資産凍結のアブラモビッチが獲得したチェルシー高額選手、1位は144億円FWもわずか11ゴール
2022.03.12 21:15 Sat
チェルシーのオーナーであるロマン・アブラモビッチ氏の資産が、10日イギリス政府によって凍結された。この措置は、2月24日に始まったロシアによるウクライナへの軍事侵攻が発端。侵攻を決断したウラジーミル・プーチン大統領と親しい中にあるということが要因とされている。
2003年からチェルシーのオーナーに就任すると、潤沢な資金をクラブ運営に投じ、ワールドクラスのビッグネームを獲得。また、ジョゼ・モウリーニョ監督を招へいしたことをキッカケに、チームはビッグクラブへと変化した。
19年間にわたるオーナーとしてのキャリアの中で、プレミアリーグ5回、FAカップ5回、EFLカップ3回、チャンピオンズリーグ2回、ヨーロッパリーグ2回など多くのタイトルを獲得し、強豪の一角にチームは定着した。
チェルシーを大きく変化させたアブラモビッチ氏だが、今回の資産凍結により、予てから動いていたクラブ売却も不可能に。また選手の獲得、交渉も不可能となり、少なくない影響が考えられる。
2003年からチェルシーのオーナーに就任すると、潤沢な資金をクラブ運営に投じ、ワールドクラスのビッグネームを獲得。また、ジョゼ・モウリーニョ監督を招へいしたことをキッカケに、チームはビッグクラブへと変化した。
チェルシーを大きく変化させたアブラモビッチ氏だが、今回の資産凍結により、予てから動いていたクラブ売却も不可能に。また選手の獲得、交渉も不可能となり、少なくない影響が考えられる。
そこで、アブラモビッチ氏が就任してから獲得した選手5名を紹介。移籍金が高いトップ5はこの選手たちだ。
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前線の選手が多い?リバプールとチェルシー、両方でプレーした選手たち
例年より約1ヵ月遅れで開幕を迎えたプレミアリーグ。週末に行われる第2節では、いきなりチェルシーvsリバプールというビッグマッチが控えている。 今シーズンも優勝を争うであろう両チームだが、リバプールのエースであるエジプト代表FWモハメド・サラーは2014年冬にバーゼルからチェルシーに加入。チェルシーでは出場機会が限られ、フィオレンティーナ、ローマでの活躍を経てリバプールへと移籍した経緯を持つ。 また、チェルシーに所属するナイジェリア代表MFヴィクター・モーゼスも2013-14シーズンにレンタルでリバプールでプレーした経験を持っている。 他にも、サガン鳥栖にも在籍した元スペイン代表FWフェルナンド・トーレス氏を筆頭に、多くの名選手たちが二つのクラブでプレーしており、イギリス『DUGOUT』がそんな経歴を持つ選手10人を動画で特集している。 また、紹介されている選手以外にも、元イングランド代表FWダニエル・スタリッジらも両クラブでのプレー経験を持ち、全体的に見ると、前線の選手の割合が高いようだ。 <div id="cws_ad">◆リバプールとチェルシーでプレーした選手を映像でチェック<br /><div style="margin:0 auto; max-width:100%; min-width:300px; " ><div style="position: relative; padding-bottom:56.25%; height: 0; overflow: hidden; "><iframe src="https://embed.dugout.com/v2/?p=eyJrZXkiOiI2WVJaQXNYVSIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0=" style="width: 300px; min-width: 100%; position: absolute; top:0; left: 0; height: 100%; overflow: hidden; " width="100%" frameborder="0" allowfullscreen scrolling="no"></iframe></div></div></div> ◆リバプールとチェルシーでプレーした選手たち FWモハメド・サラー チェルシー(2014-2015)公式戦19試合2ゴール リバプール(2017-)公式戦154試合97ゴール 2012年夏に加入したバーゼルにおいて、チャンピオンズリーグでチェルシーから4試合で4得点を決めると、その後の2014年冬にチェルシーに引き抜かれた。