「5分もかからなかった」マジョルカのオファーを受けたアギーレ監督、残留に意気込み「残り9試合を最大限に生かす」

2022.03.26 13:01 Sat
Getty Images
マジョルカの新指揮官に就任したハビエル・アギーレ監督が、意気込みを語った。スペイン『マルカ』が伝えた。

かつてはラ・リーガで名を馳せたアギーレ監督。メキシコ代表を率いた他、短期間ではあったが日本代表でも指揮を執った経験がある。

当時は八百長疑惑により解任の憂き目にあったが、その後も様々なクラブを指揮。そしてルイス・ガルシア・プラサ監督が解任されたマジョルカを救うため、ラ・リーガの舞台に戻ってきた。
日本代表MF久保建英も所属し、代表選手も抱えるマジョルカ。アギーレ監督は、チームのクオリティに惹かれたとし、オファーを受けるのに5分もかからなかったとした。

「このクラブは歴史あるチームであり、常に私の関心を集めてきた。島の人たちと一緒に仕事をしており、ここに来ることはとても重要なことだった」
「彼らはマジョルカの制度、生活習慣など、全てをとてもよく話してくれた。何より、チームのクオリティの高さ、レベルの高さ、そして目標を達成できるという自信に惹かれ、ここにきた」

「全てがとても早く進んだ。私は自分のチームと一緒に来て、あとはクラブが一緒にやってくれるだけだ。トニ・アモールは、我々を助けてくれた。この施設をよく知り、歴史を知っている」

「これは自分たちがどこにいて、どのように歩んでいけば良いかを知るためにとても役立つことだ。マジョルカのオファーを受け入れるのに、5分もかからなかった」

ただ、現実は残留争いの真っ只中。現在は降格圏の18位に位置。残留ラインとの勝ち点差は「1」と悲観するものではないが、勝ち点を早期に積み上げる必要がある。

アギーレ監督は、残りのリーグ戦9試合をしっかりと戦い、残留に導くと意気込んだ。

「降格という事実が、コンディションを左右している。居心地の悪い場所に置かれるというそのシチュエーションが、余計なものを取り除いてします」

「レガネスでの経験では、5分足りなかった。ここでは全てが上手くいき、マジョルカが残留できることを願っている。ドレッシングルームがどうなっているか、見極める必要がある」

