“凡庸”なマドリーに屈したインテル、カペッロが酷評 「前半は常に苦境だった」
2020.11.27 16:56 Fri
かつてレアル・マドリーやユベントスの指揮を執ったファビオ・カペッロ氏がチャンピオンズリーグ(CL)で苦しむインテルを批判している。スペイン『アス』が伝えた。
インテルは25日に行われたCLグループB第4節でマドリーと対戦。前半にMFアルトゥーロ・ビダルが退場したこともあり、0-2のスコアで力なく敗れている。インテルは今季のCLで4試合を消化していまだに勝ちがなく、決勝トーナメント進出は非常に難しい状況だ。
こうした状況を受け、イタリア『スカイ』のインタビューに応じたカペッロ氏は勝利したマドリーを「凡庸」と評しつつ、そのチームに負けたインテルを酷評している。
「インテルはスタートから悪いパフォーマンスで決定力もなく、前半は常に苦戦を強いられていた。インテルは1人のアタッカーに対して3人の選手が守備についていたせいで、中盤が劣勢に陥っていたと思う」
「後半4バックに変更してからのインテルの方が、私は好きだね。ただ、この凡庸だったマドリーに対して、インテルはもっと多くのことをできたはずだ」
「(ロメル・)ルカクは推進力を発揮できていなかったし、ビダルのミスは許されないものだ。チームが思うように機能しないのであれば、戦術やシステムを変える時がきたのかもしれない」
インテルは25日に行われたCLグループB第4節でマドリーと対戦。前半にMFアルトゥーロ・ビダルが退場したこともあり、0-2のスコアで力なく敗れている。インテルは今季のCLで4試合を消化していまだに勝ちがなく、決勝トーナメント進出は非常に難しい状況だ。
こうした状況を受け、イタリア『スカイ』のインタビューに応じたカペッロ氏は勝利したマドリーを「凡庸」と評しつつ、そのチームに負けたインテルを酷評している。
「後半4バックに変更してからのインテルの方が、私は好きだね。ただ、この凡庸だったマドリーに対して、インテルはもっと多くのことをできたはずだ」
カペッロ氏はチームを率いるアントニオ・コンテ監督の戦術についても言及しており、結果が出ない以上、何かを変える必要があると語った。
「(ロメル・)ルカクは推進力を発揮できていなかったし、ビダルのミスは許されないものだ。チームが思うように機能しないのであれば、戦術やシステムを変える時がきたのかもしれない」
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サッカー界においてなかなか評価がされないのが守備的な選手。勝利に貢献する派手なゴールを決める攻撃的な選手はわかりやすい活躍の指標が存在するが、なかなかディフェンダーは評価が得にくい。 もちろん、これまでのサッカー界で高く評価されたディフェンダーは多々いるが、世界年間最優秀選手に贈られる「バロンドール」では3人のみが受賞。元西ドイツ代表DFのフランツ・ベッケンバウアー氏と、元東ドイツ代表DFマティアス・ザマー氏、そして元イタリア代表DFファビオ・カンナバーロ氏の3人しかいない。 DFとして最後に受賞したのが2006年のカンナバーロ氏だが、ベッケンバウアー氏やザマー氏はリベロのポジションを務めており、中盤でのプレー機会も多かった選手たち。一方で、カンナバーロ氏は、純粋にセンターバックを務めており、DFとして最初の受賞者と言っても良い存在だ。 イタリア代表のキャプテンとしてドイツ・ワールドカップ(W杯)を優勝した功績が認められたカンナバーロ氏。現役時代のキャリアで多くのタイトルを獲得しているが、縁がなかったのがチャンピオンズリーグ(CL)だ。 <span class="paragraph-title">◆記録よりも記憶に残るプレーヤー</span> 現役時代はナポリでキャリアをスタートさせたカンナバーロだが、クラブの財政難により放出。パルマへと移籍する。 このパルマでは、GKジャンルイジ・ブッフォンやDFリリアン・テュラムらと強固な守備陣を形成。“ミラクル・パルマ“とも呼ばれ、カンナバーロも2度のコッパ・イタリア優勝や、UEFAカップ(現ヨーロッパリーグ)での優勝を経験した。 中田英寿ともチームメイトとしてプレーした中、セリエAのスクデット獲得には至らずに2002年8月にインテルへと移籍。しかし、インテルでは監督との確執もあり出番が減り、2004年8月にユベントスへと完全移籍する。 すると、パルマ時代の同僚であったブッフォンとテュラムと再びチームメイトに。2004-05シーズンに見事スクデットを獲得する。しかし、このスクデットは2006年に発覚したカルチョ・スキャンダルといわれた一連の八百長事件の影響で剥奪に。結果、カンナバーロはスクデットも獲得していないこととなった。 チームはセリエBに降格処分となり、カンナバーロはレアル・マドリーへと完全移籍。そこでも本領を発揮すると、難しい中で行われたドイツW杯で優勝。前述のバロンドールも受賞することとなると、FIFA年間最優秀選手賞も受賞した。 マドリーではラ・リーガ連覇を果たすなどしたが、再びユベントスに復帰。