「危機感しかない」3度の五輪を経験している山本昌邦氏、招集制限のある中で3.5枠の切符を懸けて戦う現実に「なるべく監督が招集したい選手を呼べるように」
2024.03.15 22:05 Fri
3度の五輪経験を持つ山本昌邦ナショナルチームダイレクター
15日、パリ・オリンピック出場を目指すU-23日本代表の国際親善試合に向けたメンバーが発表された。
4月にAFC U23アジアカップでパリ五輪の切符を懸けて戦う中、マリ代表、ウクライナ代表との最後の2試合を国内で戦う。すでにパリ五輪の切符を掴んでいる両国との対戦。4月の最終予選はインターナショナル・マッチウィークではないため、海外組の招集に強制力はなく、選手招集が難しくなる。
ナショナルチームダイレクターを務める山本昌邦氏は、この2試合のマッチメイクについて言及。良い機会を作れたと感謝した。
「パリ・オリンピックに出場する2チーム。今回、マリとウクライナという出場する2チームとトレーニングマッチが組めるということで、対応してくれた両チームの関係者の皆様、マッチメイクに関してJFAスタッフも奔走してくれて良いカードが組めたことを嬉しく思います」
「我々は出場権を得ていない中で、出場が決まっている2チームとレベルの高い強化試合を行えることは嬉しいことだと思います。我々としては4月の最終予選に向けて、本当に重要な2試合になると考えています」
アジアの戦いも知る山本氏。今回の最終予選については、かなり厳しいと感じているとのこと。そこでしっかりと勝利するためにも、この3月の2試合から盛り上げていきたいとした。
「これまで1996年のアトランタ・オリンピック以来、今回の予選は過酷で難しいものになると想像しています。厳しい予選になると思います。この3月から皆さんのエモーションの高まりというか、簡単ではないアジアの予選をここから盛り上げて、4月、そして5月3日のファイナルに臨めるように、予選を戦う準備をしっかりしていきたいと思います」
「京都、北九州の運営の皆さん、サポートしてくださる皆さんに感謝したいと思います。併せて、ご支援引き続きよろしくお願いいたします」
また、選手の招集についても言及。FC東京からはA代表の長友佑都も含めて4名が招集されており、協力体制を築けていることに感謝。一方で、海外組を十分に招集できない中、チームとしてやれることをやりたいとした。
「メンバーはこのIWの活動で、特にFC東京は4人の招集をご協力いただき、SAMURAI BLUEで長友選手も招集させていただき、多大なる負担になっているかもしれません。ご協力いただいたことに関して感謝申したいと思います」
「非常に厳しい制限のある招集の課題があります。そんな中、大岩剛監督はじめスタッフが厳しい招集条件の中で、落ち着いて、冷静に仕事をしてくれています。このことは、頼もしく見ていますし、コーチングスタッフ、メディカルスタッフ、サポーティングスタッフ含めて感謝しています」
「この4月の予選は危機感しかありません。本当に厳しい条件の中で、この予選をどう勝ち抜いていけるのか。スタッフ、監督には大きな負担となっていますが、できるだけのサポートをして、まずはパリ行きの切符を掴めるような、ここからの盛り上げを繋げていきたいと思います」
当初は今年1月に開催予定だったが、中国がアジアカップの開催を返上したことで、アジアカップが1月に開催。そのため、4月にずれ込むという事態となった。
その結果、ヨーロッパのシーズン最終盤に開催が決定。パリ五輪世代の多くの選手がヨーロッパのクラブでプレーしている中、レギュラー格の選手はやはり招集が難しくなったという。
「選手たちが成長することで、海外のクラブで五輪世代、U-20の選手たちもプレーできる選手が増えてきました。それがA代表の強化につながっていきます。1つ転換点を迎えているなと感じています」
「招集に関して、Jリーグは協力に関して昨年9月にルールを決め、大学の関係者にも了解を得て国内でのベースは作れます。一方で、(ヨーロッパは)リーグの終盤で重要な場面で、チームは拒否することができる。本当に難しいことですが、一方で選手が主力としてプレーできるようになったということは悪くないです」
選手の成長の証としながらも、大事なところで招集できないもどかしさもある状況。そんな中、山本氏は「オリンピックという舞台でメダルを目指すことは、日本代表にとっても重要になる」と語り、「交渉に関しては昨年の夏前から継続して行ってきました。海外オフィスから常にクラブとコミュニケーションをとってもらっています」と、時間をかけて各クラブと話をしているという。
