「勝ち点は取れなかったが笑いは取れた」“ビッグ・サム”の奇行が話題に
2021.02.08 17:00 Mon
WBAのサム・アラダイス監督がお茶目なところを見せた。“ビッグ・サム”の愛称で知られるアラダイス監督は、2020年12月に19位に沈んでいたWBAの監督に就任。これまで数々のクラブを救ってきた実績から、残留請負人としての役割を担っている。
WBAは7日、プレミアリーグ第23節でトッテナムとアウェイで対戦。前半をゴールレスで折り返すも、後半にケガから復帰のFWハリー・ケインとFWソン・フンミンにゴールを奪われる。
そんな中、アラダイス監督が後半アディショナルタイムの91分に沸かせる。
ピッチから出たボールがテクニカルエリアに出ていたアラダイス監督のもとへ転がると、ボールを拾ったアラダイス監督がまさかのスローインのモーションに入る。
この奇行には、トッテナムのFWルーカス・モウラだけでなく、WBAのDFリー・ペリティエルも思わず苦笑い。
この場面以外にも、前半にタッチラインを超えたロングボールをヘディングで返すなどしていたアラダイス監督のアクションは、SNS上のサポーターたちの中でも大きな話題となると、「勝ち点は取れなかったが笑いは取れた」「12人目のフィールドプレーヤーだ」など、その意外性に驚く声も多く寄せられた。
試合は、そのまま2-0でタイムアップ。アラダイス監督就任以降も苦しい戦いが続くWBAは23節を終えて勝ち点12の19位のまま。残留圏内の17位バーンリー(1試合未消化)とは勝ち点差11となっている。
WBAは7日、プレミアリーグ第23節でトッテナムとアウェイで対戦。前半をゴールレスで折り返すも、後半にケガから復帰のFWハリー・ケインとFWソン・フンミンにゴールを奪われる。
ピッチから出たボールがテクニカルエリアに出ていたアラダイス監督のもとへ転がると、ボールを拾ったアラダイス監督がまさかのスローインのモーションに入る。
この奇行には、トッテナムのFWルーカス・モウラだけでなく、WBAのDFリー・ペリティエルも思わず苦笑い。
残り時間やチームの不甲斐ないパフォーマンスを見て、勝ち点を諦めての行為なのか、チームに切り替えの早さを求める行為なのかは分からないが、スローインの素振りだけみせたアラダイス監督は、すぐにペリティエルにボールを手渡していた。
この場面以外にも、前半にタッチラインを超えたロングボールをヘディングで返すなどしていたアラダイス監督のアクションは、SNS上のサポーターたちの中でも大きな話題となると、「勝ち点は取れなかったが笑いは取れた」「12人目のフィールドプレーヤーだ」など、その意外性に驚く声も多く寄せられた。
試合は、そのまま2-0でタイムアップ。アラダイス監督就任以降も苦しい戦いが続くWBAは23節を終えて勝ち点12の19位のまま。残留圏内の17位バーンリー(1試合未消化)とは勝ち点差11となっている。
サム・アラダイスの関連記事
ウェスト・ブロムウィッチ・アルビオンの関連記事
プレミアリーグの関連記事
記事をさがす
|
サム・アラダイスの人気記事ランキング
1
中田英寿氏が波乱万丈のサッカーキャリア回想…『The Atletic』のロングインタビューに答える
元日本代表MFの中田英寿氏が、『The Atletic』のロングインタビューで自身のサッカーキャリアを振り返った。 中田氏はベルマーレ平塚(現・湘南ベルマーレ)でプロキャリアをスタートし、以降は2006年の現役引退までペルージャ、ローマ、パルマ、ボローニャ、フィオレンティーナのイタリア5クラブ、イングランドのボルトンでプレー。 また、日本代表としては1998年フランス大会、2002年日韓大会、2006年ドイツ大会と3度のワールドカップに出場し、通算77キャップを刻んだ。 そのアジアを代表するレジェンドは『The Atletic』で29歳での現役引退を始め、キャリアにおけるトピックについて語った。 2006年ドイツW杯のグループステージ最終節のブラジル代表戦での1-4の敗戦後、スパイクを脱ぐ決断を下したMFは、その突然の引退から19年を経たなかで改めて決断の理由に言及。 「プロのサッカー選手になる夢は一度もなかったが、どういうわけかそれが実現し、ワールドカップでプレーし、イタリアとイングランドに行った。