FIFA『ザ・ベスト』の最優秀監督最終候補3名が決定
2022.01.07 01:00 Fri
国際サッカー連盟(FIFA)は6日、2021年度『ザ・ベスト・FIFAフットボールアウォーズ』の男子最優秀監督最終候補3名を発表した。
11月に発表された男子最優秀監督候補7名の中から今回3名が選出。選ばれたのはイタリア代表をユーロ優勝に導いたロベルト・マンチーニ監督、チェルシーを指揮して約4カ月でチャンピオンズリーグのタイトルをもたらしたトーマス・トゥヘル監督、プレミアリーグ王者マンチェスター・シティのジョゼップ・グアルディオラ監督の3名となった。
一方でインテルをスクデット獲得に導いたアントニオ・コンテ監督やアルゼンチン代表をコパ・アメリカ優勝に導いたリオネル・スカローニ監督らは選外となっている。
最優秀監督の発表は17日に行われる。
◆最優秀監督最終候補者3名
ジョゼップ・グアルディオラ(スペイン/マンチェスター・シティ)
ロベルト・マンチーニ(イタリア/イタリア代表)
トーマス・トゥヘル(ドイツ/チェルシー)
アントニオ・コンテ(イタリア/インテル、トッテナム)
ハンジ・フリック(ドイツ/バイエルン、ドイツ代表)
リオネル・スカローニ(アルゼンチン/アルゼンチン代表)
ディエゴ・シメオネ(アルゼンチン/アトレティコ・マドリー)
11月に発表された男子最優秀監督候補7名の中から今回3名が選出。選ばれたのはイタリア代表をユーロ優勝に導いたロベルト・マンチーニ監督、チェルシーを指揮して約4カ月でチャンピオンズリーグのタイトルをもたらしたトーマス・トゥヘル監督、プレミアリーグ王者マンチェスター・シティのジョゼップ・グアルディオラ監督の3名となった。
一方でインテルをスクデット獲得に導いたアントニオ・コンテ監督やアルゼンチン代表をコパ・アメリカ優勝に導いたリオネル・スカローニ監督らは選外となっている。
◆最優秀監督最終候補者3名
ジョゼップ・グアルディオラ(スペイン/マンチェスター・シティ)
ロベルト・マンチーニ(イタリア/イタリア代表)
トーマス・トゥヘル(ドイツ/チェルシー)
◆選外の最優秀監督候補者4名
アントニオ・コンテ(イタリア/インテル、トッテナム)
ハンジ・フリック(ドイツ/バイエルン、ドイツ代表)
リオネル・スカローニ(アルゼンチン/アルゼンチン代表)
ディエゴ・シメオネ(アルゼンチン/アトレティコ・マドリー)
ロベルト・マンチーニの関連記事
プレミアリーグの関連記事
記事をさがす
|
|
ロベルト・マンチーニの人気記事ランキング
1
大型ボランチの代名詞 アフリカ最強MF、ヤヤ・トゥーレ【ピックアップ・プレイヤー】
サッカーでは、GK、DF、MF、FWとそれぞれ役割の全く異なるポジションで、それぞれにスター選手がいる。今回の企画『Pick Up Player』では、現役を問わず各クラブを代表する選手たちをプレー動画付きで紹介していく。 今回は元コートジボワール代表MFヤヤ・トゥーレ(37)だ。 <div id="cws_ad">◆アフリカ最強MFヤヤ・トゥーレのシティでの好プレー集<br /><div style="margin:0 auto; max-width:100%; min-width:300px; " ><div style="position: relative; padding-bottom:56.25%; height: 0; overflow: hidden; "><iframe src="https://embed.dugout.com/v2/?p=eyJrZXkiOiJFQTFmVlF6ZCIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0=" style="width: 300px; min-width: 100%; position: absolute; top:0; left: 0; height: 100%; overflow: hidden; " width="100%" frameborder="0" allowfullscreen scrolling="no"></iframe></div></div></div> アーセナルなどで活躍した兄のコロ・トゥーレとともに、コートジボワールのASECミモザでキャリアをスタートさせたヤヤ・トゥーレ。