2シーズン連続でELベスト16進出のレンジャーズ、ジェラードはチーム称賛「本当に誇り」
2021.02.26 13:43 Fri
レンジャーズのスティーブン・ジェラード監督が、ヨーロッパリーグ(EL)ベスト16進出を決めたチームを称えている。クラブ公式サイトが伝えた。
「選手たちを本当に誇りに思う。今日のパフォーマンスは非常に優れていた。もちろん、失点については反省しつつ、そこから成長していきたい。ただ、2試合にわたって攻撃のクオリティや相手にとって危険なプレーを見せられた点は、多くの称賛に値するだろう」
「我々は1stレグ、2ndレグどちらでも素晴らしいゴールを決め、相手に数えきれない問題を引き起こしてきた。明日の組分け抽選会がとても楽しみだよ。我々は今、次の挑戦に移る段階を迎えたんだ」
「ここがクラブとしているべき場所だと思う。我々はビッグクラブであり、誰もがそれを認識しているだろう。この仕事に就いたとき、ELで予選落ちすると多くの否定的な意見が起こっていた。このクラブが欧州カップ戦にいるべき理由はたくさんある」
「経済的な問題はあったが、それより重要なのはファンのチームに対する熱量だ。残念ながら、今ファンはスタジアムに来ることができないが、我々は彼らがここにいると知っている。今夜はファンが誇りを持てるようなパフォーマンスをしたいと思っていた。そして、選手たちは確かにそれを実現してくれたんだ」
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レンジャーズは、25日に行われたELラウンド32・2ndレグにおいて、日本代表MF三好康児の所属するアントワープと対戦。1stレグが4-3の乱打戦になった一戦は、この日もレンジャーズが後半だけで4点を奪うなど得点を量産し、5-2のスコアで勝利した。この結果、レンジャーズは2戦合計9-5のスコアでELベスト16進出が決定。昨シーズンに続きELベスト16に進出したことに対して、ジェラード監督も喜びのコメントを残している。「我々は1stレグ、2ndレグどちらでも素晴らしいゴールを決め、相手に数えきれない問題を引き起こしてきた。明日の組分け抽選会がとても楽しみだよ。我々は今、次の挑戦に移る段階を迎えたんだ」
また、ジェラード監督は欧州カップ戦で注目を集める今の立ち位置が、本来レンジャーズのいるべき場所だと強調。同時に、ファンの期待に応えてくれた選手たちを称えている。
「ここがクラブとしているべき場所だと思う。我々はビッグクラブであり、誰もがそれを認識しているだろう。この仕事に就いたとき、ELで予選落ちすると多くの否定的な意見が起こっていた。このクラブが欧州カップ戦にいるべき理由はたくさんある」
「経済的な問題はあったが、それより重要なのはファンのチームに対する熱量だ。残念ながら、今ファンはスタジアムに来ることができないが、我々は彼らがここにいると知っている。今夜はファンが誇りを持てるようなパフォーマンスをしたいと思っていた。そして、選手たちは確かにそれを実現してくれたんだ」
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元祖“ワンダーボーイ”でリバプール唯一のバロンドーラー、マイケル・オーウェン
近年のサッカー界では、過去には考えられなかったほど若手の選手が活躍を見せ、それは世界各国のリーグで見て取れる。 例を挙げればキリがないが、ドルトムントで活躍するノルウェー代表FWアーリング・ハーランドは20歳。同僚には、17歳のイングランド代表MFジュード・ベリンガムや16歳のFWユスファ・ムココも居る。 スペインに目を移せば、バルセロナには18歳のU-21スペイン代表MFぺドリや18歳のスペイン代表FWアンス・ファティがおり、イングランドではマンチェスター・シティには20歳のイングランド代表MFフィル・フォーデンがいる。 若手が多く活躍できる状況も整っている現代サッカーだが、以前はやはり珍しい存在。まして10代にしてトップレベルで活躍できる選手などは数える程であり、一瞬の輝きで終わることも少なくなかった。 その中でも『元祖ワンダーボーイ』とも言われ、17歳でトップデビューを果たした逸材が、マイケル・オーウェンだ。 <span class="paragraph-title">◆鮮烈なデビューで世界の注目を集める</span> <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/800/img/2021/get20210227owen_3_tw.jpg" style="max-width:100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">Getty Images<hr></div> 父親もサッカー選手だったオーウェンは、少年時代からリバプールの下部組織でプレー。1997年5月に17歳でファーストチームでデビューを果たした。 1997-98シーズンは本格的にファーストチームでプレーすると、18歳でなんと18ゴールを記録。プレミアリーグの得点王に輝き、勢いそのままにシーズン終了後に行われた1998年のフランス・ワールドカップにイングランド代表の一員として出場を果たした。 ワールドカップ前の1998年2月にイングランド代表としてデビューを果たしたオーウェンは、18歳と59日。当時のイングランド代表最年少デビューとなり、モロッコ代表との親善試合では初ゴールを記録。これはウェイン・ルーニーが2003年に更新するまで、イングランド代表の最年少ゴール記録だった。 