アウェイゴールを奪ってのドローにジェラード監督「妥当な結果だと思う」
2021.03.12 11:30 Fri
レンジャーズのスティーブン・ジェラード監督が、スラビア・プラハ戦を振り返った。クラブ公式サイトが伝えた。
レンジャーズは11日、ヨーロッパリーグ(EL)ラウンド16・1stレグでチェコのスラビア・プラハと対戦した。
スコティッシュ・プレミアシップでは無敗を維持し、10年ぶりのリーグ制覇を達成していたレンジャーズ。アウェイでの試合となったが、7分にニコラス・スタンチュにゴールを許し先制される。
それでも36分にフィリップ・ヘランデルのゴールで同点に追いつくと、その後はスコアが動かず。1-1の引き分けに終わった。
アウェイで引き分けとなったジェラード監督は試合を振り返りチームのパフォーマンスを評価。結果は妥当なものだとした。
「繰り返しになるが、彼らは体を張ってくれたし、全体的にはおそらく妥当な結果だと思う。彼らにはいくつかチャンスがあり、我々にもチャンスがあった」
「スタートは悪く、2番手に甘んじてしまった。試合に入るのに時間がかかってしまったが、一度落ち着くと互角以上の戦いができたと思う。この試合から何かを得るに値すると思う」
そんな中、アウェイゴールを奪っての引き分けに関してはプラス材料だと語り、試合中に改善が見られたとコメントした。
「最大のポジティブな点は、アウェイゴールだ。試合に信念を持ち始めてからは落ち着いてパスを出せるようになった。そして強度の高いプレーを好む強くパワフルな相手に対する本当の意味でのイギリス式の試合だった」
「立ち上がりの数分間は十分なパスを出せていなかった。パスを出し始めてからは成功と喜びを得ることができた。そして、試合中に改善し、より良くなっていった」
「この1週間の試合で見せたものは、これ以上は望めない」
レンジャーズは11日、ヨーロッパリーグ(EL)ラウンド16・1stレグでチェコのスラビア・プラハと対戦した。
スコティッシュ・プレミアシップでは無敗を維持し、10年ぶりのリーグ制覇を達成していたレンジャーズ。アウェイでの試合となったが、7分にニコラス・スタンチュにゴールを許し先制される。
アウェイで引き分けとなったジェラード監督は試合を振り返りチームのパフォーマンスを評価。結果は妥当なものだとした。
「私は選手の努力と試合に捧げたものについて、本当に満足している」
「繰り返しになるが、彼らは体を張ってくれたし、全体的にはおそらく妥当な結果だと思う。彼らにはいくつかチャンスがあり、我々にもチャンスがあった」
「スタートは悪く、2番手に甘んじてしまった。試合に入るのに時間がかかってしまったが、一度落ち着くと互角以上の戦いができたと思う。この試合から何かを得るに値すると思う」
そんな中、アウェイゴールを奪っての引き分けに関してはプラス材料だと語り、試合中に改善が見られたとコメントした。
「最大のポジティブな点は、アウェイゴールだ。試合に信念を持ち始めてからは落ち着いてパスを出せるようになった。そして強度の高いプレーを好む強くパワフルな相手に対する本当の意味でのイギリス式の試合だった」
「立ち上がりの数分間は十分なパスを出せていなかった。パスを出し始めてからは成功と喜びを得ることができた。そして、試合中に改善し、より良くなっていった」
「この1週間の試合で見せたものは、これ以上は望めない」
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史上最高“究極”のオールラウンダー、フランク・ランパード
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ジェラードの後継者と謳われたロシターがリバプール時代を回想「なんだそれ?ぐらいにしか思わなかった」
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リバプールのエジプト代表FWモハメド・サラーが衝撃の記録を樹立した。 12日、チャンピオンズリーグ(CL)グループA第4節でレンジャーズとアウェイで対戦したリバプール。この日のサラーはベンチスタートとなった。 先週末のアーセナルとのプレミアリーグでは日本代表DF冨安健洋に封じられてしまったサラー。チームも敗れた中、レンジャーズ戦でも17分に先制されるという嫌なスタートとなる。 しかし、24分にロベルト・フィルミノが同点ゴールを決めると、後半に入り、フィルミノ、ダルウィン・ヌニェスと追加点。2点リードした68分にサラーは投入されると、圧巻のパフォーマンスを見せる。 投入から8分後の76分に角度のないところからゴールを奪うと、80分、81分と同じような位置からニアとファーに蹴り込み追加点。なんと6分間でハットトリックを達成してしまったのだ。 これは、CL史上最速のハットトリック記録に。まさにケチャップの蓋が開いて、こぼれ出た形となってしまった。 