新加入のMF山田直輝が岐阜の新キャプテンに!副キャプテンはMF荒木大吾、MF北龍磨、MF外山凌の3選手
2025.01.30 16:50 Thu
岐阜のキャプテンに就任した山田直輝(写真は湘南ベルマーレ時代)
FC岐阜は30日、2025シーズンのキャプテン・副キャプテンを発表した。
J2昇格を目指して臨んだ昨シーズンは、序盤こそ昇格圏内に位置していたがその後はリーグ戦9試合未勝利に陥るなど失速してしまい、昨年6月に上野優作監督が辞任。後任に天野賢一監督が就任すると終盤は7戦無敗で盛り返したが、J3リーグ8位に終わりプレーオフ進出もならなかった。
新たに就任した大島康明監督の下、再びJ2昇格を目指す岐阜。キャプテンには新加入のMF山田直輝が、副キャプテンにはMF荒木大吾、MF北龍磨、MF外山凌が就任することが発表された。
キャプテン・副キャプテンへの就任が発表された4名の選手は、クラブを通じてコメントしている。
◆山田直輝
「2025シーズンFC岐阜のキャプテンを務めさせていただくことになりました。『J2昇格』という目標を達成するために、行動で示していきたいと思っています。ただ僕は、不器用で力不足なところばかりです。だからこそ、監督、スタッフ、副キャプテン、チームメイト、ファン・サポーター、FC岐阜に関わるすべての方の力を合わせて、共に目標を達成したいです。みんなでJ2への切符を勝ち取りましょう!」
「今シーズン副キャプテンを務めさせていただきます。自分を選んでいただき光栄です。今年はJ3優勝、J2昇格を成し遂げられるよう頑張ります。応援よろしくお願いします」
◆北龍磨
「今シーズン副キャプテンを務めることになりました。目標であるJ3優勝、J2昇格のためにチームを引っ張っていきたいと思います。最後みんなで喜びを分かち合えるよう共に戦いましょう!」
◆外山凌
「重要な役割を与えていただきましたが、やるべき事、姿勢は変わりません。常にピッチでチームとして輝けるように毎日努力します」
J2昇格を目指して臨んだ昨シーズンは、序盤こそ昇格圏内に位置していたがその後はリーグ戦9試合未勝利に陥るなど失速してしまい、昨年6月に上野優作監督が辞任。後任に天野賢一監督が就任すると終盤は7戦無敗で盛り返したが、J3リーグ8位に終わりプレーオフ進出もならなかった。
新たに就任した大島康明監督の下、再びJ2昇格を目指す岐阜。キャプテンには新加入のMF山田直輝が、副キャプテンにはMF荒木大吾、MF北龍磨、MF外山凌が就任することが発表された。
◆山田直輝
「2025シーズンFC岐阜のキャプテンを務めさせていただくことになりました。『J2昇格』という目標を達成するために、行動で示していきたいと思っています。ただ僕は、不器用で力不足なところばかりです。だからこそ、監督、スタッフ、副キャプテン、チームメイト、ファン・サポーター、FC岐阜に関わるすべての方の力を合わせて、共に目標を達成したいです。みんなでJ2への切符を勝ち取りましょう!」
◆荒木大吾
「今シーズン副キャプテンを務めさせていただきます。自分を選んでいただき光栄です。今年はJ3優勝、J2昇格を成し遂げられるよう頑張ります。応援よろしくお願いします」
◆北龍磨
「今シーズン副キャプテンを務めることになりました。目標であるJ3優勝、J2昇格のためにチームを引っ張っていきたいと思います。最後みんなで喜びを分かち合えるよう共に戦いましょう!」
◆外山凌
「重要な役割を与えていただきましたが、やるべき事、姿勢は変わりません。常にピッチでチームとして輝けるように毎日努力します」
山田直輝の関連記事
FC岐阜の関連記事

J3の関連記事

記事をさがす
|
山田直輝の人気記事ランキング
1
今日の誕生日は誰だ! 7月4日は、浦和一筋! 英『スカイ』にスコールズと評された男
