カバーニがカタールW杯後の代表引退示唆 「もうひとつの夢を実現し、身を引きたい」

2021.06.15 23:15 Tue
Getty Images
マンチェスター・ユナイテッドに所属するウルグアイ代表FWエディンソン・カバーニ(34)が2022年カタール・ワールドカップ(W杯)後の代表引退を示唆した。『ESPN』が伝えている。

カバーニは2008年のフル代表デビュー以降、歴代3位の118試合に出場し、歴代2位の51ゴールを記録。長らくFWルイス・スアレスと共にラ・セレステの攻撃をけん引し続けている。

しかし、今年2月に34歳となったエル・マタドールは、来年に控えるカタールW杯が自身にとって最高の引き際になると考えているようだ。
「すべての人間の人生というものは、目的に基づいていて、ある場所に到達するための欲求、目標、目的があるものなんだ」

「フットボールの場合、代表チームでの僕の目標は、カタールでのワールドカップ出場になる。そのもうひとつの夢を実現し、その後は身を引いて家族や仲間、自分のことに専念したいと思っている。僕らはすでにそのラストダンスに参加している状態だね」
また、先日にユナイテッドとの契約延長にサインしたカバーニだが、依然としてボカ・ジュニアーズ行きの可能性が伝えられている。その点について34歳のベテランストライカーは、南米でキャリアを終える可能性を否定していない。

「いつかは南米に戻って、この地で戦うことになるだろうけど、今はその時ではないね」

なお、自身最後の参加となるコパ・アメリカに参戦中のカバーニは、18日にグループA初戦のアルゼンチン代表戦に挑む。

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元ウルグアイ代表FWアブレウが移籍回数世界記録! 22年のキャリアで9カ国23クラブ、28度の移籍!

▽元ウルグアイ代表FWセバスティアン・アブレウ(40)が、移籍回数の世界記録を樹立したようだ。イギリス『デイリー・メール』など複数メディアが伝えている。 ▽“エル・ロコ(変人)”の愛称で知られるアブレウは、14日にサンタ・テクラ(エルサルバドル)から、ブラジル3部のバングに完全移籍した。今回の移籍によって、22年のプロキャリアで通算28度目の移籍を果たしたアブレウは、移籍回数の世界記録を樹立した。 ▽1995年に母国のデフェンソールでプロキャリアをスタートしたアブレウは、1996年にサン・ロレンソ(アルゼンチン)へキャリア初の移籍を行う。その後、1998年にデポルティボ(スペイン)に完全移籍すると、同クラブ在籍期間に7クラブへのレンタル移籍を経験した。 ▽2004年に母国のナシオナルに完全移籍して以降は、メキシコやアルゼンチン、ブラジルなど、中南米のクラブを渡り歩き、2016年にはクラブ・ソル・デ・アメリカ(パラグアイ)、前述のサンタ・テクラ、バングと1年間で3クラブに在籍することになった。 ▽22年間のキャリアで9カ国、23クラブを渡り歩いたアブレウは、通算251試合に出場し、94ゴールを記録。通算8度のタイトルを獲得している。また、移籍の大半がレンタル移籍であるため、移籍金の総額は、推定655万ポンド(約9億円)と思ったほどの金額ではない。 ▽なお、これだけ多くのクラブを渡り歩いていると、その能力に疑いが出てくるが、193cmの長身ストライカーであるアブレウは、2002年の日韓ワールドカップに出場するなど、ウルグアイ代表として通算70試合に出場し、26ゴールという立派な数字を残している。さらに2011年のコパ・アメリカでは、優勝に貢献している。アブレウのクラブ遍歴は以下の通り。 ◆<span style="font-weight:700;">アブレウのクラブ遍歴</span>(※はレンタル移籍) 1995-96:<span style="font-weight:700;">デフェンソール</span>(ウルグアイ) 1996-98:<span style="font-weight:700;">サン・ロレンソ</span>(アルゼンチン) 1998-2004:<span style="font-weight:700;">デポルティボ</span>(スペイン) 1998:<span style="font-weight:700;">グレミオ</span>(ブラジル)※ 1999-2000:<span style="font-weight:700;">テコス</span>(メキシコ)※ 2000-01:<span style="font-weight:700;">サン・ロレンソ</span>(アルゼンチン)※ 2001:<span style="font-weight:700;">ナシオナル</span>(ウルグアイ)※ 2002-03:<span style="font-weight:700;">クルス・アスル</span>(メキシコ)※ 2003:<span style="font-weight:700;">クラブ・アメリカ</span>(メキシコ)※ 2004:<span style="font-weight:700;">テコス</span>(メキシコ)※ 2004-05:<span style="font-weight:700;">ナシオナル</span>(ウルグアイ) 2005-06:<span style="font-weight:700;">シナロラ</span>(メキシコ) 2006:<span style="font-weight:700;">モンテレイ</span>(メキシコ) 2007:<span style="font-weight:700;">サン・ルイス</span>(メキシコ) 2007-08:<span style="font-weight:700;">ティグレス</span>(メキシコ) 2008:<span style="font-weight:700;">リーベル・プレート</span>(アルゼンチン)※ 2008:<span style="font-weight:700;">ベイタル・エルサレム</span>(イスラエル) 2008-09:<span style="font-weight:700;">リーベル・プレート</span>(アルゼンチン) 2009:<span style="font-weight:700;">レアル・ソシエダ</span>(アルゼンチン)※ 2009-10:<span style="font-weight:700;">アリス・テッサロニキ</span>(ギリシャ) 2010-12:<span style="font-weight:700;">ボタフォゴ</span>(ブラジル) 2012:<span style="font-weight:700;">フィゲイレンセ</span>(ブラジル)※ 2013-15:<span style="font-weight:700;">ナシオナル</span>(ウルグアイ) 2013-14:<span style="font-weight:700;">ロサリオ・セントラル</span>(アルゼンチン)※ 2015:<span style="font-weight:700;">アウカス</span>(エクアドル)※ 2016:<span style="font-weight:700;">ソル・デ・アメリカ</span>(パラグアイ) 2016:<span style="font-weight:700;">サンタ・テクラ</span>(エルサルバドル) 2016:<span style="font-weight:700;">バング</span>(ブラジル) 2016.11.15 03:13 Tue
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“つり目”ポーズのU-20ウルグアイ代表MFバルベルデが人種差別を否定も謝罪

