俊輔引退会見で知ったセリエA移籍の真相/六川亨の日本サッカー見聞録

2022.11.12 22:30 Sat
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カタールW杯に臨む国内組6名、長友佑都権田修一、谷口彰俉、山根視来相馬勇紀町野修斗は昨日9日、無事にドーハへ到着したとJFA(日本サッカー協会)から連絡が来た。もう1人の国内組である酒井宏樹は事情により出国が1日遅れたものの、明日には合流していることだろう。(※編集部注:酒井も無事に合流済み)

そんな国内組と違い、まだリーグ戦の最中である海外組はシュツットガルトの遠藤航が試合中の競り合いで頭部を負傷し、脳しんとうと診断された。幸いにも代表チームからの離脱を余儀なくされる重傷ではないものの、近年はFIFA(国際サッカー連盟)も脳しんとうの後遺症に対して厳しいルールを設定しているだけに、プレーが可能と安心するのは早計だ。

ヨーロッパのシーズン中でのW杯とあって、大会直前の13日までリーグ戦やカップ戦が入っている。このため他の参加国もいつ主力選手が負傷により離脱するかわからないW杯と言える。
そして考えようによっては、負傷を抱えた選手がいつ万全のコンディションで復帰できるかで決勝トーナメントからの戦い方に多大な影響を及ぼすW杯になるかもしれない。そう予想すると、グループリーグはますます守備優先の凡戦が増える可能性が高まるが、それはそれでロースコアの試合を望む日本にとって好都合と言えるはず(我田引水の気がしないでもないが)。

さて10日は中村俊輔の引退会見を取材してきた。俊輔自身が短い挨拶のあとにかつてのチームメイトがビデオメッセージを送ったが、やはり印象深かったのはチームメイト2人のメッセージだ。

ともに1歳年下の遠藤保仁は「時にはオレにフリーキックを蹴らせろと思ったけど、あなたのフリーキックは世界一、たぶん」と笑わせれば、俊輔が「ファンタジスタは?」という質問に名前をあげた小野伸二は「(引退を)聞いたときは悲しい気持ちで残念でした。一緒にプレーしていて、上手くなりたいという子供の時期に戻れました。一緒にやるたびに楽しい時期を過ごせました」と思い出を語った。

たぶん彼ら3人には、凡人には計り知れないほどのメッセージのやりとりが、アイコンタクトなどで試合中にあったはずだ。サッカーを、いまその状況を“感じ取れるか“どうか。彼らはそれを高い次元で共有していたと思わずにはいられない。

引退をイメージしたのは30歳の後半からで、「いつでも(引退)できるように、悔いのないようできるよう」に1年契約にしていた。それだけ立ち足である右足首の痛みは彼を苦しめたのだろう。

名プレーの数々を振り返ったVTRを見て感じたのは、稀代のパッサーであるにもかかわらず、スルーパスなどよりゴールシーンの多いことだ。とりわけFKからのゴールは秀逸だ。

俊輔自身も直接FKについて「それだけと言われるのは嫌だったので、意識したのはプロになってからです。試合を支配する力とかパス、ドリブルと、ちょっとしたオマケみたいな感覚でやっていただけなんです」と言いながらも、「気付くとフリーキックが残ったのは不思議な感覚です。(練習を)やっていて良かったかな」と振り返る。

そして「(FKのこだわりとしては)PKと同じ感覚で決めていたという意識はあります。蹴ったら必ず入るという状況や雰囲気をチームメイトにも見せて信頼してもらう」ことにこだわったという。「FKをPKと同じ感覚で」100パーセントの成功率を求める選手はそうそういない。だからこそFKのスペシャリストとしてイタリアやスコットランドでもファン・サポーターを虜にしたのだろう。

そんな俊輔が海外移籍を強く意識したのは02年日韓W杯のメンバーから外れたからだろうと思っていた。ところがすでに前年の01年3月、サンドニでフランスに0-5と惨敗したときに「ああ、このままじゃダメだと思った」そうだ。

