ECL首位突破も不満…モウリーニョ「良かったのは勝利したという点だけ」
2021.12.10 13:06 Fri
ローマのジョゼ・モウリーニョ監督がヨーロッパカンファレンスリーグ(ECL)の勝利にも不満を示した。クラブ公式サイトが伝えている。
9日に行われたグループC最終節でCSKAソフィアと対戦したローマ。前半に先制点を挙げたFWタミー・エイブラハムの2ゴールなどで53分までに3点先行する余裕の展開とすると、最終的に1点差まで詰め寄られるものの、アウェイで2-3の逃げ切りに成功した。
一方、グループ首位のボデ/グリムトがドローに終わったこともあり、ローマは最終節で首位に浮上。決勝トーナメント進出を決めた。
モウリーニョ監督は結果を喜びつつもチームのパフォーマンスについては苦言。3点差から危うく追いつかれそうになったプレー内容への不満を隠さなかった。
「自分たちで多くの問題を作り出してはならない。ハーフタイムに2-0で勝っていて、試合を完全にコントロールできていたのに、後半になると何度もボールを失ってしまう。深入りしすぎて、少し甘すぎるプレーをしてしまった」
試合内容には不満を示した一方で、モウリーニョ監督はチームの2点目を記録したFWボルハ・マジョラル・モジャを称賛。ゴール以外のパフォーマンスについても称えている。
「彼のパフォーマンスは私にとって数少ないポジティブな要素の一つだ。あれは素晴らしいゴールであり、我々にとっても重要なものだった。そしてゴール以外にも、彼が成し遂げた仕事やクオリティの高さには本当に満足している」
「彼はいつも仕事に打ち込んでいる選手だからこそ、私を驚かせることはなかった。ただ、全体的に見て彼のパフォーマンスの質は、今夜のなかで私が本当に気に入った数少ない側面の一つだね」
9日に行われたグループC最終節でCSKAソフィアと対戦したローマ。前半に先制点を挙げたFWタミー・エイブラハムの2ゴールなどで53分までに3点先行する余裕の展開とすると、最終的に1点差まで詰め寄られるものの、アウェイで2-3の逃げ切りに成功した。
一方、グループ首位のボデ/グリムトがドローに終わったこともあり、ローマは最終節で首位に浮上。決勝トーナメント進出を決めた。
「自分たちで多くの問題を作り出してはならない。ハーフタイムに2-0で勝っていて、試合を完全にコントロールできていたのに、後半になると何度もボールを失ってしまう。深入りしすぎて、少し甘すぎるプレーをしてしまった」
「彼らのゴールは、私にとっては受け入れがたいものだ。もちろん、勝利には満足しており、(ボデ/グリムトと引き分けた)ゾリャが我々に好意を示してくれたことにも満足している。しかし、本当に良かったのはその点だけだ。3-0から3-2になるなんてありえない」
試合内容には不満を示した一方で、モウリーニョ監督はチームの2点目を記録したFWボルハ・マジョラル・モジャを称賛。ゴール以外のパフォーマンスについても称えている。
「彼のパフォーマンスは私にとって数少ないポジティブな要素の一つだ。あれは素晴らしいゴールであり、我々にとっても重要なものだった。そしてゴール以外にも、彼が成し遂げた仕事やクオリティの高さには本当に満足している」
「彼はいつも仕事に打ち込んでいる選手だからこそ、私を驚かせることはなかった。ただ、全体的に見て彼のパフォーマンスの質は、今夜のなかで私が本当に気に入った数少ない側面の一つだね」
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