シニシャ・ミハイロビッチ
Sinisa MIHAJLOVIC
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| ポジション | 監督 |
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セルビア
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| 生年月日 | 1969年02月20日(56歳) |
| 利き足 | |
| 身長 | |
| 体重 |
| ニュース | 人気記事 |
シニシャ・ミハイロビッチのニュース一覧
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現場復帰に意欲を見せていた故ミハイロビッチ氏、コンテ・スパーズ視察を計画も…
16日に白血病のため他界したシニシャ・ミハイロビッチ氏だが、現場復帰を視野にトッテナムの練習を視察する計画を立てていたようだ。イタリア『ガゼッタ・デッロ・スポルト』が報じている。 ミハイロビッチ氏と親交のあった同メディアの記者であるアンドレア・ディ・カルロ氏は11日、電話でミハイロビッチ氏と話をしていたことを明かした。 ミハイロビッチ氏との最後の会話となった電話でのやり取りでは、「ロンドンへ行ってコンテ監督に会い、練習を視察しようと思っている」と、現場復帰に意欲を見せていたことを明かした。 白血病との3年の闘いの末、力尽きたミハイロビッチ氏だが、最期までサッカーへの情熱が冷めることはなかったようだ。 2022.12.18 23:40 Sun2
冨安所属のボローニャを指揮するミハイロビッチ監督が現役時代に決めたパーフェクトなロングFK【ビューティフル・フリーキック】
サッカーにおいて、試合を決める大きな要素の一つであるフリーキック(FK)。流れの中ではなく、止まった状態から繰り出されるキックがそのままゴールネットを揺らせば、盛り上がりは一気に最高潮へと達する。 この企画『Beautiful Free Kicks』(美しいフリーキック)では、これまでに生まれたFKの数々を紹介していく。 今回は、現ボローニャ監督で元ユーゴスラビア代表DFのシニシャ・ミハイロビッチ氏がサンプドリア時代に決めたフリーキックだ。 <div id="cws_ad">◆ミハイロビッチが決めたパーフェクトFK<br/><div class="dugout-video dugout-embed-eyJrZXkiOiJkU1dhVmg3biIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0="></div><script type="text/javascript" src="https://embed.dugout.com/v3.1/ultrasoccer.js"></script></div> ミハイロビッチ氏は、母国ユーゴスラビアでの活躍を経て、1992年にローマに加入し、セリエAデビュー。1994年にはサンプドリアに加入し、リーグ屈指のDFとして活躍した。 ミハイロビッチ氏はフリーキックの名手としても知られているが、1997年2月23日に行われたセリエA第21節のナポリ戦でも、素晴らしいFKを決めている。 0-1とサンプドリアがリードされて迎えた88分、相手陣内中央でサンプドリアがFKを得る。ゴールからはやや距離があったものの、充分な助走からキッカーのミハイロビッチが直接シュートを放つと、速度、コースともに完璧なFKがゴール右上に決まった。 これにはGKも見送ることしかできず。試合はこの土壇場のゴールで追いついたサンプドリアが1-1のドローに持ち込んでいる。 2021.01.14 16:00 Thu3
モウリーニョ監督が白血病と闘いながら指揮するミハイロビッチ監督に敬意「信じられないほどの勇気と強さを示した」
