優勝懸かるビジャレアル戦にジダン監督は「これまでで最も難しい試合」
2020.07.16 17:00 Thu
レアル・マドリーのジネディーヌ・ジダン監督が、優勝の懸かるラ・リーガ第37節のビジャレアル戦について言及した。クラブ公式サイトが伝えている。
再開後、9連勝で3シーズンぶりのラ・リーガ制覇に邁進するマドリー。16日にホームで行われるビジャレアル戦に勝利すれば、3年ぶり34回目の優勝が決定する。
前日会見に出席したジダン監督は、ホームでありながらもビジャレアル戦が今季最も難しい試合だと位置づけ、目前にせまる優勝にも気を引き締めている。
「間違いなく、これまでで最も難しい試合だ。ビジャレアルの戦術は分かっているし、非常に難しい相手であることを示してきたチームだ」
「ここでは、お祝いや休暇について騒がれているが、我々には明日の試合がある。再びエネルギーを集中させなければいけない。選手たちと、ここで働く全ての関係者が明日の試合についてのみ考えている。それ以外は別物だ」
「本当に彼は調子が良くて、良い状態だ。我々と一緒にやっている。数日前は違和感を感じていたが、感じないようになっている。我々にとっては良い事だ。重要なのは完全に良い状態で、我々が明日、どのようにプレーするか見て欲しい」
最後に、5試合連続で出場機会がなく、ベンチでも居眠りや双眼鏡を作るジェスチャーをするなど愚挙を繰り返すMFガレス・ベイルについて、チームの一員であることを強調している。
「我々は明日の試合、そしてガレスについて考えている。彼もチームの一員だ。団結していて、同じことを考えている。ガレス、ハメス(・ロドリゲス)、我々全員が同じことを考えている」
再開後、9連勝で3シーズンぶりのラ・リーガ制覇に邁進するマドリー。16日にホームで行われるビジャレアル戦に勝利すれば、3年ぶり34回目の優勝が決定する。
前日会見に出席したジダン監督は、ホームでありながらもビジャレアル戦が今季最も難しい試合だと位置づけ、目前にせまる優勝にも気を引き締めている。
「ここでは、お祝いや休暇について騒がれているが、我々には明日の試合がある。再びエネルギーを集中させなければいけない。選手たちと、ここで働く全ての関係者が明日の試合についてのみ考えている。それ以外は別物だ」
また、前節ベンチ入りしながらも出場機会が訪れなかったMFエデン・アザールについて、コンディションが戻ってきているとコメントしている。
「本当に彼は調子が良くて、良い状態だ。我々と一緒にやっている。数日前は違和感を感じていたが、感じないようになっている。我々にとっては良い事だ。重要なのは完全に良い状態で、我々が明日、どのようにプレーするか見て欲しい」
最後に、5試合連続で出場機会がなく、ベンチでも居眠りや双眼鏡を作るジェスチャーをするなど愚挙を繰り返すMFガレス・ベイルについて、チームの一員であることを強調している。
「我々は明日の試合、そしてガレスについて考えている。彼もチームの一員だ。団結していて、同じことを考えている。ガレス、ハメス(・ロドリゲス)、我々全員が同じことを考えている」
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レアル・マドリーのウルグアイ代表MFフェデリコ・バルベルデが驚愕のシュートを放った。 7日にバジェカスで行われたラ・リーガ第13節のラージョ・バジェカーノ戦を2-3で落とし、今シーズンリーグ戦初の黒星を喫したマドリー。バルベルデはフル出場を果たしていた。 ラージョ戦の後半アディショナルタイムにはこんな珍事が。1点を追いかけるマドリーが左CKを獲得すると、マルコ・アセンシオのキックのこぼれ球がバルベルデのもとへと転がる。 バルベルデは難しい体勢からダイレクトでシュートを放ったが、上手く捉えられなかったボールは枠の大きく上を飛んでいくと、そのままゴール裏のないスタジアムを越え、隣接しているマンションの一室へと吸い込まれていった。 バルコニーで観戦していた家主は試合の動画を撮影していたようで、シュートが向かってくる瞬間もリアルタイムで撮影。その動画には、「そこゴールちゃう、家や」、「どこまで飛ばすんだ」といったコメントのほか、「この部屋住みたい」、「試合見放題じゃん」とサッカーファンにとっては好立地の物件を羨む声が上がっている。 