チェルシーでは本領発揮とはいかなかったものの、イタリアでの活躍を経て、2017年にリバプールに加入すると、FWサディオ・マネ、FWロベルト・フィルミノと共に強力な3トップを形成。プレミアリーグ王者リバプールのエースとしてハイペースでゴールを量産している。 MFヴィクター・モーゼス リバプール(2013-2014)公式戦22試合2ゴール チェルシー(2012-)公式戦128試合18ゴール モーゼスは、2010年から所属したウィガンでブレイクし、2012年にチェルシーへステップアップ。しかし、選手層の厚いチェルシーでは充分な出場機会が得られずに、リバプールやストークなど多くのレンタル移籍を経験した。今季は昨季のレンタル先であるインテルからチェルシーに復帰しているが、その去就は不透明だ。 DFグレン・ジョンソン チェルシー(2003-2006)公式戦66試合4ゴール リバプール(2009-2015)公式戦200試合9ゴール ウェストハムの下部組織で育ったグレン・ジョンソンは、2003年にチェルシーへと移籍。しかし、チェルシーではパフォーマンスが安定せず、当時のジョゼ・モウリーニョ監督が連れてきた、DFパウロ・フェレイラにポジションを奪われた。2009年にリバプールへと完全移籍。DFアルバロ・アルベロアがレアル・マドリーへと移籍したために、右サイドのレギュラーポジションを確保していた。 FWフェルナンド・トーレス リバプール(2007-2011)公式戦142試合81ゴール チェルシー(2011-2014)公式戦172試合45ゴール 2007年にアトレティコ・マドリーからリバプールへ移籍。加入初シーズンから得点を量産し、一気にリバプールサポーターの心を掴み、爆発的な人気を誇った。しかし、2011年1月、ライバルクラブのチェルシーへ移籍すると、移籍後初ゴールまで実に903分を要するなど中々結果を残せなかった。それでも、2012年のチャンピオンズリーグ(CL)優勝を経験するなど、多くのタイトルを獲得した。 FWニコラ・アネルカ リバプール(2001-2002)公式戦22試合5ゴール チェルシー(2008-2012)公式戦184試合59ゴール チェルシーでFWディディエ・ドログバと共に一時代を築いたアネルカは、パリ・サンジェルマン在籍時の2001-02シーズンにローンでリバプールに加入。FWマイケル・オーウェンやFWエミール・ヘスキーらと共にプレーした。 MFラウール・メイレレス リバプール(2010-2011)公式戦44試合5ゴール チェルシー(2011-2012)公式戦48試合6ゴール 2010年夏にポルトからリバプールに加入したメイレレスは、シーズン途中でケニー・ダルグリッシュ監督が就任して以降はチームのキーマンに。ファンが選ぶ年間最優秀選手にも選ばれたが、シーズン終了後に同胞のアンドレ・ビラス=ボアス監督が率いていたチェルシーに加入、FAカップとチャンピオンズリーグの2冠に貢献している。 MFジョー・コール チェルシー(2003-2010)公式戦274試合38ゴール リバプール(2010-2011)公式戦42試合5ゴール 2003年にロマン・アブラモヴィッチ体制1年目のチェルシーに完全移籍を果たすと、その翌年に指揮官に就任したジョゼ・モウリーニョ監督の下、右ウイングの主力としてチームのプレミアリーグ2連覇に貢献。伝統的に強さや速さが重視されるイギリスでは珍しい、ファンタジスタタイプの選手として人気を博した。その後、チェルシーでの契約を満了すると、2010年にリバプールに移籍。ここでも10番を背負ったが、ロイ・ホジソン監督の戦術に馴染めず、期待されたような活躍は出来なかった。