今回の最終予選に関しても「正直呼べない選手もいます」と語る山本氏。「その中で、日本の底力が試されていると思っていますし、日本にももっと選手がいるということにもなります」と、底上げすることが大事だとした。
また「才能がどんなにあっても良い経験をしなければ、なかなか成長は難しい。五輪予選と本番での6試合を抜けられた選手が成長します」と、良い戦いを経験することが成長につながるとし、「優先順位があるので、継続してクラブとコンタクトを取って、なるべく監督が招集したい選手を呼べるようにしたいです」と、なるべくベストなメンバーが揃えられるように調整していくとした。
改めて、今回の最終予選で危機感を覚えている点について山本氏は言及。選手の招集とアジアのレベルアップがポイントだとした。
「招集のところが非常にハードルが上がっていて、監督が求める全員を呼べるわけではないということ。日程が4月にずれ込んだことでヨーロッパとの関係など、様々な面で厳しいことになっています。カタールでの戦いは暑熱の問題もある。過去に例のないことになっています」
「また、各国ともに本当に力をあげています。W杯の出場枠がアジアで増えました。トップ4の次のグループが本当に様々な面で強化を続けていて、そこに育成の強化が入って、アンダー世代から出てくるチームが育っています」
「W杯の枠とオリンピックの3.5という枠は本当にハードルが高いものだと思っているので、底上げを含めて、本当に厳し戦いになると覚悟しています」
4月にAFC U23アジアカップでパリ五輪の切符を懸けて戦う中、マリ代表、ウクライナ代表との最後の2試合を国内で戦う。すでにパリ五輪の切符を掴んでいる両国との対戦。4月の最終予選はインターナショナル・マッチウィークではないため、海外組の招集に強制力はなく、選手招集が難しくなる。
ナショナルチームダイレクターを務める山本昌邦氏は、この2試合のマッチメイクについて言及。良い機会を作れたと感謝した。
「我々は出場権を得ていない中で、出場が決まっている2チームとレベルの高い強化試合を行えることは嬉しいことだと思います。我々としては4月の最終予選に向けて、本当に重要な2試合になると考えています」
山本氏は1996年のアトランタ・オリンピック、2000年のシドニー・オリンピックはコーチとして参加。2002年にU-23日本代表監督となると、アテネ・オリンピックの予選を経験し本大会も指揮を執った経験がある。
アジアの戦いも知る山本氏。今回の最終予選については、かなり厳しいと感じているとのこと。そこでしっかりと勝利するためにも、この3月の2試合から盛り上げていきたいとした。
「これまで1996年のアトランタ・オリンピック以来、今回の予選は過酷で難しいものになると想像しています。厳しい予選になると思います。この3月から皆さんのエモーションの高まりというか、簡単ではないアジアの予選をここから盛り上げて、4月、そして5月3日のファイナルに臨めるように、予選を戦う準備をしっかりしていきたいと思います」
「京都、北九州の運営の皆さん、サポートしてくださる皆さんに感謝したいと思います。併せて、ご支援引き続きよろしくお願いいたします」
また、選手の招集についても言及。FC東京からはA代表の長友佑都も含めて4名が招集されており、協力体制を築けていることに感謝。一方で、海外組を十分に招集できない中、チームとしてやれることをやりたいとした。
「メンバーはこのIWの活動で、特にFC東京は4人の招集をご協力いただき、SAMURAI BLUEで長友選手も招集させていただき、多大なる負担になっているかもしれません。ご協力いただいたことに関して感謝申したいと思います」
「非常に厳しい制限のある招集の課題があります。そんな中、大岩剛監督はじめスタッフが厳しい招集条件の中で、落ち着いて、冷静に仕事をしてくれています。このことは、頼もしく見ていますし、コーチングスタッフ、メディカルスタッフ、サポーティングスタッフ含めて感謝しています」
「この4月の予選は危機感しかありません。本当に厳しい条件の中で、この予選をどう勝ち抜いていけるのか。スタッフ、監督には大きな負担となっていますが、できるだけのサポートをして、まずはパリ行きの切符を掴めるような、ここからの盛り上げを繋げていきたいと思います」
当初は今年1月に開催予定だったが、中国がアジアカップの開催を返上したことで、アジアカップが1月に開催。そのため、4月にずれ込むという事態となった。
その結果、ヨーロッパのシーズン最終盤に開催が決定。パリ五輪世代の多くの選手がヨーロッパのクラブでプレーしている中、レギュラー格の選手はやはり招集が難しくなったという。
