ミハイロビッチ氏を元同僚サネッティ氏が追悼…「あなたは今も誰かの模範に」

2022.12.17 14:04 Sat
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インテルの副会長ハビエル・サネッティ氏が、16日に逝去したシニシャ・ミハイロビッチ氏を追悼した。

現役時代に一撃必殺の左足を武器とし、世界屈指のフリーキッカーとして鳴らしたミハイロビッチ氏。ローマやサンプドリア、ラツィオ、インテルなどで活躍し、引退後もセリエAの複数クラブで指揮を執った。

ボローニャを率いていた2019年7月に白血病を公表。以降は入退院を繰り返しながら精力的に指揮を続けるも、今年9月には成績不振で解任に。そして16日、ローマ市内の病院にて53歳の若さで息を引き取った。
ミハイロビッチ氏とミランで共闘した本田圭佑やボローニャ時代に師事した冨安健洋といった日本代表戦士からも追悼コメントが発表されるなか、現役時代の同氏とインテルで同僚だったサネッティ氏も自身のインスタグラムに無念の思いを綴っている。

「あなたは並外れた友人であり、仲間であり、男であり、戦士だった。あなたの強さ、誠実さ、そしてあなたの在り方は、今も誰かの模範となっている」
「言葉にならないほどの苦痛。家族や愛するひとへの大きな抱擁。シニシャ、安らかに」

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長友佑都が目指すべき存在、衰え見せなかった“鉄人”ハビエル・サネッティ