◆山田直輝 【Profile】 国籍:日本 所属チーム:浦和レッズ 誕生日:1990年7月4日 ポジション:FW 身長:168㎝ 体重:66㎏ ▽『今日の誕生日は誰だ!』 7月4日は、浦和レッズの山田直輝だ。 ▽中高生時代から浦和レッズの下部組織に所属し、現在に至るまで浦和でプレーする山田。トップチームデビューを果たしたのは2008年4月の京都サンガ戦。17歳9カ月22日でのことだった。 ▽2009年にはトップチームに正式に昇格し、日本代表にも初招集された。同年5月27日のチリ代表戦で途中出場し1アシストを記録した。その後は鳴かず飛ばずの成績が続き2015年から3シーズンの間湘南ベルマーレへ期限付き移籍した。2017年には明治安田生命J2リーグにおいて39試合に出場し5ゴール6アシストをマーク。まずまずの結果を残した。そして、今シーズンから浦和に復帰している。 ▽かつて、山田が19歳だった頃の2009年、イギリスの有力メディア『スカイ・スポーツ』が山田を世界の有望な選手と位置付け、同国のレジェンド、ポール・スコールズと比較したことが話題となった。 ※誕生日が同じ主な著名人 アルフレッド・ディ・スティファノ(元サッカー選手) ジャンピエロ・ボニペルティ(元サッカー選手) ケンドーコバヤシ(お笑い芸人) GACKT(ミュージシャン) 前山田健一(ミュージシャン) 赤西仁(歌手、俳優) カズレーザー(お笑い芸人/メイプル超合金) 増田貴久(アイドル/NEWS) あびる優(タレント) 2018.07.04 07:00 Wed2
J1で最下位に沈んだ湘南、主将のDF岡本拓也ら一挙に16選手と契約更新!
湘南ベルマーレは26日、16選手との来季契約更新を発表した。 今回更新されたのは、GK富居大樹(31)、MF古林将太(29)、DF岡本拓也(28)、MF梅崎司(33)、DF大野和成(31)、MF山田直輝(30)、FWタリク(32)、DF舘幸希(23)、DF大岩一貴(31)、MF茨田陽生(29)、DF畑大雅(18)、MF三幸秀稔(27)、MF柴田壮介(19)、GK堀田大暉(26)、DF石原広教(21)、DF毛利駿也(25)。 富居は2018年にモンテディオ山形から湘南入り。今季は明治安田生命J1リーグ6試合に出場した。2009年に湘南でプロキャリアをスタートさせた古林は、名古屋グランパス、ベガルタ仙台を経て、2019年に湘南に復帰。今季はJ1リーグ24試合に出場した。 2016年に浦和レッズから湘南に加わった岡本は今季のJ1リーグ33試合に出場してDFながら4ゴールを記録。岡本と同じく浦和から加入した梅崎は2018年から湘南でプレー。在籍3年目の今季は、左ヒザの負傷の影響もあり、J1リーグ2試合の出場にとどまった。 2012年に湘南に加入した大野は、2014年から4年間アルビレックス新潟でプレーした後、2018年に湘南へ復帰。今季はJ1リーグ26試合に出場して1ゴールをマークした。山田は、2019年に2度目の期限付き移籍で浦和から湘南に加入。完全移籍に切り替わった今季はJ1リーグ16試合に出場した。 ノルウェー代表として60キャップ10ゴールを誇るタリクは、今季から湘南入り。J1リーグ20試合で1ゴールを記録した。舘は2020年に日本大学から湘南へ入団。プロ1年目の今季は中盤戦から出場機会を掴み、J1リーグ17試合に出場していた。 ジェフユナイテッド千葉や、ベガルタ仙台でキャリアを積んだ大岩は今季から湘南へ。加入初年度の今季は負傷しながらも、J1リーグ17試合に出場した。柏レイソル、大宮アルディージャを渡り歩いた茨田も大岩と同様に今季から湘南でプレー。J1リーグ24試合に出場していた。 市立船橋高校出身の畑は湘南に今季入団。終盤戦から左ウイングバックの定位置を確保し、ルーキーイヤーの今季はJ1リーグ15試合に出場。三幸は2020年にレノファ山口FCから湘南に加入。J1リーグ4試合の出場にとどまった。 湘南下部組織出身の柴田は、2019年にトップチーム昇格。今季はJ1リーグ15試合に出場していた。2020年に福島ユナイテッドFCから湘南に加わった堀田は、シーズン途中に2カ月の短期契約でツエーゲン金沢に期限付き移籍するも、僅か1カ月で湘南に復帰。出場機会はなかった。 湘南の育成機関で育った石原は、2017年にトップチーム昇格を果たすと、2019年にアビスパ福岡への武者修行。復帰した今季はJ1リーグ29試合に出場していた。2019年7月に金沢から湘南に加わった毛利は加入以降、出場機会がない状況となっている。 2020.12.26 20:05 Sat3