「選手たちが成長することで、海外のクラブで五輪世代、U-20の選手たちもプレーできる選手が増えてきました。それがA代表の強化につながっていきます。1つ転換点を迎えているなと感じています」
「招集に関して、Jリーグは協力に関して昨年9月にルールを決め、大学の関係者にも了解を得て国内でのベースは作れます。一方で、(ヨーロッパは)リーグの終盤で重要な場面で、チームは拒否することができる。本当に難しいことですが、一方で選手が主力としてプレーできるようになったということは悪くないです」
選手の成長の証としながらも、大事なところで招集できないもどかしさもある状況。そんな中、山本氏は「オリンピックという舞台でメダルを目指すことは、日本代表にとっても重要になる」と語り、「交渉に関しては昨年の夏前から継続して行ってきました。海外オフィスから常にクラブとコミュニケーションをとってもらっています」と、時間をかけて各クラブと話をしているという。
今回の最終予選に関しても「正直呼べない選手もいます」と語る山本氏。「その中で、日本の底力が試されていると思っていますし、日本にももっと選手がいるということにもなります」と、底上げすることが大事だとした。
また「才能がどんなにあっても良い経験をしなければ、なかなか成長は難しい。五輪予選と本番での6試合を抜けられた選手が成長します」と、良い戦いを経験することが成長につながるとし、「優先順位があるので、継続してクラブとコンタクトを取って、なるべく監督が招集したい選手を呼べるようにしたいです」と、なるべくベストなメンバーが揃えられるように調整していくとした。
改めて、今回の最終予選で危機感を覚えている点について山本氏は言及。選手の招集とアジアのレベルアップがポイントだとした。
「招集のところが非常にハードルが上がっていて、監督が求める全員を呼べるわけではないということ。日程が4月にずれ込んだことでヨーロッパとの関係など、様々な面で厳しいことになっています。カタールでの戦いは暑熱の問題もある。過去に例のないことになっています」
「また、各国ともに本当に力をあげています。W杯の出場枠がアジアで増えました。トップ4の次のグループが本当に様々な面で強化を続けていて、そこに育成の強化が入って、アンダー世代から出てくるチームが育っています」
「W杯の枠とオリンピックの3.5という枠は本当にハードルが高いものだと思っているので、底上げを含めて、本当に厳し戦いになると覚悟しています」
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あと一歩だが、その一歩が遠いということを今回も味わうこととなってしまった日本。それが世界との間にある、まだ埋められない差なのだろう。 3日、東京オリンピック男子サッカー準決勝。53年ぶりのメダル獲得を目指すU-24日本代表は、金メダル候補筆頭のU-24スペイン代表との一戦に臨んだ。 下馬評は完全にスペイン有利。ユーロ2020にも出場した6選手や、ヨーロッパの高いレベルでレギュラーを張る選手ばかり。市場価値で見ても7倍もの差がある相手だった。 正直なところ、日本に関係する人以外は、スペインが勝利するものだと思っていただろう。日本が善戦するとすら思われていなかったかもしれない。延長戦に行ったことすら予想外と思う人も多いだろう。 共に準々決勝は120分間の戦いを強いられた。スペインはスコアこそ5-2となったが、90分の戦いではほぼ負けていた。そこから奇跡を起こし延長戦へ持ち込み、相手のミスに乗じて得点を重ねた。 一方の日本は、U-24ニュージーランド代表の堅い守備の前にゴールを奪えず。しっかりと相手の攻撃に対応して戦ったが、延長戦ではあわやというシーンを作られるなど、なんとか凌ぎ、PK戦で準決勝に駒を進めた。この時点で両者には差があったとも言え、そこが決勝への道を逃した差とも言えるだろう。 <span class="paragraph-title">◆スペインを苦しめたという事実</span> <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/1200/img/2021/jpn20210804_1_tw.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:small;" id="cws_ad" class="desc">Getty Images<hr></div> 準決勝の日本の戦いぶりは世界を驚かせたと言えるだろう。試合は終始スペインがボールを握り、主導権を掴んだまま推移した。日本は基本的に自陣でのプレーが続き、スペインの攻撃を耐え忍んだという状況だ。 