なお、このボールはさすがにボールボーイも回収できず、住民がゲットしたようだ。 <span class="paragraph-title">【動画】シュートが一直線に向かってくる!マンションの住民が実際に撮影していた映像</span> <span data-other-div="movie"></span> <blockquote class="twitter-tweet"><p lang="es" dir="ltr">¿Te imaginas que un balón chutado por Fede Valverde entre por tu terraza y acaba en tu salón? <br><br>Ayer ocurrió. Hamza estaba viendo el Rayo - Real Madrid desde su balcón y...<br><br>Entramos en su casa para que nos lo cuente él mismo. <br><br> <a href="https://t.co/awKGahVOco">https://t.co/awKGahVOco</a> <a href="https://t.co/sT8JNuVyPo">pic.twitter.com/sT8JNuVyPo</a></p>— Relevo (@relevo) <a href="https://twitter.com/relevo/status/1589947999899504640?ref_src=twsrc%5Etfw">November 8, 2022</a></blockquote> <script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script> 2022.11.09 12:05 Wed3
エッシェンが2012年レアル移籍のドタバタ裏話を明かす「バスを止めてくれ!と狂ったように叫んだ」
元ガーナ代表MFマイケル・エッシェンが、レアル・マドリー移籍の経緯を明かした。スペイン『アス』が伝えている。 2005年から2014年の間、チェルシーで活躍したエッシェン。2012-2013シーズンには、当時チェルシー加入時の恩師であったジョゼ・モウリーニョ監督が率いていたレアル・マドリーへ1年間のレンタル移籍で加入していた。 <div style="margin:0 auto; min-width:300px; " id="cws_ad"><div style="position: relative; padding-bottom:56.25%; height: 0; overflow: hidden; "><iframe src="https://embed.dugout.com/v2/?p=eyJrZXkiOiJiUm1zTmlFUyIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0=" style="width: 300px; min-width: 100%; position: absolute; top:0; left: 0; height: 100%; overflow: hidden; " width="100%" frameborder="0" allowfullscreen scrolling="no"></iframe></div></div> エッシェンは、南アフリカ人スポーツジャーナリスト、キャロル・シャバララ氏と、インスタグラムのライブ配信を通してのインタビューに応えると、この移籍が決定するまでの経緯を回顧。移籍市場最終日のわずか数時間で移籍が決まったと明かし、映画のようなドタバタ移籍劇について語った。 <span class="paragraph-title">◆知らない番号から突然の電話…</span> 「(2012年8月31日)私はUEFAスーパーカップを戦うためにチェルシーのチームとモナコにいた。その時見覚えのない番号から電話があったんだ」 「私は出たくなかったが、その日私と同じ部屋にいた従兄弟が電話に出るよう言ってきたんだ」 「電話が鳴り続けたので、電話に出た。『もしもし?』と言った瞬間に相手からも、『もしもし?』と聞こえた。