元日本代表MF水野晃樹が現役引退、Jリーグ8クラブ、セルティックでもプレー「これからも『サッカー小僧』水野晃樹をよろしくお願いします」
2024.09.29 10:55 Sun
今季限りで引退する水野晃樹
いわてグルージャ盛岡は29日、元日本代表MF水野晃樹(39)の現役引退を発表した。
水野は静岡県出身で、清水商業高校からジェフユナイテッド市原(現:ジェフユナイテッド千葉)でプロ入り。その後、中村俊輔も所属していたセルティックへと移籍しヨーロッパでプレーした。
2010年に柏レイソルに加入しJリーグ復帰。以降は、ヴァンフォーレ甲府、千葉、ベガルタ仙台、サガン鳥栖、ロアッソ熊本、SC相模原と数多くのクラブを渡り歩き、2023年から岩手でプレーしていた。
岩手では2シーズンを過ごし、J3通算19試合、リーグカップ1試合、天皇杯3試合に出場。通算ではJ1で157試合16得点、J2通算32試合1得点、J3通算29試合、リーグカップ通算41試合出場、天皇杯通算21試合2得点を記録している。
また、イビチャ・オシム監督の下で日本代表も経験し、4試合に出場していた。
ーーーーーー
日頃から応援してくれているみなさんに報告があります。
2024シーズンでプロサッカー選手、水野晃樹は引退することを決断いたしました。
3歳から地元清水のサッカーチームでサッカーを始め、小学2年生の時にJリーグが開幕して以来、将来の夢は!目標は!『Jリーガー』。
どんなに苦しくてもどんなに挫折しても血反吐を吐いてぶっ倒れても、この夢は一瞬たりともブレることはなく、必死に追い続けてきました。
そこからジェフユナイテッド市原、セルティック、柏レイソル、ヴァンフォーレ甲府、ジェフユナイテッド千葉、ベガルタ仙台、サガン鳥栖、ロアッソ熊本、SC相模原そして、社会人を経て、いわてグルージャ盛岡。
正直こんないろんなチームに行くとは思っていなかったです(笑)
しかし、どのチームでも素敵な出会いがあり、素晴らしいクラブでありどのチームも愛しています。
どんな時でも背中を押してくれるサポーター。時には厳しい叱咤激励。どれもが愛を感じました。
ありがたいことに世代別代表、A代表でもプレーさせてもらい、海外も経験しました。
そして国内ではジェフ時代にジェフにとっての初タイトル。ナビスコ杯優勝。
翌年にはナビスコ杯連覇。みんなのおかげでMVPも受賞できました。
セルティックでもリーグ優勝、スコティッシュ杯優勝。
レイソルではJ2優勝&昇格、翌年J1優勝。翌年天皇杯優勝。
SC相模原でJ3昇格。
あの最高の光景を忘れることは出来ないし
あの光景をまた見たいと常に思っていました。
タイトルはたくさん取らせていただいたけど
どれも満足するような活躍は出来ませんでした。ただただ周りの方々に恵まれたと思います。でも21年間は長いようだけど今となってはあっという間に感じます。
サッカーが本当に大好きで負けず嫌いな子供。
『サッカー小僧』
水野晃樹という選手をよく知ってる人はこの言葉がよく似合うと思ってくれてると思います。
39歳になった今でもサッカーが大好きで試合に出れなければ悔しくて仕方ない。
プロ1年目の時はよく泣いていて『泣き虫小僧』とも言われていました。
でもそのくらい毎日が勝負で毎試合が人生を左右する仕事。
膝の手術5回
契約満了6回
紆余曲折
波乱万丈
忙しなく過ぎていった21年間、活躍出来たのは4.5年だけかな?
でも諦めず努力すれば必ず道は開ける!