情熱のためにいつもプレーしていた。私はサッカーのファンではなく、サッカーをプレーするのが好きだった。それが私が引退した理由だ。情熱を失っていたし、情熱がなければ、自分に嘘をついているようなものだった」 「私が好きなのはプレーすることであり、コーチやコメントをすることではない。それが引退後に『別の情熱を見つけなければならない』と言った理由だった」 インタビュー冒頭で、サッカーキャリアの終わりについて語った元日本代表はここからキャリアの最初期に立ち戻り、「当時は、プロサッカー選手になることを夢見る人は誰もいなかった。日本で一番人気のスポーツは野球だった。だけど、結局、私は漫画『キャプテン翼』が大好きだったから、サッカーをやろうと決めた」と、サッカーを始めた理由を明かした。 続けて日本代表が初めてW杯に出場した1998年フランスW杯での奇抜な髪色については「(W杯前でさえ)毎日髪の色を変えていたが、海外でプレーしたかったので世界に知られることが重要だった。だから注目されたいと思っていた」と、振り返る。 その目論見通り、W杯直後にはセリエAのペルージャへ完全移籍。イタリアでのキャリアをスタート。その新天地では加入1年目から鮮烈な輝きを放ったが、プレーすること以外でサッカーに関心がなかったことが良い意味でプラスに働いたという。 「私はサッカーの大ファンではなかったし、サッカーを見たり新聞で読んだりもしなかった。そういう人間ではないんだ。ただサッカーをするのが好きで、毎日もっといい選手になりたいと思っていた」 「イタリアに来たときは、セリエAが世界最高のリーグで、ジネディーヌ・ジダンやアレッサンドロ・デル・ピエロのような選手がいたが、私は選手をあまり知らなかった。リーグのチームの半分も知らなかった」 「でも、そのおかげで自分のプレーに集中できたし、それが私の強みだった。とにかく恐れがなかった」 そのペルージャでの活躍によって2000年にはローマへステップアップ。当時、頭角を現わしていたフランチェスコ・トッティとのポジション争いで苦戦を強いられた一方、2005年1月のユベントス戦ではクラブ史に刻まれた圧巻のロングシュートを突き刺し、ジャッロロッシのスクデット獲得に大きく貢献した。 中田氏はそのローマ時代について「ローマに戻るたびに、ファンのみんなが私のところに来て『ありがとう、ナカタ』と言ってくれる」と、自身の重要な働きに満足感を示した。 その後、1年でイタリアの首都を離れてパルマに活躍の場を移すと、コッパ・イタリア優勝に貢献。2年連続のタイトル獲得を経験。そして、日韓W杯では大会の目玉選手の一人として日本代表史上初の決勝トーナメント進出に貢献した。 「もっといい結果を出せたはず」トルコ代表に敗れてのベスト16に不満を示しながらも、「雰囲気は素晴らしかった」と、自国開催のW杯をポジティブに振り返った。 「日本では誰もが、私たちがグループリーグを突破して決勝トーナメントに進出するだろうと期待していたが、それはとても大変だった」 「私たちはとても若いチームで、ほとんどのメンバーがワールドカップでプレーしたことがなかった。当時、海外でプレーしていたのは数人だけで、プレッシャーは大きかった。しかし同時に、国全体が私たちを応援してくれたので、雰囲気は素晴らしかった」 その後、チェーザレ・プランデッリ監督との衝突を機に、ボローニャ、フィオレンティーナとイタリア国内での移籍を繰り返した後、2005年に7年間過ごしたイタリアを離れ、プレミアリーグのボルトンへレンタル移籍。 自身最後のクラブとなったマンチェスターのクラブではキック&ラッシュでお馴染みのサム・アラダイス監督が率いたチームということもあり、イタリアと大きく異なる環境面を含めて難しい日々を過ごした。 「イタリアから来たので、サッカーはまったく違っていた。多くのチームがロングボールをプレーしていた。それは少しショックだった。そしてイタリアからマンチェスターに来て、食べ物の面でも違ったし、雨も多かった。そういった意味で少し大変だった」 その後、前述のドイツW杯での現役引退で中田氏の波乱万丈のサッカーキャリアは締めくくられた。 そして、自身のサッカーキャリアを通じて「どのように記憶されたいか?」との問いに対して、中田氏は「私は美しいプレー、優雅さが好きだ。