ローマのジョゼ・モウリーニョ監督が、ボローニャのシニシャ・ミハイロビッチ監督に対して敬意を示した。『フットボール・イタリア』が伝えている。 ローマは1日に行われるセリエA第15節で、ボローニャと対戦する。ボローニャで指揮を執るミハイロビッチ監督は、2019年7月に自身が白血病であることを公表。それ以降は入院治療を行いながらも、強い意志によりクラブで指揮を執り続けてきた。 試合前会見に出席したミハイロビッチ監督は厳しい闘病生活を振り返りつつ、モウリーニョ監督は常に寄り添ってくれた人物だったと感謝。それに対して、同じく会見に出席したモウリーニョ監督は、ミハイロビッチ監督が示した勇気や決意を絶賛。病気で苦しむ多くの人々に希望をもたらしてくれたと、敬意を示した。 「私は彼から感謝されるべき人物ではない。シニシャは私の、我々の仲間なのだから。彼は私の大親友(デヤン・スタンコビッチ)の大親友でね。そうなれば、彼は自動的に私の友人になる」 「我々のような公人は、人々に良い影響を与えることができる。そして彼は、彼と同じ病気を持つ多くの人々に対して本当に良い影響を与えた」 「シニシャは信じられないほどの勇気と強さを示した。私は彼を尊敬しており、称賛する。彼のような人物は多くの人に影響を与えることができる。模範であり、とてつもない勇気を持っていた」 「私のささやかなサポートに感謝しなければならないのは彼ではない。私の方こそ、多くの人々の模範となってくれた彼に感謝しているんだ」 2021.12.01 12:38 Wed4
「チャンピオンは死なない」セルビアサッカー協会が、ミハイロビッチ氏を追悼「偉大な人物をあまりにも早く失った」
セルビアサッカー協会は16日、53歳で他界したシニシャ・ミハイロビッチ氏を追悼した。 現役時代はユーゴスラビア代表、セルビア・モンテネグロ代表としても活躍し、その左足から繰り出されるFKの精度は世界でも有数だったミハイロビッチ氏。現役時代はヴォイヴォディナやツルヴェナ・ズヴェズダでプレーした後、ローマ、サンプドリア、ラツィオ、インテルとイタリアでプレーを続け、2006年7月に現役を引退した。 引退後すぐに、当時インテルを率いていたロベルト・マンチーニ監督(現イタリア代表監督)のアシスタントコーチに就任。2008年11月からはボローニャで監督としてのキャリアをスタートさせると、カターニャ、フィオレンティーナ、セルビア代表、サンプドリア、ミラン、トリノで監督を歴任。2019年からボローニャで2度目の指揮を執っていたが、成績不振で2022年9月に解任されていた。 ミハイロビッチ氏は、2019-20シーズン前のキャンプ中に急性白血病を患っていることを告白。その後は、化学療法と骨髄移植を行いながら、ボローニャを指揮。3回目の化学療法を終えた後は現場に完全復帰していたが、帰らぬ人となった。 ミラン時代には本田圭佑、ボローニャ時代には日本代表DF冨安健洋(アーセナル)が指導を受けるなどしたミハイロビッチ氏。FKでハットトリックを達成するなど、伝説的な選手の1人だったが、セルビアサッカー協会はレジェンドを追悼した。 「サッカー界は、ヨーロッパと世界のチャンピオンであり、サッカー界史上最高のFKの名手であり、選手、代表チームの選手、監督、セレクター、セルビアとイタリアのサッカーの歴史に深い足跡を残した偉大な人物をあまりにも早く失った」 「シニシャは、人生で多くの戦いに勝利し、大きなトロフィーを獲得した。彼は深刻な病気に対し、最も重要な勝利を収めると思われたが、希望も失われた」 「彼の強さ、カリスマ性、楽観主義をもってすれば、2度目の悪性の疾患にも勝つ事ができるだろうと考えた時、彼は亡くなった。残念ながら、そうではなかった」 「サッカー界は今、涙を流しているが、シニシャはその涙を見られたくはないはずだ。チャンピオンは死なない」 「セルビアサッカー協会は、シニシャ・ミハイロビッチの家族と友人に、心からの哀悼の意を表します。シニシャ、安らかに。永遠の栄光をあなたに」 <span class="paragraph-title">【動画】ミハイロビッチ氏、惚れ惚れするFK集</span> <span data-other-div="movie"></span> <div class="dugout-video dugout-embed-eyJrZXkiOiI1c3J6QXdKSCIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0="></div><script type="text/javascript" src="https://embed.dugout.com/v3.1/ultrasoccer.js"></script> 2022.12.17 11:40 Sat5

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