当時の日本は00年にレバノンで開催されたアジアカップで2度目の優勝を達成。俊輔はMVPに選ばれ、チームも「アジアカップ最強」と高く評価された。名波浩中村俊輔という2人のレフティーがチームを牽引し、リザーブには小野伸二も控える豪華な布陣だった。

そして前回優勝国との対戦では中田英寿もチームに合流した。しかし開始9分にジダンにPKから先制を許すと、アンリやトレゼゲに次々とゴールを奪われた。日本がアジア王者なら、フランスもW杯に続いてEUROも制しただけに、その強さはケタ外れだった。

レッジーナへの移籍が決まったのは02年7月のこと。「イタリアへ行くときは、日本を出なきゃと焦るくらいだった。当時世界最高峰のセリエAに行かなくちゃと。ようやく世界の扉を開けられた」と当時の心境を語った。

あれから20年が過ぎ、日本人選手にとって“世界“はより身近になった。だが、海外へ渡ったJリーガーにFKのスペシャリストは一人もいない。それだけ俊輔はスペシャルな選手ということだ。

【文・六川亨】
1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた

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歴史は繰り返す~イスラエルの入国拒否でインドネシアの開催権を剥奪/六川亨の日本サッカー見聞録

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日本対ウルグアイ戦戦評/六川亨の日本サッカー見聞録

ウルグアイ代表を招いてのキリンチャレンジカップ2023が3月24日に開催され、日本はMFフェデリコ・バルベルデに先制点を奪われたものの、交代出場のMF西村拓真の同点弾で1-1のドローに持ち込んだ。 カタールW杯から約3ヶ月、森保ジャパン第2クールの初戦だったが、試合そのものは「こんなものだろう」という想定内の内容だった。日本代表の海外組は20日と21日に分かれて集合。このため実質的な戦術練習は22日と23日の2日間だけ(冒頭15分を除き非公開)。長距離移動と時差ボケを考えればコンディションは万全なはずはない。それは欧州や南米から選手が集結したウルグアイも同様だ。それでもウルグアイは前線からの忠実なプレスで日本を苦しめた。 日本のスタメンはほぼ想定通り――というのが正直なところ残念だった。カタールW杯では格上のドイツとスペイン相手にカウンターから2ゴールを奪って世界を驚かせた。しかし、W杯で“ベスト8や優勝"を狙うためにはカウンターだけでなく、「ボールを握って攻める」時間も増やすことが森保ジャパンの課題だったはず。 そのため、前線で精力的にプレスを掛けつつ、ポストプレーもできてゴールも決められる1トップの理想として前田遼一をコーチに招聘したのではなかったのか。 ただ、森保一監督は優しい。ドイツ戦で決勝点を決めた浅野拓磨をリスペクトしてスタメン起用するのは十分に予想できた。顔ぶれが一新されたDF陣に比べ、攻撃陣には“序列"があるのだろう。しかしである。 ボールを握って攻めたいが、浅野は1トップのポストプレーヤーとしてボールが収まらないし、サイドに流れても簡単にボールをロストしていた。カタールW杯では劣勢の試合が予想されたため、前線からの守備を期待されての起用だった。しかし日本は、森保ジャパンは新たな攻撃パターンを構築していくのではないのか。 そう思うと、浅野の起用は想定内でありつつ、森保監督の采配は期待外れでもあった。そして上田綺世である。後半20分にはリターンパスで、伊東純也が倒されPK獲得かと思われたが、オンフィールドレビューで取り消された。法政大学時代から将来を嘱望され、今シーズンはセルクル・ブルージュでゴールを量産して“覚醒"を期待したが、決定機に絡むことはなく、いまだ日本代表ではノーゴールが続いている。この日の大仕事と言えば、西村の同点ゴールの際にニアに走り込んでダミーとなって、マークを引きつけたことだろう。 その他にも、左MF三笘薫と左SB伊藤洋輝の連係や、トップ下の鎌田大地の存在感のなさなど気になる点は多々あった。それでもドローで終われたのは、CB板倉滉を中心としたDF陣の奮闘があったからだ。個人的には右SB菅原由勢のパフォーマンスがこの試合の最大の発見だった。 <hr>【文・六川亨】<br/><div id="cws_ad">1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2023.03.25 20:30 Sat
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ウルグアイ戦のスタメン予想と使って欲しい選手/六川亨の日本サッカー見聞録