この日は、DF吉田麻也、DF板倉滉、GK谷晃生と中央を守る3名が集中したプレーを継続。その他の選手たちも、ボールを奪いに行くチャレンジとカバーリングを的確にこなし、スペインに決定機をほとんど作らせない試合運びを見せた。 攻撃と守備。両者の構図がこうなることは予想でき、それが今の実力。いかに耐えて、少ないチャンスをモノにできるかしか、日本の勝機がなかったのは織り込み済みだった。 そういった点では、失点した115分まで守り抜いたことは評価すべきだろう。一度はPKの判定となった吉田のファウルも、正当なタックルだったが、VARがなければPKだった。ミスからFWラファ・ミルが決定機を数回迎えたが、GK谷の素晴らしい判断でゴールを許さなかった。 一方で、攻撃面ではゴールが生まれそうなチャンスは120分を通して数える程。特に後半と、延長戦でカウンターから何度かチャンスを作りかけたが、簡単には割らせてくれなかった。ゴールを決められるかどうかという部分では、やはりスペインが一枚手。そこが埋め切れない差となったことは紛れも無い事実となった。 <span class="paragraph-title">◆思い出される3年前</span> <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/1200/img/2021/jpn20210804_2_tw.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:small;" id="cws_ad" class="desc">Getty Images<hr></div> あと少しでPK戦に突入するかと思われたタイミングでのFWマルコ・アセンシオのゴール。あのシーンを見て思い出されるのは、2018年のロシア・ワールドカップ、ラウンド16のベルギー代表戦だろう。 原口元気、乾貴士のゴールで2点を先行した日本だったが、高さを生かしたプレーに切り替えたベルギーの前に2失点。それでも粘り強く戦い、3点目を許さずに戦っていた。 誰もが延長戦にもつれ込むと思った中、試合の最後に悲劇が。日本のCKを相手GKティボー・クルトワにキャッチされると、そこからベルギーはカウンターを発動。そのままナセル・シャドゥリが決め、3-2でベルギーが逆転勝利した。まさに、似たような展開が、東京五輪の準決勝でも起こってしまった。 あの悔しさを3年越しにまた経験してしまった日本。決して成長していないということを言いたい訳ではない。しかし、それが世界との差であり、3年が経過して90分ではやらせなかったが、120分ではやられてしまったというのが事実だ。 ただ、この試合の審判はあまりプレーを流さないというジャッジングだった。吉田が一度はPKを取られたシーンも、こぼれ球をラファ・ミルが拾っており、そのまま流されていたらゴールだった可能性はある。 一方で日本もやり返すチャンスがあり、後半終了前のラストプレーではMF堂安律がドリブルで中央突破。完全に相手のMFマルティン・スビメンディが後ろから両手で掴んで止めたシーンがあった。 このシーン、堂安が倒された場合でも、MF久保建英、FW上田綺世がおり、日本の人数は足りていた。プレーが流されれば、もしかしたら日本がカウンターを完結させられていたかもしれない。タラレバにはなるが、ジャッジを流そうというプレーを選択できていればというシーンだった。スビメンディの必死な止め方を見れば、スペインも追い込まれたという感覚を持ったプレーだっただろう。 <span class="paragraph-title">◆一瞬の隙を仕留めるスペインの真の力</span> <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/1200/img/2021/jpn20210804_3_tw.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:small;" id="cws_ad" class="desc">Getty Images<hr></div> 「全て出し切った」と試合後に久保はコメントした。それは本心だろう。互角に渡りあえたというよりは、なんとかスペインについていったという形。日本は無理をしなければ、同等レベルでは戦えないということだろう。 もちろん、スペインの選手に余裕があったとは思わない。ただ、攻め続ける側と守り続ける側では、やはりかかる負荷は異なる。そこから日本が押し出して、攻撃に転じられなかったというところもまだまだ力の差があるということだ。 