って回復し、また彼らのためにプレーすることをずっと考えていた。特に契約があと2年残っていたから、大変だった」
「それが僕の計画だった。しかし残念ながら、チームは倒産してしまった。僕の考えは、ボルドーに戻ってトレーニングし、またそこでプレーすることだった。それが起こったとき、実質的にすべての計画が変更になり、今日でも僕はチームに所属していない」
現場復帰のためにリハビリをしているエリス。母国ホンジュラスのクラブ・デポルティーボ・オリンピアはトレーニングに招待し、オファーも受けている。
「復帰して、100%の状態であることを証明したい」
「理想的には1月に復帰したい。すでに医師の検査を受け、大丈夫で、プレーに復帰できると言われ、今はトレーニング中だ。5カ月間トレーニングを続けており、常にヘッドガードを付けてトレーニングしている。これは、打撲を受けたときに役立つからだ」
記憶を失うところまで行ったエリス。再びピッチでプレーする姿は1月に見ることができるのか注目だ。
右サイドからクレマン・ミシュランが仕掛けてクロスを入れると、ボックス内に飛び込んだアルベルト・エリスが合わせに行くもゴールとはならず。このプレーで、ドナティアン・ゴミスと頭部同士が接触してしまい8分程度試合が中断。アルベルト・エリスは、そのまま担架で運び出されていた。
「何が起こったのかわからなかった。頭に何かが起こったとは知らなかった。そしてその時、医師から告げられた」
「目覚めたとき、自分がサッカー選手だったことを思い出せなかった」
「フランスにいたことも思い出せなかったし、自分がホンジュラス人だったことも思い出せなかった。医師たちは、僕が再び健康になるのは難しいだろうと考えていた」
「最初の2週間は精神的に100%ではなかったため大変だったけど、日ごとに良くなっていった」
「毎日、まるで1歳ずつ歳を重ねているようだった。毎日、良くなっていき、自分自身をより深く理解するようになった」
「目が覚めてから、両親は僕がいつも幸せだと言ってくれた。生きているから幸せで、神が僕にもう一度生きるチャンスを与えてくれたことに感謝している」
意識を取り戻してから2週間後、エリスはボルドーのリハビリクリニックへと転院し、一から読み書きを覚えたという。
「僕は精神的に助けてくれる先生のところへ行った。話し方や書き方を教えてくれた。なぜなら、僕はその能力をかなり失っていたんだ」
「うまく話せなかったし、うまく書けなかったこともたくさんあった。少しずつすべてが戻ってくるように授業を受け、一日中それをやっていたんだ」
「午前中は学校へ行き、午後はジムへ行き、他のテストにも行った。回復して復帰できるように、毎日同じことを繰り返していた」
徐々に回復を見せたエリスは無事に退院。しかし、次に待ち受けていたのはチームの消滅だった。ボルドーはエリスが離脱している間に財政破綻。リーグの降格が言い渡されたが、クラブ売却の話が何度も頓挫した結果、4部に降格が決定していた。
「ボルドーに戻って回復し、また彼らのためにプレーすることをずっと考えていた。特に契約があと2年残っていたから、大変だった」
「それが僕の計画だった。しかし残念ながら、チームは倒産してしまった。僕の考えは、ボルドーに戻ってトレーニングし、またそこでプレーすることだった。それが起こったとき、実質的にすべての計画が変更になり、今日でも僕はチームに所属していない」
現場復帰のためにリハビリをしているエリス。母国ホンジュラスのクラブ・デポルティーボ・オリンピアはトレーニングに招待し、オファーも受けている。
「復帰して、100%の状態であることを証明したい」
「理想的には1月に復帰したい。すでに医師の検査を受け、大丈夫で、プレーに復帰できると言われ、今はトレーニング中だ。5カ月間トレーニングを続けており、常にヘッドガードを付けてトレーニングしている。これは、打撲を受けたときに役立つからだ」
記憶を失うところまで行ったエリス。再びピッチでプレーする姿は1月に見ることができるのか注目だ。
1
2
アルベルト・エリスの関連記事
ボルドーの関連記事
リーグ・ドゥの関連記事
記事をさがす
|
|
ボルドーの人気記事ランキング
1
ベンフィカの伝説フェルナンド・シャラーナ氏が63歳で逝去…“小さな天才”と称されたアタッカー
ベンフィカのレジェンドである元ポルトガル代表MFのフェルナンド・シャラーナ氏(享年63)が逝去した。ベンフィカが10日、レジェンドの訃報を伝えた。 ベンフィカの下部組織出身で1970年代から1980年代に活躍したシャラーナ氏は、“ペケーニョ・ジェニアル(小さな天才)”との愛称で知られた左利きの小柄なアタッカー。 ベンフィカでは1974年から1984年、1987年から1990年の合計13年間の在籍期間に主力として活躍し、6度のプリメイラ・リーガ制覇を含め14個のタイトル獲得に貢献。個人としては1976年と1984年にポルトガルの年間最優秀選手賞も受賞していた。 また、ポルトガル代表として通算27キャップを刻んだシャラーナ氏は、1984年から1987年までプレーしたフランスのボルドー時代には負傷に悩まされて活躍の機会は限られたものの、2度のリーグ・アン優勝を経験していた。 現役引退後は古巣ベンフィカのアシスタントコーチや暫定指揮官、パソス・デ・フェレイラのコーチなどを歴任していた。 2022.08.10 21:23 Wed2
ボルドー、ブラジル人MFオタヴィオを獲得!