その後は、アジアでプレーし引退した。 ビッグクラブに在籍を続けていたカンナバーロだったが、実はタイトル獲得数は多くない。クラブキャリアではわずか7個。そこにW杯が加わり8つと、イメージよりは少ないのではないだろうか。 <span class="paragraph-title">◆縁がないチャンピオンズリーグ優勝</span> そのカンナバーロだが、ことCLとなるとより縁遠くなる。インテル移籍後は毎シーズン出場はしていたが、チームとしての成績は良くなく、最高がベスト4止まりだった。 今でこそ、マドリーやユベントスはタイトルを多く獲得し、マドリーは近年CLを何度も制しているが、ちょうど“銀河系“を形成していたカンナバーロが在籍していた時代は過渡期。2000年から2010年まではラ・リーガも4度の優勝に留まっており、CLも2001-02シーズンを最後に11年間獲れなかった。 最もビッグイヤーに近づいたのは、インテル在籍時の2002-03シーズン。準決勝に駒を進めると、決勝進出を懸けた相手はライバルのミラン。2試合とも引き分けに終わったが、アウェイゴール差で僅かに敗れて敗退した。 その後は、ユベントス時代に2度ベスト8、マドリー時代に2度ベスト16まで勝ち上がっているが、それ以上は進めず。ビッグイヤーを掲げていないどころか、決勝の舞台にすら立ったことがなく、最も意外な選手の1人と言っても良い。 <span class="paragraph-title">◆タイトルは少なくとも才能は抜群</span> 目に見えたタイトルというものにはあまり恵まれていないキャリアのカンナバーロ。そのため、ワールドカップの優勝とバロンドール受賞が輝いて見える。 ただ、ピッチ上で見せるパフォーマンスの評価、そして持ち合わせた才能は世界屈指と言われている。 なんといっても、センターバックとしては身長175cmと小柄。体格に勝るヨーロッパではもちろんのこと、日本で考えても175cmのセンターバックはあまりいないタイプだ。 しかし、持って生まれた強靭な肉体が身長のハンデを埋めることに。まず一対一の守備力が抜きん出ており、相手との競り合いに負けないほか、身長を補う高いジャンプ力を武器としていた。 どんなストライカー相手でも、空中でも地上でも抜かせないという守備力は一級品だが、カンナバーロの真骨頂は守備をする前のパフォーマンスだ。 最も優れているとされたのがポジショニング。相手との競り合いに負けないフィジカルも素晴らしいが、相手よりも優位なポジションを先読みして取ることで、そもそも勝負の前に勝っているのだ。 一対一の勝負もさることながら、簡単にボールを奪い切る能力は抜きん出ている。 そしてもう1つが抜きん出た統率力。センターバックとして周りの選手にコーチングして相手を追い込んだり、優位なポジションを取ったりすることができる。これは、「カテナチオ」と言われるイタリアの堅い守備には欠かせず、ドイツW杯を制した際にもこの点は非常に評価された。チームのパフォーマンスを引っ張り上げる彼の力は、タイトルの数に関係なく、最後まで高く評価され続けた。 日本人と変わらない体格で世界と渡り合ったカンナバーロ。お手本とすべき選手の1人とも言えるだろう。 <div id="cws_ad"><hr>イタリア代表で活躍し、“カテナチオ“戦術の中心としても活躍したファビオ・カンナバーロが大人気スポーツ育成シミュレーションゲーム『プロサッカークラブをつくろう!ロード・トゥ・ワールド』(サカつくRTW)に登場!<br/><br/>現役時代に魅せたプレーが『サカつくRTW』でも再現。是非一度チェックしてみよう。<a href=“https://ryan.onelink.me/C7cD/awagt0va” target=“_blank”><div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/1200/img/2022/sega20220713.jpg" style="max-width:100%;"></div></a></div> <span class="paragraph-title">【動画】相手を封殺!カンナバーロの闘志溢れるユベントス時代のディフェンス集</span> <span data-other-div="movie"></span> <div class="dugout-video dugout-embed-eyJrZXkiOiJsdGt2Y1FHSiIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0="></div><script type="text/javascript" src="https://embed.dugout.com/v3.1/ultrasoccer.js"></script> <div id=“cws_ad”><hr>イタリア代表で活躍し、“カテナチオ“戦術の中心としても活躍したファビオ・カンナバーロが大人気スポーツ育成シミュレーションゲーム『プロサッカークラブをつくろう!ロード・トゥ・ワールド』(サカつくRTW)に登場!<br/><br/>現役時代に魅せたプレーが『サカつくRTW』でも再現。是非一度チェックしてみよう。<a href=“https://ryan.onelink.me/C7cD/awagt0va” target=“_blank”><div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/1200/img/2022/sega20220713.jpg" style="max-width:100%;"></div></a></div> 2022.07.13 21:30 Wed3