▽韓国で行われているFIFA U-20ワールドカップにおいて、人種差別的なジェスチャーをしたとされたレアル・マドリーのU-20ウルグアイ代表MFフェデリコ・バルベルデだが、これを否定した。イギリス『BBC』が報じた。 ▽ウルグアイは、準々決勝でU-20ポルトガル代表と対戦。120分間を終えて2-2のドローとなり、PK戦までもつれた試合を5-4で制したウルグアイが、ベスト4に勝ち進んだ。 ▽この試合でPKによる同点ゴールを決めたバルベルデが、目尻を釣り上げるゴールパフォーマンスを行っていた。このことが問題視され、アジア人に対する差別だと騒がれていたが、本人が否定した。 「これは人種差別的なセレブレーションではなく、友人のための個人的なお祝いだった」 「人種差別的な意図はなかったけど、僕は謝罪したい」 ▽“つり目”のパフォーマンスは最近問題になることが多く、中国スーパーリーグの河北華夏に所属するアルゼンチン代表FWエセキエル・ラベッシがクラブの写真で同様のポーズをして謝罪。また、バレーボールのセルビア女子代表チームも日本での大会出場権を獲得したことに対して同様のポーズを取り、批判を受けて謝罪する事態が起きていた。 2017.06.06 12:34 Tue
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スアレスがW杯で繰り出した“神の手セーブ”に海外再脚光「一生忘れられない」

『ESPN』の公式ツイッターが、2010年の南アフリカ・ワールドカップ(W杯)でのワンシーンを再び取り上げた。 そのシーンとは、今からちょうど11年前。2010年7月3日に行われた南アフリカW杯準々決勝のガーナ代表vsウルグアイ代表の一戦。1-1で迎えた延長後半終了間際の場面だ。 ガーナのFKの流れからゴール前で混戦になると、ガーナFWアサモア・ギャンがヘディングで押し込む。GKフェルナンド・ムスレラは前に出ており、決まったかと思われたが、ウルグアイのFW ルイス・スアレスが手を使ってシュートをストップ。スアレスは一発退場となり、ガーナがPKを獲得した。 これを決めればアフリカ勢初となるW杯ベスト4進出となる状況だったが、PKキッカーのギャンのシュートは無情にもクロスバーを叩き失敗。その後のPK戦でガーナは敗れ、ベスト8で敗退していた。 『ESPN』は「試合後、彼は『大会で最高のセーブをした』と語った」と題して一連のシーンを公開。「スアレスがもっと好きになった」「これ以上思い出させないでほしい」「一生忘れられない」と様々な声が寄せられている。 なお、この件についてスアレス本人は、後に出版した自伝の中で「ガーナ代表には気の毒だと思うが、その責任を俺が感じる必要はない。その場にいた選手としてできることをしたまで」と語っている。 噛みつき、ダイブ、人種差別発言など、多くの問題を起こしてきたスアレスだが、この“神の手セーブ”はスアレスを物語る代表的なエピソードとして記憶されているようだ。 <span class="paragraph-title">【動画】スアレスの“神の手セーブ”をもう一度…!</span> <span data-other-div="movie"></span> <blockquote class="twitter-tweet"><p lang="en" dir="ltr">11 years ago today, Luis Suarez’s blatant handball prevented Ghana from becoming the first Africa nation to reach a World Cup semifinal.<br><br>After the match, he said: “I made the best save of the tournament.” <br><br>(via <a href="https://twitter.com/FIFAWorldCup?ref_src=twsrc%5Etfw">@FIFAWorldCup</a>)<a href="https://t.co/fMJ5JGIFsy">pic.twitter.com/fMJ5JGIFsy</a></p>&mdash; ESPN FC (@ESPNFC) <a href="https://twitter.com/ESPNFC/status/1410870827973763072?ref_src=twsrc%5Etfw">July 2, 2021</a></blockquote> <script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script> <div class="dugout-video dugout-embed-eyJrZXkiOiJXZ3E2TnlIcyIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0="></div><script type="text/javascript" src="https://embed.dugout.com/v3.1/ultrasoccer.js"></script> 2021.07.03 09:35 Sat
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スアレス、12年前の復讐に燃えるガーナに過去のハンド謝罪を拒否 「PKを失敗したのは僕ではない」