▽ボルドーは7日、アトレティコ・パラナエンセからブラジル人MFオタヴィオ(23)を完全移籍で獲得したことを発表した。同選手はメディカルチェック受診後、2021年6月30日までの4年契約にサインする。 ▽アトレティコ・パラナエンセの下部組織出身のオタヴィオは2014年にトップチームデビュー。機動力と球際の強さに定評がある守備的MFは、同クラブで公式戦107試合に出場し2ゴールを記録していた。 2017.08.08 04:38 Tue3
“ガラスの天才”グルキュフが現役引退を決断か…
元フランス代表MFヨアン・グルキュフ(33)が現役引退を決断したようだ。フランス『Ouest-France』が伝えている。 今年1月にディジョンとの契約を双方合意の下で解消したグルキュフは、以降フリーの状況が続いている。先日には同胞ベノワ・コウエ監督が率いるフランス3部のUSコンカルノーからオファーが届いたものの、同選手はこの申し出を断っていたという。 そして、『Ouest-France』が伝えるところによれば、今月11日に33歳の誕生日を迎えたばかりのグルキュフは現役引退を決断し、不動産業への転身を図る考えのようだ。 元サッカー選手でロリアンやスタッド・レンヌ、アルジェリア代表などを率いた経験を持つクリスティアン・グルキュフ氏を父親に持つグルキュフは、2003-04シーズンにレンヌでプロデビューを飾る。 卓越したテクニック、戦術眼、ゴールセンスを武器にフランス国内で“プティ・ジダン”の愛称を冠した神童は2006年に加入したミランでは、ケガや内向的な性格が災いし、思うような活躍を見せられず。それでも、2008年に加入したボルドーでは、圧巻のパフォーマンスを披露し10シーズンぶりのリーグ・アン制覇を含む国内2冠に貢献した。 しかし、2010年に加入したリヨンではこれまで以上にケガに悩まされると、思うような活躍を見せられず、2015年には古巣レンヌに復帰。その後、2018年夏にディジョンに加入したが、リーグ戦8試合の出場にとどまり、半年での退団となっていた。 フランスの世代別チームでの活躍を経て2008年にデビューを飾ったフランス代表では、ジネディーヌ・ジダンの後継者として大きな期待を集めたが、クラブ同様に一部選手たちとの確執なども伝えられた中、思うような活躍を見せられず、代表32試合4ゴールと平凡な成績に終っていた。 2019.07.12 15:41 Fri4
アーセナル強行退団のコシエルニー…その真相告白
ボルドーに所属する元フランス代表DFローラン・コシエルニーがアーセナル退団の真相を告白した。イギリス『デイリー・メール』が報じた。 コシエルニーは2010年7月にロリアンからアーセナルに移籍。キャプテンを務めるなど厚い信頼を集めたが、今夏の移籍を目指して、アーセナルの一員として参加する予定だったプレシーズンツアー帯同を拒み、最終的にボルドー移籍が実現した。 一部のアーセナルサポーターから反感を買う形で、母国復帰を強行したコシエルニー。フランス『レキップ』のインタビューで、その移籍劇を振り返り、理由を明かした。 「プレミアリーグのシーズンはすごく長丁場だ。肉体的にも精神的にも多くが求められる。40〜50試合もプレーできないと思ったし、ケガでキャリアを終わらせたくなかった」 「レベルを下げてでも、より多くの喜びを得られる方を選択したのさ。そこでキャリアを終わらせるのか、クラブを変えるのか。僕ら家族はそのときが来たと感じたんだ」 「フットボールだったり、身体の状態、妻、子供、日常生活などのすべてが僕の考えのなかにあった。僕は頭を高く上げたまま去ったと言うことしかできない」 「9年間一緒に働いた人たちの誰もが家に帰るという僕ら家族の決断を尊重してくれたよ」 2019.10.06 09:45 Sun5

