「4年前から退団候補のナガトモが…」元Jリーガーがインテル指揮官の人材再生術を称賛
2017.10.24 12:45 Tue
清水エスパルスでプレーした経験を持つ、元イタリア代表のダニエレ・マッサーロ氏が、23日にイタリアメディア『プレミアムカルチョ』のインタビューに応じ、インテルに所属する長友佑都に言及した。
長友は2011年冬、チェゼーナからインテルに電撃加入。その後は毎年のように、DFアルバロ・ペレイラやDFドド、DFクリスティアン・アンサルディなど新たなライバルが出現したものの、インテルで生き残ることに成功。一方、ライバルの多くはチームを去っていった。
今夏もニースから新たなブラジル人サイドバックのDFダルベルト・エンリケが加わり、この日本代表DFは放出候補となった。しかし、今シーズンから指揮官となったルチアーノ・スパレッティの信頼を獲得すると、適応に苦しむライバルを尻目にビッグマッチで結果を残し、序列を逆転してみせた。
現役時代、同じくミラノに拠点を置くミランで活躍したマッサーロ氏は、昨季インテルにおいてベンチを温める機会が多かった長友から、想定以上のパフォーマンスを引き出したとして、スパレッティの手腕を称えた。
「ナガトモは4年前から退団するべき選手だと言われてきた。だがスパレッティはインテルで出場チャンスを与え、彼を再評価した」
元インテルのファンタジスタ、エヴァリスト・ベッカロッシ氏も同意見を述べている。ラジオ局『ラディオ・オンダ・リベラ』のインタビューにおいて、「(ダニーロ・)ダンブロージオやナガトモなど、過去に冷遇されてきた選手を生かすことができた」と指摘した。
インテルはファイナンシャル・フェア・プレー(FFP)の関係上、ミランのような大型補強を行うことはできなかったが、実力を発揮できていなかった選手たちをスパレッティ監督が再生させたことが今シーズンの躍進につながっているようだ。
提供:goal.com
長友は2011年冬、チェゼーナからインテルに電撃加入。その後は毎年のように、DFアルバロ・ペレイラやDFドド、DFクリスティアン・アンサルディなど新たなライバルが出現したものの、インテルで生き残ることに成功。一方、ライバルの多くはチームを去っていった。
今夏もニースから新たなブラジル人サイドバックのDFダルベルト・エンリケが加わり、この日本代表DFは放出候補となった。しかし、今シーズンから指揮官となったルチアーノ・スパレッティの信頼を獲得すると、適応に苦しむライバルを尻目にビッグマッチで結果を残し、序列を逆転してみせた。
現役時代、同じくミラノに拠点を置くミランで活躍したマッサーロ氏は、昨季インテルにおいてベンチを温める機会が多かった長友から、想定以上のパフォーマンスを引き出したとして、スパレッティの手腕を称えた。
「ナガトモは4年前から退団するべき選手だと言われてきた。だがスパレッティはインテルで出場チャンスを与え、彼を再評価した」
元インテルのファンタジスタ、エヴァリスト・ベッカロッシ氏も同意見を述べている。ラジオ局『ラディオ・オンダ・リベラ』のインタビューにおいて、「(ダニーロ・)ダンブロージオやナガトモなど、過去に冷遇されてきた選手を生かすことができた」と指摘した。
インテルはファイナンシャル・フェア・プレー(FFP)の関係上、ミランのような大型補強を行うことはできなかったが、実力を発揮できていなかった選手たちをスパレッティ監督が再生させたことが今シーズンの躍進につながっているようだ。
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「時々サッカーが恋しくて悲しい」トニ・クロース氏が近況と“イタリアサッカー”を語る「セリエAでプレーするとしたら…」
元ドイツ代表MFのトニ・クロース氏が近況を語った。 昨季限りでスパイクを脱いだ稀代の名手、トニ・クロース。比類なきプレーメーカーを失ったエル・ブランコ、レアル・マドリーに全くもってその影響がないと言えば、嘘になる。 クロース氏は16日、2024年ゴールデンボーイ賞への出席でイタリア・トリノへ。主催者であるイタリア『トゥットスポルト』のインタビューで、近況を語っている。 「最近? 幸せを享受していて、おかげさまで忙しいよ。ときどきサッカーが恋しくなるのは否定しない。6歳から続けてきたスポーツを離れ、改めて人生がサッカー中心に回っていたのだと実感したね。そう考えると、少し悲しい」 「とはいえ、人生で“章”を閉じるべき瞬間は必ずやってくる。次の章へ進まねばならないから決断したんだ。ありがたいことにサッカーで色々勝ち取ってきたしね。満足感がある…でも、やっぱり悲しさに包まれる日もある」 “イタリアサッカーは再興していますか?” 「ここ数年で再びレベルがかなり上がったんじゃないか? 指標は欧州での大会。数年前にインテルがチャンピオンズリーグの決勝へ進み、アタランタは無敵と思われたドイツ王者(レバークーゼン)を撃破した。ここ最近では、ベルナベウでマドリーに勝ったチーム(ミラン)もある」 「スペインに住んでいたころ、何度かセリエAのチームから打診がきた。マドリーを離れるアイデアがなかったわけだが、イタリアのサッカーは好きだ。この上なく戦術的な一方、技術も激しさも求められる点が好ましい」 「セリエAのチームでプレーするならどこにしよう…そうだね、環境を知らないから1つ選ぶのは難しいが、たぶん私ならインテルのサッカーは苦にしないだろう」 「なぜなら、インテルは既存の選手たちが自信を持ち、クオリティを兼ね備え、どのチームと対戦しても落ち着きを失わない集団だからね」 2024.12.17 19:45 Tue5
