引退の中村俊輔に古巣レッジーナが別れ 「ボール上で踊る姿は10番ならでは」

2022.10.18 16:45 Tue
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引退を決断した横浜FCの元日本代表MF中村俊輔(44)に古巣レッジーナから労いのメッセージが届いている。プロ生活26年間の中村にとって、海外キャリアの門戸となったのがレッジーナ。中村といえば、なんといってもセルティック時代だが、2002年夏から3シーズンにわたってプレーしたレッジーナでも公式戦87試合出場で12得点4アシストの数字を残した。

エスパニョールではうまくいかなかったが、横浜F・マリノスでJリーグ復帰後も代名詞のプレースキックを武器にジュビロ磐田、そして横浜FCでも活躍した中村。最近になって今季の現役引退報道がなされるなか、18日にクラブがその旨を正式発表した。
正式化する前からスコットランドのメディアをはじめ、様々な縁ある方面から惜しむ声が聞こえてくるなか、レッジーナも17日にクラブ公式のSNSを通じて反応。レッジーナで背番号「10」をつけてプレーする中村の写真とともに、労いの言葉を送った。

「目にしたボールの上で踊るような君の姿は10番ならではのものだった。あたかもPKのようにFKを蹴る君の姿を見た。日出ずる国からレッジョ・カラブリアの太陽の下にファンを導き、異様なほど真っ直ぐの行列を作り出す君の姿を目にした」

「今日で偉大な旅が終わる。長く、エキサイティングな旅。誰もが経験できるわけではないような旅。我々の人生の一部であるこの小さな1ページが幕を閉じようとするノスタルジアはかつてこの地で歌われたチャントで掻き消されていく」

「“ブラジル人ではないのに、素晴らしいゴール! レッジョでは君はもうアイドルだ。ナカムラ”」

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src="https://image.ultra-soccer.jp/1200/img/2022/nakamura20221111_7_tw.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:small;" id="cws_ad" class="desc">©J.LEAGUE<hr></div> そしてサッカー選手を志したのも横浜市。しかも、プロ入り後の本拠地であり、引退した本拠地でもあるニッパツ三ツ沢球技場での出来事だった。「初めて親と行った三ツ沢。今は凄く整備されていますが、スタンドの椅子もコンクリートだけで、初めて日産vs読売、木村和司さんvsラモスさん、カズさんがいて、あれで虜になって、自分もここでやりたいと」と、横浜でサッカー選手になることを決意。そして、努力の末に夢を叶えた。「今も三ツ沢でプレーできて、三ツ沢で終われたので、運が良いです。よかったなと思います」と、多くの思い出がある地に感謝を述べた。 その横浜の地を離れて最初に訪れたのがイタリア。当時はセリエAに所属していたレッジーナに移籍。すでに中田英寿がペルージャ、ローマ、パルマでプレーし、名波浩がヴェネツィアでプレーしていたが、日本人に馴染みのないレッジーナというクラブを選択。当時セリエAに復帰した1年目のシーズンだった。 <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/1200/img/2022/nakamura20221111_3_tw.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:small;" id="cws_ad" class="desc">Getty Images<hr></div> イタリアへの挑戦についてはターニングポイントだったと語った中村。「イタリアに行く時は、日本を出なきゃと焦るぐらいでした」と当時の心境を明かした。2002年のW杯のメンバーから落選した中村だが、その1年前の2001年3月のフランス代表との親善試合で5-0と大敗。この大敗で危機感を覚え、イタリアへ行くことを望んだという。 「当時は世界最高峰だったセリエAに行くのを焦るぐらいでしたね。本場のサッカーに飛び込んだのは、良かったと思います。扉をようやく開けられたというか。サンドニで日本代表として0-5で負けた(フランス代表戦)、このままじゃ置いていかれるというのに気づきましたし、やっとこの舞台でやれるというので、凄く光が見えたっていう感じですね」 <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/1200/img/2022/nakamura20221111_2_tw.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:small;" id="cws_ad" class="desc">Getty Images<hr></div> 世界に飛び立ち、扉を開いた先には光があったという中村。レッジーナでもその左足は健在。FKはもちろんのこと、多くのゴールを決めると、2005年7月に移籍したセルティックではさらに大きく羽ばたいた。 当時の中村は世界にまだ日本人選手が多く出て行っていない状況を考え、自分を実験台だと語っていたという。その理由は「俺はこういうプレーヤーだというのだけではなく、こういうことしたらどうなのか、敢えて悪い方を通ったり」と、まさに試すことを色々し、リスクを負ったこともあったという。 <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/1200/img/2022/nakamura20221111_6_tw.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:small;" id="cws_ad" class="desc">Getty Images<hr></div> ただ「結果として自分の良い結果が出なくても、これからの選手、チームメイト、これから指導者としての財産になることはたくさんあるので、悔いはなかった、良かったと思います」と、今振り返っても、様々なチャレンジは当時上手くいかなくても良かったと言えるまでになったようだ。そしてそれは「これから指導者としてというか、伝えていければというのはいっぱいあります」と、後輩たちに伝えていくつもりだという。 世界をも驚かせ、チャンピオンズリーグ(CL)でマンチェスター・ユナイテッド相手に2試合連続でFKを叩き込んだプレーは未だに思い出されるゴール。それ以外にも、見るものにとって数多くの印象に残るゴールを決め続けてきた。 その1つはジュビロ磐田時代のゴール。鹿島アントラーズとのアウェイゲーム(2017年4月22日)で決めたゴールだ。ボックス内で相手がクリアしたボールをバウンドして転がってきた中、左足一閃。ホップする強烈なミドルシュートがゴール上のネットに突き刺さった。 <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/1200/img/2022/nakamura20221111_1_tw.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:small;" id="cws_ad" class="desc">©J.LEAGUE<hr></div> 圧巻のゴールだが、この時自分が取った行動は、中村にとって選手初めての思い出だという。 「アントラーズ戦のアウェイでゴールを決めた後に、名波さんのところに行って、みんなで抱き合った時ですね。選手として初めて監督のところに駆け寄りました」 キャリアを通じてゴールを喜んでも、監督のところまで行くことはなかったという。ただ、マリノスを退団する際にすぐに声をかけてくれた日本代表の元10番・名波浩監督には、人を惹きつける魅力があるという。 「名波さんはみんなから求心力もあるし、兄貴的存在で、サッカーを良く知っていますし、ああいう風になります。あの瞬間は新しい自分が出たというか、嬉しかったです」 <script>var video_id ="a6xzzZGKikI";var video_start = 0;</script><div style="text-align:center;"><div id="player"></div></div><script src="https://web.ultra-soccer.jp/js/youtube_autoplay.js"></script> 同じ日本代表で左利き、ゲームを作るプレーが求められた2人は、選手と監督という立場が変わっても、何かでつながっていたのだろう。それだけ会心のゴールであり、喜びを分かち合いたくなるものだった。 今なお、チームの練習に参加し、サッカーを続けている中村。今後は指導者になることは予てから口にしていたが、理想の監督像は作らないようにしているという。 「選手の時はありましたが、それはあまり作らない方が良いのかなと。自分の感覚とか、物差しでやると、逆に伝わらなかったり、良いことがないかもしれないんじゃないかなという感じでもいます」 「演じなければいけない時もあるかもしれないですし、B級(ライセンス)を取るときも、自分は答えをわかっているから教えすぎだと言われて、なるほどなと思いました。そこを促して、気付かせるということも大事だと思います。まだまだ色々なことを勉強しなければいけないので、今のところ作らないようにしています 型にハマった指導をせず、向き合う選手や状況に対応していきたいという考えもあるのだろう。数多くの監督の下でプレーし、様々な世界を経験したからこその決意なのかもしれない。 その中村だが、自身も称された“ファンタジスタ”について、今後期待する選手の名前を挙げた。それは「小野伸二ですね。そこは変わらないです」。北海道コンサドーレ札幌に所属する43歳は、中村も日本代表としても一緒にプレーした仲。そして、“ファンタジスタ”が再び必要になる時代が来ると考えているという。 「今の時代という言い方はあまり好きではないですが、中央はプレッシャーが360度きますが、そのポジションの選手が必要になる時が自分はあると思いますし、そういう人を逆に潰さないようにしていきたいという気持ちがあります」 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「また一緒に空を飛べたら」現役ラストマッチを終えた中村俊輔へ、帰路の機内で操縦士から労いの言葉「粋だ」「ステキ!」「素敵な空の旅だ!」

