C・ロナウド、スポルティングでのプロ初ゴールから丸15年…積み重ねた得点数は613ゴール
2017.10.08 03:58 Sun
レアル・マドリーFWクリスティアーノ・ロナウドがプロでの初得点を決めたのは、2002年の10月7日。今年の10月7日で、それから丸15年が経ったことになる。スペイン『マルカ』がレポートした。
C・ロナウドは2002年10月7日に、下部組織から過ごすスポルティング・リスボンのトップチームで初先発を果たした。背番号28をつけた当時17歳の同選手は、このモレイレンセを相手取った試合で2ゴールを決め、フットボール史に残る伝説をスタートさせている。
子供の頃から「史上最高の選手になる」ことを野心していたC・ロナウドは、それからマンチェスター・ユナイテッド、レアル・マドリーでプレーし、ポルトガル代表を含め、この15年間で613ゴールを積み重ねた(内訳はスポルティング5得点、ユナイテッド118得点、レアル・マドリー412得点、ポルトガル代表78得点)。
特にレアル・マドリーでの得点力が凄まじく、同クラブでは加入2年目となる2010−11シーズンから昨季まで、全シーズンで50点以上を記録。412得点はレアル・マドリー歴代トップの記録となり、2位のラウール・ゴンサレス氏(323得点)を引き離し続けている。
なお、C・ロナウドのプロ初ゴールをアシストしたスペイン人のトニート氏は、現在32歳のポルトガル代表FWがなるべくして現在の地位に立ったと語り、何よりもそのメンタリティーの強さを強調している。
「彼は一緒にプレーした中でも最高の選手だった。良い意味で図々しく、並外れたクオリティーの選手だったよ。そのメンタリティーはずば抜けていて、真の勝者のものだ」
提供:goal.com
C・ロナウドは2002年10月7日に、下部組織から過ごすスポルティング・リスボンのトップチームで初先発を果たした。背番号28をつけた当時17歳の同選手は、このモレイレンセを相手取った試合で2ゴールを決め、フットボール史に残る伝説をスタートさせている。
子供の頃から「史上最高の選手になる」ことを野心していたC・ロナウドは、それからマンチェスター・ユナイテッド、レアル・マドリーでプレーし、ポルトガル代表を含め、この15年間で613ゴールを積み重ねた(内訳はスポルティング5得点、ユナイテッド118得点、レアル・マドリー412得点、ポルトガル代表78得点)。
特にレアル・マドリーでの得点力が凄まじく、同クラブでは加入2年目となる2010−11シーズンから昨季まで、全シーズンで50点以上を記録。412得点はレアル・マドリー歴代トップの記録となり、2位のラウール・ゴンサレス氏(323得点)を引き離し続けている。
なお、C・ロナウドのプロ初ゴールをアシストしたスペイン人のトニート氏は、現在32歳のポルトガル代表FWがなるべくして現在の地位に立ったと語り、何よりもそのメンタリティーの強さを強調している。
「彼は一緒にプレーした中でも最高の選手だった。良い意味で図々しく、並外れたクオリティーの選手だったよ。そのメンタリティーはずば抜けていて、真の勝者のものだ」
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CL史上初16年連続ゴールのメッシが史上最多36クラブからゴール、最も決められた相手は?
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現役引退・内田篤人の功績、CL日本人最長出場記録
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「ドアは閉まっている」無職のグティ、かつて育ったレアル復帰の可能性なし
かつてレアル・マドリーではそのルックスとプレースタイルから貴公子としても愛されたホセ・マリア・グティエレス氏が、自身のキャリアについて語った。スペイン『エル・パイス』が伝えた。 “グティ”の愛称でも親しまれ、マドリーの生え抜きとしてプレー。ファーストチームでは14シーズンを過ごすと、ベシクタシュへと移籍し、2011年11月に現役を引退していた。 引退後は指導者としてのキャリアを歩むと、古巣のマドリーの下部組織でキャリアを積んでいた。U-19にあたるフベニールAで監督を務めていた中、突如とし退団。その後、ベシクタシュのアシスタントコーチに就任すると、2019-20シーズンはアルメリアで監督を務めていた。 現在はフリーのグティ氏だが、監督としてのキャリアを続けていきたい考えを持っているようだ。 『エル・パイス』のインタビューでは、レアル・マドリーを出た後について「別の世界だよ。レアル・マドリーにいるときは、バブルの中にいるような感じだ。そして去った後は、サッカーの現実であっても、元選手の日常生活の現実でもないことに気がつく」とコメント。選手としても指導者としても長らくマドリーで過ごしたグティ氏にとっては、難しい環境もあったようだ。 順調にマドリーで指導者のキャリアを積んでいたグティ氏だが、突如辞任。マドリーを去ったことについて後悔しているかと聞かれると「いや、適切な時期だった。私はフベニールAに2年間いた。1年目はとても良かったが、2年目はあまり良くなかった。もっと大きな挑戦が必要だった」とコメント。「チームは私にカスティージャを任せてくれなかったので、私は去った。レアル・マドリーとカスティージャのベンチは埋まっていたので去ったんだ」と語り、自身がステップアップできないと感じたとのこと。「そこから、自分のキャリアを前進させ続けたいと思った。もし、私がフベニールAにもう1年いたとしたら、一歩後退していただろう」と、マドリーを去ったことは間違いではなかったと語った。 そのグティ氏だが、自身が去った後、現役時代に共にカンテラ、ファーストチームで過ごしたラウール・ゴンサレス氏がカスティージャの監督に就任していた。そのことについては「決して知られていないことだろう。解雇があるから起こることだ。ソラーリはファーストチームに昇格し、カスティージャの監督をラウールに譲った」と語り、そのことが起こった理由は別にあるとコメントした。 「でも、ロペテギがうまくやってそこにいたとしたら、ソラーリはカスティージャにあと2年間いただろう」とコメント。「僕は何をしたか?少年たちを教えるのにあと2年間いたのか?人生において、いつだって自分にとって最善だと思うところに行かなければならない」と語り、その時を待つことができなかったと明かしている。 一方で、マドリーを去ったことで復帰へのドアが閉まったかという質問には「そうだね。今はそう思うよ。私側ではなく、マドリー側のがね」と語り、自身ではなくクラブ側がもう受け入れることはないと考えているようだ。 監督としてのホセ・マリア・グティエレスについて、監督を探しているクラブへ勧める点としては「私は自分の仕事と真摯に取り組むことだけを約束する。選手としていかに才能があったは分かっているけど、彼らがそのグティを見ているのだとしたら、私にとっては不利かもしれない」と語り、「サッカーは固定観念にとらわれ、抜け出すことは難しい。人生を変えようとしても、違うことをしようとしてもね」と、指導者としては現役時代のプレーのような華やかなイメージを持たないでもらいたいと考えているようだ。 2021.02.03 20:34 Wed5
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