3月15日にキリンチャレンジカップ2023に臨む日本代表26名が発表された。とはいえ翌16日のネットのスポーツニュースでは、WBCの話題でもちきり。ただのメンバー発表と、同日夜にイタリアとの準々決勝に臨む侍ジャパン。ましてや大谷翔平が先発とくれば、SAMURAI BLUEも太刀打ちできないのは仕方のないところ。 そのメンバー発表だが、カタールW杯でレギュラーだったGK権田修一はJ2リーグのため外れたのは当然として、FC東京で今シーズンは控えに回っている左SB長友佑都も世代交代を余儀なくされたと言える。キャプテンだったCB吉田麻也と右SB酒井宏樹のベテラン勢も、「彼らがやってくれるということは計算できる。いなくなった時にどれだけ日本の力としてつけていけるか」(森保一監督)を試す意味でも今回の招集は見送られた。 加えて吉田のシャルケは残留争いに巻き込まれているし、酒井も負傷を抱えていると聞いた。2人とも親善試合で無理をする必要はまったくない。吉田に関しては、所属先がどうなっているかわからないものの、9月の海外遠征で再び呼ばれる可能性は高いのではないだろうか。 そうなると、ウルグアイ戦の守備陣は、GKシュミット・ダニエル、右SB橋岡大樹、CB冨安健洋と板倉滉、左SB伊藤洋輝というスタメンが予想される。全員が身長180センチオーバーの高さを持つ。ちなみにシステムは『ボールを握って攻める』ことを前提に[4-3-3]と予想した。 そして中盤から前だが、今回のキリンチャレンジカップ2023はカタールW杯後の“凱旋試合"でもある。選手のメンタルを配慮して、大胆な采配を振るうことの少ない森保監督のことだから、カタールW杯のスタメンを踏襲する可能性が高いのではないだろうか。 そうなるとダブルボランチは遠藤航と守田英正のコンビで決まり。その前に鎌田大地というトライアングルになる。鎌田は、W杯では守備面で甘さ露呈したし、最近のブンデスリーガでも好不調の波が大きいことを指摘されている。コンスタントに、攻守に“戦える選手"かどうか。シーズン後半戦は正念場と言える。そして今回招集されたメンバーには、鎌田のポジションに西村拓真が呼ばれている。運動量では鎌田を凌駕するだけに、彼のプレーも楽しみだ。 前線は右から伊東純也、トップは前線からのプレスのスイッチになり、ゴールも決めた浅野拓磨か前田大然、そして左は久保建英になる。そして彼らの控えが右から堂安律、上田綺世、三笘薫だ。カタールで結果を残した選手をリスペクトしたスタメン予想でもある。 しかし、本音を言えば現在所属チームで好調を維持し、レアル・ソシエダでは右サイドでプレーしている久保を右FWで、快足ドリブラー三笘を左FWに、そして前田遼一コーチと同タイプのオールラウンダーで、セルクル・ブルージュでゴールを重ねている上田をトップに起用したスタメンを見たいと思うのは私だけではないだろう。 海外組は長距離移動と時差のためコンディションが万全ではない。このため2試合とも90分間フル出場する必要はまったくないが、それでもウルグアイ戦のスタメンには久保と三笘を起用して欲しい。あるいは鎌田のポジションに久保を入れ、右FWは伊東か堂安という選択肢でもいい。 最後に、セルティックで結果を残している古橋亨梧と旗手怜央が選ばれなかったのは意外だった。以前、森保監督は「カタールに連れて行きたくても行けなかった選手がいた」という趣旨の発言をした。てっきり古橋のことかと思ったが、どうやら違ったようだ。彼らについて指揮官は「これという絶対的な判断基準はすべてあるわけではなく、どこか総合的なところがあるのは理解していただければ」と言葉を濁した。 確かにドイツやスペイン相手では、両サイドから崩して古橋が中央で決めるというイメージはわきにくいため、浅野や前田ら俊足FWを優先せざるを得なかったのは理解できる。そして3年後を見据えて『ボールを握って攻める』ためには、上田や町野修斗ら前線でタメを作れる選手を優先したのだろう。 そして旗手は“スペシャリスト"ではなく“オールラウンダー"のために外れたのか? セルティックと田中碧の所属するフォルトゥナ・デュッセルドルフでは、チームと所属するリーグのレベルにどんな差があるのか正直わからない。ただ、田中はスペイン戦で決勝点を決めているアドバンテージがあるのは確かである。 <hr>【文・六川亨】<br/><div id="cws_ad">1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2023.03.16 19:45 Thu
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FW起用の松木が新境地を開くか/六川亨の日本サッカー見聞録

