カラスコにプレミアの強豪3クラブが関心!
2022.06.24 19:15 Fri
アトレティコ・マドリーのベルギー代表MFヤニック・カラスコ(28)にプレミアリーグの強豪3クラブが関心を強めているようだ。スペイン『アス』が報じている。
シーズンを通してパフォーマンスに波はあるものの、本職の左ウイングに加えて、左右のウイングバックやサイドハーフで、ディエゴ・シメオネ率いるチームの崩しの起点を担うカラスコ。
そのベルギー代表に関しては、今夏の移籍市場でトッテナム、チェルシー、マンチェスター・ユナイテッドというプレミアリーグのビッグクラブが獲得に動いているようだ。
クラブとの現行契約は2024年まで残っており、アルゼンチン人指揮官の信頼も厚いカラスコに関して、クラブは来シーズン以降も重要な戦力として考えているという。
ただ、6000万ユーロ(約85億5000万円)に設定されている契約解除金は前述のクラブにとって十分に支払い可能な金額だ。また、カラスコのサラリーはチーム平均の金額で、年俸1000万ユーロ(約14億2000万円)超えのGKヤン・オブラクやMFコケ、FWアントワーヌ・グリーズマンらとは大きく開きがある。そのため、選手サイドがより好条件でのプレーを希望した場合、同選手を失う可能性が十分に考えられるようだ。
シーズンを通してパフォーマンスに波はあるものの、本職の左ウイングに加えて、左右のウイングバックやサイドハーフで、ディエゴ・シメオネ率いるチームの崩しの起点を担うカラスコ。
そのベルギー代表に関しては、今夏の移籍市場でトッテナム、チェルシー、マンチェスター・ユナイテッドというプレミアリーグのビッグクラブが獲得に動いているようだ。
ただ、6000万ユーロ(約85億5000万円)に設定されている契約解除金は前述のクラブにとって十分に支払い可能な金額だ。また、カラスコのサラリーはチーム平均の金額で、年俸1000万ユーロ(約14億2000万円)超えのGKヤン・オブラクやMFコケ、FWアントワーヌ・グリーズマンらとは大きく開きがある。そのため、選手サイドがより好条件でのプレーを希望した場合、同選手を失う可能性が十分に考えられるようだ。
とはいえ、現時点で前述のクラブは公式な動きは見せておらず、アトレティコとカラスコの間で条件を改善した新契約を結ぶ可能性も除外されていないという。
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日本代表が初めて感じた世界の壁、ストライカーが認める“9番”ガブリエル・バティストゥータ
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トッテナムの韓国代表FWソン・フンミンが、国際サッカー連盟(FIFA)の年間最優秀ゴールに当たるFIFAプスカシュ賞を受賞した。 ソン・フンミンは2019年12月7日に行われたプレミアリーグ第16節のバーンリー戦で、およそ86メートルの距離をドリブルで運ぶ圧巻のソロゴールを決めていた。 <div id="cws_ad">◆プスカシュ賞に選ばれたソン・フンミンのゴール<br><div class="dugout-video dugout-embed-eyJrZXkiOiJncDZTdHNFciIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0="></div><script type="text/javascript" src="https://embed.dugout.com/v3.1/ultrasoccer.js"></script></div> 晴れて一般投票で最優秀ゴールに選ばれたソン・フンミンだが、過去にクラブのインタビューでこのゴールについて回想。ドリブルをする中で、最初はMFデレ・アリにパスをしようとしていたことも明かしている。 「まだ試合前のことを覚えているよ。僕たちは力強くポジティブに試合をスタートさせなければならないと言っていた(前節のマンチェスター・ユナイテッド戦は2-1で敗戦)。それが、ハリー(・ケイン)がこの試合で信じられないゴールを決めた理由だと思う」 「そして2-0になって、僕だけでなく選手たちは自信を持っていた。僕がゴールを決めたとき、幸せに感じた。ホームだったしね」 「最初はデレ(・アリ)が空いていたからパスしようとした。でも、相手選手がデレを追いかけ、彼にパスするのはほとんど無理になってしまったんだ。だから自分で行って、加速するべきだと思った」 「そのタイミングをうかがい、加速したら2、3秒後にゴール前にいたんだ。本当に驚いて、走った後にまた試練があった」 「まだフィニッシュの部分に集中していた。このアクションをうまく仕上げたかったんだ。ゴールの前までとても上手くやっていたにも関わらず、ゴールを逃すことを想像してほしい。もしそうなったら、自分にとても腹を立てていたはずだ」 「僕は集中して上手く終わらせることができた。このようなゴールを決められて本当に幸せだよ」 韓国人選手がプスカシュ賞を受賞したのはソン・フンミンが初めて。アジア人選手としては2016年のマレーシア人MFモード・ファイズ・スブリ以来2人目の快挙となる。 2020.12.18 12:22 Fri4
小ブームとなっている“デレ・チャレンジ” あのポーズには先駆者がいた!
▽現在トッテナムの間で小さなブームとなっている“デレ・チャレンジ”。ブームの先駆けである同クラブのイングランド代表MFデレ・アリが、そのゴールパフォーマンスはある人をマネたポーズであることを明かした。イギリス『デイリー・メール』が伝えている。 ▽デレ・アリがロシア・ワールドカップから見せているゴールパフォーマンス…手でOKサインを作り、それを内側に反転させ穴を覗き込むというハンドジェスチャーは、トッテナム界隈で軽くブームになっている。 ▽実はそのパフォーマンスは、デレ・アリのオリジナルではなかったようだ。同選手のコメントによると、代表の同僚のジェイミー・ヴァーディの子供からインスピレーションを受けていたという。 「ワールドカップの時、何日かそれぞれの家族が一緒にホテルで過ごす時間があったんだ。その時に、ヴァーディの息子が周りのみんなにあのポーズができるかどうか訪ねて回っていてね。僕は出来たんだけど、他の子どもたちは出来なくて。それがちょっとおもしろかったんだ」 「その後、ジェシー・リンガードの弟がこのポーズのやり方を紹介していることを知ったよ。実際にどこから来て、誰がやり始めたのかわからないんだ。でも休みの時は友達とみんなでずっとやってたよ。でもここまで広がるとは思っていなかった。少し愉快だったね」 2018.09.06 15:13 Thu5