「残り9試合を最大限に生かさなければいけない。残り9試合のリーグ戦で、勝ち点は27。我々には克服する力がある。1試合1試合を大切にしなければならない」

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サッカー選手である以上はケガはつきものだと思いましたし、痛みに強く、ケガしていても弱いところは見せたくなかったです 大きなケガの時以外は、あまり休むことなく、やり続けてきました ー一番印象に残っている場面、シーンは いっぱいあります。入団した時のジュビロ磐田戦の初ゴールは自分のキャリアがスタートしたなと思いますし、その場面がすぐ浮かんできます ーやんちゃなプレー。色々と、そう言われてきたことについてはどう思っているか そういった選手がなかなかいなかったので、そういう選手でありたいと思っていましたし、やんちゃだとか、退場も多かったですし、言ってくださったことは自分らしいと思ってもいました それはサッカーの時だけですけど、突き通せたことは自分らしいかなと思いましたし、そこは誇りに思って辞めていけるかなと思います ーまだまだやれると言われることへの気持ちの整理は 200得点は誰よりも思いが強かったですし、そのチャンスがあるのは自分だけだったので、取れるまでやれとしか言われませんでした 自分の中でも良かったら取れるだろうし、悪かったら何年かかるかわからないので、今やめた方がスッキリするのかなと思っていました 皆さんに伝えたときは本当にスッキリして、言われることもないという気持ちで、今は整理もついてスッキリした気持ちです ー今後の日本サッカーについてどういう期待をしているか これからは日本サッカー界も色々な外国籍選手だったり、スーパースターも来たりすると思います。もっともっと盛り上げて、みんなが目標とするリーグになって欲しいと思っています ー息子(三男)と一緒に暮らして子供の成長、自身の成長はどうだったか 三男と2人暮らしで、今まで洗濯も家事も何もしてこなかった自分がやらないと、三男が可哀想だなとか、ご飯食べさせないと痩せていくなと考えて、それを考えるだけでも成長したなと自分は思います 自分が思ったことで行動ができるようになったかなと思います。子供のためにやらないといけない。やらないといけないけど、面倒なのでゴロゴロしていたものが動くようになりました。そこは成長しました 三男は妻とかと住んでいた時は何も自分のことはできませんでしたが、今はしないとついていけない、やっていけないので、自分で洗濯物を干したりするようになりました 2人で苦しい環境に置けば成長するんだなとつくづく思いました ー今後は指導者の可能性もあるのか 今までの経験を伝えなきゃいけないと思います。指導者ということも、どう指導するか、ライセンスゼロなので分からないですが、もっともっとサッカーのことも知りたいし、勉強したいということもあります 他にも違うことにチャレンジしていきたいというのもありますので、少しゆっくりして考えていきたいと思います ーセレッソに復帰するときに森島寛晃社長も大きかったと思う。背番号20を背負うときは西澤明訓への思いもあったと思うが引退はどう伝えたのか 自分の中で決めて、お伝えしました。辞めますと セレッソに戻ってこれたことに感謝していますし、恩返しという気持ちできたと伝えました ー2人からの言葉は まだできるだろうと言われました ー引退後の一番の楽しみは 今はゴルフに毎日行きたいぐらい、チャレンジしたいと思います まずは90切りを狙っていきたいなと。それを達成できたら、次の目標を立てて色々やっていきたいです 今のベストスコアは「91」です。あとちょっとです ーJリーガーを目指す全国の子供たちへメッセージを 今はサッカーを本当に好きになってもらって、これから大きくなっていくにつれて、大変なこと、上手くいかないことも出てくると思います そんな時にも投げやりにならずに、少しずつでも良いので、努力して、コツコツやることで後で大きくなり、自信につながる。諦めずに苦しいことにも立ち向かって、頑張って欲しいなと思います そうすると夢が叶うと僕は思っています ーライバル視していたDFの方、影響を受けた攻撃の選手は ディフェンスの選手は特にライバルという風に全く見たことがないです。凄い選手は一杯いましたが、僕はどう崩して点を取ることしか考えていなかったので、ライバルはいません 前の選手は森島さんに憧れてセレッソを選びましたし、森島さんを抜かないと試合に出られないと思っていたので、森島さんから全てを学んで、いつか抜ければ良いなと思って頑張ってきました ー天国のお父さんににどんなことを伝えたか (涙が止まらない大久保)やっぱり凄く厳しい父でしたけど、父が居なければ、サッカー選手になれていないかなと思います 報告したら、よくやったなと言われると思います ーストライカーとしての矜持。191ゴール以外にも海外でもゴールを決めた。自分でどういうストライカーだったと思うか。嗅覚という言葉で表現してきたが、今だから言えるゴールの極意があれば 野生的と言われてきましたけど、動くところとかは野生的だったと思います ゴールを取るために、確率を求めていましたし、その中でも、自分は元々ストライカーではなく中盤の選手だったので、パスの出し手の気持ちも分かることもあり、逆算をしながら、常にプレーをしていました FWのところから後ろに下がって行ったりしましたし、それはボールを触りたいからではなく、DFを見ながらプレーをすることで、DFがついてくれば、空いたスペースを他の選手が使ったりすれば得点のチャンスが増えると思ったり、パスを出す、センタリングを出す選手の位置、ここにボールを置いたらこっちにしか来ないと思った時は、どう相手のことを動かすべきか、考えることが多かったです 野生的と言われましたが、凄く色々考えていましたと今は伝えたいです ーそんな中での会心のゴールは プロになる前からスペインリーグでやりたいと思った時に、プロに入って4年後にマジョルカからオファーをもらい、行って、開幕戦。デビュー戦でのゴールは、いつも緊張しない自分が試合前に緊張しました その中でのアシストとゴールは今でも本当に忘れられないゴールになっています ーサッカーという仕事で、よくあそこまでキレられるなと。ピッチの近くで見ていても、口に出せないようなことを言ったりしていた。なかなか感情を仕事の場では出せないものだが、それをやっていた。どこからその感情を出していたのか まずは一番負けず嫌いなところがあります。サッカーを始めた頃は負けても全く何も思わず、声を出さないことばかりで、声を出さないから試合に使わないと言われたこともあります どこかで自分に自信がついた時に、自分は発言することは自信がなければできませんでした。サッカーをやって自信がついてきたと思います 自分のために言っているのではなく、その人のため、チームのために言うことで後々響くと思っていました 伝えないといけないという。黙っていても伝えないとわからないこともあったので、言ってしまいました 言わなくて良いこともいっぱいありましたけど、それは自分の中で消化できないので、一応伝えておこうと言うことで、伝えていました それが自分の強みにもなりました 伝え方はキレているので悪かったかもしれないですが、伝えることで自分のプレーができるんですが、もっと落ち着けば良くなると言われましたが、大人しくなればプレーも大人しくなったり、力を出せなくなるとわかっていたので、感情を出して力、エネルギーを出していました それは出してやって行って良かったなと今になっても悔いはないですし、良かったです 2021.11.22 23:01 Mon
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久保建英が日本のファンからのプライベートな質問にも回答!仲が良いのは「イ・ガンイン選手と日本だったら…」