21年間に後悔はないと言ったら嘘になるけど、本当に憧れていたものから憧れられる存在になれた事、そしてたくさんの人にサッカーの素晴らしさを伝えられていたら幸いです。
サポーターの方々にはたくさん期待を裏切ってしまって申し訳ない気持ちでいっぱいです。再起を信じてどこに行っても応援してくれるサポーターの方々には本当に感謝の気持ちでいっぱいです。その恩返しはプレーでと何度も言っていたにも関わらずなかなか結果が出せない自分に苛立ちを何度も何度も覚えました。
決して裕福な家庭ではなかったけどサッカーを続けさせてくれた両親。ありがとうございました。
親父は野球やらせたかったみたいだけど(笑)でも、両親の厳しさ、いろんなものへチャレンジすること、努力することを学びました。プロ生活で少しは親孝行出来たかな?
そして1番迷惑をかけ続けた家族。わがままで気分屋で引越しばかりで大変だったと思う。けど、文句も言わず常についてきてくれて理解してくれた。転校で友達と離れ離れになってばかりで悲しい思いをさせてきた。その上、スパルタで口うるさいクソ親父で大変だと思う。
今、伝わらなくてもわからなくても大人になって、わかってもらえたら嬉しい。
プロ生活2年目から一緒にいる妻は本当に大変だったと思う。アスリートの栄養管理、家事育児と仕事がたくさん。そしてたくさんケンカしてたくさん泣かして困らせ続けた。それでも1番サッカーを応援してくれて数年前から考えていた引退も「続けたら?」「もっと見たい」と背中を押し続けてくれた。
いわてグルージャ盛岡に来てからは単身赴任でワンオペ。日々大変で苦労と迷惑ばかりかけてすまん。常にサッカーに集中出来る環境を作ってくれてありがとう。
チームが苦境の中で個人的なリリース申し訳ありません。
どうしても自分が好きな『29』で発表したかったのでどうか許して下さい。
しかし可能性が低くても1%の可能性がある限り絶対に諦めません。最後の最後まで自分を信じて仲間を信じてチームを信じて戦い切ります!
これからもオシムチルドレンとして
上を見てチャレンジすることを忘れず
このサッカー界に関わり続けたいと思います。
今まで関わった全ての人に感謝の思いでいっぱいです。
ありがとうございました!!
Jリーグありがとう!
サッカーありがとう!
21年間MIZUNOのスパイクもありがとう!
みんなありがとう!
これからも『サッカー小僧』水野晃樹をよろしくお願いします。」
ーーーーーー
なお、引退セレモニーはシーズンのホーム最終戦で行われるという。
水野は静岡県出身で、清水商業高校からジェフユナイテッド市原(現:ジェフユナイテッド千葉)でプロ入り。その後、中村俊輔も所属していたセルティックへと移籍しヨーロッパでプレーした。
2010年に柏レイソルに加入しJリーグ復帰。以降は、ヴァンフォーレ甲府、千葉、ベガルタ仙台、サガン鳥栖、ロアッソ熊本、SC相模原と数多くのクラブを渡り歩き、2023年から岩手でプレーしていた。
また、イビチャ・オシム監督の下で日本代表も経験し、4試合に出場していた。
今シーズン限りでの現役引退を決断した水野は、クラブを通じてコメントしている。
ーーーーーー
日頃から応援してくれているみなさんに報告があります。
2024シーズンでプロサッカー選手、水野晃樹は引退することを決断いたしました。
3歳から地元清水のサッカーチームでサッカーを始め、小学2年生の時にJリーグが開幕して以来、将来の夢は!目標は!『Jリーガー』。
どんなに苦しくてもどんなに挫折しても血反吐を吐いてぶっ倒れても、この夢は一瞬たりともブレることはなく、必死に追い続けてきました。
そこからジェフユナイテッド市原、セルティック、柏レイソル、ヴァンフォーレ甲府、ジェフユナイテッド千葉、ベガルタ仙台、サガン鳥栖、ロアッソ熊本、SC相模原そして、社会人を経て、いわてグルージャ盛岡。
正直こんないろんなチームに行くとは思っていなかったです(笑)
しかし、どのチームでも素敵な出会いがあり、素晴らしいクラブでありどのチームも愛しています。
どんな時でも背中を押してくれるサポーター。時には厳しい叱咤激励。どれもが愛を感じました。
ありがたいことに世代別代表、A代表でもプレーさせてもらい、海外も経験しました。
そして国内ではジェフ時代にジェフにとっての初タイトル。ナビスコ杯優勝。
翌年にはナビスコ杯連覇。みんなのおかげでMVPも受賞できました。
セルティックでもリーグ優勝、スコティッシュ杯優勝。
レイソルではJ2優勝&昇格、翌年J1優勝。翌年天皇杯優勝。
SC相模原でJ3昇格。
あの最高の光景を忘れることは出来ないし
あの光景をまた見たいと常に思っていました。
タイトルはたくさん取らせていただいたけど
どれも満足するような活躍は出来ませんでした。ただただ周りの方々に恵まれたと思います。でも21年間は長いようだけど今となってはあっという間に感じます。
サッカーが本当に大好きで負けず嫌いな子供。
『サッカー小僧』
水野晃樹という選手をよく知ってる人はこの言葉がよく似合うと思ってくれてると思います。
39歳になった今でもサッカーが大好きで試合に出れなければ悔しくて仕方ない。
プロ1年目の時はよく泣いていて『泣き虫小僧』とも言われていました。
でもそのくらい毎日が勝負で毎試合が人生を左右する仕事。
膝の手術5回
契約満了6回
紆余曲折
波乱万丈
忙しなく過ぎていった21年間、活躍出来たのは4.5年だけかな?
