「そりゃないわ」ジダン息子が開幕戦の16分で一発退場…入れ替わられて思わず手を出す

2021.08.16 21:45 Mon
Getty Images
ラージョ・バジェカーノのフランス人GKリュカ・ジダンにとっては苦い開幕戦となってしまった。15日、ラ・リーガ開幕節のセビージャvsラージョ・バジェカーノがサンチェス・ピスファンで行われた。

昨季は昇格プレーオフを制し、1部昇格を果たしたラージョ・バジェカーノ。3シーズンぶり8度目のラ・リーガに意気揚々臨むアウェイチームの守護神を務めたのは、元フランス代表で昨季までレアル・マドリーで指揮を執っていたジネディーヌ・ジダンの息子、リュカ・ジダンだ。
だが、気持ちが裏目に出てしまったのか、早い時間帯にチームを窮地へと追いやってしまう。

0-0で迎えた16分、セビージャは最終ラインでのボール回しから、DFジエゴ・カルロスがロングフィード。反応したMFウサマ・イドリシが飛び出してきたリュカ・ジダンをワンタッチでかわすと、リュカ・ジダンは思わずイドリシをつかんで止めしまう。当然、リュカ・ジダンにはレッドカードが提示され、開始早々に数的不利の状況を招いてしまった。
このプレーに対しては「赤が妥当だ」「リュカ、そりゃないわ」などのコメントが。ただ、コンタクトの程度から「黄色でいい」という声も中にはある。

Jリーグ副理事長の原博実ならばジャッジリプレイで、引っ張られてもプレーを止めずに粘って決めた方がいい、と述べそうなシーンではあった。

ともあれ、ラージョ・バジェカーノはこれで与えたPKを決められると、後半にも2点を奪われて0-3でゲームを落とした。開幕戦では気合いが空回りしてしまったリュカ・ジダン。今後、挽回の機会は与えられるだろか。

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中田英寿氏が波乱万丈のサッカーキャリア回想…『The Atletic』のロングインタビューに答える

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ラ・リーガの試合で観客が起こしたとんでもない行動が大きな問題となっている。 事件が起こったのは5日に行われたラ・リーガ第23節のラージョ・バジェカーノvsセビージャの一戦。被害者はセビージャのルーカス・オカンポスだった。 問題の行動は32分。スローインのためにボールを拾いに行き、構えたオカンポスだったが、最前列に座ってい少年が手を伸ばしてオカンポスの尻を触った。 すぐに気がついたオカンポスは怒り。ラージョの選手を呼びつけたが、少年たちは何食わぬ顔で知らんぷり。周りのラージョのファンは、オカンポスに対して怒りをぶつけていたが、明らかな問題行動だった。 スペイン『アス』によれば、この事件を起こしたのは少年であり、法定年齢には達して居ないため、少年検察庁に報告されるとのこと。警察はすでに身元を特定しており、ラージョはしばらくの間、出入り禁止にすることになると見られている。 オカンポスは怒りが収まらず、試合後に怒りのコメントを残した。 「このようなことがもし女子サッカー界で起これば、どうなるかは分かっている。僕には2人の娘がいるから自制した。明日、彼女たちにこのようなことが起こらないことを願っている」 「このような愚か者が、とても良い振る舞いを見せているファンを汚さないことを願っている」 「幼稚なことではある。ただ、人の尻を触ることはバカバカしくはない。大騒ぎにはしたくない」 <span class="paragraph-title">【動画】スローインする選手のお尻を触る観客の暴挙…</span> <span data-other-div="movie"></span> <blockquote class="twitter-tweet" data-media-max-width="560"><p lang="es" dir="ltr"> <a href="https://twitter.com/hashtag/DirectoGol?src=hash&amp;ref_src=twsrc%5Etfw">#DirectoGol</a> <a href="https://t.co/irozEBa3eO">pic.twitter.com/irozEBa3eO</a></p>&mdash; Directo Gol (@DirectoGol) <a href="https://twitter.com/DirectoGol/status/1754642302566371341?ref_src=twsrc%5Etfw">February 5, 2024</a></blockquote> <script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script> 2024.02.06 21:58 Tue
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アンヘル・コレアのドブレーテで上位対決を制したアトレティコが5戦ぶりの白星!《ラ・リーガ》