長年トップレベルで変わりないパフォーマンスを披露し続けることが困難なサッカー界。しかし、中には次々と出てくる若き才能に負けず、そのポジションを守り続ける男もいる。 Jリーグでは、先日53歳でJ1出場を果たした三浦知良(横浜FC)という偉大なレジェンドがいる一方で、出場機会を求めてJ1の舞台からJ2へと40歳で移った遠藤保仁(ジュビロ磐田)もいる。 日本代表に目を向ければ、2010年の南アフリカ・ワールドカップから2014年のブラジル大会、2018年のロシア大会と3大会連続でレギュラーとしてプレーし、今なお日本代表に呼ばれているDF長友佑都(マルセイユ)が居る。後輩たちの突き上げにも負けない意欲を見せており、34歳にして新たなリーグに挑戦する。 その長友が尊敬してやまない男も、また長年ポジションを守り続けてきた。元アルゼンチン代表DFハビエル・サネッティだ。 <div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">◆ネッラズーリの永遠の背番号「4」 </div> <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/800/img/2020/Zanetti5.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">Getty Images<hr></div> 1995年に母国アルゼンチンのバンフィエルドからインテルに加入したサネッティは、2014年に現役を引退するまでの約20年間を「ネラッズーリ(青と黒)」に捧げ、クラブ歴代最多の公式戦出場858試合の記録を保持している。 1999年からはキャプテンを務めると、強烈なキャプテンシーでチームをまとめ上げ、インテルでは5回のセリエA制覇、4度のコッパ・イタリア優勝を経験。2009-10シーズンにはチャンピンズリーグ優勝も成し遂げ3冠を達成するなど、多くの功績を残してきた。 その功績はサポーターからも認められ、本拠地サン・シーロでのラストゲームでは、背番号「4」の下に「EVER」の文字をあしらった「サネッティは4ever(フォーエバー、永遠)」という意味の特製のユニフォームが用意。背番号「4」はインテルの永久欠番に指定された。 <div id="cws_ad">◆入団、三冠、引退試合…サネッティとインテルが歩んだ道<br/><div style="margin:0 auto; max-width:100%; min-width:300px; " ><div style="position: relative; padding-bottom:56.25%; height: 0; overflow: hidden; "><iframe src="https://embed.dugout.com/v2/?p=eyJrZXkiOiJZMjJvcWNhTSIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0=" style="width: 300px; min-width: 100%; position: absolute; top:0; left: 0; height: 100%; overflow: hidden; " width="100%" frameborder="0" allowfullscreen scrolling="no"></iframe></div></div><div style="text-align:center;" id="cws_ad"><hr><a href="https://web.ultra-soccer.jp/link.php?url=https://ryan.onelink.me/C7cD/1fb76a70&c=sega_20201031_1">バティストゥータ、サネッティ、ベロンが<br />「サカつくRTW」に登場!</a><hr></div><div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">◆長友とサイドバックコンビを形成 </div> <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/800/img/2020/Zanetti4.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">Getty Images<hr></div> サネッティは、2014年に現役を引退するまでの3年間、長友ともチームメイトとしてプレーしている。右サイドのサネッティ、左サイドの長友と、インテルの両サイドバックをこの2人が担う時期もあった。 長友がセリエA初ゴールを決めた際には、サネッティとともに披露した「お辞儀」パフォーマンスがイタリアでも大きな話題となり、その後のインテル内で流行するほど。サネッティには長友の誠実さが伝わり、良い関係を築いていた。 長友自身もサネッティについて最も尊敬している選手だと明かしており、「サネッティのように30代後半まで活躍できる選手になりたい」と語っている。 実際、サネッティは現役最後のシーズンとなった2013-14シーズンも39歳ながら、公式戦48試合に出場するフル稼働。さらにそのほとんどすべてが先発での出場であり、衰えをみせることなくスパイクを脱いでいた。 <div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">◆重宝されるスキルとユーティリティ性 </div> <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/800/img/2020/Zanetti3.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">Getty Images<hr></div> サネッティがキャリアを長く続けられた理由の一つに、そのユーティリティ性が挙げられる。左右のサイドバックはもちろん、センターバックやボランチに加えサイドのアタッカーも務めることができた。上下動を繰り返す豊富な運動量に加え、馬力と闘志に溢れるディフェンス、アタッカー顔負けのドリブルで攻守問わずに活躍ができる選手だった。 その一流の能力に加え、チームをまとめる強烈なキャプテンシー、長年のキャリアにおいて大きなケガをしていないタフさ、さらにはプロキャリアを通して退場はわずか1回というフェアプレー精神までも併せ持っており、監督としては是が非でもチームに置いておきたい存在だったと言える。 <div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">◆ベテランとして生きる道 </div> <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/800/img/2020/Zanetti2.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">Getty Images<hr></div> サネッティ然り、経験豊富なベテランというだけでは重宝はされない。当然ながら戦力として結果を残せることが、現役選手として生き残る道だ。 ケガなくプレーすることはもちろん、フィジカルレベルを保つこと、そしてチームに経験と安定感をもたらせることは何よりも必要なこと。ミランに復帰してから再びその才能を遺憾なく発揮しているFWズラタン・イブラヒモビッチも良い例だろう。 常に結果を残し続けてきた男は、そのキャラクターもさることながら、ピッチ上でのパフォーマンスで観るものをガッカリさせたことはない。 きっと、我々がガッカリすることなく、イブラヒモビッチはピッチから去っていくはずだ。そして、結果を残すだけでなく、チームメイトへ与える影響が大きいからこそ、ベテランでありながらも重宝される。 長友の後継者探しは日本代表にとっては解決しなければいけない問題であることは間違いない。一方で、長友が尊敬してやまないサネッティになることも、日本がワンランク上に上がるためには必要だろう。ベテランとはそういった存在にならなければならないのだ。 <div style="text-align:left;" id="cws_ad"><hr>長友佑都も尊敬してやまないアルゼンチンの英雄サネッティが、大人気スポーツ育成シミュレーションゲーム『プロサッカークラブをつくろう!ロード・トゥ・ワールド』(サカつくRTW)に登場!<br /><br />サネッティとともにアルゼンチン代表として1998年のフランスW杯で日本代表と戦った、FWガブリエル・バティストゥータとMFファン・セバスティアン・ベロンも同時に登場している。『サカつくRTW』で“鉄人”の姿を観たい方は是非一度チェックしよう。</div><hr> 2020.11.02 13:30 Mon
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ボローニャがクロアチア代表CBエルリッチを獲得!