では、あの失点はなぜ起こったのか。ゴールを決めたアセンシオのシュートも褒められるべきだが、ポイントはその前のプレー。FWミケル・オヤルサバルの仕掛けだろう。 失点シーンを振り返ると、スローインを受けたオヤルサバルが縦に仕掛けると、DF中山雄太とMF田中碧が寄せに行く。その中山がマークしていたアセンシオは中山が前に出ようとしたことを受けて後ろに下がると、オヤルサバルが間を通してパス。アセンシオはターンしたまま左足を振り抜いた。 これにはMF遠藤航も慌てて寄せに行くが間に合わず、DF板倉滉もアセンシオに寄せに行けなかった結果がゴールとなった。 このゴール。集中していた日本のDFが気を抜いたのかと言われればそういうわけではないだろう。カバーリングが遅れたが、それには布石があった。 ゴールが決まる1つ前のプレーでオヤルサバルが右サイドを突破したことがカギだと考えられる。 スローインになる前、オヤルサバルが右サイドを突破した。中央へ折り返したが、これは通らず。日本がクリアした。このシーンが印象づいた結果、得点シーンではオヤルサバルがスローインを受けた後、縦への突破からのクロスを警戒したはずだ。 その結果、アセンシオについていた中山がオヤルサバルの縦を切りに行こうとしたが、その間を通されてアセンシオにパスを通されたのだ。 もちろん、中山の判断が間違ったとは言えない。オヤルサバルについていってもパスは出されていただろう。田中がついていっ多としても、間に合った可能性は低い。オヤルサバルがボールを持った時にアセンシオがマークを外し、自身がシュートを打てるポジションを取った。それを見たオヤルサバルが冷静にパスを通した。個人の技量もあるが、チームとしてオートマチックに動け、それを共有したプレー判断の結果だと言える。 日本はチームとして戦い抜いて、粘りを見せて115分間は耐えた。しかし、それを上回るチームプレーを見せ続けたのはスペイン。さらに、局面での個の能力でも上回った。まだまだ世界との差はあるというのが事実だろう。 オリンピックはあくまでも世代別の戦い。メダルを目指して戦うことは当然だが、サッカー界で言えばワールドカップこそ頂点。1年半後の戦いで日本は何を見せられるのか。2018年、2021年と世界との差を土壇場で味わった選手たちのここからの奮起に期待するとともに、9年前のロンドン・オリンピックのようにならず、しっかりと銅メダル獲得を果たしてくれることを願うばかりだ。 《超ワールドサッカー編集部・菅野剛史》 2021.08.04 18:15 Wed2
20歳の誕生日を迎えた久保建英がFC東京・長谷川健太監督に感謝、20歳の意気込みは「大人のサッカー」
U-24日本代表は、5日に控えるU-24ガーナ代表戦に向けた前日練習に臨んだ。 3日、ジャマイカ代表の来日が遅れたことで、日本代表と急遽試合を行うこととなったU-24日本代表。中1日で福岡に移動し、ガーナ戦に備える中、北海道・東北地方での暴風雨により福岡への移動に支障が起きた。 U-24日本代表は急遽、札幌ドームのウォーミングアップ場でトレニングを実施。時間を遅らせてのフライトとなり、明日のガーナ戦の地である福岡へと向かった。 メディアのオンライン取材に応対したMF久保建英(ヘタフェ)は4日が20歳の誕生日。代表合宿ではチームメイトから手荒い祝福をされることが多いが「今のところ大丈夫です」とまだ被害を受けていないとコメントした。 今回は急な試合に始まり、この日は移動が予定通りにいかないこととなった。この状況については「ポジティブに捉えていると思います」と語り、「こういう状況に本番じゃなく、本番前に想定できることは自分たちにはポジティブに働くかなと。明日が大事なので、明日に向けて逆算していかに戦えるかが試されていると思います」と語り、不測の事態にどう対応できるかが測れる良い機会だとした。 改めて昨日のA代表との試合については「チームとしては急遽試合が決まって、明日も試合があるので、思ったようなスケジュールではないというか、過密日程のなかで1つ組み込まれてしまったという感じです」とコメント。それでも「自分たちもできる限りのコンディションで臨もうとしましたが、その中でやっぱり急遽決まった試合で、メンバーもあまり決められずにというか、5日をイメージした中でコンディションが良かったメンバーが試合に出たと思います」と語り、コンディションが優先されたと語った。 ただ、良い機会だったために悔しさも露わにし「その中では折角の対決だったので、しっかり準備して100%で臨みたかったという思いはあります」とコメント。