ジネディーヌ・ジダンのようなプレーが美しい。スピードやパワーではなく、美しいパス、美しいプレー。ゴールである必要はない。私は優雅さが好きで、サッカーだけでなく人生でもそうだ。優雅で美しいものが好きだ。つまり美しい服、美しい建築物、デザイン、景色…」と返答している。 現役引退後は3年間に渡っておよそ100カ国以上を巡る放浪の旅に出て、以降は魅了された日本酒造りや日本茶のブランド立ち上げなど、日本の文化や食文化の発信者として活躍する48歳。 今回のロングインタビューの最後には改めて自身の生き方について語り、これからも自身の情熱の赴くがままに様々なことにチャレンジしたいと結んだ。 「29歳で引退したとき、たくさんの人から『まだプレーできるよ』とか『サッカー業界で働いてコーチでもしたらどうだ』と言われた」 「でも、できるからやることを選んでいるわけではない。やりたいからやっている」 「私は好きなことをやっている。だからファッションが好きならファッションをやるし、他の文化が好きなら他の文化。日本酒が好きなら日本酒をやる」 「他の人は時々その理由が理解できないことがある。それは私が情熱を持ってやっているからだ」 2025.03.19 00:14 Wed2
ヴェンゲル、ファーガソンに次ぐ大記録達成にモイーズ監督本人も自賛! 「700試合指揮は立派な功績」
エバートンのデイビッド・モイーズ監督が自身のキャリア節目を飾った。 エバートンの指揮に11年半ぶりに復帰し、19日のプレミアリーグ第22節でトッテナムを相手に3-2で再登板2試合目にして初白星のモイーズ監督。25日の第23節も難敵ブライトンとの一戦だったが、2戦連発中だった三笘薫らを封じ込み、1-0でしぶとく勝ち切った。 残留争いを遠ざける連勝のモイーズ監督だが、これが指導者キャリアにとっても節目のプレミアリーグ700試合目。元アーセナル監督のアーセン・ヴェンゲル氏、元マンチェスター・ユナイテッド監督のアレックス・ファーガソン氏に次ぐ3人目となった。 ドミニク・キャルバート=ルーウィンの負傷交代など、今後の戦いに向けて不安要素もあった試合だが、自身の節目を自ら飾った61歳指揮官はこれまでの歩みに誇らしげだ。『ESPN』が報じる。 「プレミアリーグでの700試合目、そしてここで勝てたのは我々にとって素晴らしい結果だ。簡単な仕事じゃなかったし、いくつかでもっと良いプレーをする必要があったがね。我々が到達すべきレベルに達していないが、選手は根性と少しの強さを示してくれた」 「本当に信じられない。駆け出しの頃は自分がプレミアリーグの監督になれるなんて誰も思っていなかっただろうし、700試合も指揮できたのは立派な功績。とても満足しているよ。私より先にいるのはアーセンとアレックスという2人の偉大な監督だ」 「彼らの数字を達成できるとは思わないね。それは確かだ」 ◆プレミアリーグ歴代指揮試合数(上位) 【828】 アーセン・ヴェンゲル 【810】 アレックス・ファーガソン 【700】 デイビッド・モイーズ 【641】 ハリー・レドナップ 【541】 サム・アラダイス <span class="paragraph-title">【動画】三笘薫も封殺! エバートンがモイーズ節目試合をしぶとく勝つ</span> <span data-other-div="movie"></span> <script>var video_id ="Dui6uUsYw3c";var video_start = 0;</script><div style="text-align:center;"><div id="player"></div></div><script src="https://web.ultra-soccer.jp/js/youtube_autoplay.js"></script> 2025.01.26 17:15 Sunウェスト・ブロムウィッチ・アルビオンの人気記事ランキング
1
最終節で日本人に明暗…田中碧のリーズが優勝、平河悠のブリストル&坂元達裕のコヴェントリーが昇格PO、大橋祐紀はゴールもブラックバーンはPO逃す…橋岡大樹のルートンは3部降格【チャンピオンシップ】