昨日9日の夜は、スポーツファンは大いに盛り上がったのではないだろうか。18時過ぎからワールド・ベースボール・クラシック(WBC)のテレビ中継がスタート。19時30分過ぎには始球式を行った森保一監督のズーム会見もメディア向けに行われた。 そして侍ジャパンはチャンスを迎えながらもなかなか追加点を取れない展開で、21時からはU-20アジアカップの第3戦、日本対サウジアラビア戦も始まった。こちらはパソコンのDAZNで観戦しつつ、テレビは消音にして2試合同時の観戦だった。 日本は、勝てばもちろん引き分けでも決勝トーナメント進出が決まる。対するサウジアラビアは、初戦でキルギスに1-0と勝利したものの、中国に0-2と敗れているため最低でも引分けなければ決勝トーナメントには進めない(同時刻キックオフの中国対キルギス戦の結果にもよる)。そこで[5-3-2]の守備重視のシステムを採用したのは当然の策だった。 対する日本はというと、本来はボランチや、FC東京ではインサイドハーフで起用されることの多い松木玖生を、同じFC東京のFW熊田直紀と2トップで起用したのには驚かされた。冨樫剛一監督は、松木の体幹の強さとスピードによる前線からの守備に期待したのだろう。そしてこの起用は別の意味で的中した。 前半15分に山根陸(横浜FM)のロングパスから左サイドを崩すと、最後は松木がボックス内左で相手をかわして先制点を決める。さらに後半29分、サウジアラビアに同点ゴールを許した4分後、左CKをニアサイドで頭で合わせて勝ち越しゴールを左上に決めた。解説者の水沼貴史氏も「本当に凄いな」とつぶやくほどの勝負強さを発揮したのだ。 この試合、日本は引き分けでも決勝トーナメントに進めたわけだが、サウジアラビアからすれば同点に追いついたことで「行ける」と自信を深めたことだろう。実際、“個の力による突破"という伝統はアンダー世代でも変わらず、1人で2〜3人をかわす力はあった。 そんなサウジアラビアの出鼻をくじく意味でも、松木の一撃は大きかった。 今から12年前、ドイツで開催された女子W杯決勝、アメリカ戦で延長後半終了3分前、左CKから右足アウトサイドのボレーで同点ゴールを決めた澤穂希のプレーを思い出さずにはいられなかった。 これまでは守備的な選手というイメージの強かった松木。昨シーズンもJ1リーグでは2ゴールにとどまっていた。しかしサウジアラビア戦で2トップに起用されたことで見事に結果を出した。まずは12日の準々決勝、ヨルダン戦に勝利してU-20W杯の出場権を獲得することが先決だが、今大会で新境地を開く可能性も大いにあるだろう。富樫監督の起用法も含めて、松木の“進化"を注視したい。 <hr>【文・六川亨】<br/><div id="cws_ad">1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2023.03.10 19:30 Fri
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新ミュージアムに期待したいこと/六川亨の日本サッカー見聞録