自身のパフォーマンスについては「個人的には手応えもありましたし、全然やれていないということもなく、なんならいつも練習している人たちが相手だったので、自分が壁を感じることなくやれたと思いますけど、結果で3-0で負けたことは個人的には悔しかったです」と、個人のパフォーマンスには満足感を示すも、結果として負けたことを悔しがった。 明日はU-24ガーナ代表との試合。アフリカ勢との試合となるが「初戦の相手が南アフリカで、仮想ということで組んでもらっているので、しっかり自分たちがアフリカ勢にどう対応するかを含めて、本番が近づいているのでそれを想定しているのではないかなと思います」とコメント。アフリカ勢に対してのポイントは「最近はアフリカの選手も万能で、僕たちの上位互換のような選手が何人もいますが、全体的には飛び込んでくる選手が多いなと経験から感じています」と語り、「敢えてボールを晒したり、ワンフェイント多めに入れようかなと意識しています」と、攻略法も明かした。 また、メンバーにはヘタフェで共にプレーしたMFサビト・アブドゥライが招集されている。アブドゥライについては「さっきも連絡を取りました」と語り、「個人的に仲が良くて、彼が免許なくて僕が車で迎えに行ったりする仲です。来るなら連絡くれよと言っていて、連絡をもらいました」と、互いに意識する仲のようだ。 スタイルについては「謙遜していましたが、何試合か一緒にやって、メッシ選手を潰したり臆することなく、球際もすごく強いです、練習からもバチバチやっていました」と強度の高いプレーをする選手だとし、「ヘタフェを象徴するような選手です。臆することなく自分たちも正面からぶつかることが大事だと思います」と、しっかりと向き合わないと痛い目に遭う可能性が高い相手のようだ。 この日20歳になった久保。改めて20歳になったことについては「まだあまり実感ないですけど、明日の試合から20歳で1つギアを上げて。19歳ではないので、20歳なので大人な自分をピッチ内で見せられればと思います」と、20歳になってすぐの試合に意気込みを語った。 久保の言う大人のサッカーとは「簡単にいうと、経験だったりとか、昨日の試合を途中から見ていて遠藤選手が入って落ち着いたとか、自分ならここに1人入って欲しいなというところにスッと入って前を向いてくれて、つけてくれたり、しっかり試合でどういうプレーするのかを頭に入っていると思います」とオーバーエイジとしてプレーしたMF遠藤航のプレーを挙げ、「時間帯を考えたりチーム全体を俯瞰してゲームを見るとか、余裕を持ってプレーすると言っていますが、個人だけでなく、チームの流れや時間帯を考えた余裕が大人だと思いました」と、より俯瞰で試合に絡めるようになりたいと語った。 また、FC東京の長谷川健太監督が20歳を迎えた久保にエールを送っていたが、久保にとっての長谷川監督は「自分は健太さんに選手として大きくしてもらいました。辛いことも意見が食い違うことも、健太さんの要求に自分が応えられないこともありました」と、想いを語った。 さらに「自分は18歳の誕生日でヨーロッパに行きたいという考えがあって、そのためには18歳の年に出られなかった諦めようと考えていた中で、監督がプレシーズンでチャンスをくれて、プレシーズンで結果を出せば今シーズンは使ってやると言われて、それに自分が応える事ができて、そこから東京で成長できました」とFC東京時代を回想。「結果として東京のチームを離れることになりましたけど、感謝しかないですし、健太監督に自分は大きくしてもらったと思っています」と感謝の気持ちを述べ、「監督が喜んでくれるような選手になることが恩返しだと思います」と世界で活躍する事が恩返しになるとし、改めて意気込みを語った。 2021.06.04 21:35 Fri3
松木玖生の最適なポジションは?/六川亨の日本サッカーの歩み
今月16日、AFC U-23アジアカップ カタールの初戦、中国戦からパリ五輪出場権獲得のチャレンジが始まる。前回のコラムでも、DF陣の経験不足は否めないものの攻撃陣のタレントはバリエーションに富んでいて期待できるという原稿を書いた。そして先週と今週のJリーグを取材して、FC東京の松木玖生の新しい一面を見ることができて、その期待はさらに高まった。 松木といえば、青森山田高時代から、強靱なフィジカルと体幹の強さを生かした球際での勝負強さ、豊富な運動量と労を惜しまない献身的なプレーでチームに貢献してきたし、それはFC東京でも変わらない。そしてボランチのポジションから、時には意外性のある攻撃参加でゴールを決めたり、左足のロング、ミドルシュートで相手ゴールを脅かしたりしてきた。 そんな松木が、4月3日のJ1リーグ第6節の浦和戦では、荒木遼太郎と2トップに近い形で前線に起用された。