中東サウジを離れて1カ月…ロベルト・マンチーニ氏が60歳に 監督業継続へ意欲「まだ叶っていない目標がある」
2024.11.27 19:10 Wed
ロベルト・マンチーニ氏
前サウジアラビア代表指揮官のロベルト・マンチーニ氏が11月27日、60歳を迎えた。
80年代、90年代のギラギラしたセリエAにおいて、ミランやユベントスといった列強にも怯まぬ存在として異彩を放ったサンプドリア。その中心にはエース・マンチーニがおり、1991年はクラブ史上唯一のスクデットに輝いている。
その後、マンチーニ氏は監督としてインテル、マンチェスター・シティに国内の覇権を取り戻させており、2021年にはイタリア代表でユーロ2020優勝。必ずしも順調ではないにせよ、人々が羨む監督キャリアを送ってきた。
しかし昨年、2022年W杯欧州予選で敗退したとき以上の反発をイタリア国民から喰らうことに。突如としてイタリア代表指揮官の職を辞し、数週間後に向かった先はサウジアラビア代表…誰もがオイルマネーを想起した。
氏は今回、誕生日祝いで実施されたイタリア『il Giornale』のインタビュー内にて、改めて辞任を回想。辞任致し方なしを強調した。
「イタリアサッカー連盟(FIGC)との間で築いてきた信頼関係が相互に壊れたのだ。あの頃に戻れるなら…と後悔はある。会長ともっと話をしていたら、あのような事態には陥らなかった」
結局、サウジ生活も長続きしなかったマンチーニ氏。イタリア帰国はセリエA・ローマのゴタゴタと重なり、一時は「イバン・ユリッチ監督の後任か?」とも現地で報じられた。
氏は今後も監督業を続けていきたいとしつつ、どちらかといえば「代表監督」を希望か。
「ローマから電話がかかってきたことなんか人生で一度もない。もし電話がかかってきていて、良いプロジェクトを説明されていたら、おそらくイエスと答えていただろうがね」
「ただ、初めてA代表(イタリア)を託されたとき、ユーロとW杯の両方で優勝すると宣言した。片方はまだ叶っていない」
80年代、90年代のギラギラしたセリエAにおいて、ミランやユベントスといった列強にも怯まぬ存在として異彩を放ったサンプドリア。その中心にはエース・マンチーニがおり、1991年はクラブ史上唯一のスクデットに輝いている。
その後、マンチーニ氏は監督としてインテル、マンチェスター・シティに国内の覇権を取り戻させており、2021年にはイタリア代表でユーロ2020優勝。必ずしも順調ではないにせよ、人々が羨む監督キャリアを送ってきた。
氏は今回、誕生日祝いで実施されたイタリア『il Giornale』のインタビュー内にて、改めて辞任を回想。辞任致し方なしを強調した。
「選手もコーチも高額なオファーに惹かれることは否定しないが、サウジへ向かった決定的な理由ではないし、何よりイタリアを離れたのもオファーがあったからではない」
「イタリアサッカー連盟(FIGC)との間で築いてきた信頼関係が相互に壊れたのだ。あの頃に戻れるなら…と後悔はある。会長ともっと話をしていたら、あのような事態には陥らなかった」
結局、サウジ生活も長続きしなかったマンチーニ氏。イタリア帰国はセリエA・ローマのゴタゴタと重なり、一時は「イバン・ユリッチ監督の後任か?」とも現地で報じられた。
氏は今後も監督業を続けていきたいとしつつ、どちらかといえば「代表監督」を希望か。
「ローマから電話がかかってきたことなんか人生で一度もない。もし電話がかかってきていて、良いプロジェクトを説明されていたら、おそらくイエスと答えていただろうがね」
「ただ、初めてA代表(イタリア)を託されたとき、ユーロとW杯の両方で優勝すると宣言した。片方はまだ叶っていない」
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サウジアラビアはサッカー界に対する巨額の投資を、ワールドカップ(W杯)の開催国となる2034年まで維持できるのか。イタリア『カルチョメルカート』が伝えている。 政府系ファンド「PIF」がイングランド・プレミアリーグのニューカッスルを買収した2021年秋を境に、財政力をフル活用したサッカー界に対する介入が大きくなったサウジアラビア。 自国リーグへの投資では、PIF傘下のアル・ナスルが22年12月31日にクリスティアーノ・ロナウドを獲得。日本円にして300億円近いフットボーラー史上最高額の年俸が支払われる。 これを皮切りに23年夏、脂が乗った全盛期バリバリのスター選手を欧州から獲得するクラブが急増し、スペイン代表の次代を担う宝石と評された当時21歳のガブリ・ベイガが、アル・アハリへ移籍するという事例も。 また昨年11月には、2034年W杯はサウジアラビアで開催されることが事実上確定。地球上からサッカーの中心地を奪い取る、と言わんばかりの国家的プロジェクトとなっている。 ただイタリア『La Repubblica』は、関係者談を交えて、こんな社説を展開。 「状況が逆転している。サウジアラビアは偉大なるチャンピオンを誘致すべく、ヨーロッパのあらゆる場所に数億ドルを配ったが、いま、逆に資金とスキルを求めて、再びやってきた」 どうやら、サウジ・プロフェッショナルリーグの評価、スポンサー収入、放映権収入がはやくも減少傾向に。 