当時のオーウェンは国民的な人気を誇り、特に持ち味であるスピード溢れるプレーは見るものを魅了した。そして迎えた1998年のフランスW杯。グレン・ホドル監督によって招集されると、第2戦でのルーマニア代表戦ではW杯初ゴールを記録する。 グループステージを勝ち抜いたイングランドは、決勝トーナメント1回戦でアルゼンチン代表と対戦。同僚であったデイビッド・ベッカムの報復行為による退場が多くの方の記憶にある試合だが、この試合でオーウェンは歴戦の名DFだったロベルト・アジャラとホセ・チャモを一気にかわしゴールを決めるなど活躍していた。ちなみにパスを出したのは、その後退場するベッカムだった。 <span class="paragraph-title">◆リバプールの選手として初の栄誉</span> <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/800/img/2021/get20210227owen_2_tw.jpg" style="max-width:100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">Getty Images<hr></div> 鮮烈なデビューを見せたオーウェンには『ワンダーボーイ』と名がつけられ、W杯後の1998-99シーズンは23ゴールを記録。しかし、この頃にハムストリングを負傷すると、その後のキャリアでも長く付きまとうケガとなってしまった。 2000-01シーズンにはリバプールがFAカップ、リーグカップ、UEFAカップの“カップ・トレブル(三冠)”を達成。さらに、オーウェンはリバプールの選手として初めてバロンドールを受賞することとなった。なお、後にも先にも、オーウェン以外にはリバプールの選手としてバロンドールを受賞した者はいない。 爆発的なスピードを武器とし、シュートの技術も高かったオーウェンは、国際舞台でもくすぶり続けていたイングランド代表の救世主という期待もあったが、キャリアの転機が訪れてしまった。それがレアル・マドリーへの移籍だ。 リバプール時代は、デビューした1998-99シーズンから毎シーズン、クラブの最多得点者だったオーウェン。マドリーへ移籍すると13ゴールを記録したが、たった1シーズンでプレミアリーグへ舞い戻る事となった。 当時のマドリーは“銀河系軍団”と呼ばれており、イングランド代表の同僚であるベッカムも在籍。もちろん移籍の全てが失敗だったとは言えず、バルセロナ戦ではそのベッカムからの絶妙なアシストからオーウェンがゴールを決める、1998年のフランスW杯のアルゼンチン戦の再現にも見えた。 <div id="cws_ad"><div class="dugout-video dugout-embed-eyJrZXkiOiJOdnF3WXNhcSIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0="></div><script type="text/javascript" src="https://embed.dugout.com/v3.1/ultrasoccer.js"></script></div> 1年でマドリーを退団することとなったオーウェンには古巣のリバプールも復帰を願ったが、高額な移籍金に難色を示し、ニューカッスルに加入する。 すると、そこからはケガとの戦いが続く日々となり、4シーズン在籍したニューカッスルでは通算26ゴール、その後に加入したマンチェスター・ユナイテッドでは3シーズンで3ゴール。『ワンダーボーイ』はストーク・シティでのプレーを最後に、2013年に現役を引退した。 <span class="paragraph-title">◆キャリアの選択は重要</span> <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/800/img/2021/get20210227owen_4_tw.jpg" style="max-width:100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">Getty Images<hr></div> 人生は一度きり、その時の選択でその先の人生が変わることはプロサッカー選手に限らず、誰にでもあることだ。そして、その決断が正しかったかどうかは、その時にはなかなか分かるものではない。 オーウェンもその1人。リバプールで放っていた存在感は異次元のものであり、チームの好不調は当然ありながらも、後に象徴となるスティーブン・ジェラードとの共演はもっと見たかったと言われている。 たらればではあるが、2019-20シーズンに30年ぶりにリーグタイトルを獲得したリバプールだが、オーウェンがそのままリバプールにいれば、もっと早くその瞬間は訪れたかもしれない。もちろん、どっちが良かったかなどは言及できないが。 ただ、少なくともキャリアを振り返ればオーウェンにとって最も幸せだったのはリバプール在籍時代。レアル・マドリーへの移籍が失敗とは言えないが、そのシーズンにリバプールがチャンピオンズリーグを制していることだけを取り上げても、やはりリバプールというクラブへの想いは強いだろう。 ケガなどの不運も続き、リバプールを去った後は活躍ができなくなったオーウェン。現代サッカーでは若き才能が溢れている中で、いずれキャリアを選択する時期がそれぞれの選手に来るだろう。そこで選んだ道が正しかったかどうかは誰にもわからない。ただ、正しいと言われるだけの結果を残せるかどうか。才能ある選手には、プレー面に集中してもらいたいものだ。 <div id="cws_ad"><hr>『ワンダーボーイ』として世界中で注目を集めたマイケル・オーウェンが、大人気スポーツ育成シミュレーションゲーム『プロサッカークラブをつくろう!ロード・トゥ・ワールド』(サカつくRTW)に登場!<br/><br/>イングランドで、そしてリバプールでもチームメイトだったスティーブン・ジェラードも同時に登場している。『サカつくRTW』でワンダーボーイのゴールを観たい方は是非一度チェックしよう。</div> 2021.02.27 21:45 Sat5
