今日は何の日!7月21日は、“貴公子”ベッカムがLAギャラクシーデビュー!アメリカの地で新たな挑戦が始まる/2007年

2020.07.21 17:30 Tue
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世界中で休むことなく紡がれ続けてきたフットボールの歴史の中で今日何が起こったのか。本日7月21日の出来事を振り返ってみよう。今回ピックアップするのは、2007年7月21日。元イングランド代表MFデイビッド・ベッカムがメジャーリーグ・サッカー(MLS)のロサンゼルス・ギャラクシーでデビューを飾った日だ。

◆ベッカム、アメリカでの新たな挑戦


◆世界を驚かせたアメリカ移籍
世界的ビッグクラブ、マンチェスター・ユナイテッドのユースで育ち、1992年のデビュー以来、フットボーラーとしての優れた能力と端正なルックスから、世界中でアイドル的人気を誇ったスーパースター・ベッカム。ユナイテッドで活躍した後、2003年には当時“銀河系軍団”として大型補強を繰り返していたレアル・マドリーの一員となった。

2007年マドリーを退団した際、ベッカムが次なる活躍の場として選んだのは、長く「サッカー不毛の地」と呼ばれたアメリカ、MLSだった。ベッカムのほどの選手が、当時人気、レベル共にまだまだ低かったMLSに移籍を決めたことは、サッカーファンのみならず人々を驚かせた。

◆ヨーロッパのスーパースターたちの新たなキャリアパスの先駆者に
ベッカムが移籍したことでMLSへの注目度は大きく上がることに。また国内での注目度も大きく変化し、選手、そしてリーグの親善大使であったベッカムがアメリカのサッカーにもたらした影響は計り知れないものとなった。

さらにベッカムは、ヨーロッパで活躍し、全盛期を終えたスーパースターたちが引退前の数年を過ごすリーグとしてのMLS移籍というオプションを開拓した最初の選手たちの1人となった。例を挙げれば、FWティエリ・アンリやMFフランク・ランパード、そしてMFスティーブン・ジェラードなど、多くのスーパースターたちがベッカムの後を追う形でキャリアの晩年をMLSで過ごすという選択をするきっかけにもなった

現在は今シーズンからMLSへの参入が正式に認められたインテル・マイアミのオーナーとして、また別の形でのアメリカサッカー界に貢献しているベッカム。サッカーの歴史を大きく変えた選手と言ってよいだろう。
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今日は何の日!9月16日は、CSKAでピークを迎えていた本田圭佑が、1試合2ゴールの大活躍/2012年

世界中で休むことなく紡がれ続けてきたフットボールの歴史の中で今日何が起こったのか。本日9月16日の出来事を振り返ってみよう。 今回ピックアップするのは、2012年9月16日。当時CSKAモスクワのMF本田圭佑がアラニア・ウラジカフカス戦で2ゴールを決めた日だ。 <div id="cws_ad">◆ロシアで全盛期を迎えていた本田の2ゴール<br/><div style="margin:0 auto; max-width:100%; min-width:300px; " ><div style="position: relative; padding-bottom:56.25%; height: 0; overflow: hidden; "><iframe src="https://embed.dugout.com/v2/?p=eyJrZXkiOiJVUUxZUzFmSCIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0=" style="width: 300px; min-width: 100%; position: absolute; top:0; left: 0; height: 100%; overflow: hidden; " width="100%" frameborder="0" allowfullscreen scrolling="no"></iframe></div></div></div> ◆ロシアで覚醒する侍 2005年に名古屋グランパスでプロキャリアをスタートさせた本田は、2008年にオランダのVVVフェンロへ移籍し、海外挑戦。2010年には活躍の場をロシアの強豪CSKAモスクワに移した。 ロシア・プレミアリーグでプレーする初めての日本人となった本田は、背番号「7」を背負いチームの主力としてすぐに活躍を始めた。 2010年のチャンピオンズリーグ(CL)、ラウンド16のセビージャ戦の2ndレグでは、1ゴール1アシストを記録するなど、中心的な活躍を見せ、チームの勝利に貢献。日本人初、クラブ史上初、ロシアリーグ史上初となるCLベスト8に導く活躍を見せている。 ◆1試合2ゴールの大暴れ 1年目からロシアで活躍を続けた本田は、主力として定着。チーム内での地位を確立して迎えた2012年9月16日のロシア・プレミアリーグ第8節アラニア・ウラジカフカス戦では、エース級の大活躍を見せている。 0-0で迎えた49分、カウンターからセンターサークル付近でボールを持った本田は、そのままドリブルで相手ボックス前まで独走。一旦味方にボールを預けて、ゴール正面でリターンパスをもらうと得意の左足を一閃。鋭いシュートをゴール右に突き刺し、見事な先制ゴールを決めた。 さらに85分、再びカウンターからCSKAがチャンスを作ると、ボックス左からの味方のクロスに、ファーサイドでフリーになっていた本田が合わせ、追加点。本田の2ゴールでチームは2-0の勝利を収めている。 ◆ブラジルでの新たな挑戦 ロシアでは4シーズンで公式戦127試合に出場し28ゴール29アシストを記録した本田。その後ミランやメルボルン・ビクトリー、パチューカなどでの活躍を経て、2020年1月からはブラジルのボタフォゴへと移籍している。 道なき道を切り拓くパイオニア、本田の活躍に今後も注目だ。 2020.09.16 20:30 Wed
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今日は何の日!9月12日は、イタリア最高峰のファンタジスタ、デル・ピエロがユベントスデビュー/1993年