『UEFA.com』によれば、サラーは7分間(6分12秒)での達成に。これまでの記録は2011年12月7日に当時リヨンのバフェティンビ・ゴミスが決めた8分間。続いて、1995年12月6日に当時ブラックバーンのマイク・ニューウェルが決めた9分間が記録されている。なお、ニューウェルは左足、右足、頭の3箇所でハットトリックを決めている。 なお、これがCL通算100人目のハットトリック達成者となり、最多はパリ・サンジェルマンのアルゼンチン代表FWリオネル・メッシがバルセロナ時代に決めた8回と、マンチェスター・ユナイテッドのポルトガル代表FWクリスティアーノ・ロナウドが決めた8回(レアル・マドリーで7回、ユベントスで1回)となっている。6回で続くポーランド代表FWロベルト・レヴァンドフスキは、ドルトムントで1回、バイエルンで4回、バルセロナで1回と3クラブで達成している。 また、サラーはこれでCL通算38ゴールとし、イングランドの1つのクラブで決めた最多ゴールとなった。 <span class="paragraph-title">【動画】6分12秒で決めたサラーの圧巻ハットトリック</span> <span data-other-div="movie"></span> <script>var video_id ="eT8FpXUQ8iE";var video_start = 0;</script><div style="text-align:center;"><div id="player"></div></div><script src="https://web.ultra-soccer.jp/js/youtube_autoplay.js"></script> 2022.10.13 11:30 Thu4
紳士協定破りのゴールを決めたレンジャーズが無抵抗で同点ゴールを与える、なぜ最初のゴールを奪ったのか
13日に行われたスコティッシュ・カップ5回戦、レンジャーズvsパーティック・シッスルの一戦で珍しい場面があった。 スコットランド1部の強豪レンジャーズと2部のパーティックの試合は、序盤からパーティックが攻め込むと、34分に相手のハンドからPKを獲得。貴重な先制点を奪う。 負けられないレンジャーズは50分に同点に追い付き、65分にはPKを獲得するがこれを失敗。1-1で迎えた71分に事件が起きた。 相手陣内でボールを受けたマリク・ティルマンが倒され負傷。ピッチ内で倒れたため、レンジャーズはプレーを止めようとボールを外に出す。 再開後、パーティックはボールをレンジャーズサイドに戻すためにスローインからDFケビン・ホルトがロングキックを蹴ろうとしたが、さっきまで倒れていたティルマンが急襲。一気にボールを奪うと、そのまま相手GKもかわしてゴールネットを揺らした。 しかし、このプレーにパーティックの選手たちが激怒。ボールを返そうとしていた中で、そのボールを奪い、そのままゴールを決めたプレーがフェアプレー精神に反していると訴えていた。 レンジャーズのマイケル・ビール監督はパーティックに1点を与えることを選手たちに指示。大ブーイングの中でパーティックのスコット・ティフォニーが無抵抗のレンジャーズゴールに決めて同点。2-2となった試合は、86分にレンジャーズが決勝ゴールをマーク。波乱の一戦でなんとか勝利を収めた。 なお、ビール監督は試合後に事情を説明。ピッチに倒れていたティルマンはスローインになった経緯を知らないままゴールを奪っていたようだ。イギリス『ガーディアン』が伝えている。 「マリクが怪我をして、私たちはボールを外に出した。マリクはピッチに倒れていてそのことに気が付いていなかった。彼が起き上がるころには相手のスローインになっていて、レフェリーに向かって『どうしてスローインなんだ』というように手をあげながら、教えた通りにプレスをかけにいったんだ」 「彼は何が起こったのか。状況を全く理解していなかった。私はベンチで彼らが見たものがそうだったかを確認するために話しかける必要があった。マリクと話したらそのことを確認してくれた。だから同点にすることは正しいことだったんだ。なぜならマリクは素晴らしい若手選手であり、私は彼に恥じてもらいたくなかったんだ」 <span class="paragraph-title">【動画】物議醸したゴール、そして同点ゴールを献上するまでの一部始終</span> <span data-other-div="movie"></span> <script>var video_id ="8UBvfGwjMlM";var video_start = 345;</script><div style="text-align:center;"><div id="player"></div></div><script src="https://web.ultra-soccer.jp/js/youtube_autoplay.js"></script> 2023.02.14 19:45 Tue5