CLラウンド16屈指の好カード、バルセロナvs PSGの対戦成績は?
2020.12.15 20:01 Tue
チャンピオンズリーグ(CL)ラウンド16の組み合わせ抽選会が14日に行われた。8つのカードが決まった中、最も注目を集めているのが昨季ファイナリストのパリ・サンジェルマン(PSG)とバルセロナのカードだ。互いに国内リーグでは例年になく苦しむ両チームだが、このラウンド随一のビッグマッチ実現となった。
これまで両者が公式戦で相まみえたのは11回。通算ではバルセロナが5勝3分け3敗と勝ち越している。
初対戦は1994-95シーズンのCL準々決勝。当時のバルセロナはヨハン・クライフ氏に率いられた“エル・ドリーム・チーム”として知られていたが、前シーズン程の輝きを見せられず、FWロマーリオも冬に退団するなど、苦しいシーズンだった。
一方のPSGは、FWジョージ・ウェアやMFライーといったスター選手を擁しクラブの黄金期を迎えていた。
その後、1996-97シーズンのカップウィナーズカップ決勝でも対戦、その時は当時バルセロナの“怪物”ロナウドの活躍でバルセロナが勝利している。
PSGは2000年代に入ると低迷。ヨーロッパの舞台から離れたが、2012年にナセル・アル=ケライフィ会長が就任して以降は一変。CLの常連となり、バルセロナとの対戦機会も大きく増えた。
まずはその2012-13シーズン、ジョゼップ・グアルディオラ監督が退団して初めてのシーズンのバルセロナに対し、FWズラタン・イブラヒモビッチらが奮闘するも、2戦合計3-3、アウェイゴール差でバルセロナが準決勝へと駒を進める。
そして、2014-15シーズンにはグループステージで同居。そこでは1勝1敗と両者譲らずの結果となると、準々決勝で再戦。FWリオネル・メッシ、FWルイス・スアレス、FWネイマールという強力3トップを形成したバルセロナが違いを見せつけ、アウェイでの1stレグを1-3で勝利。カンプ・ノウでも2-0で勝利し、盤石な戦いを見せていた。
両者の直近の戦いは2016-17シーズン。その激戦は記憶している方も多いのではないか。ラウンド16でぶつかると、まずはパルク・デ・プランスで行われた1stレグで、PSGが4-0の大勝。まさかのワンサイドゲームに、多くの人がバルセロナの敗退を予想した。
しかし、カンプ・ノウで行われた2ndレグでバルセロナの攻撃陣が爆発。後半序盤までに3点を返すと、PSGに1点を返されるも、87分、ボックス左からのFKをネイマールが直接決めて点差を縮め、その2分後にはスアレスが倒されて得たPKを沈めて1点差に詰め寄る。そしてアディショナルタイム、ラストプレーでネイマールが相手守備陣とGKの間にロングパスを送ると、途中出場のMFセルジ・ロベルトがボレーで合わせ、大逆転勝利を収めた。
この試合は「カンプ・ノウの奇跡」とも称されており、実際に1stレグを4-0で落としながらも逆転に成功したのはCL史上初だった。
「カンプ・ノウの奇跡」から4年、当時のバルセロナの救世主となったネイマールはPSGのエースだ。バルセロナサポーターのみならず、世界中のファンからみても興味深い試合になるだろう。
ラウンド16は、1stレグは2月16日、17日および23日、24日、2ndレグは3月9日、10日および16日、17日とまだまだ先の話だが、今から楽しみだ。
◆「カンプ・ノウの奇跡」をもう一度
これまで両者が公式戦で相まみえたのは11回。通算ではバルセロナが5勝3分け3敗と勝ち越している。
一方のPSGは、FWジョージ・ウェアやMFライーといったスター選手を擁しクラブの黄金期を迎えていた。
この時はカンプ・ノウでの1stレグを1-1で引き分けると、2ndレグではライーが1ゴール1アシストの活躍を見せ、PSGが準決勝に駒を進めていた。ちなみに、カンプ・ノウで行われた1stレグは約115,000人もの観客を集め、CLになってからの最多観客動員試合とされている。
その後、1996-97シーズンのカップウィナーズカップ決勝でも対戦、その時は当時バルセロナの“怪物”ロナウドの活躍でバルセロナが勝利している。
PSGは2000年代に入ると低迷。ヨーロッパの舞台から離れたが、2012年にナセル・アル=ケライフィ会長が就任して以降は一変。CLの常連となり、バルセロナとの対戦機会も大きく増えた。
まずはその2012-13シーズン、ジョゼップ・グアルディオラ監督が退団して初めてのシーズンのバルセロナに対し、FWズラタン・イブラヒモビッチらが奮闘するも、2戦合計3-3、アウェイゴール差でバルセロナが準決勝へと駒を進める。