すぐに誰が電話をしてきたか分かって、従兄弟に『ジョゼ・モウリーニョからだ』と教えたよ」 「彼は『アーセナルに移籍するそうじゃないか』と言ってきたので、そんなことないと伝えたよ。アーセナルからは何の連絡もなかったからね」 「そしたら彼が『アーセナルには行かずに俺のところへ来い』と言ったんだ。彼にどこのことか聞いたら、『レアル・マドリー』と言った。私は彼に準備はできてると言ったよ」 <span class="paragraph-title">◆試合前のドタバタ劇</span> 「あれは移籍市場最終日のことで、ジョゼは私の代理人の電話番号を聞いてきた。私はスーパーカップの試合中に抜け出すことになっても行く準備はできてると伝えた」 「ラサナ・ディアラがロシアに移籍する予定で、彼の移籍が成立したら私の移籍の手順を進めると教えてくれた。私は『分かった、部屋でリラックスして待ってるよ』と答えた」 「彼は、数時間待ってくれ、そしたらかけ直すと言っていた」 「数時間して私の代理人に何が起きたか話した。マドリーへの移籍についてジョゼと話したこと、彼の番号を教えたことを伝えた。彼はマドリーは戻ってくるから落ち着けと言っていた」 「ラス(ラサナ・ディアラ)のロシアへの移籍が決まったから、私たちは計画を変更しなきゃならなかった。チームは(スーパーカップの)アトレティコ戦に向けてホテルを出る寸前だったからね。マドリーの代理人は私の代理人と一緒にいて、私はスタジアムに行くためにもうバスに乗っていたんだ。私もスタジアムに行く予定だったが、代理人がホテルに戻ってこいと言ってきた。FAXを送らなきゃいけなかったらしい。だから私は運転手にバスを止めてくれと狂ったように叫ばなければならなかった」 <span class="paragraph-title">◆「バスを止めてくれ!」</span> 「チームメイトはみんな私を見て『ミケルどうした?』って感じだった。彼らに私はバスから降りなきゃいけないと伝えて『またね』と言った」 「そんなこんなでパスが止まって、私はホテルに戻って代理人を待っていた。それから彼が来てFAXを何枚か送ったんだ。ありがたいことに全ての処理が時間内に間に合ったよ。それから私は少なくともスパイクを取りに行かなきゃいけないからスタジアムに行ってくると代理人に伝えた」 「スタジアムに着いたころにはもう試合は終わっていた。私がピッチにいたチームメイトに加わったが、何人かは既に私の移籍について知っていた。他のチームメイトは何があったのか聞いてきたので、彼らに移籍することを伝えなきゃならなかった。レアルへの移籍の話が来てホテルに戻って書類を書く必要があったと説明したよ。だからスパイクを取りにいくついでにみんなにさよならを言わなきゃならなかった」 「表彰式の後、みんなでロッカールームに戻った時、みんなにちゃんとしたお別れを言った。スパイクとすね当てだけ持って、ロマン・アブラモビッチを含めみんなに挨拶した。アブラモビッチは幸運を祈ってくれた。その後私はホテルに戻り、次の日にはマドリー行きの飛行機に乗っていた」 「私はスパイクとすね当てと、ジーンズとシャツ一枚、それからチェルシーのジャージだけ持ってマドリーへ行ったんだ。空港に着くとジョゼが待っていてくれた。挨拶を済ますと、病院でメディカルを受けて、次の日にはトレーニングに参加したよ」 激動の移籍最終日の出来事を明かしたエッシェン。移籍したマドリーでは主力として公式戦35試合に出場し2ゴール1アシストを記録した。 2020.05.19 11:15 Tue4
コパ決勝クラシコで2アシスト、優勝に貢献したヤマルはマドリーに「今季彼らは僕らに勝てない」と豪語
バルセロナのスペイン代表FWラミン・ヤマルがレアル・マドリーに対して豪語した。 ヤマルは26日に行われたコパ・デル・レイ決勝マドリー戦で先制点と2点目をアシスト。延長戦の末3-2で勝利したチームの優勝に大きく貢献していた。 コパ・デル・レイ決勝での勝利により今季のクラシコの戦績はバルセロナの3戦3勝となった中、ヤマルは試合後のインタビューで「例え1点決められても、2点決められても関係なかった。今季彼らは僕らに勝てない。それが証明された」と豪語。 優勝決定後には派手なサングラスを着用してお茶らけていたヤマル。17歳の言動が来月11日に行われるラ・リーガでの今季最後となるエル・クラシコにどのような影響を与えるだろうか。 2025.04.27 13:00 Sun5