現役最後の試合を終えた横浜FCの元日本代表MF中村俊輔(44)にサプライズメッセージが送られた。 1997年に桐光学園から横浜マリノス(現:横浜F・マリノス)へと加入した中村はプロ1年目から出場機会をつかみ、2000年にはJリーグの最優秀選手賞を受賞した。 レッジーナ、セルティック、エスパニョールでの海外経験を経て2010年には古巣の横浜FMへと復帰。その後はジュビロ磐田、横浜FCでプレーし、J1通算408試合73得点、J2で16試合1得点を記録。日本代表としても2006年、2010年と2度のW杯に出場し、98試合で24得点という数字を残した。 今シーズン限りでの現役引退を発表した中村は、23日に行われたえがお健康スタジアムでの明治安田生命J2リーグ最終節、ロアッソ熊本戦にキャプテンマークを巻いて先発出場。60分の交代時には両チームのサポーターから万雷の拍手が送られ、ピッチを後にした。 また、試合を終えての帰路の飛行機内では、機内アナウンスにてソラシドエアの操縦士から労いの言葉が送られるサプライズが。横浜FCのファンも多く搭乗していたこともあり、機内は拍手に包まれたとのことだ。 アナウンスを担当していた副操縦士の方からは、アナウンスをテキスト化したものもクラブ宛てに送られており、横浜FCの公式ツイッターで全文を確認することができる。 航空会社からも改めて以下のような返信が寄せられ、ファンからも「粋だねえ」、「ステキ!」、「素敵な空の旅だ!」といった声が届けられている。 「横浜FCの皆さま。ソラシドエアへご搭乗いただきありがとうございました。また今シーズンのご活躍、お疲れ様でした!中村俊輔選手のご勇退、来年のJ1昇格と節目のタイミングに巡り合えましたこと、とても嬉しく思います」 「これからも頑張ってください!また一緒に空を飛べたら嬉しいです」 <span class="paragraph-title">【写真】中村俊輔へのサプライズを行ったSNA20便のスタッフ&機内アナウンスされたテキスト</span> <span data-other-div="movie"></span> <blockquote class="twitter-tweet"><p lang="ja" dir="ltr">残念ながら音声アナウンスのデータは既に削除されているとのことでした。。<br><br>ですが!!!<br><br>実際にアナウンスを担当してくださった副操縦士の方が、アナウンスのテキストを作成してお送りくださいました<br>皆様のご厚意に重ねて御礼申し上げます<a href="https://twitter.com/hashtag/yokohamafc?src=hash&amp;ref_src=twsrc%5Etfw">#yokohamafc</a> <a href="https://t.co/N9kp8POiHU">pic.twitter.com/N9kp8POiHU</a></p>&mdash; 横浜FC【公式】 (@yokohama_fc) <a href="https://twitter.com/yokohama_fc/status/1584412477378691073?ref_src=twsrc%5Etfw">October 24, 2022</a></blockquote> <script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script> 2022.10.24 17:10 Mon
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