そして、2014-15シーズンにはグループステージで同居。そこでは1勝1敗と両者譲らずの結果となると、準々決勝で再戦。FWリオネル・メッシ、FWルイス・スアレス、FWネイマールという強力3トップを形成したバルセロナが違いを見せつけ、アウェイでの1stレグを1-3で勝利。カンプ・ノウでも2-0で勝利し、盤石な戦いを見せていた。
両者の直近の戦いは2016-17シーズン。その激戦は記憶している方も多いのではないか。ラウンド16でぶつかると、まずはパルク・デ・プランスで行われた1stレグで、PSGが4-0の大勝。まさかのワンサイドゲームに、多くの人がバルセロナの敗退を予想した。
しかし、カンプ・ノウで行われた2ndレグでバルセロナの攻撃陣が爆発。後半序盤までに3点を返すと、PSGに1点を返されるも、87分、ボックス左からのFKをネイマールが直接決めて点差を縮め、その2分後にはスアレスが倒されて得たPKを沈めて1点差に詰め寄る。そしてアディショナルタイム、ラストプレーでネイマールが相手守備陣とGKの間にロングパスを送ると、途中出場のMFセルジ・ロベルトがボレーで合わせ、大逆転勝利を収めた。
この試合は「カンプ・ノウの奇跡」とも称されており、実際に1stレグを4-0で落としながらも逆転に成功したのはCL史上初だった。
「カンプ・ノウの奇跡」から4年、当時のバルセロナの救世主となったネイマールはPSGのエースだ。バルセロナサポーターのみならず、世界中のファンからみても興味深い試合になるだろう。
ラウンド16は、1stレグは2月16日、17日および23日、24日、2ndレグは3月9日、10日および16日、17日とまだまだ先の話だが、今から楽しみだ。
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バルセロナのブラジル代表FWハフィーニャが、イタリア代表としてプレーしていたキャリアがあったことを明かした。 ポルトガルのヴィトーリア・ギマランイスでプロキャリアをスタートさせたハフィーニャはスポルティングCP、スタッド・レンヌ、リーズ・ユナイテッドでプレー。2022年7月にバルセロナへと完全移籍で加入した。 今シーズンはラ・リーガで32試合に出場し16ゴール11アシストを記録。チャンピオンズリーグ(CL)でも13試合で12ゴール9アシストを記録しており、公式戦52試合で31ゴール25アシストと50ゴール以上に絡む活躍を見せている。 バルセロナは3冠の可能性も残っている中で、バロンドール受賞に最も近いとされるハフィーニャだが、ジャーナリストであるイサベラ・パリアリさんのYouTubeに出演。意外な事実を明かし、イタリア代表としてプレーしていた可能性を語った。 「イタリア代表への招集を受け入れるところだった。ほぼ準備はできていた。でもパスポートが届かなかったので、幸運だった」 「イタリア代表から電話があった。ジョルジーニョ(アーセナル)は、いつだって電話をくれた。イタリアのスタッフが僕のために素晴らしいプロジェクトを用意してくれていて、本当に感銘を受けた」 「でも同時に、心の奥底ではブラジル代表のユニフォームを着られるという1%の希望がまだ残っていた。そして幸運なことに、イタリアのパスポートが間に合わなかったんだ」 ハフィーニャはブラジルとイタリアの2つの国籍を保有。父親もブラジル人でありながら、イタリアのパスポートを持っていた。 アーセナルのMFジョルジーニョやウェストハムのDFエメルソン・パルミエリのように、ブラジル人ながらイタリア代表でプレーする可能性も十分にあったが、手続の問題でなれずにいた。 その後リーズでの活躍が認められ、2021年10月にブラジル代表デビュー。イタリア代表を逃してから1年後に心の底にあった夢を叶え、現在では主軸としてプレーしている。 2025.05.05 23:05 Mon2
ラミン・ヤマルがキングスリーグに参戦! ヴィニシウスと共に新シーズン目玉に
バルセロナのスペイン代表FWラミン・ヤマルが「キングス・リーグ」に参戦することが決定した。 キングス・リーグは、元スペイン代表DFジェラール・ピケ氏がチェアマンを務める7人制サッカーの大会。様々な大会独自のルールが設けられており、その独自性とエンターテインメント性で大きな人気を誇るコンテンツ。 今年5月から6月にかけてメキシコで行われた第1回の「キングス・ワールドカップ」ではネイマール、マリオ・ゲッツェ、リオ・ファーディナンド、エデン・アザールらスター選手や日本のゲーム実況者として知られる加藤純一氏らインフルエンサーやストリーマーら著名人も参加し、大きな話題を集めていた。 