すると、トップに張るのではなく変幻自在に左右に流れたり、落ちてきたりする荒木との絶妙のコンビネーションで攻撃陣をコントロール。とりわけ左サイドのFW俵積田晃太とSBバングーナガンデ佳史扶との相性は抜群で、意外性のあるパスで彼らの攻撃参加を引き出していた。 アウトサイドにかけたスペースへの絶妙なパスには「こんな技巧的なパスが出せるんだ」と感嘆してしまった。 試合は0-1とリードされた後半、左サイドで俵積田、佳史扶とつないだパスから荒木が同点弾。さらに松木のサイドチェンジを受けた俵積田のクロスをゴール前に走り込んだ松木がボレーで決めて逆転勝利を収めた。 そして4月7日の鹿島戦では、荒木がレンタル移籍のため起用できないものの、1トップに入った仲川輝人とトップ下の松木は好連係から難敵・鹿島に2-0の完勝を収めた。絶えずボールに触るわけではないが、効果的なサイドチェンジやスルーパスで味方を使う。これまでは、どちらかというと『使われる選手』と思っていたが、そのイメージは一新した。 先制点は左サイドからのふわりと浮かしたニアへのパスで仲川の今シーズン初ゴールを演出。そして後半アディショナルタイムにはMF原川力のヘッドによるインターセプトからのタテパスを簡単にさばいて2点目をお膳立てした。いずれも「肩の力の抜けた」ようなアシストに、松木の“変化"を感じずにはいられなかった。 彼をボランチからトップ下にコンバートし、前線には荒木を起用して松木の飛び出しを演出したピーター・クラモフスキー監督の采配は賞賛に値する。やっと1トップのドリブル突破任せのパターン化された攻撃スタイルから脱却できそうだ。 そんな松木を大岩剛監督はどのポジションで使うのか。攻守に効果的な選手だけに、使い出もあるだろうが、できれば攻撃的なポジションで使って欲しいところである。 2024.04.08 22:25 Mon4
「中村俊輔2世よりも“山田楓喜”を見て」輝く左足で日本を頂点に立たせたレフティー、“喜”を背負う山田家の長男が見据えるものは「最高の“山田楓喜”」
日本人の約9割だと言われているのが右利き。かつては左利きを矯正する動きもあったほど、日常生活における様式も右利き仕様が多い。 一方で、残りの1割に属する左利きは、スポーツ界では特に稀有な存在でありながら、偉大な記録の持ち主は左利きが多い。日本代表の歴史において、これまでも記憶に残る数々の左利きの選手がいる。かつて背番号10を背負った名波浩、中村俊輔。現在の10番を背負う堂安律も左利きだ。若くして大きな注目を集め、世界にその名を知らしめる久保建英も左利き。強烈なキャラクターで人々を今も魅了し続ける本田圭佑も左利き。攻撃のキーマンにはどの時代も“左利き”の選手がいた。 パリ五輪出場を決め、8大会連続12回目のオリンピックの舞台に立つU-23日本代表。AFC U23アジアカップで見事にチームを優勝に導いた男もまた“左利き”。東京ヴェルディの山田楓喜だ。 パリ五輪世代として、U-21日本代表時代から招集を受けていた山田。左利きながら、右サイドのアタッカーとして起用されてきたが、所属していた京都サンガF.C.ではレギュラーではなく、代表でも出番は限られていた。 その山田は心機一転、今シーズンは東京ヴェルディに移籍。すると、開幕戦の横浜F・マリノス戦では強烈なFKを直接叩き込みインパクトを残すと、ここまで3ゴール。今大会では5試合に出場すると、2ゴール1アシストと数字を残した。 山田が決めたゴールは準々決勝のU-23カタール代表戦での開始早々の強烈ミドルと、決勝のU-23ウズベキスタン代表戦での値千金のミドル。いずれもその左足から繰り出されたシュートがチームの勝利に貢献した。 「今まで自分は準備してきましたし、こういう大舞台で決めるために苦しい時も腐らずに常に準備してきたので、当然かなとも思いますし、大舞台で日本代表という大きなチームを優勝に導けたことは凄く嬉しいなと思います」 決勝の翌日に帰国した山田はそう語り、自身が重ねてきたモノが、結果になって現れただけ。「今までちゃんと準備してきたので、昂ることなく、いつも通り臨めました」と、決勝の終盤に出場しても、普段通りにプレーできたという。 自信を持っているものは強い。プロの世界では特にそれを感じることが多い。常に自身の100%を出すためには、安定したメンタルが重要であり、そのメンタルの支えになるのは、しっかりとした準備と積み上げてきたことによる自信だろう。山田にはそれが備わっている。 東京Vでの好調ぶりももちろん後押しになったはず。ただ、山田は「今までずっと変化し続けてきて、成長し続けてきているので、自分がちゃんと活躍できる場を選んだ道で結果を出せています。