熊本MF岡本知剛が現役引退…広島では高校生でプロ契約、U-17W杯でも注目集める
ロアッソ熊本は4日、MF岡本知剛(31)が現役を引退することを発表した。 岡本は広島県出身で、サンフレッチェ広島の下部組織出身。世代別日本代表を経験すると、2007年のU-17ワールドカップに出場。柿谷曜一朗(名古屋グランパス)、水沼宏太(横浜F・マリノス)、山田直輝(湘南ベルマーレ)と共に大会注目選手とされていた。 2008年6月には高校3年ながら広島とプロ契約を結び、髙萩洋次郎(FC東京)以来の契約となり、逸材として期待された。 しかし、ケガなどの影響で広島では3シーズンで公式戦8試合の出場に終わり、2011年にサガン鳥栖へと期限付き移籍。すると、当時J2の鳥栖では34試合に出場し1得点を記録し昇格に貢献。2012年も期限付き移籍し、2013年に広島復帰。復帰後も多くの出番は得られず、2014年に鳥栖へ期限付き移籍すると、同年6月に完全移籍へと切り替わった。 2016年途中からは湘南ベルマーレへと期限付き移籍。2017年には松本山雅FCへと完全移籍すると、2019年に熊本へと加入。2020シーズンはキャプテンを務めていた。 熊本での3シーズンでは、J3通算69試合に出場し4得点。天皇杯で1試合に出場していた。 J1通算76試合出場、J2通算51試合出場2得点、J3通算68試合出場4得点を記録。リーグカップで16試合、天皇杯で17試合、AFCチャンピオンズリーグでも7試合に出場した。 岡本はクラブを通じてコメントしている。 「今シーズン限りで現役引退をすることを決めました。小学生の時にサッカーを始め、フェニックス尾道SC、サンフレッチェびんごジュニアユース、サンフレッチェ広島ユース、ここで素晴らしい指導者の方々、チームメイトに出会い、自分自身成長させてもらい、プロサッカー選手になれたこと、本当に感謝してます」 「プロとして機会を与えてくれた、サンフレッチェ広島、サガン鳥栖、湘南ベルマーレ、松本山雅FC、ロアッソ熊本のチームの皆さん、本当にありがとうございます。これまで関わってくれた全ての皆さんに心から感謝いたします。ありがとうございました」 「今シーズンも残すところ1試合、勝ってみんなで喜びを分かち合えるように、全力で頑張ります」 なお、5日のホーム最終戦後に引退セレモニーが行われる。 2021.12.04 12:18 SatFC岐阜の人気記事ランキング
1
横山知伸氏が38歳で逝去…昨夏に脳腫瘍再発、大宮が発表
大宮アルディージャは11日、U18フィジカルコーチ兼U18コーチの横山知伸氏が逝去したと発表した。38歳だった。 横山氏は現役時代に早稲田大学から川崎フロンターレ入りし、プロキャリアをスタートさせ、セレッソ大阪や、大宮、北海道コンサドーレ札幌、 ロアッソ熊本、FC岐阜でプレー。大宮では2014年から3シーズンにわたって所属した。 2018年12月に脳腫瘍と診断され、摘出手術を受けたが、リハビリの末に2019年9月からFC岐阜で復帰。その岐阜を最後のクラブとして2020年2月に現役を退き、札幌アカデミーのフィジカルコーチとして指導者の道を歩み出した。 昨年から大宮のフィジカルコーチに就き、同年5月からU18フィジカルコーチ兼U18コーチに。クラブによると、4日に逝去し、葬儀は家族葬にて執り行ったという。後日、「お別れの会」を予定し、日時や場所等の詳細は改めて発表される。 大宮の代表取締役社長を務める佐野秀彦氏は次のようにコメントを発表している。 「大宮アルディージャは、とても大切なかけがえのない仲間を亡くしました。