でも諦めず努力すれば必ず道は開ける!
21年間に後悔はないと言ったら嘘になるけど、本当に憧れていたものから憧れられる存在になれた事、そしてたくさんの人にサッカーの素晴らしさを伝えられていたら幸いです。
サポーターの方々にはたくさん期待を裏切ってしまって申し訳ない気持ちでいっぱいです。再起を信じてどこに行っても応援してくれるサポーターの方々には本当に感謝の気持ちでいっぱいです。その恩返しはプレーでと何度も言っていたにも関わらずなかなか結果が出せない自分に苛立ちを何度も何度も覚えました。
決して裕福な家庭ではなかったけどサッカーを続けさせてくれた両親。ありがとうございました。
親父は野球やらせたかったみたいだけど(笑)でも、両親の厳しさ、いろんなものへチャレンジすること、努力することを学びました。プロ生活で少しは親孝行出来たかな?
そして1番迷惑をかけ続けた家族。わがままで気分屋で引越しばかりで大変だったと思う。けど、文句も言わず常についてきてくれて理解してくれた。転校で友達と離れ離れになってばかりで悲しい思いをさせてきた。その上、スパルタで口うるさいクソ親父で大変だと思う。
今、伝わらなくてもわからなくても大人になって、わかってもらえたら嬉しい。
プロ生活2年目から一緒にいる妻は本当に大変だったと思う。アスリートの栄養管理、家事育児と仕事がたくさん。そしてたくさんケンカしてたくさん泣かして困らせ続けた。それでも1番サッカーを応援してくれて数年前から考えていた引退も「続けたら?」「もっと見たい」と背中を押し続けてくれた。
いわてグルージャ盛岡に来てからは単身赴任でワンオペ。日々大変で苦労と迷惑ばかりかけてすまん。常にサッカーに集中出来る環境を作ってくれてありがとう。
チームが苦境の中で個人的なリリース申し訳ありません。
どうしても自分が好きな『29』で発表したかったのでどうか許して下さい。
しかし可能性が低くても1%の可能性がある限り絶対に諦めません。最後の最後まで自分を信じて仲間を信じてチームを信じて戦い切ります!
これからもオシムチルドレンとして
上を見てチャレンジすることを忘れず
このサッカー界に関わり続けたいと思います。
今まで関わった全ての人に感謝の思いでいっぱいです。
ありがとうございました!!
Jリーグありがとう!
サッカーありがとう!
21年間MIZUNOのスパイクもありがとう!
みんなありがとう!