そのため、2011年夏にレンタル移籍でリール入りし、リバプールに戻ることはなく2013年夏にウェストハムに復帰している。 MFヨッシ・ベナユン リバプール(2007-2010)公式戦134試合29ゴール チェルシー(2010-2011)公式戦24試合1ゴール 攻撃的MFや左右のウイングを主戦場に卓越したテクニックとパスセンス、高いシュートセンスを武器とする、イスラエル史上最高のアタッカーは、ウェストハム、リバプール、チェルシー、アーセナル、クインズ・パーク・レンジャーズ(QPR)とプレミアリーグクラブを渡り歩いた。なお、リバプール時代にはプレミアリーグ、チャンピオンズリーグ、FAカップの3つのコンペティションでハットトリックを記録しており、これはマンチェスター・シティFWセルヒオ・アグエロ、トッテナムFWハリー・ケインの2人しか達成していない偉大な記録だ。 MFボーデヴィン・ゼンデン チェルシー(2001-2003)公式戦59試合4ゴール リバプール(2005-2007)公式戦47試合2ゴール 母国オランダのPSV出身のゼンデン氏は、バルセロナを経て2001年にチェルシーへと加入。スピードのあるサイドアタッカーとして活躍を見せた。その後はミドルズブラを経てリバプールに加入するなど、キャリアの多くをイングランドで過ごした。 MFナイジェル・スパックマン チェルシー(1983-1987、1992-96)公式戦208試合12ゴール リバプール(1987-1989)公式戦63試合0ゴール ボーンマスでプロデビューを飾ったスパックマン氏は、1983年にチェルシーへ移籍。豊富な運動量を武器に、主力として活躍した。1987年にリバプールに移籍した後、QPR、レンジャーズを経て、1992年にチェルシーに復帰。プレミアリーグでも活躍を見せた。 DFジョーイ・ジョーンズ リバプール(1975-1978)公式戦100試合3ゴール チェルシー(1982-1985)公式戦78試合2ゴール ウェールズのレクサムでデビューを飾ったジョーンズ氏は、1975年にリバプールに移籍。左サイドバックとして、1977年のチャンピオンズカップ(現チャンピオンズリーグ)制覇など、クラブの黄金期を支えた。その後、レクサム復帰を経て加入したチェルシーでも活躍を見せた。 2020.09.19 17:00 Sat5
「僕は才能に頼っていた」「最後は気が狂いそうに…」かつてユナイテッドで将来を嘱望された“イギリスのメッシ”…現在7部でプレーも「プレミアに戻れると信じている」
かつてマンチェスター・ユナイテッドで将来を嘱望され、“イギリスのメッシ”とも呼ばれたMFカラム・グリビン。現在イングランドの7部リーグでプレーする元天才が、ここまでのキャリアを振り返った。 5歳の時にユナイテッドのアカデミーへ入ったグリビンは、左利きのドリブラーとして卓越したドリブルと技術を持ち“イギリスのメッシ”と称えられるほどに。16歳でファーストチームのトレーニングへ合流するほどのクオリティを見せるスーパースターの卵には、当然大きな期待が寄せられていた。 しかし、その後はケガなどの問題もあり思うような成長を見せられず、2019年にユナイテッドを退団。その後はシェフィールド・ユナイテッドを経て入団したバローにて待望のプロデビューを果たしたが、ケガに悩まされ退団すると現在はイングランド7部のFCユナイテッド・オブ・マンチェスターでプレーしている。 イギリス『The Athletic』のインタビューに応じた現在25歳のグリビンは、ユナイテッド時代を振り返り多くの過ちがあったと告白。才能を鼻にかけ、間違った態度をとり続けていたと悔やんでいる。 「僕のこれまでの歩みを見て、『何が起こったのか』知りたがる人はたくさんいる。僕自身、今ではフットボールに対する見方が確実に変わったよ。子供の頃は、ただフットボールが大好きだった。でも、年を重ねるとフットボールは冷酷で、自分が成長していた頃に想像していたようなものではないと気づかされる」 「若い頃、僕は自分を律することができていなかった。時には、自分自身を大いに失望させていたと思う。ユナイテッドで終わりが近づいていた頃の僕は、難しい人間だった。チームでチャンスを得られず、不満だったんだ。