「イタリアはまだ僕を必要としてくれていた」インモービレが代表引退撤回の理由明かす
2022.09.20 10:51 Tue
ラツィオのイタリア代表FWチーロ・インモービレ(32)が、代表引退を検討していたと明かした。
これまでセリエAで4度の得点王に輝くなど、国内屈指の点取り屋としてゴールを量産してきたインモービレ。2014年3月にデビューを飾ったイタリア代表でも、公式戦通算55試合に出場して15ゴールを記録してきた。
昨夏に開催されたユーロ2020でも6試合に出場して2ゴール1アシストの成績を残すなど、主力として優勝に貢献。しかし、今年3月に行われたカタール・ワールドカップ(W杯) 欧州予選プレーオフ準決勝の北マケドニア代表戦では、主将として出場しながらまさかの敗戦を喫し、2大会連続で本大会出場を逃すことになった。
試合後には代表引退も囁かれていたインモービレだが、イタリア『RAI Sport』のインタビューに応じ、噂は事実だったと告白。それでも、ロベルト・マンチーニ監督の説得を受け再び代表で戦い続ける意志を固めた今は、新たな目標に向けて全力を尽くしていると強調した。
「(代表引退の噂は)真実だったよ。でも、僕はマンチーニ監督と話をして、自分がまだ必要とされていることを実感したんだ」
「僕たちは若い選手の成長を助けることで、代表チームの刷新をよりスムーズにさせられるだろう。僕らのようなベテランには、まだ必要性があるんだ」
「監督も話していたが、今から始まるのは次のユーロやW杯に向けたチームのカムバックさ」
これまでセリエAで4度の得点王に輝くなど、国内屈指の点取り屋としてゴールを量産してきたインモービレ。2014年3月にデビューを飾ったイタリア代表でも、公式戦通算55試合に出場して15ゴールを記録してきた。
昨夏に開催されたユーロ2020でも6試合に出場して2ゴール1アシストの成績を残すなど、主力として優勝に貢献。しかし、今年3月に行われたカタール・ワールドカップ(W杯) 欧州予選プレーオフ準決勝の北マケドニア代表戦では、主将として出場しながらまさかの敗戦を喫し、2大会連続で本大会出場を逃すことになった。
「(代表引退の噂は)真実だったよ。でも、僕はマンチーニ監督と話をして、自分がまだ必要とされていることを実感したんだ」
「W杯プレーオフ敗退という失望があったとき、人間は本当に多くの選択肢を考えると思う。でも、僕はそこで冷静になってマンチーニと話したんだ。そこで、イタリアはまだ僕を必要としてくれているようだと感じた」
「僕たちは若い選手の成長を助けることで、代表チームの刷新をよりスムーズにさせられるだろう。僕らのようなベテランには、まだ必要性があるんだ」
「監督も話していたが、今から始まるのは次のユーロやW杯に向けたチームのカムバックさ」
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