いつでもどのタイミングでも結果を出せる自信もありましたし、移籍して自分が輝ける場所を選んで、代表にもつながってきているので、決断というのは良かったと思います」とコメント。京都で燻っていた中で、移籍を決断した結果として、今の活躍がある。それも自信からくる決断のおかげだ。 取材の受け答えを見ていても、淡々と思っていることを語る山田。ただ、そこには確固たる自身の考えと、ブレることのない意志を感じる。それは、パリ五輪に向けての18名のメンバー争いを聞かれた山田の答えからも窺えた。 「とりあえずはこのアジアカップで代表期間が終わったので、オリンピックのことを考えず、ヴェルディの選手として戦わないといけないので、代表のことは忘れて、ヴェルディのために戦いたいなと思います」 「その先のことは何も考えず、ヴェルディのために結果を出し続けるだけです」 アジアで優勝を果たした。パリ五輪の切符も掴んだ。目標としていたものに対し、やれることをやって結果を残した。ただ、次はパリ五輪ではなく、東京V。所属クラブのためにプレーすることが、やるべきこと。その積み上げを続けているからこそ、今の山田がある。 また、強烈な左足のキックについても同様だ。「才能はある程度あったと思いますけど、プロになっている選手であれば誰でもあると思うので、努力は才能を勝らないと思います。努力というのは自分で努力していたという気持ちはないんですけど、それが良かったかなと思います。どんどん上積みしていった日々の練習というのを大事にしてきましたし、これからも必要だと思うので、それは忘れずにずっとやっていきたいです」とコメント。必要なことを積み上げたことだけが重要ということだ。 FKの精度、キック精度を持って、中村俊輔氏と比較される山田。ただ本人は全くそう思っていない。そのメンタリティも、活躍の要因と言える。 「(中村氏とは)全く別の選手ですし、素晴らしいフリーキッカーで左足の選手と比べられることは嬉しいですけど、全く別の選手で、全く違う特徴を持っているので、中村俊輔2世というよりは、山田楓喜というのを、誰かの後釜ではなく山田楓喜というものを見てもらいたいです」 誰もが似たような選手を真似しそうなものだが、「誰もないですね。自分のスタイルを貫き通してきたという感じです」と、山田は昔から誰かを手本にはしていないという。自分は“山田楓喜”。これを大事にしている。 「今年の目標としては、自分の価値を高めて名を売っていくということを移籍した時から決めていました。その途中ですし、まだまだこれからどんどん山田楓喜というものを世界に知らしめていかなければいけないと思います。まだ途中ですし、全然満足していないので、これからという感じです」 今回の大会の活躍で、間違いなく“山田楓喜”の価値は高まり、その名は今まで以上に知られることとなっただろう。その名前にも特徴が。人々に“喜”を与える存在になるべくして、体現している。 「『喜』が先祖代々長男についていて、それが自分も長男なので、『喜』を第一に考えた名前となっています」と、「楓喜」という名前の由来について語ってくれた。そして「自分が喜んでいる姿を出しながら、周りの人にも喜んでもらうという感じです」と、自身が楽しく、喜んでプレーすることで、喜びを与えていく。代表選手にとって、最も大事な要素を、名前として背負っている。 そんな山田の目標は、最高の“山田楓喜”になること。 「最終目的はないですが、自分がどれだけ成長できるか。日々成長したいなという思いがあったから、今までも成長できたと思うので、それを忘れず、変な目標とか高みを見せずに、日々成長することにフォーカスしたいです」 間違いなく注目を集めるその左足。多くの“喜び”をこれからも多くの人々に与えて行ってもらいたい。 《超ワールドサッカー編集部・菅野剛史》 <span class="paragraph-title">【動画】歓“喜”をもたらした山田楓喜の後半AT弾! 日本を優勝へ導く左足ミドル!!</span> <span data-other-div="movie"></span> <script>var video_id ="QYyvg_78ZLE";var video_start = 0;</script><div style="text-align:center;"><div id="player"></div></div><script src="https://web.ultra-soccer.jp/js/youtube_autoplay.js"></script> 2024.05.06 09:00 Mon5