自滅的な行動をして、フットボール以外の部分でも間違ったことをし始めた」 「僕は未熟だが才能はあり、それに頼っていたんだ。何年も、それを悪用していた。自分の才能に頼って生き延びていたよ。だから、契約を更新されないという教訓は必要だった。それから僕は成長して、当時とはまったく違う見方をしている」 「僕はいつも『才能ある子供』だったが、もうそんな年齢ではない。ユナイテッドでの最後の2年間は辛いものだったけど、全体的にはあのクラブでの時間は信じられないほど素晴らしかった。最高のコーチ、最高の選手たちと一緒に仕事をしたし、クラブについて悪いことは一言も言えないよ」 「アカデミー生はトップチームの隣のピッチでトレーニングしていたけど、それを終えてから10分間くらいファーストチームの選手を観察できるのが大好きだった。食堂で彼らが夕食を食べているのを見て、いつも『そこに座りたい』と思っていたよ。だから、昇格したときはそうした。『ここが僕のいるべき場所だ』という態度だったんだ」 「(若手を軽視していたジョゼ・モウリーニョ監督について)僕は『くだらない人だ。僕の名前を知ろうともしない』と思っていた。今振り返ってみると、腹を立てるべきではなかったんだけどね。でも当時は、トレーニングでも彼が見てくれないことが気に障った」 「(2018年夏、ツアーメンバーに帯同できなかったことについて)僕はクラブからパスポートの詳細を聞かれていて、『ここでチャンスは来る』と思っていた。新聞にも帯同すると書かれていたしね。でも、僕は含まれておらず、良い反応ができなかった。そこから、いくつか酷い失態があったと思う。何人かと仲違いし、最後は本当に気が狂いそうだった。クビになるのもわかっていたよ」 「それでもショックで、受け入れるのは大変だった。完全に打ちのめされたけど、正直言ってそうなる必要はあったと思う。そこから得られる教訓を、学ぶ必要があった」 「(トライアウトを受けるのは)理解できなかった。ユナイテッドのようなクラブに長くいたのに、トライアルを受けてまた自分を証明しなければいけないのは、受け入れるのが大変だったよ。最初の1年間は、自分のベストを尽くせなかったと思う」 「でも、もし今僕が『マンチェスター・ユナイテッドにいたのに、今はここにいる』という態度でいたら、どっちみち損になる。そんな風に考えても、何も得られないんだ」 大きな挫折を経験し、昨年にはヒザに重傷を負って手術も受けたグリビン。それでも、精神的に大きく成長したことを自負するかつての天才は、プレミアリーグでプレーする日を信じていると語った。 「ツイッターでは奇妙なコメントも寄せられてくる。でも、僕が実際に会う人たちは大抵前向きなんだ。先日も、ある子供が僕に話しかけてきた。『どうして僕のことがわかるの?』と思ったよ」 「(フットボール以外の仕事を兼業するのは)終わりを意味すると思う。それが頭に浮かんだ日がなかったと言えば、嘘になる。でも、僕は常に自分の才能を信じてきたし、それを諦めるにはあまりにも優れていると思っているんだ」 「もし僕が今ほど良くなかったら、たとえ10%でも悪かったら、諦めていただろう。でも、これからの18カ月は、僕が本来あるべき姿に戻るための大きなチャンスだと思っている」 「誰もが異なるキャリアの道を歩んでいて、僕が完全に健康でプレーしていれば観に来てくれる人がいるのも確かだ。正直に言って、僕はプレミアリーグに復帰できると今でも信じている。すべては僕次第なんだ」 2024.10.10 16:30 Thuチェルシーの人気記事ランキング
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チェルシーの前オーナー、ロマン・アブラモビッチ氏(58)の近況とは。イギリス『ミラー』が各国紙の報道をまとめた。 2000年代初頭にチェルシーを買収したアブラモビッチ氏。それまでイングランドの第二勢力だったクラブを、莫大な資金投下によりタイトル争いの常連とし、一時代を築き上げた。 しかし彼は、ウラジーミル・プーチンとも個人的に親しいロシア人実業家、または政治家。 2022年2月のロシアによるウクライナ侵攻を発端としてイギリス政府から制裁を科され、チェルシーを手放すことに。