3日、チャンピオンシップ(イングランド2部)の最終節が一斉開催。優勝チーム、昇格プレーオフチーム、降格チームが決定した。 リーズ・ユナイテッドとバーンリーのプレミアリーグ昇格はすでに決定していた中、最終節の時点で勝ち点が並ぶ両者は優勝を争っての最終節となった。 首位のリーズは日本代表MF田中碧が所属。降格圏のプリマス・アーガイルとアウェイで対戦した中、先制許す苦しい展開に。それでもウィルフレッド・ニョントのゴールで後半に追いつくと、同点のまま終わるかと思われた、後半アディショナルタイムにマノー・ソロモンが値千金の逆転ゴール。田中は79分までプレーした中、チームは1-2で勝利し、見事に優勝を果たした。 なお、勝ち点は100に到達。2位のバーンリーもミルウォールをホームに迎えてしっかりと勝利、勝ち点100に。2チームが勝ち点差100を達成した中、リーズが見事な優勝を果たした。 3位から6位に与えられる昇格プレーオフ圏も熾烈な争いに。シェフィールド・ユナイテッドの3位、サンダーランドの4位が確定していた中、5位と6位が未定の状態だった。 この争いでは、5位のブリストル・シティに平河悠、6位のコヴェントリー・シティに坂元達裕、8位のブラックバーンに大橋祐紀が所属している。 最終節ではブラックバーンはシェフィールド・ユナイテッドと対戦。50分に大橋がゴールを奪い、今季のチャンピオンシップで9点目を記録。勝利が必要だった中、59分に追いつかれてしまい1-1のドロー。7位でシーズンをフィニッシュすることとなり、昇格プレーオフ行きを逃した。 7位のミルウォールはバーンリーと対戦して敗れて8位に転落。6位のコヴェントリーは9位のミドルズブラと対戦した中、坂元が先発出場。44分にジャック・ルドニのゴールをアシストすると、ルドニは87分にもゴールを決めて2-0で勝利した。 5位のブリストルは残留を争う20位のプレストン・ノースエンドと対戦。平川は先発フル出場を果たすと、チームは2-2のドローに終わり、6位でフィニッシュ。コヴェントリーが5位に浮上し、坂元と平河がプレミアリーグ昇格の残りの1枠を狙える状況となっている。 また、下位に目を移すと、すでに最下位で降格が決まっているカーディフ・シティと14位のノリッジ・シティと対戦。アーセナル時代のチームメイトであるジャック・ウィルシャーとアーロン・ラムジーが監督として対戦した中、4-2でノリッジが勝利した。 リーズに敗れたプリマスも降格が決まっていた中、降格圏の22位に位置していたハル・シティがポーツマスと1-1のドローで勝ち点を49に。21位に位置していた橋岡大樹所属のルートン・タウンはウェスト・ブロムウィッチ・アルビオン(WBA)と対戦し5-3で惨敗。この結果、ルートンが22位に転落して3部降格となってしまった。橋岡はメンバー外だった。 なお、クイーンズ・パーク・レンジャーズ(QPR)の斉藤光毅はメンバー外。ストーク・シティの瀬古樹はベンチ入りも出番はなかった。 <h3>◆チャンピオンシップ最終節</h3> ブリストル・シティ(平河悠) 2-2 プレストン・ノースエンド バーンリー 3-1 ミルウォール コヴェントリー・シティ(坂元達裕) 2-0 ミドルズブラ ダービー・カウンティー 0-0 ストーク・シティ(瀬古樹) ノリッジ・シティ 4-2 カーディフ・シティ プリマス・アーガイル 1-2 リーズ・ユナイテッド(田中碧) ポーツマス 1-1 ハル・シティ シェフィールド・ユナイテッド 1-1 ブラックバーン(大橋祐紀) サンダーランド 0-1 QPR(斉藤光毅) スウォンジー・シティ 3-3 オックスフォード・ユナイテッド ワトフォード 1-1 シェフィールド・ウェンズデイ WBA 5-3 ルートン・タウン(橋岡大樹) <h3>◆チャンピオンシップ順位表</h3> 1位:リーズ・ユナイテッド 勝ち点100/+65 2位:バーンリー 勝ち点100/+53 ーーーープレミア昇格 3位:シェフィールド・ユナイテッド 勝ち点90/+27 4位:サンダーランド 勝ち点76/+14 5位:コヴェントリー・シティ 勝ち点69/+6 6位:ブリストル・シティ 勝ち点68/+4 ーーーープレミア昇格PO 7位:ブラックバーン 勝ち点66/+5 8位:ミルウォール 勝ち点66/-2 9位:WBA 勝ち点64/+10 10位:ミドルズブラ 勝ち点64/+8 