ボローニャがサッスオーロからクロアチア代表DFマルティン・エルリッチ(26)を完全移籍で獲得したことを発表した。契約期間は2028年6月30日までの4年となる。 なお、移籍市場に精通するファブリツィオ・ロマーノ氏によると、移籍金は700万ユーロ(約11億2000万円)になるという。 母国の名門ディナモ・ザグレブ、リエカを経て2014年にパルマの下部組織に加入したエルリッチ。その翌年にサッスオーロのプリマヴェーラに加入し、以降はズュートティロール、スペツィアへの武者修行を経て2022-23シーズンからサッスオーロの主力に定着した。直近2シーズンでは公式戦60試合に出場していた。 193㎝の恵まれた体躯を活かした対人能力の高さに加え、長らく“守備の国”で戦術面を磨いてきたことで、ポジショニングやプレーリードにも優れる堅実な守備者は、クロアチア代表でも9試合に出場。さらなる飛躍が期待されている。 新天地のボローニャではイタリア代表DFリッカルド・カラフィオーリの抜けた穴を埋める活躍が期待されるところだ。 2024.08.03 06:30 Sat
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「計画されていた」ミハイロビッチ監督が冨安健洋のアーセナル移籍を語る「終了の5、6時間前に去るのは少し痛い」

ボローニャのシニシャ・ミハイロビッチ監督が、アーセナルへと移籍した日本代表DF冨安健洋について言及した。 冨安はシント=トロイデンから2019年夏にボローニャに加入。セリエAの舞台に挑戦すると、センターバックだけでなく両サイドバックとしてもプレー。2シーズンでセリエAで60試合に出場し3ゴール3アシストを記録し、評価を高めていた。 その冨安は今夏の移籍が取り沙汰され、ミラン、アタランタ、トッテナム、レスター・シティ、ウェストハムなど多くのクラブからオファーがきた中、トッテナムが最有力候補になっていた。 しかし、金額面でボローニャとの交渉が進まず。すると移籍最終日に突如としてアーセナルが獲得に動き出し、そのまま契約をまとめることとなった。 移籍期限のギリギリでアーセナルへと移籍した冨安。ミハイロビッチ監督は、第25回メナリーニ国際フェアプレー賞の授賞式に出席。その際にインタビューを受け、冨安について言及した。 「昨日まではボローニャのチームに満足していたよ(苦笑)。今は少し選手が減ったが、冨安の売却は正しく、計画されていたものだ」 「もちろん、マーケット終了の5、6時間前にチームを去るのは少し痛い」 「チームが昨シーズンより強くなっているかどうかは分からないが、現場は示してくれるだろう。シーズンの終わりにはわかると思う」 冨安に関しては、クラブとしても売却する方向でいたものの、移籍期限のギリギリで移籍されては補強ができないため、そこの点は痛手だったと語った。 <span class="paragraph-title">【動画】冨安健洋、ボローニャでの成長</span> <span data-other-div="movie"></span> <div class="dugout-video dugout-embed-eyJrZXkiOiJVTHRVODVNaCIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0="></div><script type="text/javascript" src="https://embed.dugout.com/v3.1/ultrasoccer.js"></script> 2021.09.03 21:02 Fri
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「全員にとって正しい決断」ボローニャ加入のDFカラブリアが決断の理由明かす、古巣ミランでは「不愉快な状況も…」