突然の訃報に接し、信じられない気持ちでおり、悲しみにたえません」 「今夏、脳腫瘍の再発の診断されてから、必ずピッチに戻るという強い意志のもと、懸命に治療、リハビリに励んでまいりましたが、残念ながら帰らぬ人となり、無念でなりません」 「トップチームの選手としてともに戦った2014-2016シーズンは、強固なディフェンス力と確かな技術、そして空中戦の強さを武器に、チームを多くの勝利に導く活躍をしてくれました。2015シーズンの『J2優勝 J1昇格』、2016シーズンの「J1最高順位」は彼の活躍なくては成し得なかったことでありました。ピッチを離れても持ち前の明るいキャラクターと細やかな気遣い、類稀なるコミュニケーション力でチームを、そしてクラブを明るく照らし続けてくれました」 「2018年末に脳腫瘍を発症した際には、『必ず選手としてピッチに戻る』という強い意志を持って治療に向き合い、プロサッカー選手としてJリーグの舞台に戻ってきた姿は、我々をはじめ多くの方々に勇気と感動を届けてくれました。2019年2月9日、NACK5スタジアム大宮で大宮アルディージャサポーターがいち早く闘病中の横山選手へ送ってくれた励ましのチャント、そしてコールが彼の挑戦を後押ししてくれたと思っております」 「2023シーズン、トップチームのフィジカルコーチとして7シーズンぶりにクラブへ戻ってきてからも、自身を成長させてくれたサッカー界へ恩返しすべく、これまでの経験をもとに選手の成長、チームの成長のために全てを大宮アルディージャへ費やしてくれました」 「未来に向かい、ともに成長を続けていく仲間との早すぎる別れは、残念でなりません。クラブスタッフ一同、横山コーチの常に高みを目指し挑戦し続ける勇姿を心に刻み、意思を引き継ぎ精進してまいります」 「ご逝去を悼み、謹んでお悔やみ申しあげますとともに、心からご冥福をお祈りいたします」 2024.01.11 15:15 Thu2
J3で苦戦続く岐阜が元コートジボワール代表FWの加入内定を発表! ベルギーやトルコなどでプレーした28歳
FC岐阜は20日、元コートジボワール代表FWウィリアム・トギ(28)の加入内定を発表した。メディカルチェック後に正式契約を結ぶ。 ウィリアム・トギは、母国クラブでキャリアをスタート。その後、モロッコで長らくプレー。2018年夏にベルギーのメヘレンに完全移籍する。 その後、チュニジアのエスペランスへレンタル移籍を経験。ベルギーのRWDモレンベークやイスラエルのハポエル・カタモン、トルコのトゥズラスポル、アンカラ・ケチエレンギュジュSKでプレーしていた。 ジュピラー・プロ・リーグ(ベルギー1部)では40試合で10ゴール2アシスト。チャレンジャー・プロ・リーグ(ベルギー2部)で43試合9ゴール4アシストを記録している。 コートジボワール代表としても5試合に出場していた。 ウィリアム・トギはクラブを通じてコメントしている。 「日本のクラブでプレーすることは私にとって初めての経験ですが、見聞きしたもの全てがプロフェッショナルで前向きなものでした。デビューが待ちきれません。大島監督のリクエストに耳を傾け、ポジティブな結果と雰囲気を作るために全力を尽くします」 「FC岐阜のファン・サポーターの皆さん、クラブに関わる皆さんのすべての努力は必ず結果に繋がります。私がベストを尽くしてチームに良い結果をもたらすことを信じてください。共に戦いましょう」 また、小松裕志 代表取締役社長も今回の獲得にコメントしている。 「いつも熱いご声援をいただき、誠にありがとうございます。今シーズン、苦しい戦いが続いている中でも、スタジアムや日々の活動を通して皆さまからいただく応援は、選手・スタッフにとって何よりの支えとなっております」 「これから勢いを盛り返すべく、もてる手段をすべて活用し監督をはじめ、現場の努力をクラブ全体で支え一丸となって進み続けます。最後まで昇格を目指して全力で戦い抜く覚悟です」 「苦しい時も応援してくださり、共に前を向いて進んでいける皆様の存在が、クラブの力になります。どうかこれからも、変わらぬご声援で背中を押していただけますと幸いです。私たちは、最後の笛が鳴るその瞬間まで、勝利を目指して走り続けます」 J2昇格を目指す岐阜だが、チームは10試合を終えて2勝3分け5敗と大きく負け越しており、18位に低迷している。 2025.04.20 23:10 Sun3