今日は何の日!4月20日はモウ・インテルがペップ・バルサに逆転勝利!/2010年
世界中で休むことなく紡がれ続けてきたフットボールの歴史の中で今日何が起こったのか。本日4月20日の出来事を振り返ってみよう。 今回ピックアップするのは、2010年4月20日。チャンピオンズリーグ(CL)準決勝1stレグでインテルがバルセロナ相手に見せた見事な逆転勝利だ。 <span class="paragraph-title">◆モウリーニョvsグアルディオラ、長年に渡るライバル関係の序章</span> 2009-10シーズンのCL準決勝、インテルvsバルセロナは、この先何年も続くことになる2人の名将によるライバル関係の序章となる一戦になった。 バルセロナを率いていたのはジョゼップ・グアルディオラ監督(現マンチェスター・シティ)。2008年にバルセロナのトップチームの監督に就任すると、2009年には前代未聞の1年6冠(コパ・デル・レイ、ラ・リーガ、CL、スペイン・スーパーカップ、UEFAスーパーカップ、クラブ・ワールドカップ)という偉業を達成。前年のバロンドーラー、リオネル・メッシを始めズラタン・イブラヒモビッチらスター軍団を擁していた。 一方、インテルを率いたのはジョゼ・モウリーニョ監督(現トッテナム)。2008-09シーズンにインテル指揮官に就任すると、すぐさまインテルをリーグと国内カップの2冠に導いていたものの、クラブの悲願であったCL優勝に向けて、野心を燃やしていた。 <div style="margin:0 auto; min-width:300px; " id="cws_ad"><div style="position: relative; padding-bottom:56.25%; height: 0; overflow: hidden; "><iframe src="https://embed.dugout.com/v2/?p=eyJrZXkiOiJjejhnYWxZdSIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0=" style="width: 300px; min-width: 100%; position: absolute; top:0; left: 0; height: 100%; overflow: hidden; " width="100%" frameborder="0" allowfullscreen scrolling="no"></iframe></div></div> <span class="paragraph-title">◆バルセロナが先手をとる</span> インテルのホームでの試合となった1stレグだったが、先に主導権を奪ったのはアウェイのバルセロナだった。19分、左サイドを崩し、インテルディフェンスの裏をとったDFマクスウェルがドリブルでボックス内の深い位置まで侵入し、マイナスのクロス。後方から入ってきたFWペドロ・ロドリゲスが完全にフリーの状態で合わせ、ダイレクトシュート。狙いすまされたシュートはゴール右下に決まりバルセロナが0-1とリードを奪った。 <span class="paragraph-title">◆インテルが見せた逆転劇</span> リードを許したインテルだったが、モウリーニョ監督の下、一致団結していたチームは黄金世代のバルセロナを持ってしても止めることは難しかった。 30分、インテルは右サイドを攻め、ワイドなポジションをとっていたFWサミュエル・エトーがクロスを上げる。これはミスキック気味のグラウンダーのクロスになったものの、ボックス中央にいたFWディエゴ・ミリートが何とかボールを拾い、右サイドでフリーとなっていたMFヴェスレイ・スナイデルにラストパス。これをスナイデルが落ち着いて決め、インテルが同点に追いつき1-1で前半を終えた。 インテルは、理想の形で後半のスタートを切る。48分、自陣深くでボールを持ったFWゴラン・パンデフがドリブルでバルセロナMF陣をかわすと、ハーフウェイライン付近から裏のスペースに走っていたミリートへパス。ボックス内でボールに追いついたミリートは攻撃参加してきたDFマイコンへパス。DFらしからぬ落ち着きを見せたマイコンが放ったシュートはGKビクトール・バルデスの脇をすり抜けゴール。