マジョルカの日本代表MF久保建英が日本のファンからの質問に答えた。クラブの公式YouTubeチャンネルが伝えている。 2019年にFC東京からレアル・マドリーへ完全移籍した久保は、2019-20シーズンに続き、今シーズンもマジョルカへとレンタル移籍。今シーズンはラ・リーガでは24試合に出場し1ゴール1アシスト、コパ・デル・レイでは3試合で1ゴール2アシストを記録している。 マジョルカの残留に向けてシーズン終盤の戦いに臨んでいる久保だが、クラブのインタビューに応じ、スペイン語と日本語の両方で様々な質問に答えた。 Q:マジョルカの良いところは? A:マジョルカにはたくさん良いところがあるけど、一番良いのは時間があるなら実際に見ることです。気候、食事、海、港にある大きな船、マジョルカに来てもらうのが一番いいです。 Q:なぜ背番号17? A:あまりたくさんのオプションはなかったです。僕が好きなのは10や7で、10+7で17になると考えました。 Q:一番お気に入りの和食は? A:タコヤキ。 Q:自分のゴールで一番のお気に入りは? A:アトレティコ・マドリー戦で決めた点。 Q:なぜサッカーを始めた? A:父親が僕をサッカー場に連れて行ったから。 Q:マジョルカのファンはどんな感じ? A:僕はあまり出歩かないですけど、街中でファンと出会うとチーム状態によっては励ましてくれます。それと同時に現実的なことも言われます。それは2年前のこと(降格)を繰り返すことはできないということです。それは僕にとって大きなモチベーションになります。 ここまでは流暢なスペイン語で回答していた久保。ここから先は日本語で答えている。 Q:試合前にやっている儀式のようなものはなに? A:基本的にはいつも自分がやっているストレッチとかをして、後は音楽を聴いていますね。いつも試合前はどちらかというとリラックスしたいので。 Q:同年代で一番仲が良い選手は? A:マジョルカだったら、フェルナンド・ニーニョ選手とかイ・ガンイン選手とか仲良くて、日本だったらみんな分かっていると思いますけど、橋岡選手とか仲良いです。 Q:スペイン語を話すのは得意? 日本にいるときは日本語の方がスラスラ出てきますけど、こっちにいるときは頭の中でスペイン語で考えたりするくらい、結構使い分けられるんで、どっちも達人の域に達しているんじゃないかなと思います。 <span class="paragraph-title">【動画】「たこ焼き」はスペイン語でこう発音する!久保建英の2カ国語インタビュー</span> <span data-other-div="movie"></span> <script>var video_id ="CU5nuDMQUbY";var video_start = 0;</script><div style="text-align:center;"><div id="player"></div></div><script src="https://web.ultra-soccer.jp/js/youtube_autoplay.js"></script> 2022.04.26 21:15 Tue
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ドルト退団マテウ・モレイが故郷の古巣マジョルカに加入…