これからも『サッカー小僧』水野晃樹をよろしくお願いします。」
ーーーーーー
なお、引退セレモニーはシーズンのホーム最終戦で行われるという。
水野晃樹の関連記事
いわてグルージャ盛岡の関連記事
J3の関連記事
14日、明治安田J3リーグ第5節延期分の松本山雅FCvsAC長野パルセイロがサンプロ アルウィンで行われ、2-2のドローに終わった。
降雪・積雪の影響で延期された、11位の松本と17位の長野による信州ダービー。11日に天皇杯の長野県予選決勝で相まみえた両者が今度はリーグ戦に舞台を移して激突した。
試合序盤は
2025.05.14 21:14 Wed
記事をさがす
|
|
水野晃樹の人気記事ランキング
1
引退発表の中村俊輔も参加決定! オシム元監督の追悼試合メンバーが発表、豪華な顔ぶれ
ジェフユナイテッド千葉は26日、イビチャ・オシム元監督追悼試合の出場メンバーを発表した。 今年5月1日に逝去されたオシム氏の追悼試合を11月20日(日)に開催。ジェフOBのオシムジェフレジェンドと日本代表OBのオシムジャパンレジェンドが対戦する。 千葉は、10月25日時点での出場メンバーを発表。ジェフOBでは、阿部勇樹氏や佐藤勇人氏、羽生直剛氏、巻誠一郎氏、水野晃樹氏など千葉と日本代表でオシム監督の指導を受けたメンバーなどが出場する。 一方、日本代表OBでは、今シーズン限りでの現役引退を発表した中村俊輔(横浜FC)や、中村憲剛氏、栗原勇蔵氏、鈴木啓太氏、田中マルクス闘莉王氏などが出場する。なお、参加選手は追加や変更が行われる可能性があるとのことだ。 ◆オシムジェフレジェンド(ジェフOB) 阿部勇樹 イリアン・ストヤノフ 岡本昌弘 櫛野亮 斎藤大輔 坂本將貴 佐藤勇人 竹田忠嗣 立石智紀 茶野隆行 中島浩司 中西永輔 羽生直剛 巻誠一郎 水野晃樹 村井慎二 山岸智 結城耕造 要田勇一 ◆オシムジャパンレジェンド(代表OB) 加地亮 我那覇和樹 栗原勇藏 小林大悟 坂田大輔 鈴木啓太 高松大樹 田中達也 田中マルクス闘莉王 坪井慶介 中村憲剛 中村俊輔 橋本英郎 矢野貴章 山瀬功治 山岸範宏 2022.10.26 17:50 Wed2
「今なら三笘くん」中村俊輔、海外での成功のカギは“個の力”…縁ある2チームの対戦は「日本人選手vs Jリーグの選手が面白い」
かつてセルティックでもプレーした元日本代表MF中村俊輔氏が、ジャパンツアーを行っているセルティックのトレーニングを見学。メディアの囲み取材にも応じた。 セルティックは2022-23シーズンの国内3冠を達成。中村氏が所属していた時代以来、17年ぶりのジャパンツアーを行っている。 今回のジャパンツアーでは横浜F・マリノスとガンバ大阪と対戦。中村にとっては、横浜FM、セルティックと自身が所属した両クラブが対戦することとなる。 時間が経過してもセルティックではレジェンド級の扱いを受ける中村。今回の来日したスタッフにも知り合いがいるようで、再会を楽しんだという。 「スタッフで当時いた方が何人かいて懐かしかったですし、監督とも挨拶をしました。あとは日本人の選手の何人かは面識があったりご飯に行ったりしていたので、こういうツアーで会える時間があって良かったです」 自身が所属していた時にも、水野晃樹がチームメイトとしていたが、現在は5人が在籍。彼らについては「日本人の選手が自分が元々いたチームにいて、活躍したから自分も取り上げてもらえたり、こういう場に居られるので非常に感謝しています」とコメントした。 またジャパンツアーでの試合についても「マリノスとガンバと試合をしますが、選手たちを間近で見られること、チャンピオンズリーグに出場するチームvs Jリーグということで、色々な時期的なこともありますが、瞬間瞬間はプライドが出ると思うので、参考になる部分もあると思いますし、ゲームが楽しみです」と、日本人の活躍も楽しみにしているとした。 横浜FMvsセルティックの試合については「日本人選手vs Jリーグの選手というのが面白いと思います」と語り、「対面で当たる選手だったり、ポジションのゾーンで当たる選手のマッチアップは面白いと思います」と見どころを説明。