世界中で休むことなく紡がれ続けてきたフットボールの歴史の中で今日何が起こったのか。本日9月12日の出来事を振り返ってみよう。 今回ピックアップするのは、1993年9月12日。元イタリア代表FWアレッサンドロ・デル・ピエロ氏がユベントスデビューを飾った日だ。 <div id="cws_ad">◆デル・ピエロのユベントスでのキャリアハイライト<br/><div style="margin:0 auto; max-width:100%; min-width:300px; " ><div style="position: relative; padding-bottom:56.25%; height: 0; overflow: hidden; "><iframe src="https://embed.dugout.com/v2/?p=eyJrZXkiOiJjeGdaVGFUNiIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0=" style="width: 300px; min-width: 100%; position: absolute; top:0; left: 0; height: 100%; overflow: hidden; " width="100%" frameborder="0" allowfullscreen scrolling="no"></iframe></div></div></div> ◆若き天才がユベントスでデビュー 1991年にセリエBのパドヴァでプロキャリアをスタートさせたデル・ピエロ氏は、その才能を見出され、1993年にユベントスに加入した。そして同年9月12日のセリエA第4節のフォッジャ戦で、ユベントスデビューを飾っている。 1994-95シーズンから徐々にレギュラーに定着すると、ドリブル、シュート、パスとどれをとってもトップレベルの技術を持ったリーグ屈指のファンタジスタとして評価を得るようになり、翌シーズンからは、ロベルト・バッジョ氏やミシェル・プラティニ氏などが着けてきた背番号「10」を引き継いでいる。 ◆名実ともにクラブを象徴するアイコンに その後もエースとして活躍を続けたデル・ピエロ氏は、名実ともにクラブを代表する選手に成長し、数々のタイトルをクラブにもたらした。また、ユベントスに対する愛や厚い忠誠心も持っており、2006年のカルチョ・スキャンダルによってクラブがセリエBに降格した際も、真っ先にチーム残留を表明している。 2011-12シーズンを持って退団するまで19シーズンに渡ってユベントスでプレーしたデル・ピエロ氏は、公式戦706試合に出場し、290ゴールを記録。セリエA優勝6回や1995-96シーズンのチャンピオンズリーグ(CL)優勝など、主要タイトル15個を獲得するなど、クラブの歴史に名を残すレジェンドとして今でもユベントスファンから愛されている。 2020.09.12 17:00 Sat
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今日は何の日!9月10日は、アーセナルの希望の光、アルテタがアーセナルデビューを飾る/2011年

世界中で休むことなく紡がれ続けてきたフットボールの歴史の中で今日何が起こったのか。本日9月10日の出来事を振り返ってみよう。 今回ピックアップするのは、2011年9月10日。アーセナルのミケル・アルテタ監督が、選手としてアーセナルデビューを飾った日だ。 <div id="cws_ad">◆救世主アルテタのアーセナルでのハイライト<br/><div style="margin:0 auto; max-width:100%; min-width:300px; " ><div style="position: relative; padding-bottom:56.25%; height: 0; overflow: hidden; "><iframe src="https://embed.dugout.com/v2/?p=eyJrZXkiOiJWNk9QeHFleSIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0=" style="width: 300px; min-width: 100%; position: absolute; top:0; left: 0; height: 100%; overflow: hidden; " width="100%" frameborder="0" allowfullscreen scrolling="no"></iframe></div></div></div> ◆経験豊富な堅実なMFとしてアーセナルに加入 バルセロナの下部組織で育ったアルテタは、フランスやスコットランドでのプレーを経て、エバートンでブレイクを果たす。2011年夏にバルセロナに移籍したMFセスク・ファブレガス(現モナコ)と入れ替わる形でアーセナルに加入した。 そして2011年9月10日に行われた、プレミアリーグ第4節のスウォンジー戦で先発出場を果たし、アーセナルデビュー。試合は1-0でアーセナルが勝利している。 中盤での安定感抜群のプレーと相手の脅威になるフリーキックを武器に活躍を続け、クラブキャプテンを務めるなど、2016年に現役引退するまで公式戦150試合に出場し、16ゴール11アシストを記録した。 ◆監督としてポスト・ベンゲル時代の希望の光に 現役引退後は、マンチェスター・シティのジョゼップ・グアルディオラ監督の下でアシスタントコーチとして師事し、サッカー哲学を学んだ。 そして2019年12月、アーセン・ベンゲル監督の退任以来、低迷していた古巣アーセナルに監督として復帰。シーズン途中の就任ながら、チームを立て直すと、FAカップで優勝を果たしている。これによりアルテタ氏は、キャプテンと監督の両方としてFAカップを優勝したというクラブ史上初の偉業を成し遂げている。 2020-21シーズンが監督として初めてフルシーズンを戦うシーズンとなるが、今後の活躍に期待だ。 2020.09.10 17:00 Thu
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今日は何の日!9月9日は、偉大な守護神ブッフォンの後継者、シュチェスニーがユベントスデビュー/2017年

