アトレティコ行き噂のカバーニが移籍志願 レオナルドが認める
2020.01.20 13:55 Mon
パリ・サンジェルマン(PSG)に所属するウルグアイ代表FWエディンソン・カバーニ(32)の移籍志願が判明した。フランス『レキップ』が報じた。
2013年夏にナポリから加わり、PSGの選手として歴代最多の公式戦通算198ゴールの得点数を誇るカバーニ。だが、契約最終年の今シーズン、ケガに苦しむなかで、昨夏にレンタル加入したアルゼンチン代表FWマウロ・イカルディの活躍も重なって、立ち位置がやや不透明な状況に陥っており、今冬の移籍市場でストライカーの補強を狙うアトレティコ・マドリー行きの可能性が加熱している。
そうした憶測が長く取り沙汰されるなか、PSGのスポーツディレクター(SD)を務めるレオナルド氏が19日に行われたクープ・ドゥ・フランスのロリアン戦(1-0でPSGが勝利)後、去就に注目を集めるカバーニにコメント。PSGの意思としてカバーニの残留希望を強調した上で、本人から退団の意向を受け取ったと語り、アトレティコ・マドリーからの接触も認めた。
「我々は常日頃からカバーニについて同じことを言っている。彼に残留してもらいたいとね。だが、彼が今日(19日)、退団を願い出た。状況を精査しているところだ。アトレティコ・マドリーからオファーを受け取ったが、選手の価値に見合うものじゃなかった。アトレティコ・マドリーとは少し間がある。新たなコンタクトがないからだ。今日も何もなく、我々にも売る考えがない。今後、数日間でどう発展していくかを見ていく。選手に敬意があるから、耳を傾けている」
2013年夏にナポリから加わり、PSGの選手として歴代最多の公式戦通算198ゴールの得点数を誇るカバーニ。だが、契約最終年の今シーズン、ケガに苦しむなかで、昨夏にレンタル加入したアルゼンチン代表FWマウロ・イカルディの活躍も重なって、立ち位置がやや不透明な状況に陥っており、今冬の移籍市場でストライカーの補強を狙うアトレティコ・マドリー行きの可能性が加熱している。
そうした憶測が長く取り沙汰されるなか、PSGのスポーツディレクター(SD)を務めるレオナルド氏が19日に行われたクープ・ドゥ・フランスのロリアン戦(1-0でPSGが勝利)後、去就に注目を集めるカバーニにコメント。PSGの意思としてカバーニの残留希望を強調した上で、本人から退団の意向を受け取ったと語り、アトレティコ・マドリーからの接触も認めた。
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