後半開始早々にインテルが逆転を果たす。 止まらないインテルは61分、敵陣でバルセロナのパスをインターセプトしたMFチアゴ・モッタがすかさずサイドのマイコンへパス。マイコンのクロスに合わせたスナイデルのヘッドはミスとなるものの、反対側のポストで待っていたミリートの方向へ流れる。ミリートのゴール至近距離からの強烈なヘディングはゴールネットに突き刺さり、インテルが3-1とリードを広げた。 この後、前シーズンのCL覇者として意地をみせたいバルセロナが猛攻を見せるも、インテルが耐え抜き試合は3-1で終了。カンプ・ノウでの2ndレグに向けてインテルが大きなアドバンテージを得た。 なお、2ndレグではバルセロナが1-0で勝利するも合計スコア3-2でインテルが勝利し、決勝進出。その後、バイエルンとの決勝を制したインテルはクラブ史上3度目となるCL優勝を果たしている。 ★2010年4月20日 《チャンピオンズリーグ準決勝1stレグ》 インテル 3-1 バルセロナ 【インテル】 ヴェスレイ・スナイデル(前30) マイコン(後3) ディエゴ・ミリート(後16) 【バルセロナ】 ペドロ・ロドリゲス(前19) <span class="paragraph-title">◆出場選手</span> ◆インテル[4-2-3-1] GK:ジュリオ・セーザル DF:ハビエル・サネッティ、ワルテル・サムエル、ルシオ、マイコン(→73 クリスティアン・キヴ) MF:チアゴ・モッタ、エステバン・カンビアッソ MF:ゴラン・パンデフ(→56 デヤン・スタンコビッチ)、ヴェスレイ・スナイデル、サミュエル・エトー FW:ディエゴ・ミリート(→75 マリオ・バロテッリ) 監督:ジョゼ・モウリーニョ ◆バルセロナ[4-3-3] GK:ビクトール・バルデス DF:マクスウェル、ジェラール・ピケ、カルレス・プジョール、ダニエウ・アウベス MF:チャビ・エルナンデス、セルヒオ・ブスケッツ、セイドゥ・ケイタ FW:ペドロ・ロドリゲス、ズラタン・イブラヒモビッチ(→62 エリック・アビダル)、リオネル・メッシ 監督:ジョゼップ・グアルディオラ 2020.04.20 21:30 Mon4
時を超えて愛される“皇帝”アドリアーノ氏、生まれ育ったスラム街への愛を綴る「インテルで期待に添えなかった」「ここでなら人間に戻れる」
“皇帝”アドリアーノ氏が、かつての行方不明騒動を振り返り、生まれ育ったスラム街「ファヴェーラ」への愛着を綴る。 21世紀初頭のサッカー界を代表するスター、元ブラジル代表FWアドリアーノ氏。比類なき強烈な左足シュートに心を掴まされ、左足の練習に励んだサッカー少年も多かったはずだ。 全盛期はインテル時代で、そのキャリアはまさに「太く短く」。黄金期の名残が残るカルチョであまりに強烈な全盛期を過ごした一方、ピッチ外でのトラブルから、引退も早かった。 騒動のひとつが、繰り返された行方不明。 2009年4月、当時インテル所属でブラジル代表に招集された氏は、突如として母国で足取りが途絶え、最後はリオデジャネイロのスラム街「ファヴェーラ」から自ら帰ってきた。 あれから15年、アドリアーノ氏は『The Players Tribune』に起稿し、当時を回想。生まれ育った「ファヴェーラ」への愛着が、騒動の原因になったと文章を綴る。 「僕は『無駄』という言葉が好きだ。僕は自分のことを『サッカー史上最大の無駄』だったと思っているんだ。大丈夫だよ。一見すると汚名だが、僕はこの汚名を楽しんでいる」 「麻薬に手を染めたことはない。クラブで遊ぶのは好きじゃない。でも、貧民街から出た男が、ヨーロッパで皇帝と呼ばれるようになった。『なぜ栄光を自ら捨て、昔の居場所で酒を飲みまくっているんだ』と疑問を抱かれるが、それは多分、僕の希望そのものだったんだ」 「ファヴェーラ…サッカーから逃げてここへ戻ってきたとき、サッカー関係者は誰も僕を見つけられなかった。なぜか? それはファヴェーラのルールがあるからだ。誰もが口を閉じる…誰ひとり、僕のことを密告する人はいないんだ」 「なぜファヴェーラに戻ったか。酒や女?違う。ドラッグ?誓って違う。ここでは自由になれるんだ。平和が訪れるんだ。生きている実感が湧くんだ。ほんの一瞬でも、あの空気を吸って、人間に戻りたいと思ったんだ」 「頑張ってはみたんだ。ロベルト・マンチーニの意見に耳を傾け、ジョゼ・モウリーニョに合わせようと努力し、素直にマッシモ・モラッティを頼ったこともある。でも、彼らの期待に沿う人間にはなれなかった。次第に多くの人から非難され、もう、耐えられなかった」 「いまはファヴェーラじゃなく、リオのちゃんとした住宅街に住んでいるよ。だけど、僕の一部は常にファヴェーラにある。バイクにでも乗って、僕とドライブしないか? そうすると、心が落ち着くんだ。今だってそうさ」 「何度でも僕はファヴェーラに戻る。裸足でドミノをしたり、縁石に座ったり、音楽を聴いたり、踊ったり…僕はここでコミュニティとは何かを学んだ。これが、僕の物語だ」 2024.11.13 22:45 Wed5