今冬の移籍市場でボローニャに加入した元イタリア代表DFダビデ・カラブリアが、新天地での意気込みを述べた。『フットボール・イタリア』が伝えている。 カラブリアは10歳からミランの下部組織に在籍し、2015年にセリエAデビュー。その後は右サイドバックの主力として定着し、2022-23シーズンからはキャプテンを務めていた。 しかし、今シーズンはケガや不安定なパフォーマンスもあってチーム内での序列が低下。加えて、セルジオ・コンセイソン監督とは試合後に口論する場面が映されるなど、関係悪化も囁かれていた。 そんな中で、カラブリアは3日にボローニャへのレンタル移籍が発表。レンタル期間は2025年6月までとなるが、ミランとの現行契約も2025年6月で満了となるため、実質18年間在籍したクラブを去る形となった。 入団記者会見に臨んだカラブリアは、移籍を決断した理由について説明。古巣ミランには思うところがある様子を見せつつ、新天地での活躍を誓っている。 「ミランを去ることは何日も悩んだ選択だった。でも、関係者全員にとって正しい決断だったと思う。詳細については触れたくないけどね」 「ミラネッロで育ってきた僕にとって、この決断は悲しみを伴うものだった。それでも、新たな冒険にボローニャを選んだのは、ここに強い可能性を感じたからだ。野心的なチームを見つけたと思っている。ポジティブな雰囲気があって、とても気に入っているよ」 「また自分自身を証明して、以前のように一貫したプレーを取り戻すチャンスだと思う。向こう(ミラン)では不愉快な状況も生まれていたから、最近欠けていた非常にポジティブなエネルギーに満ちた、健康的な良い環境で仕事できるのは嬉しいよ」 「僕がこのクラブを選んだのは、ここに素晴らしいものを見たからだ。本当に健全な雰囲気があって、ヴィンチェンツォ・イタリアーノはステファノ・ピオリと似たプレースタイルだと思う。サイドバックの動かし方が、僕に最も合っていると思うんだ。だから、もう何カ月もここにいるような気がしている」 2025.02.12 12:20 Wed
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ボローニャがドナドーニ監督の退任を発表、3シーズン連続で残留に導く

▽ボローニャは24日、ロベルト・ドナドーニ監督(54)の退任を発表した。 ▽2015年10月にボローニャの監督に就任したドナドーニ監督は、3シーズン連続でチームを残留に導き、一定の結果を残していた。そのドナドーニ監督に対してジョーイ・サプート会長は次のように公式サイトでコメントした。 「私はドナドーニを優秀な監督と見ていた。彼とそのコーチたちはクラブへの献身さを持ち、重要な貢献を果たしくれた。だが、ここで3年を過ごし、サイクルが終わったと感じた。今後の彼のキャリアが最高のものであることを願っている」 ▽なお、後任は現在セリエBのヴェネツィアで指揮を執り、セリエA昇格プレーオフを戦っているフィリッポ・インザーギ監督が濃厚とのことだ。 2018.05.25 05:21 Fri
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冨安所属のボローニャ、築90年以上のスタジアム再開発に向け銀行と契約

日本代表DF冨安健洋が所属するボローニャが、スタジアム改修に向けて歩み出した。 ボローニャは23日、本拠地であるスタディオ・レナート・ダッラーラの再開発に向け、地元銀行との契約で合意したことを発表した。 <div id="cws_ad"><div class="dugout-video dugout-embed-eyJrZXkiOiJaR1FFUHBuMyIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0="></div><script type="text/javascript" src="https://embed.dugout.com/v3.1/ultrasoccer.js"></script></div> ボローニャは声明で「ボローニャスタディオとイスティトゥート・ペル・イル・クレディト・スポルティボ(イタリアの公共銀行)は、スタディオ・レナート・ダッラーラの再開発と近代化に関するコラボレーション契約を締結しました」と発表。「銀行は資金調達の構造化と組織化を目的化をした活動の調整を委託された。これは作業を実施するために必要な経済的枠組みの構成に貢献する必要がある」とし、再開発に向けたプランが動き出すことを示している。 スタディオ・レナート・ダッラーラはボローニャにある陸上競技場で、1927年に開場。1990年に一度修繕されている。 1934年と1990年のワールドカップでも使用されており、現在はボローニャが本拠地として使用。収容人数は3万8279人となっている。 ボローニャは今回の回収を2019年1月に発表しており、1年かけて始動。なお、陸上競技場からサッカー専用スタジアムになる予定となっている。 ボローニャは「このコラボレーションは野心的でエキサイティングなプロジェクトの完成に向けた基本的なステップを表している。これにより、スタジアムの外観が一新され、歴史的施設の建築的価値と革新的なアイデアが融合する」とし、「ファンと地元のコミュニティのメンバーのために、スタジアムの機能を最大限に活用する」とした。 なお、このスタジアムは2016年に地方議会と99年間のリース契約を結んでいる。 2020.05.23 22:50 Sat

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