11位:スウォンジー・シティ 勝ち点61/-5 12位:シェフィールド・ウェンズデイ 勝ち点58/-9 13位:ノリッジ・シティ 勝ち点57+3 14位:ワトフォード 勝ち点57/-8 15位:QPR 勝ち点56/-10 16位:ポーツマス 勝ち点54/-13 17位:オックスフォード・ユナイテッド 勝ち点53_-16 18位:ストーク・シティ 勝ち点51/-17 19位:ダービー・カウティ 勝ち点50/-8 20位:プレストン・ノースエンド 勝ち点50/-11 21位:ハル・シティ 勝ち点49/-10 ーーーー降格 22位:ルートン・タウン 勝ち点49/-24 23位:プリマス・アーガイル 勝ち点46/-37 24位: カーディフ・シティ 勝ち点44/-25 <span class="paragraph-title">【動画】リーズのリーグ優勝セレモニー!</span> <span data-other-div="movie"></span> <script>var video_id ="OuFyyCoH0g0";var video_start = 0;</script><div style="text-align:center;"><div id="player"></div></div><script src="https://web.ultra-soccer.jp/js/youtube_autoplay.js"></script> 2025.05.03 23:28 Sat2
元イングランド代表GKベン・フォスターが現役引退、ハリウッド俳優所有のクラブで昇格に貢献
レクサムは21日、元イングランド代表GKベン・フォスター(40)の現役引退を発表した。 2022年9月にキャリアを一時停止したフォスター。2023年3月には、ハリウッド俳優のライアン・レイノルズが所有するレクサムへ加入すると、ナショナルリーグ(イングランド5部)で8試合に出場。優勝を争うチームを支え、見事にEFLリーグ2(イングランド4部)に昇格していた。 フォスターは今シーズンもプレーを続けることとなり、リーグ2では開幕から4試合に出場。しかし、チームは1勝2分け3敗という出だしに。ただ、4試合で13失点と守備が崩壊していた。 19日に行われた第4節のスウィンドン・タウン戦では、5-5という壮絶な打ち合いに。後半アディショナルタイムに2点を奪ってなんとか追いついたが、苦しい試合となっていた。 レクサムの声明によれば、その試合後にフォスターがフィル・パーキンソン監督と話し合いをしたとのこと。引退を決断したことを伝えられたという。 「正直なところ、今シーズンのパフォーマンスは自分に求めるレベルに達しておらず、今が引退するのに適切な時期だと感じている」 「この決断を下す際に最優先に考えたのは、僕にとってだけでなく、クラブにとっても何が最善なのかということだった。この決断により、クラブは期限が閉まる前に選択肢を評価するあらゆる機会を得ることができた」 「レクサむはいつも僕の心の中で特別な場所であり続けるだろう」 フォスターは自身のパフォーマンスに限界を感じて引退を決断。それを伝えられたパーキンソン監督もクラブを通じてコメントしている。 「ベンはレクサムにいる間、プロフェッショナルとして模範を示し、我々が彼に求めたことは全てやってくれた」 「決断を下すには、偉大な人間と、このフットボールクラブを本当に理解し、決断のタイミングを計る人間が必要だ」 「昨シーズンのノッツ・カウンティ戦での昇格に貢献してくれたあの素晴らしいPKセーブを遥かに超えた彼の貢献に感謝するとき、私はみんなを代表して言っていると確信している」 「レクサムはベン・フォスターを迎えるにはより良い場所だった」 フォスターはストーク・シティでキャリアをスタート、下部リーグへのレンタル移籍を繰り返した中、2005年1月にはレンタルでレクサムに加入していた。 2005年7月、マンチェスター・ユナイテッドへと完全移籍、ワトフォードへのレンタル移籍を経て復帰。2010年7月にバーミンガム・シティへと完全移籍した。 その後、WBAへとレンタル移籍したのちに完全移籍。2018年にワトフォードに加入すると、2022年7月に一度キャリアをストップ。半年後にレクサムで復帰していた。 最もプレーしたクラブはWBAで公式戦223試合に出場。ワトフォードでは207試合に出場している。プレミアリーグでは390試合に出場していた。 2007年2月にはイングランド代表デビューを果たし、8試合に出場。2014年のブラジル・ワールドカップ(W杯)ではコスタリカ代表戦でフル出場し、W杯デビューを果たしていた。 2023.08.21 22:05 Mon3