そのキングス・リーグは7日、新シーズンに向けたプロモーション動画を公開。すでに参戦が話題を集めていたレアル・マドリーのブラジル代表FWヴィニシウス・ジュニオールに加え、アメリカの世界的なインフルエンサーであるジェイク・ポール、 アルゼンチン出身の有名歌手マリア・ベセラと共にサプライズ枠として17歳FWの参戦が明かされた。 なお、現役選手であるヤマルとヴィニシウスに関しては現時点でどういった役割を担うかは明かされておらず、今月15日の新シーズン開幕直前に改めてアナウンスされることになるようだ。 <span class="paragraph-title">【動画】注目集めたフードの男の正体はラミン・ヤマル</span> <span data-other-div="movie"></span> <blockquote class="twitter-tweet" data-media-max-width="560"><p lang="en" dir="ltr">Lamine Yamal, the new star of the Kings League.<a href="https://t.co/znTeCSORb5">pic.twitter.com/znTeCSORb5</a></p>— Kings League World (@_KingsWorld) <a href="https://twitter.com/_KingsWorld/status/1832499264179859958?ref_src=twsrc%5Etfw">September 7, 2024</a></blockquote> <script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script> 2024.09.08 09:35 Sun3
21世紀の出場試合数ランキング発表! 首位は1145試合のC・ロナウド、トップ10に日本人選手がランクイン
IFFHS(国際サッカー歴史統計連盟)が、21世紀で最もプレーした選手のランキングを発表。トップ10には日本人選手もランクインした。 様々な統計を行うIFFHS。2022年までのデータを集計し、21世紀に入ってからのプレーした試合数をもとにランキングを作成した。 対象となるのは、各国のリーグ戦やカップ戦、国際カップ戦、代表チームの試合も含まれ、全ての公式戦が対象になっている。 今回の統計では1000試合以上プレーした選手が3人に増加。首位は昨年と変わらず、サウジアラビアへ活躍の場を移したポルトガル代表FWクリスティアーノ・ロナウド(アル・ナスル)となり、1145試合を記録した。 2022年に1000試合を突破したのは、ブラジル代表DFダニエウ・アウベス(UNAMプーマス)とアルゼンチン代表FWリオネル・メッシ(パリ・サンジェルマン)。アウベスは1033試合、メッシは1003試合となった。メッシはカタール・ワールドカップ(W杯)での試合で1000試合を超えたことになる。 そんな中、8位には日本人がランクイン。941試合に出場したMF遠藤保仁(ジュビロ磐田)だ。遠藤はガンバ大阪と磐田、そして日本代表での試合が21世紀に含まれている。なお、アジア人でも唯一となり、900試合以上を達成しているのも12名となっている。 ◆21世紀の出場試合数ランキング 合計(国内リーグ/国内カップ/国際カップ/代表) 1位:クリスティアーノ・ロナウド(ポルトガル) 1145試合(651/93/205/196) 2位:ダニエウ・アウベス(ブラジル) 1033試合(620/115/172/126) 3位:リオネル・メッシ(アルゼンチン) 1003試合(559/102/170/172) 4位:イケル・カシージャス(スペイン) 974試合(585/57/171/161) 5位:ジョアン・モウティーニョ(ポルトガル) 958試合(563/107/142/146) 6位:ズラタン・イブラヒモビッチ(スウェーデン) 948試合(603/72/152/121) 7位:ルカ・モドリッチ(クロアチア) 947試合(569/69/146/162) 8位:遠藤保仁(日本) 941試合(606/117/66/152) 9位:チャビ・エルナンデス(スペイン) 937試合(536/95/174/132) 10位:セルヒオ・ラモス(スペイン) 935試合(534/70/151/180) 11位:アンドレス・イニエスタ(スペイン) 933試合(552/98/152/131) 12位:ロジェリオ・セニ(ブラジル) 904試合(675/71/149/9) 2023.01.12 12:45 Thu4