「あとは練習を見ていても、技術が高いなと思う選手もいますし、戦術的な面も今年からコーチをやらせてもらっていて、練習も参考になりました。戦術的なところやポジショニングなども楽しみです」と、色々なところが楽しみだと語った。 セルティックでは多くの経験をし、タイトルも獲得してきた中村。その中で最も印象に残っていることは「リスペクトの部分」とコメント。「スタッフの方やドアマンの方が優しくしてくれるのが一番です。サポーターも選手もスタッフも含めてです」と、リスペクトを感じられたことが一番だと振り返った。 また「ホームの試合で毎試合5万は入るので、大歓声の中でプレーできたこと。ワンプレー、ワンプレーで沸いてくれるので、それで自分の良いプレーだと認識して、ファンの方の声のボリューム、雰囲気が一番印象的でした」と語り、ファンの熱さも印象に残っているとした。 海外でのプレー経験も豊富な中村。大事なことについては「自分は目標としていたビッグクラブでやったり、ワールドカップでの活躍はできませんでしたが、今選手が多い中では個の力。武器を持ってどこでも戦えるというのは大きいと思います」と、個の能力の高さが大事だとコメント。「日本は色々なものを身につけようとするところもありますが、何か突出したものがあるのが大事かなと思います」と、飛び出た才能が大事だとした。 その点では「今だったら三笘くんが一番ですかね」とブライトン&ホーヴ・アルビオンでプレーする日本代表MF三笘薫の名前を出し、「存在価値が上がっていますし、ヨーロッパでも色々な監督の戦術にリストアップされやすくなるので、大事だと思います」と、多くの監督に求められる可能性があるとその価値の大きさを語った。 中村はレッジーナ、セルティックの選手としてジャパンツアーを経験。また、横浜FMの選手としてもマンチェスター・ユナイテッドと対戦経験がある。 ジャパンツアーで得られる経験については「どんな試合でもためになることは選手それぞれあると思うので、マリノスもシーズン中で、お互いベスト同士という対決にはならないけど、得るものがある」とコメント。「セルティックとしてもレッジーナで来たときも、色々なものを感じられました。味方の選手が移動に慣れていないとか、暑い中だといつものプレーの半分も出せなかったとか。長い距離の移動、時差ボケなどでしょうがない部分もありますが、色々な部分が見られます」と、Jリーグの選手にとっても大きな経験になるが、来日する側としても経験として大きなものがあると語った。 その中で試合のポイントについては「マリノスの方が仕上がっていると思います」とコメント。「(セルティックは)選手同士でプレーが分かっていないし、監督も代わったばかりなので」と、マリノスが有利ではないかと見解を語った。 ただ「セルティックは僕の時もそうでしたが、色々な国を周りながら試合をしてチームを作っていく」と、セルティックのチーム作りについて語り、「Jリーグではそれがなくて、すごくキツい練習をしてやっていく。海外でプレーしたチームは試合を重ねて作っていくので、凄く勉強になりました。個人的には好きなやり方です」と、現在は横浜FCで指導者も務める中村の新たな視点での学びもあるとした。 2023.07.19 12:25 Wedいわてグルージャ盛岡の人気記事ランキング
1
Jリーグが栃木シティの入会を承認! JFL初優勝でJ3へ「入会審査項目をすべて充足いたしました」
Jリーグは17日、日本フットボールリーグ(JFL)優勝を決めた栃木シティの「J3リーグ入会」を全面承認したことを発表。これに伴い、いわてグルージャ盛岡のJリーグ会員資格喪失、JFL降格も完全確定した。 「本日開催しました日本フットボールリーグ(JFL)第29節の結果をもちまして、J3への入会を条件付きで承認しておりました栃木シティフットボールクラブが、Jリーグ規約第17条第3項に定める「J3入会審査項目」をすべて充足いたしました」 「この結果を受けまして、栃木シティフットボールクラブのJリーグへの入会が確定しましたので、お知らせいたします」 栃木Cは17日、JFL第29節でアトレチコ鈴鹿とのホームゲームを戦い、6-0圧勝で昇格即初優勝を決めただけでなく、カンセキスタジアムとちぎ(※)には9531人が来場。J3入会要件「観客動員数累計3万人」を突破した。 (※)主たる本拠地はCITY FOOTBALL STATION 2024.11.17 16:28 Sun2