2000年に17歳でトップチームデビューを果たすと、2001年にベルギーのベベレンへと移籍し、欧州でのキャリアをスタートさせた。 ベベレン時代には兄のコロが在籍していたアーセナル加入が近づいたこともあったが、労働許可証の問題から移籍は実現せず、ウクライナのメタルルフ・ドネツクへと移籍した。 その後、ギリシャのオリンピアコスとフランスのモナコを経て、2007年にバルセロナへと移籍すると、主に中盤の底で起用。191cmの長身と長い手足に加え、バルセロナの選手らしい高い足元の技術を持ち、チャンスをみると自ら持ち上がることもできるヤヤ・トゥーレは、ジョゼップ・グアルディオラ監督との確執もありながらも、2008-2009シーズンの3冠獲得にも貢献した。 2010年夏に兄のコロが在籍するマンチェスター・シティへと移籍。背番号「42」を着用すると、ロベルト・マンチーニ監督のもとトップ下でも起用されるようになり、得点能力が開花した。公式戦二桁得点を記録し、チームも史上初のチャンピオンズリーグ(CL)出場権を獲得した。 それからはシティの攻撃の中心に君臨。ゴール前への飛び出しやミドルシュートなど流れの中からのゴールに加え、直接FKやPKなどのセットプレーからもゴールを重ねた。中でも、2013-14シーズンは公式戦49試合に出場して24ゴール12アシストを記録。プレミアリーグでもリーグ3位の20ゴールを奪い、MFとして異例の数字を残した。 2016-17シーズンにグアルディオラ監督がシティの監督に就任すると、一度は出場機会を失うものの、和解後は再びチームの中心となり、2018年夏に退団するまで公式戦316試合79ゴール50アシストを記録している。 その後は古巣のオリンピアコスと中国の青島黄海でプレーしたが、2019年末に青島黄海を退団して以降、今は無所属となっている。 2020.08.31 06:00 Mon2
時を超えて愛される“皇帝”アドリアーノ氏、生まれ育ったスラム街への愛を綴る「インテルで期待に添えなかった」「ここでなら人間に戻れる」
“皇帝”アドリアーノ氏が、かつての行方不明騒動を振り返り、生まれ育ったスラム街「ファヴェーラ」への愛着を綴る。 21世紀初頭のサッカー界を代表するスター、元ブラジル代表FWアドリアーノ氏。比類なき強烈な左足シュートに心を掴まされ、左足の練習に励んだサッカー少年も多かったはずだ。 全盛期はインテル時代で、そのキャリアはまさに「太く短く」。黄金期の名残が残るカルチョであまりに強烈な全盛期を過ごした一方、ピッチ外でのトラブルから、引退も早かった。 騒動のひとつが、繰り返された行方不明。 2009年4月、当時インテル所属でブラジル代表に招集された氏は、突如として母国で足取りが途絶え、最後はリオデジャネイロのスラム街「ファヴェーラ」から自ら帰ってきた。 あれから15年、アドリアーノ氏は『The Players Tribune』に起稿し、当時を回想。生まれ育った「ファヴェーラ」への愛着が、騒動の原因になったと文章を綴る。 「僕は『無駄』という言葉が好きだ。僕は自分のことを『サッカー史上最大の無駄』だったと思っているんだ。大丈夫だよ。一見すると汚名だが、僕はこの汚名を楽しんでいる」 「麻薬に手を染めたことはない。クラブで遊ぶのは好きじゃない。でも、貧民街から出た男が、ヨーロッパで皇帝と呼ばれるようになった。『なぜ栄光を自ら捨て、昔の居場所で酒を飲みまくっているんだ』と疑問を抱かれるが、それは多分、僕の希望そのものだったんだ」 「ファヴェーラ…サッカーから逃げてここへ戻ってきたとき、サッカー関係者は誰も僕を見つけられなかった。なぜか? それはファヴェーラのルールがあるからだ。誰もが口を閉じる…誰ひとり、僕のことを密告する人はいないんだ」 「なぜファヴェーラに戻ったか。酒や女?違う。ドラッグ?誓って違う。ここでは自由になれるんだ。平和が訪れるんだ。生きている実感が湧くんだ。ほんの一瞬でも、あの空気を吸って、人間に戻りたいと思ったんだ」 「頑張ってはみたんだ。ロベルト・マンチーニの意見に耳を傾け、ジョゼ・モウリーニョに合わせようと努力し、素直にマッシモ・モラッティを頼ったこともある。でも、彼らの期待に沿う人間にはなれなかった。次第に多くの人から非難され、もう、耐えられなかった」 「いまはファヴェーラじゃなく、リオのちゃんとした住宅街に住んでいるよ。だけど、僕の一部は常にファヴェーラにある。バイクにでも乗って、僕とドライブしないか? そうすると、心が落ち着くんだ。今だってそうさ」 「何度でも僕はファヴェーラに戻る。裸足でドミノをしたり、縁石に座ったり、音楽を聴いたり、踊ったり…僕はここでコミュニティとは何かを学んだ。これが、僕の物語だ」 2024.11.13 22:45 Wed3
