重傷スピナッツォーラがアッズーリに笑顔で別れ…コヴェルチャーノの食堂で別れの挨拶

2021.07.04 14:09 Sun
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アキレス腱断裂の重傷を負ったMFレオナルド・スピナッツォーラが、エモーショナルな形でイタリア代表に別れを告げた。今大会、左サイドバックのポジションで積極果敢な仕掛けを武器に存在感を放ってきたスピナッツォーラだが、2日に行われたユーロ2020準々決勝のベルギー代表戦の後半終盤にスプリントした際に左足を負傷。

その後、担架に乗せられて涙を見せながらピッチを去った同選手にはアキレス腱断裂という重い診断が下された。
そして、今大会中の復帰が絶望的となり、今後専門家がいるフィンランドに渡って今後の復帰プランを決めていくことになる28歳MFは、アッズーリの本拠地コヴェルチャーノの食堂にて、ここまで共に戦ってきたチームメイト、スタッフに別れの挨拶を行った。

イタリア代表の公式『ツイッター』が投稿した動画には左足に装具を着用し、松葉杖姿のスピナッツォーラが各選手とハグをかわし短い会話をする姿が映されていた。
内心は大会を志半ばで去る無念さ、長期離脱というショックがあるはずのスピナッツォーラだったが、そういったネガティブな様子はおくびにも出さず、終始笑顔を浮かべながら重要な戦いに臨む仲間に対して冗談交じりでエールを送り合った。

その中でもロベルト・マンチーニ監督からは熱い抱擁と共に、ここまでの献身への感謝、早期復帰を願う言葉がかけられて非常にエモーショナルな瞬間となった。

最後に短い言葉で別れの挨拶を行い、右手に持った松葉杖で仲間からの拍手に応えたローマMFは、代名詞である最高の笑顔で一足早くコヴェルチャーノを離れた。

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マテラッツィ、ジダンとの“頭突き事件”を引き起こした侮辱発言の真相を明かす

▽現役時代にインテルなどで活躍した元イタリア代表DFマルコ・マテラッツィ氏が、2006年ドイツ・ワールドカップ(W杯)決勝で起こした元フランス代表MFジネディーヌ・ジダン氏との“頭突き事件”で、自身が発した侮辱発言の真相を明かした。同氏がフランス『レキップ』のインタビューで語った。 ▽ジダン頭突き事件は、2006年7月9日にベルリン・オリンピアシュタディオンで行われたドイツW杯決勝のイタリア代表VSフランス代表の延長戦で起きた。それ以前から何度かジダン氏とマッチアップしていたマテラッツィ氏は、延長後半5分にジダン氏に対して、幾度か声をかけると、この挑発にのったジダン氏は無言のまま、マテラッツィ氏の胸に頭突きを見舞い、この暴力行為によってレッドカードを掲示され、自身の現役ラストマッチを退場という形で終えることになった。 ▽マテラッツィ氏は、同事件からちょうど10年目を迎える前日の8日にジダン氏の母国フランスのメディア『レキップ』で、ジダン氏に向けて言い放った侮辱発言の真相を明かしている。 「以前から多くの人々に、ジダンにあのような行為(頭突き)をさせた自分の発言内容について聞かれ続けてきた。だから、私はそのことに関して本を出版することを決めた」 「多くの新聞が推測したように、私は彼の母親についてではなく、彼の姉について言及した。私は15歳の頃に自分の母親を亡くしている。だから、彼の母親を侮辱するほど下劣な人間ではないんだ」 「また、私はあの事件がなぜこれほどの騒ぎとなったのか、未だに理解できないんだ。私があの日に関して覚えているのは、自分が決めたゴールだけだ」 「時々、イタリアでは街中でファンと遭遇することがあるけど、彼らは“マルコ、あいつ(ジダン)から頭突きを受けるなんてうまくやったな”と声をかけてくるんだ。ただ、僕は頭突きされた側だから、少し腹立たしい気持ちになる。それはこの事件の奇妙な部分でもある。ただ、個人的には大したことだと思っていないし、あの行為に怒ってもいないんだ」 ▽なおマテラッツィ氏は、ジダン頭突き事件後にイタリア国内のテレビ番組でこの侮辱発言に関して、「お前の姉貴より娼婦のほうがましだ」と発言していたことを認めていた。 2016.07.09 14:47 Sat

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