日本サッカー協会(JFA)が、今年の6月で現在のJFAハウスから飯田橋にあるトヨタ自動車東京本社ビルに移転するのはご存じだろう。同じくJリーグ事務局は、Jリーグタイトルパートナーである千代田区の明治安田生命本社ビルへと移転する。 Jリーグはスポンサーとの結びつきをより強固にできるだろうし、JFAは“縁”のある文京区内への移転がスムーズに完了しそうだ。 かつてアマチュア時代は代々木のアマチュアの総本山、岸記念体育館の3階にあったJFAも、国内リーグのプロ化に伴い渋谷の野村ビルなどに移転。そして2002年の日韓W杯成功後の03年には、約60~65億円で現在のJFAハウス、旧サンヨー本社ビルを購入して各所に分散していた連盟を一つにまとめた。 しかし2020年、コロナ禍により日本代表の試合が減少し、少年団の登録費の徴収を止め、町クラブへの支援など財政状況が悪化。テレワークによる在宅勤務が増えたことや、運用資金100億円の50%を夢フィールドの建設に使うなど資金繰りの悪化が囁かれてきた。 そこで昨年、JFAハウスを約200億円で売却し、年間に2~3億円の賃貸料を支払わなければならないもののトヨタ自動車東京本社ビルの1フロアか2フロアを借りることになったわけだ。 JFAハウスの売却で、単純計算でも150億円近い利益があるのだから、当時の川淵三郎JFA会長や平田竹男GS(ゼネラル・セクレタリー)は「先見の明」があったと言っていいだろう。 そして本題である。3月2日、JFAの宮本恒靖専務理事はズームによる会見で、文京区の東京ドームシティ内にレガシー展示や多目的空間、レストラン、映像配信やギャラリーなどの複合施設を今年秋にオープンすると発表した。 監修や一部製作には、大阪万博も担当する筑波大学デジタルネイチャー開発研究センター長の落合陽一氏を迎え、三井不動産グループの株式会社東京ドームとの共同開業でプロジェクトは進められている。 この一大プロジェクトは、宮本専務理事自身「僕がJFAに入る前から検討されていた。たくさんの考え方があって実現できた」ということだが、正式名称に関しては未定で「アンケートになるか、ネーミングライツになるのか、時期はいつになるのか決まっていない」とのことだ。 それでも、東京ドームシティといえば巨人軍のホームグラウンドであり、コンサート会場であり、プロボクシング会場の聖地でもあり、遊園地や様々なアトラクションと温泉施設にホテルまである。さらに、これはあまり知られていないかもしれないが、野球殿堂博物館もある。 プロ野球とサッカーのアーカイブが一堂に会することが、個人的には一番の感動だった。 このプロジェクト、宮本専務理事によると「いままでのミュージアムとは違う体験ができる」とのこと。「修学旅行でも利用して欲しい」と期待するが、これまであった「ミュージアムの機能は場所を移すが、いつ開設するかは未定」とも言っていた。 かつてのミュージアムの地下には「ライブラリー」という資料室があって、サッカー雑誌や書籍などの蔵書がほぼ完備されていた。仕事で使うことも多かったし、夏休みには多くの小学生が勉強に訪れていた。 このミュージアム、館長はJFA名誉会長が歴代務めるのが03年の岡野俊一郎氏(故人)以来、伝統で、それは現在も続いている。職員も、JFAから転籍してきた。雇用の創出は大事である。そして、今後想定される入場料収入もJFAの貴重な財源になることだろう。 それらを理解した上で、「ライブラリー」という資料室、デジタルではない“紙の資料”を残して欲しいと思う。紙には紙の良さがあると思うのだが、これは時代錯誤の考え方なのだろうか。 <hr>【文・六川亨】<br/><div id="cws_ad">1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2023.03.02 21:00 Thu
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