Jリーグに選手・コーチとして計5年間…元U-21スペイン代表MF“シシ”が日本時代を回想「それまで知らなかったよ」
2023シーズンの徳島ヴォルティスでアシスタントコーチを務めた元U-21スペイン代表MFシシーニョ氏(37)。計5年間過ごした日本時代を振り返った。 20代前半の頃、2007-08シーズンにラ・リーガのバジャドリーで脚光を浴びたのち、チームメイトの影響で以前から興味があったという日本への渡航を30代にして決意した“シシ”ことシシーニョ氏。アビスパ福岡MF城後寿の“ファン”としても知られる。 2017年にFC岐阜入りすると、18〜19年は徳島、20年は愛媛FCと計3クラブでプレー…世代別スペイン代表の経験も持つ小柄なアタッカーは、四国・愛媛で現役再活にピリオドを打った。 引退後は古巣バジャドリーの育成年代で指導者キャリアをスタートし、2023シーズンから徳島のコーチに。ただ、チームはJ2リーグで10勝19分け13敗の15位フィニッシュと、2005年のJリーグ参入以降で最低タイの順位に。シシーニョ氏は徳島に2度目の別れを告げることとなった。 一番の親友は14歳から付き合いがあるダビド・シルバ氏という37歳は、現在スペインに帰国し、自宅のあるアルバセテで指導者キャリア再開に向けて英気を養っている最中。そんななか、スペイン『Relevo』のインタビューで日本時代を振り返った。 「日本の人たちというのは非常に思慮深く、隣人のことを気にかける。自らの立ち振る舞いを意識し、他人に迷惑をかけていないか常に考える。スリッパを履いたままトイレへ入ることは決してない」 「岐阜、徳島、愛媛…3年ちょっとで3クラブに所属した。私はその経験が欲しく、何より言語を学びたかった。日本へ行く外国人選手には通訳が付くことが多く、言語を学ばなくても通訳が問題を解決してくれる」 「だが、私は英語も話せないまま日本へ行き、通訳もいない。恥ずかしがることなく日本語を勉強できただろうか。日本では自らの発する言葉や行動を自分自身がよく理解しておくべき…キミ(インタビュアー)に説明してもどうゆうことかピンとこないだろう(笑) 私も実際に体感して理解した」 母国スペインを飛び出したのち、韓国、ポーランド、ギリシャを経て、最後は日本でプレーしたシシーニョ氏。以前から興味があった日本という“国”だが、“サッカー”の面でも選手キャリアの最後に前向きな驚きがあったという。 「日本にあれほどハイレベルなサッカー、各クラブのカラー、あんなに素晴らしいスタジアムがあるなんて…僕はそれまで知らなかったよ」 2024.01.11 20:00 Thu4
岐阜がGK松本拓也と契約更新!今季は9試合に出場
FC岐阜は25日、GK松本拓也(32)との契約更新を発表した。 松本は順天堂大学在学中、特別指定選手として湘南ベルマーレに加入し、2010シーズンのガンバ大阪戦でJリーグデビュー。しかし、正式入団した翌年は出場機会を得られず、わずか半シーズンで川崎フロンターレへ期限付き移籍した。 その後、2012年に湘南へ復帰するも2試合しか出場できず、2013年にギラヴァンツ北九州へ、2015年にブラウブリッツ秋田へとクラブを転々。すると秋田では主力として活躍し、5シーズンで公式戦136試合に出場した。 そして、2020年に岐阜に完全移籍で加入。昨季は明治安田生命J3リーグで21試合に出場したが、今季は9試合にとどまった。 松本はクラブを通じてコメント。岐阜での3年目を迎える来シーズンへの意気込みを語っている。 「日頃から多大なるご支援、ご声援ありがとうございます」 「2022年シーズンもFC岐阜でプレーさせていただきます」 「試合に出ても出れなくてもチームが目の前の1試合に勝つ為に、クラブに関わる皆様の笑顔をたくさん創出できるように自分が出来る事を最大限やっていきたいと思います」 2021.12.25 19:38 Sat5