ウディネの逸材MFパフンディがローンバック…ローザンヌは買取OP行使見送り
U-21イタリア代表MFシモーネ・パフンディ(18)がウディネーゼに復帰することが決定した。 スイスのローザンヌ・スポルトは17日、買い取りオプション付きの1年間のレンタルで加入していたパフンディの保有元復帰を発表した。 ウディネーゼの下部組織出身のパフンディは166cmの左利きの攻撃的MF。10代前半から圧倒的なテクニック、戦術眼、創造性を高く評価されていた逸材は、2022年5月に行われたサレルニターナ戦で、クラブ史上2位の16歳2カ月8日でのセリエA年少デビューを飾った。 さらに、クラブの伝説的なアタッカー、アントニオ・ディ・ナターレの系譜を受け継ぐ逸材は若手を重用したロベルト・マンチーニ前監督の下、2022年11月のアルバニア代表戦で16歳8カ月2日という歴代3位の若さでアッズーリデビューも飾った。 ただ、以降はファーストチーム定着には至らず、今年1月にスイスのクラブへ旅立っていた。シーズン途中の加入となった昨シーズンはリーグ戦17試合1ゴール2アシストの数字を残したが、今シーズンここまではケガの影響などもあって公式戦3試合の出場にとどまっていた。 2024.12.18 16:00 Wed4
マンチーニに恨み節炸裂のブリッジ氏、イタリアのユーロ優勝は「最悪だった」
元イングランド代表のウェイン・ブリッジ氏が、イタリア代表のロベルト・マンチーニ監督のユーロ2020優勝にひどく傷ついたことを明かした。イギリス『デイリー・メール』が伝えている。 先日にイタリア代表の優勝で幕を閉じた今回のユーロ。イタリアはグループステージから白星を並べ、決勝のイングランド代表戦の勝利で無敗記録を34試合、連勝記録を15試合に伸ばし、完全優勝を果たした。 誰もがイタリアに称賛を送る中、歯がゆい思いをしているのがブリッジ氏だ。元スリーライオンズとしてイングランドが敗れた悔しさはもちろんあるだろうが、個人的に許せないのがマンチーニ監督に優勝を許してしまったことだという。 両者は2009-10シーズンにマンチェスター・シティで監督と選手という関係になった。2009年1月に同クラブに加入したブリッジ氏はマーク・ヒューズ監督の下でレギュラーとして活躍していたが、同年12月にマーク・ヒューズ監督の解任に伴い、マンチーニ監督が就任すると、その立場は激変。 イタリア人指揮官の初陣でいきなりベンチ外という扱いを受けると、翌シーズンは完全に戦力外とみなされ、追われるようにウェストハムへレンタル移籍。その後もサンダーランドやブライトンにレンタルに出され、マンチーニ監督の在任中はほとんどシティでプレーできないまま、2013年夏にレディングへ完全移籍した。 その背景もあり、ブリッジ氏のマンチーニ監督に対する恨みは相当なもの。あるインタビューで「嫌い」と断言し、「監督だと思ったことはない」と切り捨てた。 「私はマンチーニが嫌いなので、イタリアの優勝にはひどく傷ついたよ。私が彼を愛していないことは皆知っているだろう」 「これまで会った中で最悪とまでは言わないが、別段戦術に優れているわけではない。(今大会の)彼の戦い方は良かった。言いたくはないがね」 「私の家族はイングランドを応援していただけでなく、マンチーニが負けることを願っていた。だからこそショックは大きかった。私は彼を監督だと思ったことは一度もない」 憎しみが収まらないブリッジ氏はさらにシティ時代の逸話を告白。監督の器量を備えていないと言い切った。 「彼がマンチェスター・シティでリーグを制覇したことは賞賛に値するし、シティのファンは彼を愛しているだろうが、当時の選手やチームを見れば、それこそがリーグを制覇した理由であり、監督の実力ではない」 「我々の練習相手はマネキンだった。そんなものフットボールではない。サイドバックの我々に対して彼は2つの選択肢しか提示しなかった」 「クレイグ・ベラミーが『試合でこういう場合はどうするんだ』と尋ねようとすると、マンチーニは『うるさい、黙れ』と払いのけて、結局家に帰してトレーニングに参加させなかった」 「監督として本当に理解できない人物だ」 2021.07.17 17:24 Sat5