スター選手が勢揃いした2023-24シーズン、同リーグは公式戦34連勝を達成するなどしたアル・ヒラルの1人勝ちに終わり、「単純に面白くない」との評価が蔓延。 政府の興味が向かない下位クラブは集客拡大の見込みもなく、「リーグ戦の半分はスタジアムがガラガラ」とも言えてしまう。今夏は昨夏ほどのスター選手乱獲も叶っていない。 政府内には「34年W杯まで国内のサッカー熱をキープする」ことへの危機感が増しているとされ、状況を打破すべく、投資家とコネクションを求め、欧州に人を送り込んでいるそうだ。 最近では、グローバルにコンサル事業を展開するイタリアの法律事務所へ出向き、W杯で利用する新スタジアムの建設を念頭に、踏み込んだ内容の意見交換を行なったとされている。 今後数日は、ミラノを含む複数の欧州都市で開催される国際フォーラムにも政府として参加するそうだ。 2024.09.04 19:10 Wed4
サウジ戦のパフォーマンスが低調だったのは消化試合だったから?/六川亨の日本サッカー見聞録
3月25日に埼玉スタジアムで開催された日本対サウジアラビア戦は、FW前田大然やMF伊東純也が惜しいシュートを放ったものの最後までサウジアラビアの堅守を崩すことはできず、0-0のドローに終わった。日本は今予選で初めてノーゴールに終わったが、勝点1を積み上げたことで勝点を20に伸ばし、グループCの首位突破を決めた。 ケガで上田綺世、守田英正、三笘薫の主力を欠いたものの、田中碧や中村敬斗が代役を果たす選手層の厚さをみせた。さすがに前田には、上田のようなポストプレーは期待できないものの、前線からの鋭い出足によるプレスやパスカットなどで持ち味を発揮した。 0-0のドローに終わったのは、サウジアラビアが「日本で試合をする場合にオープンな試合はできない」とエルヴェ・ルナール監督が振り返ったように、5-4-1の布陣から、前線の選手もリトリートして体力の消耗を防ぐ超守備的な戦い方を選択したからだった。 そのおかげで、「0-0の今日の結果は満足している」(ルナール監督)と狙い通り勝点1を獲得。2位のオーストラリアとは3勝点差のまま、残り2試合(バーレーンとオーストラリア)にストレートインの2位浮上に望みをつないだ。 試合の正直な感想を言えば、「消化試合のため低調なパフォーマンスも仕方がない」といったところ。すでにW杯出場を決めている。試合が終わればすぐに所属チームに戻り、熾烈な終盤戦が待っている。前述した3人のように「ケガはしたくない」というのが本音だろう。 久保建英は相変わらずクオリティの高いプレーを随所に披露したし、中村も果敢なドリブル突破を仕掛けた。田中は前田に決定的なパスを出しただけでなく、鎌田大地がボールをロストした際は全力でプレスバックしてボールを奪い返すなど攻守に貢献した。 しかし、伊東に決定的なスルーパスを出したものの、鎌田はサウジアラビアの厳しいマークにも遭い、簡単にボールを奪われるシーンが目立った。ボール際の攻防では粘り強さがなく、デュエルの強度も低い。淡泊な印象を受けたのはケガを恐れたからではないかと感じた。 同じことは交代出場の堂安律にも言えて、ボールを持ってもほとんど仕掛けず、味方へのパスに終始した。さすがにボランチと3BKは失点のリスクがあるだけに、いつものようにプレーしていたが、攻撃系の選手は「消化試合」と割り切ってしまえば、無意識のうちに手を抜いていたとしても仕方がないだろう。 かつて2002年の日韓W杯の予選抽選会が釜山のコンベンションホールで開催された。その結果、ドイツはイングランドと同じグループでW杯出場を争うことになった。その際、会場にいたドイツ人記者のマーティン・ヘーゲレ氏に「大変なことになりましたね」と声を掛けたところ、彼は「予選はこれぐらいの緊張感があった方がいい」と事もなげに答えた。 その余裕から「さすがはW杯の常連国」と感心してしまった記憶がある。結果はイングランドが首位で予選を突破して、ドイツはプレーオフ経由で出場権を獲得。そして本大会では決勝でブラジルに敗れたものの、見事ファイナリストに勝ち進んだ。 そうしたヒリヒリするような緊張感は、今回の最終予選ではスタートから日本が圧勝したせいもあり早々に消えた。「負けることはないだろう」と余裕を持って取材ができて、W杯出場を決めた直後のサウジアラビア戦でも緊張感を体験することはまったくできず、ゴールを渇望するサポーターの大声援が試合を盛り上げていた印象が強い。 たぶん6月の2試合も「消化試合」という印象は拭えず、それは10月の11月のキリンチャレンジ杯でも続くことだろう。ヨーロッパ勢の出場は難しく、アフリカや中南米の国々との対戦が予想されるからだ(アルゼンチンやブラジルが相手なら変わってくるかもしれないが)。 それはそれで、「贅沢な悩み」と言えるかもしれない。そしてもう1つ、森保一監督は「2チーム、3チームぶん」の戦力の底上げと成熟度を今後の課題として指摘した。ただし、これも個人的な感想だが、現代表のスタメンと交代選手の起用法はほとんど予想できる。 このため森保ジャパンの“マンネリ感"も感じずにはいられない。かといって、現在のメンバーに、新たに見てみたい選手がいるかといえば、マインツのボランチ佐野海舟くらいで、FW陣には見当たらない。 W杯まであと1年ほど。ストロングヘッダーの出現を今年のJリーグでは期待したいと思っている。 2025.03.28 19:00 Fri5