長らく英国への入国ができていなかったなか、王国は終焉した。 その後、氏は所有する大型船舶を巡って数百万ドルの脱税をしたとして告発されることに。 この“ヨット”が実質的な住居になっており、ロシア・ソチ、トルコ・イスタンブール、イスラエル・テルアビブを海上で行ったり来たり。 『CNNトルコ』は、アブラモビッチ氏がイスタンブールに不動産を購入と報じるも、具体的な場所の情報がなく、氏の代理人もこれが住居であることを否定。氏の“自宅”は、エーゲ海に面するマルマリス港に停泊しているとのことだ。 なお、2022年にはロシアとウクライナの和平交渉に参与したこともあるアブラモビッチ氏。 しかし、この頃を境にプーチンとの関係が悪化したと伝えられ、ロシア側による毒殺未遂に遭ったという真偽不明の報道も。最近はモスクワへ戻っていない様子で、イスラエル国籍を保有しながらも最近テルアビブにも上陸していないといい、どうやら拠点はトルコにあるようだ。 2025.01.29 19:30 Wed2
2年越しに監督に謝罪…チェルシーGKケパが交代拒否の真相を明かす「無視するつもりなんてなかった」
チェルシーのスペイン代表GKケパ・アリサバラガが、かつての指揮官であるマウリツィオ・サッリ監督に謝罪した。 ケパは2018年8月にアスレティック・ビルバオからチェルシーへと完全移籍。7100万ポンド()の移籍金で加入し、世界で最も高価なGKとなった。 加入1年目にはヨーロッパリーグ(EL)を制するなどチームのタイトル獲得に貢献した一方で、ちょっとした事件を起こしていた。 2019年2月24日に行われたカラバオカップ(EFLカップ)決勝のマンチェスター・シティ戦。この試合もケパは先発出場していた。 しかし、延長戦に突入した試合では、ケパが痙攣を起こしてプレーが難しいと見られる状況に。そこでサッリ監督は、控えGKのウィリー・カバジェロとの交代を準備した。 ただ、この監督の決断にケパは交代を拒否。そのままプレーを続行すると、PK戦では4-3で敗れシティにEFLカップのタイトルを渡してしまっていた。 ケパは『The Players' Tribune』でこの件についてコメント。ケパはチームのために時間を掛けようとしただけだったものの、サッリ監督がカバジェロをウォーミングアップさせたことで意図が伝わらず、最終的には監督の指示を無視するような形になってしまったとし、謝罪した。 「僕は大丈夫で、ケガをしていないことを伝えようとしたんだ。でも、僕たちは8万人以上の人の前で、ウェンブリーにい宝、サッリは僕のことを理解していなかった」 「第4の審判がボードを上げた時、僕は交代すべきだったし、そうしなかったことは申し訳ないと思っている」 「僕は間違っていた。関係者全員に謝りたい。公の場で僕が貶めたように見えてしまったマウリツィオ・サッリ、チームメイトであり、偉大なプロであるウィリー(・カバジェロ)、そして我慢していたチームメイトやチェルシーファンのみんなにだ」 「試合中、その後の数日間に起きた全ての雑音を、全て我慢しなければならなかった」 「決勝の後、ドレッシングルームで携帯を手にしたら、世界中でニュースになっていることに気がついた。そこから3、4日間は止まらなかった。圧倒的だったし、写真を見たほとんどの人は、僕がマウリツィオ(・サッリ)を軽蔑したと思っただろう」 「僕は誤解されていると感じた。なぜなら、僕は監督を無視するつもりなんてなかったからだ」 「僕は彼に伝えようとしただけだった。そのことをメディアに説明しようとしたけど、それはできなかったんだ」 「幸いなことに、もう過去の話でしかない、僕は今もマウリツィオと素晴らしい関係を築いている。もし今度起きたら、どうすべきかは理解しているよ」 2021.07.27 18:41 Tue3
イタリアのレジェンドストライカー、ジャンルカ・ヴィアッリがすい臓がんのため死去…58歳の若さで