アトレティコ・マドリーは2日、ラ・リーガ第19節でラージョ・バジェカーノと対戦し2-0で勝利した。 5戦ぶりの白星を目指す5位のアトレティコが、ホームに4位ラージョを迎えた一戦。MFコケやMFエクトル・エレーラ、FWグリーズマン、FWフェリックスの主力選手がコロナ陽性でベンチ外となったアトレティコは、スアレスとアンヘル・コレアを2トップに据えた[4-4-2]で試合に臨んだ。 マドリード自治州ダービーとなった一戦は、立ち上がりから一進一退の展開が続いたが、アトレティコは23分に最終ラインのサヴェリッチからボールを奪ったスアレスに最初の決定機が訪れたが、果敢な飛び出しを見せたGKの頭上を狙ったチップキックシュートはゴール左に逸れた。 先制点を逃したものの、徐々に主導権を握るホームチームは28分、デ・パウルのパスでボックス右深くから侵入したカラスコの折り返しをエルモソがダイレクトシュート。これはDFにブロックされたが、ゴールエリア付近の混戦から最後はアンヘル・コレアがゴールネットを揺らした。 ハーフタイムにかけてもアトレティコが押し込む時間が続いたが、追加点を奪うには至らず。アトレティコは1点のリードで前半を終えた。 迎えた後半、アトレティコは立ち上がりの53分に追加点を奪う。レマルのスルーパスをボックス左までオーバーラップしたロージがダイレクトで折り返すと、最後は走り込んだアンヘル・コレアがゴールに流し込んだ。 幸先良く追加点を挙げたアトレティコは、57分にもスアレスのラストパスからボックス左深くまで侵入したレマルがに決定機が訪れたが、チップキックで狙ったシュートはわずかに右に外れた。 さらに67分には、ドリブルで仕掛けたカラスコがボックス右からシュートを狙うと、相手GKがわずかに触ったボールが左ポストを直撃した。 その後、互いに選手を入れ替えながらゴールを目指したがスコアは動かず。アンヘル・コレアのドブレーテで上位対決を制したアトレティコが、新年初戦を白星で飾った。 2022.01.03 02:10 Mon
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ジダンの息子ルカ、キャリア初の母国フランスへ? GK重傷のモンペリエが関心か

元ラージョ・バジェカーノのフランス人GKルカ・ジダン(24)にモンペリエが関心を寄せているようだ。 フランスの偉大なるフットボーラー、ジネディーヌ・ジダン氏の次男として知られるルカ・ジダン。父親がレアル・マドリーでプレーしていた6歳の時に自身も同クラブのアカデミー入りし、2019年3月には父が指揮するファーストチームでデビューを果たした。 しかし、2020年10月にマドリーとの契約が満了を迎え、その後の2シーズンはラージョに在籍。昨季はラ・リーガで8試合、コパ・デル・レイで5試合のピッチに立ったが、シーズン終了後にこちらも契約満了となり、現在は無所属となっている。 そんななか、キャリアで初めて母国クラブでプレーする可能性が浮上。フランス『レキップ』によると、モンペリエがルカ・ジダンに関心を寄せ始めたという。モンペリエは控えGKのフランス人GKディミトリ・ベルトーがヒザ前十字じん帯損傷の大ケガを負ったことを受け、急きょGKの獲得に動き出したとみられている。 2022.08.30 18:16 Tue
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ラージョ、チーム得点王のFWイシと2028年まで契約を延長!

ラージョ・バジェカーノは8日、スペイン人FWイシ・パラソン(28)との契約を2028年6月30日まで延長したことを発表した。 レアル・マドリーやビジャレアルの下部組織で育ったイシは、2015年2月にセグンダB(スペイン3部)のレアル・ムルシアでプロデビュー。その後、同じセグンダBのポンフェラディーナを経て、2020年1月に当時セグンダ(スペイン2部)のラージョに3年半契約で加入。 同時期にエスパニョールへ移籍したMFアドリ・エンバルバの後釜として加入したラージョでは、両ウィングを主戦場に公式戦137試合に出場し21ゴール17アシストをを記録。今季は主に右ウィングでレギュラーとして活躍しておりラ・リーガ32試合の出場でチーム最多の8ゴールを記録している。 なお、スペイン『アス』によれば、ラージョは3000万ユーロに設定していたイシの契約解除金を他のクラブが支払うことを恐れて、契約延長を急いだとのこと。今回の契約延長で契約解除金は倍近くの金額になったとのことだ。 2023.05.09 00:25 Tue
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トッティ息子クリスティアンがラージョ移籍! 同行の父はファルカオとツーショット

ローマとイタリア代表のレジェンドであるフランチェスコ・トッティ氏の息子がスペインのラージョ・バジェカーノに移籍した。 フットボール界屈指のスーパースターの一人だった偉大なる父親を持つMFクリスティアン・トッティ(18)は、当然のことながら父が一筋のキャリアを歩んだローマの下部組織でプレー。ただ、イタリア屈指の育成の名門において頭角を現すまでには至らず。昨年8月に同じラツィオ州に属するフロジノーネのプリマヴェーラに移籍していた。 そのフロジノーネでは公式戦5試合1ゴールの数字を残していた攻撃的MFは、わずか半年後にマドリードに本拠地を置くラージョへ活躍の場を移すことになった。 なお、トッティ氏は息子のマドリード行きに同行しており、25日には自身のインスタグラムのストーリーを通じて、初の国外移籍を果たしたクリスティアンの様子を投稿。さらに、ファーストチームでプレーする元コロンビア代表FWラダメル・ファルカオとのツーショット写真も公開している。 今後フベニールA(U-19チーム)でのプレーとなるクリスティアンは、スペインの地でファーストチームデビューを目指すことになる。 2024.01.26 06:30 Fri

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