WBAのMFマクレーンの胸にポピーの花は咲かず? その背景に政治的信条が影響
▽WBAに所属するアイルランド代表MFジェームズ・マクレーンが、29日のマンチェスター・シティ戦でリメンブランス・デー(戦没者追悼記念日)記念の特別ユニフォームの着用を拒否した。イギリス『101great goals』が、その理由について報じている。 ▽リメンブランス・デーとは、1918年11月11日に第一次世界大戦が休戦したことを記念した日のことで、イギリスではおよそ90万人といわれる戦没者への追悼行事を毎年行っている。また、プレミアリーグを含めイギリスのプロスポーツなどでは、毎年この時期にリメンブランス・デーを記念して胸に赤いポピーの花を模した特別なユニフォームを着用することが多い。 ▽だが、マクレーンは前所属のウィガン時代からこの特別なユニフォームの着用を拒否し続けてきた。その理由について同選手は、リメンブランス・デーが第二次世界大戦を含めた2度の大戦の戦没者だけでなく、その後の地域紛争の戦没者も含まれていることが問題だと語っている。 「僕には2つの世界大戦で亡くなった人たちへの完全な尊敬の念がある。とりわけ、祖父を含めてよく知っているアイルランドの人たちへの想いは強いよ。その他にも正しい行いをしてきた人たちには強い哀悼の想いがあるんだ。仮に、ポピーが第一次世界大戦、第二次世界大戦で失われた魂のためだけのシンボルであるならば、僕は喜んでそのユニフォームを着用すると思う」 「だけど、僕にとっての問題はポピーが1945年以降の紛争で亡くなった犠牲者にも当てはまるということだ」 「僕のようにアイルランド北部出身で、とりわけデリー(1972年に起きた血の日曜日事件の舞台)の人たちには、ポピーは全く異なる意味のものなんだ」 ▽なお、マクレーンが言及した『血の日曜日事件』は、1972年にアイルランド北部のデリーで市民デモを行っていた無抵抗の市民が、イギリス軍によって虐殺されたアイルランド史における重大な事件の1つ。マクレーンにとっては、そういった犠牲者と対戦の犠牲者が一緒くたにされていることに違和感を覚え、特別ユニフォームの着用を拒否しているようだ。 2016.10.30 15:50 Sun4
"やり直し"でPK成功のB・フェルナンデスが反省「一発で決めなければ」
マンチェスター・ユナイテッドのポルトガル代表MFブルーノ・フェルナンデスは、勝利したWBA戦の試合内容に満足できていないようだ。クラブ公式サイトがコメントを伝えている。 21日に行われたプレミアリーグ第9節でWBAをホームに迎え撃ったユナイテッド。53分にMFフアン・マタが獲得したPKをMFブルーノ・フェルナンデスが成功させて、1-0の辛勝を収めた。 試合後、ブルーノ・フェルナンデスはイギリス『BT Sport』のマイクを通じて、今季リーグ戦ホーム初白星を喜びながらも、もっと良いパフォーマンスができると反省した。 「もちろん、この勝利は僕らにとって本当に重要なことだ。それはオールド・トラフォードでのリーグ戦初勝利だったからではなく、ポイントを獲得する必要があったからだ」 「難しい試合だったね。たくさんのチャンスを作ったが、もっとできるはずだ。僕らにはそのクオリティがある」 また、先制点のシーンについても言及。一度はGKサム・ジョンストンに完璧にセーブされたものの、ゴールラインに足がかかっていなかったとの判定で蹴り直しに。二度目できっちりと成功させていたが、一発で決めなければいけなかったと反省した。 「良くないね。一発で決める必要がある。キーパーの足がライン離れていても問題ないよ。一度目で得点できなかったのはダメだね。二度目は決めれたけど、一回で成功させないと」 「この段階で最も重要なのは3ポイントだ。それが最も重要だが、もっと上手くやれることを見せなければいけない」 2020.11.22 16:05 Sun5