元イタリア代表FWのジャンルカ・ヴィアッリ氏が、すい臓がんとの長い闘病生活の末、58歳で亡くなった。イタリアメディアが一斉に報じている。 ヴィアッリ氏は2017年に膵臓がんと診断され、2018年11月に完治が発表されたものの、2021年12月に再発。2度目の闘病が自身の口から明かされていた。 昨年12月にはがん克服のため、イタリア代表での職務を辞する意向がイタリアサッカー連盟から発表された。 しかし、伝えられるところではここ数週間で病状が悪化。がんの進行が抑えられず、58歳で帰らぬ人となってしまった。 現役時代はサンプドリアやユベントス、チェルシーで活躍した生粋のストライカーだったヴィアッリ氏。引退後はイタリア、イングランドの両国でコメンテーターを務め、2019年10月からサンプドリアの元チームメイトである親友のロベルト・マンチーニ監督の誘いを受け、アッズーリのスタッフを務めていた。 同氏の遺族は「計り知れない悲しみをもって、私たちはジャンルカ・ヴィアッリの死をここに伝えます。家族に囲まれ、勇気と威厳を持って病気と向き合い、5年の歳月を経て、昨晩亡くなりました。長年にわたり、愛情を持って彼を支えてくださった多くの方がに感謝いたします。彼の記憶と模範は、永遠に私たちの心の中に生き続けることでしょう」と、訃報を伝えた。 2023.01.06 19:55 Fri4
氷の上でも好セーブ連発の元チェルシーGKチェフ、新天地のアイスホッケーチームで早速デビュー
チェルシーのレジェンドでもある元チェコ代表GKペトル・チェフ氏が、アイスホッケーで新天地デビューを果たした。 現役時代はチェルシーやアーセナルなどで活躍したチェフ氏。シュートストップに加え、正確なキックなど、一時代を築いた守護神として知られる。 そのチェフ氏は引退後の2019年にイギリスのアイスホッケーチームであるギルドフォード・フェニックス(イギリス4部相当)と契約すると、氷の上でも好セーブを連発。2021-22シーズンに三冠を達成すると、そこから1カテゴリー上のチェルムズフォード・チーフタンズ、オックスフォード・シティ・スターズとクラブを転々としている。 そして、11月には1部相当のエリート・アイスホッケー・リーグのベルファスト・ジャイアンツにレンタル加入。グラスゴー・クラン戦でデビューを果たした。 ベルファスト・ジャイアンツが5-1とリードし、試合時間残り5分という状況で投入されたチェフ氏。スタジアムの観衆からは大きな歓声が上がっていた。 なお、試合はそのままベルファスト・ジャイアンツが5-1で勝利している。 また、ベルファスト・ジャイアンツにはアイスホッケー日本代表の佐藤航平選手も所属している。 <span class="paragraph-title">【動画】大歓声の中でチェフが新天地デビュー</span> <span data-other-div="movie"></span> <blockquote class="twitter-tweet"><p lang="en" dir="ltr">Here he comes! | <a href="https://twitter.com/hashtag/EIHL?src=hash&ref_src=twsrc%5Etfw">#EIHL</a> <br><br>Petr Čech makes professional hockey debut with the <a href="https://twitter.com/BelfastGiants?ref_src=twsrc%5Etfw">@BelfastGiants</a>. <a href="https://t.co/u0kaSRRTjO">pic.twitter.com/u0kaSRRTjO</a></p>— Elite Ice Hockey League | #EIHL (@officialEIHL) <a href="https://twitter.com/officialEIHL/status/1728525924960759809?ref_src=twsrc%5Etfw">November 25, 2023</a></blockquote> <script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script> 2023.11.28 19:25 Tue5