岩手の40歳DF深津康太が22年間のキャリアに幕、J1町田にはJFL時代から計13シーズン在籍「最高のサッカー人生をありがとうございました!」
いわてグルージャ盛岡は24日、DF深津康太(40)の2024シーズン限りでの現役引退を発表した。 深津は習志野高校、流通経済大学付属柏高校を経て、2003年に名古屋グランパスでプロ入り。その後は水戸ホーリーホック、柏レイソル、FC岐阜でプレーし、2009年にFC町田ゼルビアに加入した。 2011年からは東京ヴェルディでプレーも、2013年に町田に復帰。日本フットボールリーグ(JFL)時代を含め、町田で13シーズンを過ごした。 2023年7月に町田を離れ、岩手へ完全移籍。加入初年度はJ3リーグの後半戦のうち5試合に出場し、副キャプテンの1人となっ今シーズンはJ3で26試合1得点を記録。YBCルヴァンカップと天皇杯でもそれぞれ1試合プレーした。 キャリアを通じては、J1で通算4試合、J2で通算337試合13得点、J3で94試合6得点を記録。JFLでは114試合10得点を記録している。 現役を退く決断をした深津は、クラブを通じてコメントしている。 「22年間の最高のサッカー人生をありがとうございました! 名古屋グランパスエイトから始まり水戸ホーリーホック、柏レイソル、FC岐阜、東京ヴェルディ、町田ゼルビア、いわてグルージャ盛岡でプレーさせていただきました」 「こんなにも長くサッカー選手を続けて来れたのは、最高の仲間達に恵まれ、応援してくださった全ての皆様のおかげです! 感謝申し上げます。サッカーを通じてサッカーだけではなく、人としてとても成長させてもらいました! 第2の人生も深津康太らしく、一生懸命楽しんで行きたいと思います!」 2024.11.24 21:20 Sun3
秋田豊氏が株式譲渡の岩手、経営権再取得したNOVAグループの坂本太樹氏が新社長に「様々な取り組みにチャレンジしてまいります」
いわてグルージャ盛岡は25日、クラブを運営する株式会社いわてアスリートクラブの代表取締役社長に坂本太樹氏が就任したと発表した。 2024シーズンの明治安田J3リーグを最下位で終え、日本フットボールリーグ(JFL)降格が決まった岩手。25日には、代表取締役社長の秋田豊氏が株式の33.4%をNOVAホールディングス株式会社(代表取締役社長:稲吉正樹)に譲渡した。 Jリーグによって株式譲渡契約の承認がなされ、NOVAホールディングス株式会社がいわてアスリートクラブの株式51.4%を保有。2019年に株式会社いわてアスリートクラブの株式を取得し、2022年に秋田氏へ譲っていたNOVAホールディングス株式会社だが、再び経営権を得ることとなった。 坂本氏は2003年6月に株式会社ジー・エデュケーション(現NOVAホールディングス株式会社)の取締役に就任。2011年6月からはグループ会社となる自分未来きょういく株式会社の取締役本部長を務めた。 2018年12月には、Bリーグの広島ドラゴンフライズを運営するグループ会社、株式会社広島ドラゴンフライズの代表取締役会長に就任。その後、2019年12月に株式会社いわてアスリートクラブの代表取締役会長に就任した。 2021年7月にはNOVAホールディングス株式会社の取締役に再任。2021年9月からは株式会社広島ドラゴンフライズの取締役を務めている。 岩手に戻り、代表取締役社長を務めることになった坂本氏は、クラブを通じてコメントしている。 「このたび、株式会社いわてアスリートクラブの代表取締役社長に就任いたしました坂本太樹と申します。