世界中で休むことなく紡がれ続けてきたフットボールの歴史の中で今日何が起こったのか。本日9月9日の出来事を振り返ってみよう。 今回ピックアップするのは、2017年9月9日。ポーランド代表GKヴォイチェフ・シュチェスニーが、ユベントスデビューを飾った日だ。 <div id="cws_ad">◆シュチェスニーのユベントスでのキャリアハイライト<br/><div style="margin:0 auto; max-width:100%; min-width:300px; " ><div style="position: relative; padding-bottom:56.25%; height: 0; overflow: hidden; "><iframe src="https://embed.dugout.com/v2/?p=eyJrZXkiOiJnSUNyT2dqWSIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0=" style="width: 300px; min-width: 100%; position: absolute; top:0; left: 0; height: 100%; overflow: hidden; " width="100%" frameborder="0" allowfullscreen scrolling="no"></iframe></div></div></div> ◆若くして頭角を現したポーランドの逸材 母国の強豪レギア・ワルシャワユースで育ったシュチェスニーは、若くしてアーセナルに引き抜かれると、2010年にファーストチームに定着。好セーブを連発して、正GKの座を掴んだ。 しかし、安定感を欠くパフォーマンスが散見されるようになると、素行の問題なども重なり、アーセナルでは徐々に出場機会を減らした。しかし、2015年ローマへのレンタル移籍を機に、素晴らしい活躍を見せ始めると、GKアリソン・ベッカー(現リバプール)を抑えてレギュラーを勝ち取るなど、リーグ屈指のGKとしての評価を受けるように。そして2017年夏に、セリエAの絶対王者、ユベントスに加入した。 ◆偉大な守護神から後を任される存在に そして迎えた2017年9月9日、セリエA第3節で、長年ユベントスの絶対的守護神を務めてきたGKジャンルイジ・ブッフォンに代わって先発出場を果たし、同クラブでのデビューを飾った。 このシーズンはブッフォンとローテーションを組んで出場していたが、2018年夏にブッフォンがパリ・サンジェルマン(PSG)に退団した際には(2019年夏にユベントス復帰)、同選手が長年着用してきた背番号「1」を受け継いでいる。 イングランド時代の自分とは決別し、イタリアでワールドクラスの活躍を続けるシュチェスニーの今後の活躍に益々期待だ。 2020.09.09 17:00 Wed
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今日は何の日!9月8日は、今ではチームの絶対的な守備の要となった、セルヒオ・ラモスがレアル・マドリーの一員としてお披露目/2005年

世界中で休むことなく紡がれ続けてきたフットボールの歴史の中で今日何が起こったのか。本日9月8日の出来事を振り返ってみよう。 今回ピックアップするのは、2005年9月8日。スペイン代表DFセルヒオ・ラモスがレアル・マドリーの選手としてお披露目された日だ。 <div id="cws_ad">◆マドリーの生ける伝説、セルヒオ・ラモスのキャリアハイライト<br/><div style="margin:0 auto; max-width:100%; min-width:300px; " ><div style="position: relative; padding-bottom:56.25%; height: 0; overflow: hidden; "><iframe src="https://embed.dugout.com/v2/?p=eyJrZXkiOiJOcU5tNGxJRSIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0=" style="width: 300px; min-width: 100%; position: absolute; top:0; left: 0; height: 100%; overflow: hidden; " width="100%" frameborder="0" allowfullscreen scrolling="no"></iframe></div></div></div> ◆偉大な背番号を受け継いだ若きタレント セビージャの下部組織で育ち、2004年2月にファーストチームデビューを飾ったラモスは、翌シーズン18歳ながらシーズンを通して公式戦37試合に出場するなど、ブレイク。2005年夏に当時スペイン人の10代の選手としては史上最高額となる移籍金2700万ユーロ(現レートで約34億円)でレアル・マドリーに加入した。 そして2005年9月8日、正式にマドリーの選手としてお披露目され、クラブの偉大なDFであったDFフェルナンド・イエロ氏が最後に着けていた背番号「4」を受け継いでいる。 ◆クラブを代表する存在へ 加入初シーズンから安定した出場機会を得たラモスは、主力DFとしてメキメキと頭角を現し、20代後半からはセンターバックを主戦場とした。2015-16シーズンからは、ポルトへ移籍したGKイケル・カシージャス氏の退団に伴い、クラブキャプテンに就任している。 抜群のリーダーシップを発揮し、チームを最終ラインから統率するラモスは、DFとしてのラ・リーガ史上最多ゴール数記録保持者であるとともに、ラ・リーガ、チャンピオンズリーグ(CL)、スペイン代表チームで最多退場数や警告数の記録も持っているなど、良い時も悪い時も存在感を示し続ける選手として知られている。 新シーズンでも、ラモスの益々の活躍に期待だ。 2020.09.08 17:00 Tue
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