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旗手怜央が呆然…水飲みたかっただけなのに、相手があからさまな拒絶反応で物議「悲しい考え」「理解できない」
セルティックとレンジャーズの“オールドファーム”でのワンシーンが大きな物議を醸している。 4月30日、スコティッシュカップ準決勝で対戦した両者。今シーズンは4度目の対戦となり、ここまでセルティックの2勝1分けという状況だった。 リーグ優勝もセルティックとレンジャーズが争い、セルティックが大きなリードを持っている中、カップ戦も決勝進出を懸けての対戦となった。 試合は前田大然の絶妙なアシストからジョタがネットを揺らし、セルティックが1-0で勝利を収めていたが、前半のとあるシーンが物議を醸している。 33分、レンジャーズのマリク・ティルマンが負傷し、メディカルスタッフがピッチ内に入り治療を行っていた。その際、水分補給をしたかった旗手怜央がバッグに入っている水に手を伸ばす。 相手チームの水を飲むことは割とノーマルな行動だったが、ここはダービー。近くにいたトッド・キャントウェルが旗手にボールを取らせないように、バッグを遠くへと投げたのだ。 流石にこの行為に旗手は呆然と立ち尽くすことに。さらに、その様子を奥で見ていた前田も苦笑いしているように見える。 その後、旗手はバッグの近くにいたアルフレッド・モレロス、ジェームズ・タベルニエに水をもらっていいか許可を得てもらうことに。なんとも珍しい光景となった。 敵に塩を送りたくなかったのか、キャントウェルの行動は理解できないものではないが、セルティックファンがスポーツマンシップがないと糾弾。「拒否する理由が理解できない」、「悲しい考えの持ち主」、「プロとしてどうなのか」とコメントを寄せていた。 一方で、「これは戦いだ」、「ダービーだからな」と擁護するコメントも出ている。 <span class="paragraph-title">【動画】旗手怜央、水飲みたいのに相手に拒否される</span> <span data-other-div="movie"></span> <blockquote class="twitter-tweet"><p lang="en" dir="ltr">The nastiness of Cantwell Hatate asks for a drink he takes the bag off him only for Morelos to give him a bottle ....nasty peice of shit <a href="https://t.co/DWWugmJ5xX">pic.twitter.com/DWWugmJ5xX</a></p>— The MilkBhoy (@Williebhoy56) <a href="https://twitter.com/Williebhoy56/status/1652701353808916480?ref_src=twsrc%5Etfw">April 30, 2023</a></blockquote> <script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script> 2023.05.01 12:47 Mon4
訛りは訛りを理解する? “あのジェラード”が新加入選手同席の会見で通訳を務める
▽グラスゴー・レンジャーズで指揮官を務めるスティーブン・ジェラード監督が新加入選手と同席した会見で通訳を務めていたことがわかった。 ▽レンジャーズは8日、ヨーロッパリーグ予備予選3回戦のマリボル戦に向けた公式会見を行い、同会見にはスラヴェン・ベルポから今夏加入したクロアチア代表DFニコラ・カティッチがジェラード監督と共に同席した。 ▽同会見では地元スコットランドの記者から何度となくカティッチに質問が飛んだが、同選手はその質問をなかなか理解できず。通常、バルカン半島出身の選手は語学に堪能でカティッチ自身も英語を流暢に話すことができるが、今回苦しんだのはいわゆるスコティッシュ・イングリッシュと言われるスコットランド特有の訛りだった。 ▽そこでカティッチに助け舟を出したのがジェラード監督だった。リバプール出身のジェラード監督は“スカウス”と評されるリバプール訛りの英語を話すため、イングランド国内では英語を聞きづらい選手として知られていた。しかし、すでにスコティッシュ・イングリッシュを会得した同監督はカティッチにリバプール訛りの英語で通訳を行うと、同選手はこのリバプール訛りの英語を何とか理解してその後はきっちり記者とのやり取りを行うことができたようだ。 ▽ただ、イギリス『スカイ・スポーツ』を中心にジェラード監督のリバプール訛りの英語に苦戦してきた多くのメディアは、「あのジェラードが通訳している」と驚きの様子で今回の会見を伝えていた。 2018.08.09 16:04 Thu5