マジョルカは5日、ドルトムントを退団したスペイン人DFマテウ・モレイ(24)の加入を発表した。契約期間は2024-25シーズンの1年間となるが、2年の延長オプションが付帯している。 マジョルカ出身のマテウ・モレイは2015年にバルセロナの下部組織であるラ・マシアに加入。優れたアジリティ、ドリブルテクニック、正確な右足のキックと三拍子揃った攻撃的な右サイドバックは、“マテ”の愛称と共に熱心なバルセロニスタの間で将来を嘱望されていた。 しかし、在籍期間中に負った左ヒザの重傷の影響もあってバルセロナB(現バルサ・アトレティック)、ファーストチームでプレー機会を得られず。2019年夏にフリートランスファーの形でドイツに渡っていた。 ドルトムントでは2020-21シーズンに公式戦20試合に出場したが、ここでも度重なる負傷やポジション争いで苦戦を強いられ、在籍5年間で公式戦32試合の出場にとどまっていた。 元々のポテンシャルは非常に高いだけに、生まれ故郷の古巣クラブでの再起に期待したいところだ。 2024.07.06 14:05 Sat
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「バルサ?インテル?いいや…」エトーが振り返る3冠達成の2クラブを超えるのは?

2日、チャンピオンズリーグ(CL)第2節でバルセロナとインテルが対戦する。 どちらのチームでもプレーし、どちらのチームでもCLを制している元カメルーン代表FWサミュエル・エトー氏が両チームについて語った。イタリア『ガゼッタ・デッロ・スポルト』が伝えた。 エトーは、レアル・マドリーの下部組織で育ち、1997年にトップチームへ昇格。その後、レガネス、エスパニョール、マジョルかへとレンタル移籍を経験し、2000年にマジョルカへと完全移籍。2004年にバルセロナへと完全移籍した。 バルセロナでは、ラ・リーガで3度の優勝を経験した他、CLも2度優勝。2008-09シーズンには3冠を達成したが、2009年夏に元スウェーデン代表FWズラタン・イブラヒモビッチ(現ロサンゼルス・ギャラクシー)とのトレードという形でインテルへ完全移籍した。 インテルでは、加入1年目の2009-10シーズンでセリエA、コッパ・イタリアに加え、CLも制覇。2シーズン連続で3冠を達成した初の選手として知られている。 その後はアンジ・マハチカラ、チェルシー、エバートン、サンプドリア、アンタルヤシュポル、コンヤシュポル、カタールSCでプレーし、2019年9月に現役を引退していた。 古巣同士がCLで対戦することになるエトー。最高の時間を過ごした両クラブでのキャリアを振り返った。 「バルサは、私が何百万人ものアフリカの子供たちに、人生では全てが可能であることを夢見させるためのショーケースだった。インテルは、次のポイントだった。2つの異なるチームで、連続して3冠を達成したんだ」 バルセロナで成功を収めたエトーだが、当時はセリエAに移籍することを止められていたという。しかし、「私は彼らに耳を傾けることはしなかった」とコメントし、その声を無視していたことを明かした。 また、キャリアの中での最高の経験についても問われると、3冠を達成した両クラブ以外を挙げている。 「インテルかバルサかって? いいや、マジョルカが最高だった。でもキャリアのハイライトは、インテルが50%、バルサが50%だった」 多くのタイトルを獲得し、成功を収めたバルセロナとインテルで過ごした日々が良いものであったと語ったエトー。一方で、最高の瞬間は、自身が成功への階段を登り始めたマジョルカと、意外とも言える答えを出していた。 2019.10.01 21:00 Tue

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