ウルグアイ代表FWルイス・スアレスが12年ぶりの再戦となるガーナ代表戦に向け、過去の自身のプレーに言及した。 ここまで1分け1敗の3位でグループHの3位に位置するウルグアイは、2ポイント差で2位のガーナとの重要な最終節を控える。 この一戦に向けた公式会見に出席したスアレスは、2010年南アフリカ大会の準々決勝での対戦時の物議を醸した自身のハンドに言及。改めて謝罪する意思がないことを明確にした。 スアレスは当時の試合で、1-1のイーブンで迎えた延長後半終了間際にガーナがゴール前へFKを蹴り込んだ際にドミニク・アディヤが放ったシュートを意図的なハンドでブロック。この決死のプレーで自身は決定機阻止での一発退場となったが、PKキッカーを務めたアサモア・ギャンが失敗。その後、持ち込んだPK戦ではウルグアイが4-2で勝利し、アフリカ勢悲願のベスト4進出を阻んだ。 このマリーシアに関しては賛否両論が巻き起こり、ガーナにとっては12年が経過した現在でもスアレスを非難する声が残る。そして、この会見でガーナ人ジャーナリストからは、「ガーナであなたはディアブロ(悪魔)と見なされており、明日あなたを(代表から)引退させたい」との刺激的な言葉も飛んだ。 しかし、改めて自身の過去のプレーに言及したスアレスは、PK失敗はガーナの問題だとし、自身に非がないと主張した。 「それについて謝罪するつもりはないよ。僕はハンドをしたが、ガーナのプレーヤーがPKを失敗した。だから、それは僕のせいではない」 「タックルで相手を負傷させてレッドカードが出されたら謝ることはできるが、この状況ではレッドカードをもらってしまい、審判はPKを言い渡した」 「それは僕のせいではないよ。PKを失敗したのは僕ではないのだからね。PKを逃したプレーヤーは、あの状況で同じことをすると言っていた。あの状況において僕の責任はないよ」 また、ガーナ陣営はその一件を含め、今回の一戦でのリベンジに燃えているが、スアレスはあくまでクールな姿勢を貫く。 「多くの人がリベンジについて何を言っているのか分からないね。明日プレーするプレーヤーは、当時8歳だったかもしれない」 「彼らは僕を悪魔だと言っているみたいだけど、僕はキエッリーニに対して行ったこと(噛みつき)。それは間違いだったと思っている。だけど、その後彼と対戦した際に僕たちは握手をかわした」 「逆効果になる可能性があるし、過去とリベンジについて考え続けることはできないよ」 最後に、逆転での突破に向けては逆境に強い南米の小国としての気質を示したいと意気込む。 「僕らは困難な時期に直面している。だけど、これは僕らのワールドカップだ。僕ら自身も別の状況になりたいと思っていたけど、ウルグアイ人であり、こういった闘争に慣れているんだ」 「僕らはより優位な状況にいるのに値するプレーヤーが集まっているけど、苦難に立ち向かうことができる」 「フットボーラーとして、僕らは言い訳をすることに慣れているけど、すべてのプレーヤーはそれぞれのクラブで良い仕事をしているし、僕らは国のためにここにいる。だから、言い訳をするつもりはないよ」 2022.12.01 23:38 Thu

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