来シーズンはJFLでのスタートとなりますが、これまでグルージャの試合を開催していない場所での試合も含め、この広い岩手県内にもっともっと地域に入り込んでグルージャを認知してもらう活動をしていく必要があると感じております」 「そしてグルージャがハブとなり、多くのファン・サポーター、スポンサーの皆様、そして県民の皆様がつながりプラットフォームとなれるよう、様々な取り組みにチャレンジしてまいります」 「自身としては4年ぶりの復帰となりますが、一度離れてまたこのいわての地に戻った際、サポーターの方々の熱量、思いの強さや結束力が更に大きくなっていることを感じ、とても嬉しく思いました。『グルージャを応援してよかった』『グルージャがんばれ』こうした声がどんどん広がり、クラブとしてご期待に応えることが出来るよう取り組む所存です」 「最後に前任社長の秋田豊氏におかれましては、監督として3年、社長として2年間、岩手にて奮闘をいただきき、2022年にはクラブ初のJ2昇格を成し遂げ、グルージャとして、また岩手としての可能性を証明していただきました。改めて深い感謝と共に、今後のご活躍を祈念しております」 2024.11.25 20:59 Mon4
JFL降格の岩手、鹿児島退団のFW藤本憲明とYS横浜からMF中里崇宏を獲得
いわてグルージャ盛岡は7日、鹿児島ユナイテッドFCからFW藤本憲明(35)とY.S.C.C.横浜からMF中里崇宏(34)を完全移籍で獲得した。 青森山田高校、近畿大学ときて、佐川印刷で社会人時代を過ごした藤本は2016年にJ3参入の鹿児島に移籍。その鹿児島で2年連続のJ3得点王に輝き、2018年から大分トリニータに移ると、12ゴールの活躍でJ1昇格に貢献した。 そして、2019年夏からヴィッセル神戸に移籍し、同年の天皇杯優勝メンバーに。2021年夏から清水エスパルスにレンタル移籍すると、翌年の神戸復帰を挟み、2023年から鹿児島に舞い戻った。 鹿児島復帰1年目はJ3で32試合で5ゴールを決め、J2復帰に貢献。今季はここまで29試合で5ゴールを挙げていたが、シーズン終了後に退団が発表されていた。 中里は東京ヴェルディの下部組織出身で、ジュニア、ジュニアユースと昇格。その後、流通経済大学付属柏高校、流通経済大学へと進学し、2012年に横浜FCに加入した。 水戸ホーリーホックや韓国の江原FC、鈴鹿ポイントゲッターズでプレーした後、2023シーズンにYS横浜に加入。2年目を迎えた昨季はJ3で31試合1得点を記録、YBCルヴァンカップで2試合に出場していた。 両者はクラブを通じてコメントしている。 ◆藤本憲明 「いわてグルージャ盛岡をサポート支援してくれているスポンサー企業のみなさん、 いつも応援してくれているファンサポーターのみなさん、はじめまして藤本憲明です」 「昨シーズンは僕自身も降格を経験し悔しい思いをしました。同じ悔しい経験を胸に1年で昇格する為にチームとサポーター、岩手県がひとつになる必要があります。そう簡単に勝てる戦いなんてひとつもないですし、すぐに上がれるほど甘いリーグでもありません」 「僕たちは盛岡冷麺のコシのように強く戦い、岩手山を登るかのように一歩一歩地に足をつけ頂を目指し、その先にある優勝つまり中尊寺金色堂のように輝く金メダルを獲得し、昇格します!!ファンサポーターのみなさんは盛岡さんさ踊りより声を枯らして手を叩き盛り上げてください!!僕たち、みなさんたちならできます、岩手県ごと盛り上げて今までにない最高のグルージャをみんなで創り上げましょう!!高校以来の東北が楽しみです。今年はへび年年男がんばります!!」 「余談なんですけど、グルージャ加入を決め、年が明けた夜にお風呂につかってたんです。その時に目の前に髪の毛がふらふらっと見えたんで、すくって取ろうと思ったらたまたま形がGやったんです。これはグルージャの「G」や、運命的でした。それだけです」 「ここまで読んでくれたそこのあなたはもう藤本ファミリーのとりこです。必ず僕のユニフォームを来てスタジアムに来てください、待ってます!!全員で覚悟を決めて戦い続けましょう!!」 ◆中里崇宏 「いわてグルージャ盛岡に関わる全ての皆様、初めまして!中里崇宏です。昇格に貢献出来るようベストを尽くします。応援宜しくお願いします。」 2025.01.07 13:42 Tue5
